巡る時、巡り会い
政景が彼らについて行くことにしたのは、単なる気まぐれ。もしくは万季から逃げる為。まあ後者が圧倒的に大きいだろう。あの場にいるのが耐えられなかったのだ。
座り心地は良いけれど、居心地が悪い高級車の中、運転手である白髪の老人にちらりと視線を向けながら、政景は軽い溜息を吐いた。
「溜息を吐くと、本当に幸せが逃げてしまうのかな」
それを見ていた右隣の楼が、相変わらずにこにこ笑顔でそんなことを聞いてきた。
「……さあ、どうだろう」
元より答える気のない政景。適当に返事をする。
「そりゃ溜息吐いてる状態で、幸せを感じるのは無理だろ」
左隣の翔兵が、かったるそうに答えた。それを聞いた楼は「それはそうなんだけどね~」と笑いながら肩を竦める。
本当に居心地が悪い――
政景は二度目の溜息を吐く。別に御三家に対して、政景自身が特別な感情を抱いているわけではない。
時代が流れるにつれ、戦いを好まない神成家は御三家と道を違えることにした。ひっそりと隠れ暮らす内に、神成家の存在は人々から忘れ去られていった。今やその血筋を継ぐ者は、政景とその母のみとなってしまっている。何故、こんなにも衰退してしまったのか。それはやはり神成の『鬼に好かれる体質』が起因する。
とにかく、神成家の先祖は自ら御三家との関わりを断ったのである。大昔のこととはいえ、やはり複雑な気分にはなるというものだ。
「……一体、おれに何の用なんだ?」
「だから、会ってほしい子がいるんだって」
それは先程から聞いていた。どうやら政景に会わせたい人物がいるらしいのだ。
「それが誰なのかって聞いてるんだよ」
「ぐだぐだうるせえんだよ、てめえ。行けばわかるだろうが」
翔兵の睨みに政景は三度目の溜息を吐く。
蛭間家ってヤクザの家系なんだろうか――
そう思う程、翔兵のガラは悪い。ハスキーな声も相まってドスが利くのだ。
「翔兵は反抗期なだけだから、笑って許してやってよ」
「誰が反抗期だ」
二人の掛け合いを見る限り、大層仲が良いらしいということはわかる。まずは彼らについて知るべきかもしれない。
「……君達、年はいくつなんだ?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
「えっとね、翔兵は十七歳で、ボクが十八歳。あ、でもボクに敬語とかいいからね。仲良くしよう」
楼が年上だということに少し驚く。二人共、蛭間家と朝桐家の跡取りなのだろうか。自分と歳の近い御三家の血筋がいるというのも何か奇妙な縁を感じる。
しかしそれよりも、『仲良くしよう』という楼の言葉が気に掛かった。それはつまり、これからも関係を続けていくということなのだろうかと。
不意に、翔兵が自分を睨み付けていることに気付いた。最初からそんな雰囲気がダダ漏れてはいたが、彼はどうやら政景のことをかなり嫌っているらしい。
「あの――」
何か言おうと思ったその時、車が軽く揺れて停車した。どうやら目的地に着いたらしい。
車を降りれば、そこにはこじんまりとした和風の屋敷が一つ。随分と古めかしい木材でできた建物だった。しかし威厳のあるその外観は、どこか高級感のある屋敷だった。
「こっちだよ」
楼の案内に従い、不貞腐れたように歩く翔兵に後ろから痛い視線を浴びせられながら屋敷へと足を踏み入れる。
ギシリと軋むその床に、古い歴史を感じた。木の香りが仄かに漂う。
連れて来られた場所は、畳の広間だった。庭に面しており、紅い夕日が差し込んでいる。
部屋の中央にはちゃぶ台が置いてあり、座布団が敷いてある一つに、楼は政景を誘った。
「ここで少し待っててもらえる?」
笑顔を浮かべて楼は部屋の外へと出ていく。仕方なく翔兵と向かい合わせに無言で座った。またもや居心地が悪い。
政景は辺りを見回す。一体ここは誰の家なのだろうか。蛭間と朝桐の本家ではないだろう。仮にも鬼退治士の御三家である。本家であれば、それ相応の大きな屋敷であることは間違いない。彼らは要人からお抱え鬼退治士として重宝されているのだ。
「……お前、守りだけじゃなく攻めの術も使えるんだな」
急に翔兵に話し掛けられ、少し驚く。攻めの術を使える神成家の人間は歴史上あまり存在しなかったから、珍しいとでも思われているのだろう。
政景の才能は、彼自身にとってある意味好都合であり、不都合でもあるのだが、堅実な生活を送るにはやはりその才能は必須だった。自身の望む普通からは程遠い存在になりつつあるのも事実ではあるのだが。
翔兵の視線は相変わらず鋭く突き刺さってくる。
「ああ……おれも死にたくないし」
簡潔に答えてやる。
御三家であれば、神成が鬼に好かれる特殊な血を引いていることを知っているはずだ。
「へえ」
まるで気のない相槌。そっちから聞いてきた癖に何なんだと呆れてしまう。
その時、楼が戻ってきた。手にはお茶を載せたお盆を抱えている。「お待たせ」と言って、慣れていないのか少し危なっかしい手つきで、お茶を四つちゃぶ台に置いていく。
お茶の数から察するに、会わせたい人間というのは一人だろう。一体、誰に会わせるつもりなのか。
「もう少しで来るからさ」
政景はとりあえず楼に礼を言って、お茶を口に含む。
瞬間、パシンッ――と勢いよく襖の扉が開かれた。驚いて危なく口からお茶鉄砲を発するところだった。
何とかお茶をごくりと飲み込んで振り向くと、
「へえ……あんたが、あの神成家の子孫なの?」
独特な雰囲気を放った少女が、襖に寄り掛かりながら立っていた。
腰まで届く艶やかな黒髪。天然なのかはわからないが、それは少しうねっており、ふわふわしていて柔らかそうだ。深緑色の瞳が印象的な少女は、綺麗というより可憐な印象を受ける。白い着物に身を包んでおり、大きめの羽織を着ていた。肌は透き通るように白く、一見すれば和風美少女そのものだろう。
しかし一つ問題がある。彼女の顔色だ。病人さながらに真っ青になっていたのだ。夜に見かけたら、幽霊と勘違いしてしまうのではないかと政景は思う。
「来た来た。彼女は『藤ノ宮静』。政景くんと同じ十七歳で、見た目通りとっても病弱なんだ」
笑って言うことでもないだろうに、楼は特に彼女を心配する様子もなく淡々と紹介する。
まず驚くべきは、まさか『藤ノ宮』まで出てきたことか。しかしそれにしたって突っ込みどころが多すぎる。
「……あの、起きてて平気なのか?」
とりあえず今にも倒れそうな彼女を心配してみる。すると彼女――静は不機嫌そうにこちらを睨み付けてきた。
「これで平気に見えたら……あんた薄情にも程がある人間ね」
息苦しそうに呼吸しながら、静はふらりと政景の隣の席へと座る。そして非常にゆっくりとした動作でお茶をずずっと啜った。意外と元気そうに見える。
が、政景はそこであることに気付いた。
「君――」
「おい静。体調悪いんなら寝てろよ、ボケ」
しかし言い掛けた政景の言葉に被せるように翔兵が低い声を出した。彼女の心配をしているのかしていないのか、よくわからない言い方である。静はキッと翔兵を睨み付けた。
「だからこそ……起きて来たんでしょうがっ。翔兵はすっこんでてっ」
二人のやり取りに、政景は何となく彼らの魂胆が見えてきていた。
「おれに医者になれって言いたいのか」
「さっすが政景くん。もう静のことわかったの?」
楼は楽しそうに手を叩く。翔兵はピクリと眉を吊り上げ、静は政景を横目で見やった。
「どういう意味?」
どこか挑戦的な眼差しで見つめてくる彼女を、政景はジッと見つめ返した。
「君は器が小さすぎて力を持て余してる。抑圧されているから、そんなに苦しそうなんだろう?」
「……ふん、成程。神成家も伊達じゃねえみたいだな」
鼻で笑って翔兵が答えた。
器とは人間が力を溜めることのできる入れ物のことだ。これは誰でも見えるものではないから、政景達のような術士でも一部の者しか把握できない。しかしこの器が大きいからといって、強い術を使えるかと言ったらそんなことはない。器は器である。中にある力が伴っていないと意味がない。静の場合はその器が小さく、力が外に漏れ出して体に大きな負担を掛けてしまっているのだ。
「だが、静は器が小さすぎるだけじゃねえ」
「これでも特殊な術で力を抑えてるんだよ」
翔兵と楼の言葉に、思わず彼女を振り返る。
「生きてるのが奇跡……ってね。耳にタコだけど」
「そりゃ……言われて当然だ」
憎々しげに語る彼女に、政景は茫然と呟いた。ただでさえ漏れ出る彼女の力は大量だというのに、本来はこの比ではないというのか。いくら何でも体が耐えられないだろう。
「守りの術に長けた神成家の政景くんなら、この状態の静を治すことができるよね?」
楼は期待を込めるように政景に問う。静は無言のままだ。
「……できないことはない」
曖昧にしか答えられなかった。静は一気に不満気な表情に変わる。
「男ならはっきりしろっての! だいたいもう調べがついてんだから! 神成家の血筋のあんたなら、わたしを治せるって……うぅ、気持ちわる……」
青い顔を近付けて捲し立ててきた静だったが、さらに顔を青くして吐き気がするのか、口元を手で押さえて畳に突っ伏す。政景は慌てて彼女の背中をさすろうとし、
「てめえはどいてろ」
いつの間に近付いていたのか、翔兵が静の隣に佇んで政景にガンを飛ばしてきた。そしてすぐに彼女に薬を手渡す。一瞬怯んでしまう程、何故か彼の気が荒々しい。
「ここだけの話、翔兵は独占欲が強いんだ」
耳元でひっそりと楼に告げられた。薬を飲む静を見守っている翔兵に、成程と納得した。ただ好意を持っているのなら、もう少し優しくしてあげてもいいのにと思う。
そして全く落ち着いた様子のない静は、ぜえぜえ言いながら政景をねめつけてきた。
無言の圧力。青い顔がやけに怖い。
政景は暫し逡巡してから彼女に言った。
「……君の負担を軽くすることなら、協力してあげられるよ」
「軽く? 何出し惜しみしてるわゲホゲホッ……治せる術があるでしょうが!」
咳込みながらも彼女の威勢は衰えない。
もちろん政景とて、彼女を治せるのであれば無償で治している。鬼ではないのだから。
しかし、それにはかなりのリスクがある。それは政景自身にもだが、彼女自身にも大きなリスクを背負わせることになるのだ。
「調べがついてるって言うならわかるだろう? その術を使えば、君とおれは離れられない関係になる」
「へえ、どういうこと?」
妙に楽しそうに聞いてくる楼。静も知らないのか怪訝そうな表情をしていた。翔兵にしても先程からずっと政景にガンを飛ばしたままなのだが、余計にその視線が強まった気がするので知らなかったのだろう。
恐らく都合の良い情報しか手に入れてないってところか――
呆れながら彼らを見渡した。
「君達が言っているのは神成家の禁忌とされている術のことだと思うけど、『魂合の術』と言って、その名の通りお互いの魂を融合させるものなんだ。そうすることでお互いの器がそれぞれ二人分の大きさになり、二人分の力も得ることができる」
「へえ。つまり静と政景くんが『魂合の術』を行った場合、お互いが静と政景くんの器と力をプラスしたものを得られるってこと?」
楼の感心しているんだか、ただ面白がっているのかわからない言葉に政景はとりあえず頷いた。
「それは鬼退治士としては喜ばしい戦力になるだろうけど、『離れられない関係』っていうのは?」
「魂の融合。つまり、死ぬ時は二人同時に死ぬ。それだけなら生きている内は現実感が湧かないだろうけど、お互いの過去から現在までの記憶も全て共有することになる。恥ずかしい部分も全て、ね」
言って政景は、さらに追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「しかもお互い一定の距離を保っていないと、力のバランスが崩れて不安定な精神状態になる。お互い恋しくて仕方がない程に」
これらの知識は全て神成家に受け継がれている文献によるものである。実際この術を使った先祖がいたようだが、とても幸せとはいえない末路を迎えたようだった。
ここまで言えば彼らも手を引くに違いない。政景はゆっくりと彼らの反応を待とうとし、
「!?」
突如、静が胸倉に掴み掛かってきた。
彼女の青い顔は、怒りとも悲しみともわからない感情が張り付いていた。
「それが……何だっつうのっ? わたしは別に恥ずかしい過去も何も持ってない! ただ寝て過ごすだけのつまんない人生だけ! 一時でもこの苦しみから解放されるなら、わたしは……!」
彼女はまたも咳込み、今度はバタリと畳の上に倒れ込んでしまった。
「静!」
翔兵がすぐに彼女を抱きかかえる。
「……寝かせてくる」
こちらを振り返らずに、彼は彼女を連れて部屋を出て行ってしまった。
政景は茫然とその様子を眺める。想像以上に、彼女の状態は精神的にも体力的にも限界が近いのかもしれない。まだ会ったばかりの政景には、その辛さを理解することができなかった。
「政景くん」
そんな政景の顔を、楼がひょいっと覗き込んでくる。
「ごめんね。静、今日はかなり調子が悪いみたいで。他の日ならもう少しまともに会話できるんだけど」
「そう……なのか?」
本来はあんなにカリカリした性格ではないのだろうか――疑問が過ぎる。
すると楼はクスリと笑って、
「時が経つにつれて性格が破綻してきてるっていうのかな? もちろん、あの体質のせいでね」
そう言って、切なげな表情で遠くを見るように庭を見た。
「小さい頃から彼女を見て来たけど……今までよく生きてきたなと思う」
政景も何となく庭に視線を移す。夕日が眩しい。
「……ボクはね」
楼が小さく呟いた。
「静を殺してあげたほうがいいんじゃないかと思うんだ」
その言葉に思わずぎょっとする。
「彼女、時々『死にたい』って言うんだよ。胡乱な目をして。見てるこっちも辛くって、でもどうしようもないし」
「だ、だからって……」
殺すというのは、あまりにも短絡的すぎる――
そんな政景の心を読み取ったかのように楼は静かな瞳で見返した。
「安楽死。ボクはこの言葉、嫌いじゃない」
本気だ――
それを彼が実行するかまではわからない。でも、彼の言葉に偽りはない。それだけはわかる。
政景が言葉を失っていると、楼はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「今日はありがとう。とりあえず『魂合の術』に関しては後日改めて話し合おう。静だけならいざ知らず、政景くんの問題でもあるし。それに、負担を軽くすることはできるんだよね?」
政景は「ああ――」と掠れた声で頷いた。完全にあの辛さを無くすことはできないだろうが、今の状態よりは確実にましな生活を送れるはずだった。しかし、これはこれで彼女に暫く付きっきりになることになるだろうが。
「なら、すぐにでもその術を施してあげてほしいんだけど」
「今まで使ったことがない術なんだ。……一日待ってくれないか?」
『力流の術』。それが彼女の負担を軽くすることができる方法だ。政景は器にいくらか余裕があり、彼女の力を政景に流すことによって負担を減らすのだ。しかしこの術には制限時間がある。もって一週間というところだろう。定期的に静に術を施さなければならないが、今はそんな心配をしている場合ではない気がした。とにかく文献を復習する必要がある。一度だけ目を通した程度の知識しかないのだ。
楼は少し残念そうに「わかった」と言って、政景を玄関へと案内する。外には先程の黒塗りの自動車が待ち構えていた。
「家まで送らせるから、乗ってって」
政景は言われるがままに車へと押し込まれる。
「それじゃ、また明日」
手を振る楼を複雑な気持ちで眺めていると、運転手の白髪の老人が無言のまま車を発進させる。特に何も聞かれないところを見ると、家の住所も調べ済みなのだろうと思う。
その時、目の前に立ちはだかる人影があった。車がゆっくりと停車すると、目立つ金色の髪の男が近付いてくる。
翔兵だ。政景はとりあえず車を降りる。
すると開口一番、翔兵は政景に告げた。
「オレはお前を認めない」
「は?」
一体、何を――眉をひそめる。
「静に関わるな。あいつのことはオレ達が何とかする」
随分と偉そうな態度に、少し腹が立った。
「できないからおれを頼ったんじゃないのか?」
「…………」
険しくなる翔兵の視線。ここで目を逸らせば負けだ。政景は負けじと睨み返す。
「『魂合の術』を使う気はないよ。でも『力流の術』なら、彼女だって少しは楽になるはずだ。外にだってきっと出られる」
「あいつはあの家にいればいい。外に出る必要なんてねえ」
「……え?」
政景は耳を疑う。
「あいつの居場所は、あそこだけだ。赤の他人が入ってくんな、連れ出すな!」
それだけ言うと、翔兵は政景を一瞥して不機嫌そうに去ってしまった。
茫然と立ち竦む。
一体何なのだろうか、あの三人は。
いや、あの二人と言ったほうがいいかもしれない。
楼は静を殺したほうがいいと思っている。
翔兵は静をあの家に閉じ込めたがっている。
彼女――静は、あの苦痛に耐え続けている。いつかそこから飛び出して生きることを夢見ているのではないだろうか。それは誰もが思う真っ当な考えだろう。
楼と翔兵に任せてしまえば、彼女にとってよくない方向に事が進みそうだ。
あまり彼らの家と関わりたくはないんだけど――
「おれも鬼じゃないし、また薄情と言われたくないしな……」
政景は胸倉を掴まれた時の静の表情を思い出す。
「放ってはおけない――か」
ぽつりと呟き、小さな決意をしたのだった。