鬼退治・後編
洞窟の中はやけに蒸し暑く、政景は額から流れ出る汗を腕で拭った。
緊張のせいもあるかもしれない。奥へ進めば進む程に増してくる白鬼の力は、少しの恐怖をも芽生えさせる。
洞窟の奥は真っ暗闇であった為、今は翔兵の小刀に火行で炎を宿らせ、その明かりを頼りに突き進んでいた。
いくら葉蔵達を囮にしていると言っても、やはり鬼のねぐらであるこの場所は、そこかしこに悪鬼が潜んでいる。だが幸い道は広く、たまに襲い掛かってくる悪鬼は、翔兵が大刀で軽く蹴散らすことができた。
分かれ道にも何回か遭遇したが、静は白鬼の気配をはっきりと認識できているようで、迷うこともなく順調に進んでいる。
恐らく、あと少しで――
「いる」
凛と響く静の声。
辿り着いた場所は先程とは打って変わって、ヒヤリとした空気が漂う円形の大きな空間となっていた。競技場くらいの広さはあり、戦うには申し分ないだろう。
明かりを奥に照らすと、中央には白い鬼が佇んでいた。この空間だけ他の悪鬼は見当たらず、髪も肌も着物も白いその鬼は、無表情でこちらを見つめている。
翔兵がすぐに白竜から降り立つ。それに続けて、政景達も降り立った。
楼が白竜を消すと、不意に白鬼は笑った。
「静、来てくれたんだね。今、灯りをつけよう」
鬼の瞳には彼女しか映っていないのか。
不意に、周りの壁が眩しい程の光を放った。政景は思わず目を瞑る。
「ああ、これで君の顔がよく見える」
満足そうな白鬼の声に目を開ければ、辺りが十分に見渡せる程の青白い光が壁から発されていた。
一体どのような術を掛けたのか。
しかしここでそんな問答は意味がないのだろう。
「兄さんが――ここに来たでしょう?」
静は白鬼の言葉を無視して無表情で問い掛けた。
「……兄さん?」
ピタリと動きが止まった。
考え込むような仕草で首を傾げると、「ああ……あいつか」と怒りに満ちた低い声でぽつりと呟いた。
「ちょうど海を眺めていたら小舟が来たんだ。あの男、衰弱しきった様子で佇んでいたよ」
「――それで?」
「死んだよ」
即答だった。
「静、あいつは君を蔑ろに扱ってきた家族の一人だろう? どうでもいいじゃないか!」
大袈裟な手振りで叫ぶと、無表情だった静から大きな力が溢れ出す。
「あんたはまだ、わかってない」
彼女は一歩、前に出る。
「わたしは家族を……一族の皆を、受け入れるつもりだよ」
「……嘘だ! 無能と罵られ、邪魔者扱いをされ、生まれなければよかったとまで言われて……!」
鬼の表情は悲しみと怒りに歪んでいた。
「それでも、君は……!」
「――真幌、あんたの気持ちは痛い程わかる。だけどね、鬼となって、人間の敵となって、あんたはそれで満足してるの?」
白鬼――真幌は、何かを諦めたというように大きな溜息を吐いた。
「……静、わかっていないのは君のほうだ。僕のことは、どうでもいいんだよ」
「どういう意味だ!」
翔兵がドスを利かせて叫ぶ。
「ほら、君はまだあんな奴らと群れている」
真幌は政景達に蔑みの視線を向けた。
「言ったよね、静。僕には君しかいないんだ。そして君にも――僕だけなんだよ」
「勝手なことほざいてんじゃねえ!!」
翔兵が飛んだ。しかし、真幌が手のひらを翳すと突風が巻き起こり、あっという間に壁際に追いやられる。
「ずっと静を見てきたのは僕なんだよ。お前達は邪魔だ」
「ざけんなよ! このストーカー野郎っ!」
クスッと笑みを見せる。
「なんとでも言うがいいさ。君達はここで朽ち果てるんだから」
真幌は空を仰いだ。
「さあ、鬼どもよ! 出てこい! あいつらを喰い殺せ!」
彼の呼び掛けに応じ、政景達の背後から悪鬼がぞろぞろと集まり出した。
「……まだこんなにいたんだ」
楼が呆れたように呟く。
さすがにこの洞窟内の悪鬼までは誘き寄せられなかったということだろう。
「雑魚に構ってられるか!」
翔兵は真幌に大刀を向けるが、湧いて出てきた悪鬼に道を塞がれる。
「……ク、ククク、クハハハハハハハハハハハ!! お前ら全員馬鹿な鬼どもと死んでしまえ!!」
異常な程の笑い声を上げ、真幌は叫ぶ。静は政景達を振り返った。
「白鬼はわたしがやる! 皆は他の悪鬼を!」
「……それしかないか。政景くんは五色の術で援護を。静を見てあげて」
楼の言葉に頷き、政景は一旦後ろへと退き、いつでも術を使えるよう構えたのだった。
翔兵は非常に苛立っていた。何にと言われればもちろん、真幌に対してである。彼はどれだけ静に依存しているのか。そしてその姿はまるで自分を見ているような気持ちにもさせられる。
この前は思わず静に情けなくもすがり付いてしまった。正直、真幌と同レベルにも感じる。しかし翔兵は改めた……つもりである。
彼女を縛り付けるようなことはしない。それが一番、彼女の為であるし、力だって制御できるようになったのだから、これからは自由に生きたって許されるはずだ。
しかし真幌はまだ自分の力で静を助けようと躍起になっている。すでに意味のないことだと、彼は気付いていない。もしかしたら、そんな目的すら忘れて自棄になっているだけなのかもしれないが。どちらにしろ、静を閉じ込めたいと思っていた以前の自分がチラついてしまう。真幌を通して自分の不甲斐なさを知ると共に、彼はもう救いようのないところまで来ているのだと悟る。
「火よ!」
片手で印を切って、大刀に力を宿らせる。
現れた悪鬼は――五十弱。しかもその内十体くらいは、葛馬達が倒した悪鬼と同じくらいの強さを持っている。
「面倒くせえ……!」
翔兵は悪態をつきながら悪鬼に斬りかかる。
まずは雑魚から片付ける――
強大な力を持つ悪鬼を回避しながら、他の悪鬼達を一刀両断していく。
勢いよく吹き出す血飛沫を己の体に浴び、その姿はさながら修羅と言うべきか、翔兵は疲れることをまるで知らないかのように大刀を振り続けるのだった。
楼は少し焦りを感じていた。ここまで辿り着けただけでも健闘していると言いたいところだが、予定よりもやはり時間が掛かっているように感じる。葉蔵や葛馬達のことを考えると、残り時間は圧倒的に少ない。
想像以上に悪鬼達の数が多く、全てを囮に向かわせることができなかったこと、また通常よりも強い力を持つ悪鬼がこんなに大量に出てくることも、覚悟はしていたものの、正直キツイというのが本音だ。
「ちょっと翔兵! 面倒なのを後回しにする気?」
「そのほうが効率いいだろうが!」
不満を漏らす楼に、すかさず返事をする翔兵。
嫌いなモノは先に片付ける派なんだけどな――
そう思いつつ、楼は印を切った。
「玄武よ、ここに」
現れたのは、黒い斑模様の蛇が巻き付いた亀だった。人間一人は乗れるだろう大きさである。
「サクッと頼むよ」
軽く命令をすると、全く感情がわからない表情をした亀は微かに頭を縦に振った。
すると突如、玄武の周りに吹雪が巻き起こる。その吹雪は徐々に移動していき、悪鬼達を次々となぎ倒していった。
しかし、強力な悪鬼には効いていないようだ。
「やっぱ雑魚しか一掃できないか……」
ちらりと静のほうを盗み見る。
まだ何やら言い合いをしているようだ。
あまり表立って言わないが、楼は白鬼に対してかなり理解を示していた。もちろん人間を全滅させるというような残虐性に関しては別である。
彼をあんな風にしてしまったのは、間違いなく御三家の人間達のせいだろう。しかし真幌はそんな御三家に復讐するのではなく、同じような境遇にいる静に執着し『力を得たい』と願った。結果としては御三家に大打撃を加えている状況ではあるが、彼の目的はすでに、彼女を鬼の仲間に引き入れることに変わってしまっている。
それが彼にとって、また彼から見る彼女の幸せなのだと信じて。
そして、その考え方は少しだけ楼と似ている部分があるのだ。
それはかつて楼が、彼女『達』の幸せに繋がる唯一の方法が、『死』であると考えたこと。
後悔はしていないし、間違っているとも思わない。
全ては、自己満足からくるものなのかもしれない。しかしどうせ、本当に正しい答えなんて数学のテストではないのだから存在しないと楼は思う。本人が納得するか、大多数が納得できるか、それが重要なのではないだろうか。
だからこそ、今の真幌のしようとしていることは間違っていると言える。理解は示すが、同意はできない。
篠のことも馬鹿な奴だと思ってはいたが、真幌のように堕ちることなく、家族からの重圧に耐えていたことは認めていたのだ。ならば正々堂々と実力で頭首の座に着くつもりでいたのに、こんな結果になってしまった為、真幌に対し、楼は私怨も含んでいた。
『ガアアアアアア!』
ふと、背後から殺気と共に鬼の唸りが聞こえた。巨大な手が振り下ろされる。
「くっ!」
寸でのところで、横に飛んで攻撃を躱す。
悪鬼の数が多すぎて、さすがに傍観してもいられないようだった。
「仕方ないけど、今は静と白鬼の邪魔をしないよう努めるしかないか……!」
楼は次の印を切り、悪鬼に立ち向かっていった。
何故、こんなことになってしまったのか。
御三家が無力の者を受け入れていれば、真幌を支えてくれる者がいれば、鬼がいなければ――
しかし、それは考えるだけ無意味なことなのだろう。
狂ったように笑い続ける真幌を見て、静は頭を振った。
「……何が面白いの?」
そう聞くと、真幌は笑うのをピタリと止めて、真顔に戻る。
「……皆、死ぬんだ。こんなに愉快なことがあるかい?」
「……そう。真幌、わたしがここに来た理由、わかってる?」
「わかっているよ。僕と一緒になる為だろう」
にこりと微笑まれ、静は溜息を吐いた。
「……違う。あんたを――殺す為」
鋭い視線を送れば、真幌は無表情になった。
「殺す? 僕を? ずっと寝たきりでいた君が?」
「以前とは違う! わたしは変わったの! 今なら、わたしはあんたを殺せる!」
真幌は何かを思い出したというように、虚空を見上げた。
「そうか、だからあいつ――あんなに体がボロボロだったわけか」
間違いなく、兄のことだった。
「あの男、『最後に一花咲かせる』とか言っておきながら、変な術を使って自滅したんだよ」
「自滅……?」
「跡形もなくなった」
一体、何の術を――?
「静!」
考えていると、不意に政景に呼ばれる。
振り返れば、彼は心配そうにこちらを見つめていた。
そうだ。いつまでも真幌と話をしている場合ではない。
「あいつ、静の何?」
政景へ手をスッと差し出す真幌。
「彼はわたしの友人! 手を出さないで!」
静はすぐに火行を放つ。
しかし真幌は片手で火を容易く叩き落とした。
「静、本当に僕と戦うつもりかい」
「本気に決まってる! ……水行!」
静は構わず術を放つ。
「……そんな術!」
また叩き落とされる。
「一体、何匹の鬼を吸収してやったと思ってる!? 静、君は僕には勝てない!」
真幌の右手から、黒い光が放たれた。
「こっちだって自分の力で何年苦しんだと思ってるの!? こんなもんで終わるわけないでしょ!」
対して静は、己の力を白い光に変換させてそれを放った。
黒と白の大きな光が激しくぶつかり合う。髪の毛や着物が、その衝撃で勢いよく後ろへ靡いた。
何とか真幌の力に押し負けないよう力を出し続けるのだが、勝つにはまだ――足りない。
「くっ!」
バチリと弾けた音がし、二人の光は瞬時に消える。
「確かに力は同等かもしれない。でもね、甘過ぎだよ、静」
不意に耳元に声が届いた。そう認識できた時、すでに真幌は静の真横に移動していた。
「っ!?」
思い切り腹に蹴りを入れられ、数メートル飛ばされる。
「……ああ、あまり手荒なことはしたくないのに」
当然打たれ強くない静は、あまりの激痛に咳き込み立ち上がれなくなる。
「静が悪いんだよ、何にもわかってくれないんだから」
真幌が遠くからこちらに手を翳してきた。再び黒い光がその手のひらに現れる。
避けられない――
「五色の一つ、白き壁!」
静に届く寸前、政景の術が黒い光を阻んだ。その壁は見事に真幌の術を跳ね返したのだ。
真幌の視線が政景に向く。その表情に最早、余裕の色は見えず、激しい憎悪が感じ取れる。
「お前、邪魔なんだよ! どうせさっきの僕の動きは見えずに、むざむざと静がやられるのを傍観してた癖に! このくらいの攻撃跳ね返したからっていい気になるなよ、ド素人が!!」
荒々しい口調になった真幌は、政景の前に一瞬で移動していた。
「ま、政景!」
真っ白い手は、政景の首を掴んだ。
しかし同時に彼は、目の前に青い壁を発動する。
「ぐあ!?」
顔に結界が直撃し、首もとの手が緩んだ瞬間、政景は白い羽織を真幌に当てるように思い切り身を捩って、その場を転がるように離れる。
静がほっとするのも束の間、血走った目を政景に向ける真幌。凶悪な力が全身から溢れ出ている。
翔兵も楼もこちらをフォローできそうな余裕はない。
「わ、わたしが……やらなくちゃ……!」
とにかく真幌の気を引かねばならない。
しかし、静の動きはあまりにも遅かった。
「殺してやる……!」
真幌は先程の倍の速さで政景に近付く。しかし政景はまだ態勢を整えたばかりで、術を発動できそうにない。
――どくん。
政景が――死ぬ?
真幌の手から黒い光が生まれ、容赦なく政景へと向けられる。
――いやだ。いやだいやだいやだ。
「止めて!!」
瞬間、体が燃えるように熱くなった。
意思とは関係なく、静の体から赤い光が幾つも飛び出し、真幌や他の悪鬼にまでその力が飛び散った。
「なっ!?」
真幌の背中に赤い光がぶち当たる。抉るように光は回転し、真幌が膝をつくと同時に消失した。その背中は、血がどくどくと流れ、とても痛々しい程に攻撃を与えられていた。
力の強い悪鬼も、半分くらいは腹を完全に抉り、倒れ伏している。
「今のは、静か!?」
翔兵と楼が驚いた様子でこちらを見る。
今のは――わたしか。
静は茫然としながら、ゆっくりと立ち上がる。
「静! 大丈夫か!?」
その時、政景が隙を付いて静のもとに駆け寄ってきた。
「政景こそ……」
「おれは大丈夫だ。ありがとう。静は……大丈夫か?」
政景の返事に安堵する反面、静は己の力に恐怖を感じていた。先程の力は完全に無意識の内に放たれた。もちろん政景を助けたいと強く願ったのは確かだが。
下手をすれば、政景達にも被害が及んでいた可能性だってある。それはつまり――力の暴走。
僅かに震える手を、政景にがっしりと両手で掴まれた。
「静、しっかりしろ! あいつはまだ倒せてない! 君が意思を明確にしていれば、その力だって暴走はしない!」
「ま、政景……」
その通りだ。だけど、また今みたいな状況になってしまったら――
「この馬鹿静! 政景なんかに励まされてんじゃねえよ! つか、政景てめえも、人を励ます前にド素人とか言われて黙ってんじゃねえ!」
「え、おれ!? いや、言い返す余裕もなかったというか、奴の言う通りでもあったし……」
「さすが真面目な政景くん!」
「そこは感心するとこじゃねえ!」
「…………ふふ」
三人のやり取りを見て、思わず笑みが零れた。
やはり、皆がいてよかった。政景の暖かい手を感じながら、静は一人ではないのだと心が温かくなる。
不安に思う必要はない。皆がいるのだ。
ただ、己の力を信じて戦えばいいのだ。
「ありがとう、もう大丈夫」
「あ……そうか。うん、いい表情だ」
政景は優しい笑顔で頷いてくれた。何故か慌てたように手をパッと離されてしまったので、少し寂しく感じてしまったが。
「ああ……なんてウザったい奴らなんだろう」
背後から禍々しい気配を感じ、すっかりと意識を離していた真幌の声に全員振り向く。攻撃は直撃したはずなのに、まるで痛みを感じていないのか、真幌は真っ直ぐに立っていた。
「静も悪い子だ。その力は良くないよ。……そうだ」
虚ろな笑みを向けられる。
「手足をもいであげよう。そうすれば、簡単に術も使えないだろう? 大丈夫、僕が守ってあげるから」
「うわ、ヤバイ感じの人がいる」
「元からだろ。つか人じゃねえ、鬼だ」
「二人も以前は相当だった気がするけど」
楼と翔兵、政景の三人は、まだ残っている悪鬼の攻撃を避けつつ呟く。
しかし、真幌の言葉に大いに反応したのは、静だった。
「ふ、ふざけんな!!」
言われた張本人なのだ。怒って当然だろう。
火行を真幌に放った。勢いで投げ付けた術は、当然のことながらあっさりと躱される。
「僕はふざけてない!」
「知ってる! 本気なのが余計たちが悪いっつの!」
続けて水行を放つ。が、またも容易く躱される。
「そんな小技……! 効かないってまだわからないのか!」
黒い閃光が放たれる。
「五色の一つ、白き壁!」
すぐに政景によって弾き返された。
「いい加減、鬱陶しいんだよ!!」
「行かせるか!」
政景に向かおうとした真幌の前に、静は躍り出た。
「朱雀!」
真幌の目の前に大きな翼をはためかせた真っ赤な鳥が現れる。
『クエエエエ!』
朱雀は翼から炎の風を巻き起こし、真幌は避けることが叶わず直撃を喰らう。
「くっ!?」
「黄麟!」
間髪入れず、次の術を繰り出す静。
具現化された黄麟は、三メートルはある長い首を真幌に振り当てる。
大きな衝撃音が響き、真幌は壁際まで吹っ飛ばされた。
静は少しだけ息を切らしながら、真幌を見つめる。
「……がはっ。くっ……は、ははは、こんなものかい? 君の力は」
口から血を流してはいるものの、真幌は尻餅すらつかずに、乾いた笑い声を上げながら立ち尽くしていた。
ゆっくりと向けられた瞳は、まだギラギラとしており、静を捉える。
「そろそろ、遊びは終わりにしようか」
ズンッ、と重くのし掛かるプレッシャー。真幌の空気が一変し、冷たく暗い力が溢れ出す。
まだこんな力を出せるのかと、静の額から冷や汗が流れる。
それ程までに、彼の怨みは深いものだったのか。
いや、今の彼の存在そのものが、それを証明しているのか。
頭上に巨大なブラックホールのような黒い球が現れる。
「まずは、神成! お前からだ!!」
真幌の向けた視線の先、政景にその球が放たれる。
「政景、逃げて……!」
「あ、あれはやば……って、あれ?」
突然、震える程の恐ろしい力を放っていた黒い球は――消えた。
言葉通り、跡形もなく。
ぽかんとする一同の中、一番驚きをあらわにしたのは、真幌だった。
「な、んで……!」
そう言って何故か、己の左腕を凝視した。よく見ると、彼の着物の袖が白く輝いているようだった。忌々しそうに真幌は着物の袖を破り捨てる。
その白い腕には、どこか見覚えのある紋様が浮かんでいる。
「お祖父様の印と同じ……」
静は、はっとし、その術を掛けた人物に思い当たる。
「――兄さん」
「あいつかっ……! いつの間に……!」
真幌は歯軋りをしながら腕を押さえた。
この術は藤ノ宮に伝わる術で、相手の力を抑制することができる『封力の術』という。全て今は亡き祖父の受け売りではあるが、発動する力の値を決めることができるのだ。静自身も掛けられていた術であり、彼女の場合は大きな力を使えば使う程、力が暴走してしまう可能性が高かった為、発動する力の値は低く設定されていた。五行ですら使えないよう術を掛けられていたのである。
だが今の真幌は、それとは逆に最高の値で設定されていたようだ。戦いを始めてから今の今まで発動しなかったのが、ここに来て発動したのだ。ゾッとする程の力を出した今――
「あのばか兄貴……! もっと低く設定してれば、楽だったのに……!」
思わず地団駄を踏む。
いや、だからこそ真幌が今まで気付くことなく術の発動に至ったのだろう。己の存在を留めることすらできない程の力を使って。
しかしそれにしたって、やはり兄は人が悪い。本当に人が悪い。
「このチャンス、逃してたまるか!!」
両手を上げ、精神を集中する。
全身全霊の力を――込める!
赤く大きな光が頭上で輝く。それはまるで蠍座の星のようだった。
「真幌! わたしはあんたを、拒絶する!!」
「…………っ!!」
静はありったけの力を込めて、赤く輝く光を真幌に放ったのだった――
ああ、体が重い。動かない。もう起き上がることもできない。
僕は――死ぬのだろうか。
どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
僕はただ――
「ただ、君と友達になりたかっただけなのに……」
彼女に手を伸ばす。
だけど、届かない。
なんて、なんて遠いんだろう。
何で、何で泣きそうなんだろう。
そんな泣き顔なんて見たくないのに。笑顔を見たかったのに。
僕が、彼女を守ってあげたかったのに。
似たような境遇の、可哀想な彼女。
翡翠色の両の瞳が、僕を見つめている。とても綺麗だ。
「……あんたは、道を間違えた。取り返しのつかない方法を選んだ」
ならば。どんな道を選べば、正解だったのか。
「……簡単なことだよ。ただ、声を掛けてくれればよかったんだ。『友達になろう』って。たった、その一言でよかったのに……」
……そっか。そうなんだ。たったそれだけでよかったんだ。
力を求めなくてもよかったのかな。弱い自分でも、ちゃんと君と友達になれたのかな。
人間として、生きられたのかな。
「あんたのしたことは、わたしは許せない。だから、皆にしっかり謝ってきなさい」
皆……皆、か。そうだね、謝らなくちゃ。僕は皆の大切な命を奪ってしまったのだから。
でも、皆は地獄にはいないんじゃないのかな。
「……いないなら、探せばいい。これはあんたの義務なの。謝らなかったら、承知しないからね」
クスクス……。わかったよ。どう承知しないのか気にはなるけど。
ああ、だけどその前に。
まずは。
君に伝えよう――
「ごめんね」
それは、自分でも驚く程にはっきりと言葉になって。
だけど、伝えられた彼女は、やけに不愉快そうな表情で。
それが何だか、妙に笑えてしまった――




