透き間、生まる心
「翔兵くん、落ち着いて聞いてね――」
久し振りに会った伯母との会話は、八歳の少年の人生を大きく変貌させるものとなった。
「……あなたのお父さんとお母さんが――亡くなったの」
憔悴しきった伯母の目には涙が堪っていた。普段はとても穏やかで安心感のある人だったのに、まるで別人のように見えた。掴まれた肩がやけに痛い。これは気のせいではないのだと翔兵は気付く。両肩が伯母の震える手にがっちりと掴まれていた。
「何で……死んだの?」
不意に口から出た言葉は、自分でも驚く程に掠れていた。現実感がない。まるで全てのことが虚像に見える。
伯母の頬に一筋の涙が伝った。瞬間、彼女の腕に抱きしめられる。
「鬼に、殺されたのよ……!」
耳に響く声には、悲しみと恨みがましい感情がこもっていた。
――そうか、確か今日は二人で鬼退治の仕事に出掛けると言っていたな。
翔兵はやけに冷静に、両親との朝方のやり取りを思い出すことができた。あれが最後の思い出になったのだと、伯母の腕に抱かれながら考えを巡らす。
「……翔兵くん、伯母さん達と一緒に暮らしましょう」
「うん……」
翔兵は未だ現実味がないまま、こくりと頷いたのだった。
翔兵は蛭間一族の分家の生まれである。父親が蛭間の血筋を受け継いでおり、本家の次男として生まれた。母親も蛭間家と深く結び付いている鬼退治士の家系の生まれで、両親共々、鬼退治を生業にしていた。父の兄――つまりは翔兵の伯父が蛭間家の現頭首なのだが、彼と父の間には何らかの確執があるようで、あまり仲の良い兄弟ではなかった。そのせいもあってか、翔兵は両親が亡くなった後、本家での生活になかなか馴染めずにいた。
と言っても、別段意地悪をされていたわけではない。伯父は無愛想で厳しい人だが誰に対してもそんな調子だし、伯母は翔兵にとても優しく接してくれた。また、従兄弟の兄弟ともそれなりに仲良くしていた。
しかし翔兵には、ただ一つ大きな不満があった。それは鬼退治士としての修業に対するものだ。本家の跡取りである従兄弟の長男は伯父から渾身的に指導を受けており、力も本家の息子として恥ずかしくないものだった。しかし、翔兵もそれに負けない実力を持っていた。鬼退治士の仕事には興味があったし、両親の生きていた頃にはそれなりに修業を積んでもらっていた。実際、力比べをしたとすれば、恐らく自分の実力のほうが上だろうと翔兵は思う。それはジェラシーやプライドを抜きにしての判断だ。
別に跡取りになりたいわけでも、伯父に構って欲しいわけでもない。ただ翔兵は鬼退治士の修業を思う存分にしたかっただけなのだ。だが今の環境はその望みを叶えることができない。どうしたって分家の生まれという囲いからは逃れられないのだ。自分が前に出れば、今の家族の関係を壊しかねない。そういった暗黙の了解が蛭間家にはあった為、翔兵は家の中では極力大人しく日々を過ごしていた。
自分がここにいる意味はあるのか――
そんな思いを抱えていた十歳の頃、とある古めかしい屋敷を発見した。学校帰りに寄道をしたある日のことである。
門の前には、同じ十歳くらいの黒髪の少女がぽつんと立っていた。
「何してんだ、お前?」
翔兵は思わず声を掛けていた。何しろ少女は裸足のまま、空を見上げてぼうっと突っ立ていたからだ。
少女は声に気付いてか、ゆっくりとこちらを振り向いた。大きな深緑色の瞳が翔兵を見つめる。真っ直ぐに視線を向けられ、息を呑んだ。その無機質な表情が一瞬、『鬼』と被る。
「……誰?」
少女の口からふと零れ出た言葉に、それはこっちが聞きたいと心底思ったが、少女の浮世離れした雰囲気に圧倒されて何も言葉が出てこなかった。
しばらくお互い無言で視線を交わしていると、不意に屋敷の中から慌てたような足音が聞こえてきた。
「まあ! こんなところで何をなさっているんですか!」
出てきたのは、使用人だろう装いのふくよかな女だった。驚き慌てた様子で少女に近付く。
「……散歩」
――裸足でかよ。
相変わらず無機質に答える少女に、つい口を出したくなったが何とか留めた。使用人の女が屋敷の中へと誘導しようとすると、少女は「ちょっと待って」と翔兵に振り返った。
「ねえ……わたしと友達になって」
「……へ?」
思わぬ発言に、間抜けな声が出てしまった。
「わたし、静。藤ノ宮静――っていうの」
「っ!」
翔兵は驚く。少女は自分と同じ、御三家の血の者なのかと。しかしそれで納得した。彼女の浮世離れした雰囲気に。
「……え、と」
何と答えればいいのか、翔兵は言葉に詰まる。断る理由はないが、受ける理由もなかった。正直、学校でもあまりクラスメイトと話すことはなく、友達と呼べる存在もいない。家の中で『良い子』を演じている反動で、外ではガキ大将的な存在になっていたりするのだ。
それなのに、いきなり出会った不思議少女と友達になるというのには抵抗がある。というよりも、友達になってどうすればいいのかわからない。
そんなことを考えていると、少女――静は非常に悲しそうな瞳で、
「ねえ、お願い――」
懇願するように呟いた。
翔兵はその瞳に囚われる。何かよくわからない感情が湧き上がり、全身に鳥肌が立った。
――こいつはオレを必要としているのか。
自分が存在する意味を見失いかけていた翔兵にとって、彼女の願いは心に大きく響いた。気付かぬ内にできた心の透き間が、まるで新しく生まれた感情で埋められたような気分であった。
どう返事をしようか戸惑いながら、少し照れ臭くなり頭を掻く。しかし、考えたところでやはり友人との接し方というのはわからない。
「…………わかった」
結局、翔兵はただ一言、ぶっきらぼうにそう返したのだった。




