一族の罪、少女の決意
「あ、あの、ばか兄貴!!」
部屋の奥から聞こえてきた怒声に、政景は思わず翔兵と顔を見合わせた。今日は久し振りに静のもとを訪れることができたのだ。
動と話をしてから、白鬼が動き出すのは早かった。一般人の被害は大きく、朝桐の者も殺されたと聞いている。そんな状況もあって、翔兵と楼が鬼退治の仕事で忙しく、静に会うこともほとんどできなかった。まあ一人で行けと言う話ではあるが、力流の術もあまり効かなくなった今、『ヒステリックになった静に鉢合わせたら、政景くんじゃ太刀打ちできないでしょ』という楼の忠告と、翔兵の『二人きりで会うんじゃねえ』という念が込められた非常に恐ろしい視線を向けられては、政景も言う通りにするしかなかった。
そして今日、力流の術もそろそろ施したいと思っていたところに、ようやく翔兵と予定が合い、学校帰りに寄ったのである。楼は朝桐の集会があるらしく、来れないとのこと。白鬼に殺されたのは朝桐の跡取り候補の一人らしく、今後についての話し合いで忙しいようだった。
政景と翔兵は、静の声で驚き立ち竦んでいる使用人の女性の横を通り過ぎ、すぐに静の部屋へと向かう。
「おい、どうした!?」
翔兵が襖を勢いよく開け放つ。彼の肩口から奥を覗き込むと、静が布団から立ち上がって、髪の毛を両手でぐしゃぐしゃとかき混ぜていた。
「なんだよ……いつものヒスか」
呆れたような翔兵の声に、静はビクリと肩を揺らしてこちらを振り返った。
「……福子さん」
彼女の口から発されたのは、確か先程の使用人の女性の名前だったか――と思う間もなく、突如こちらに突進してきて翔兵の襟首をガシリと掴んだ。
「福子さんはどこ!?」
「はあ!? …….あっちにいるだろうが!」
翔兵は苛立ちながら後ろを指差す。そこには、困惑したままの福子が立ち竦んでいた。
静は翔兵と政景を押し退け、福子のもとへと走り寄る。
「……ん?」
そこで政景は静のある変化に気付いた。
――力が全て、器に収まっている。
ありえないことだった。あんなに強大な力を収める器をいつ手にしたというのか。一切の力が漏れることなく、彼女に宿っている。
「……翔兵。静が……おかしい」
「いつものことだろ」
そこで即答するのも如何なものか。いやしかし、突っ込んでいる場合ではない。
「違うよ。静の器が強大になってる」
「はあ? 何言って……」
彼女を見た瞬間、翔兵は絶句した。
「う、嘘だろ……」
「福子さん!! 兄さんが出て行ってからどのくらい経った!?」
翔兵の言葉を掻き消すように、静が叫んで詰め寄った。
「は、はい……! 昨日の夕方にいらっしゃったので、ちょうど丸一日経つかと……」
両手を頬に添え、「い、一日……」と掠れた声で呟く静。
翔兵が舌打ちして、彼女の肩に手を置き振り向かせる。
「おい! ちょっと落ち着……」
「翔兵! どうしよう! 兄さんが……兄さんが!」
尋常じゃない様子の静に、政景も不安が過る。
まさか――
「動さんは、静に何かしたのか?」
彼女は一瞬、息を詰めるようにしてから、ゆっくりと頷いた。
「……何の術かは、わからない。でも、藤ノ宮の禁術であることは間違いない! わたしの体は――完全に治ってる……!」
信じられない。が、現に政景は目にしている。
しかしあの状態の静を治したということは、とてもではないがその代償は計り知れない。守りに徹した力を持つ神成でさえ、大きなリスクを負うのだ。
「兄さんは、きっと……死ぬ気なの! こんな高度な術を使って生きていられるわけが……!」
歯を食いしばり、涙ぐむ静。
政景は福子に向き直る。
「あの、動さんがどこに行ったのか知りませんか? 何か苦しそうな様子とかありませんでしたか?」
福子は戸惑いながら首を横に振った。
「いえ……お嬢様を頼むとだけ仰っておりましたので。苦しそうな様子はありませんでした。寧ろ、とても穏やかな表情をされていて、てっきりお嬢様と和解されたのかと。本家にご帰宅されているのでは……」
「本家にはいないよ」
その声に振り返れば、楼が苦い表情で廊下に立っていた。
「お前、集会じゃなかったのかよ?」
「それどころじゃなくなった。動さんが昨夜から行方不明なんだよ」
楼にしては珍しく不機嫌そうに翔兵に答えた。
「粗方の話は聞いてた。まさかこんな手法に出るなんて予想外だよ」
「動さんの居場所に心当たりはないのか?」
だめもとで聞いてみたのだが、楼は「大有りだよ」と言った。
「……藤ノ宮の船が一隻、昨日鬼ヶ島方面に向かったらしい」
鬼ヶ島――今、白鬼がいると推測されている場所である。
「……まさか、一人で?」
行方不明というくらいだ。単身で乗り込んだ可能性は高い。
案の定、彼は頷いた。静は言葉を無くしたようで、体がよろめく。翔兵が動くが、楼はそれよりも早く彼女の側に寄って肩を掴んだ。
「静、もう頼れるのは君だけなんだ」
「楼……?」
静は掠れた声で楼を見上げた。
「おい、楼! 何をさせる気だ!」
「……白鬼討伐の旗頭になってもらうんだよ」
「お前、本気か!?」
翔兵は拳を握り締めて楼を睨み付ける。
「じゃあ、他に誰があいつに太刀打ちできるっていうの? 動さんもそのつもりだったんじゃないかな」
同意を求めるように静に視線を移すと、彼女は肩に置かれた楼の手をそっと払った。
「……そうだよ、『全てを託す』って言ってた。……勝手なことばっかりやるだけやって、自分は消えるだなんて、ね」
一気に冷めた表情になってふらりと廊下の奥に進み、こちらを振り返る。
「ねえ、政景。今の状況に陥った最大の原因は何だと思う?」
突然、話を振られて動揺した。
最大の原因――
彼を鬼にした鬼結の術か、彼を蔑ろにした夕柳の一族か、それとも――
「御三家だよ。全ては、わたし達の一族が生み出した結果」
悩んでいる政景を察してか、静は何てことはないという様子で言った。
「まあ、その中でも大きな要因の一つがわたしだということは自覚してる。この力で白鬼と決着をつけられるのならば、これ程望ましいことはない」
彼女は、先代の藤ノ宮の頭首が施したという印が刻まれた左手の甲に、もう一方の手を添えた。すると、その印が白く輝きだす。
光が消えた瞬間、強大な力が彼女から発され、まるで突風が起きたかのような衝撃を受けた。
「……不思議だね。あんなにも苦しかった力が、お祖父様の印を解いても何ともない。寧ろ、抑えられていた力が解放されて気分がいい――」
魅惑的な笑みを浮かべて呟く彼女は、まるで別人を見ているかのようだった。元々、性格が破綻気味ではあったのだが、今までに見たことのない雰囲気を漂わせている。
軽やかな動きで一回転してみせると、一変して真顔に戻った。
その深緑色の瞳の奥には、大きな決意が宿っていた。
「わたしは――今から、藤ノ宮本家に行く」
「政景くん、ついて来ちゃっていいの?」
「何を今さら」
面白そうに笑う楼に、政景は呆れて答えた。
今いるのは、藤ノ宮の本家と呼ばれる屋敷の前。想像以上の大きさと、まるで文化遺産かと思う程、歴史を感じる建物に少し気圧されてはいるものの、後戻りしようとは思わない。
「おい静。お前……本気で戦うつもりなんだな?」
ずっと押し黙っていた翔兵が、突然鋭い眼差しになる。
「当然」
外出用の赤い花柄の着物を着た静は、振り向きもせずに自信満々に答えると、翔兵は「上等だ」と鼻で笑う。
もう少し反発するかと思っていたのだが、あの力を見せられては、戦うなとはさすがに翔兵も言えないのだろう。
「で、お前も戦うつもり、あるんだろうな?」
矛先が政景に向く。脅しかと思う程睨まれているが、ここで「そんな気ないよ」などと言えるはずもなく。いや、言うつもりもなかった。
「まあ、当然かな」
静の言葉を借りる。神成の力が役に立つのであれば、協力は惜しまない覚悟だ。
「足手纏いにはなるなよ」
「……努力する」
翔兵達と比べれば、鬼退治士としては完全に素人なので、政景は素直に返事をした。
そんな様子を見て、静がクスリと微笑む。
「大丈夫。政景が戦ってくれるなんて、これ程頼もしい味方はいないよ」
大人びた表情で真っ直ぐに伝えられ、思わず見惚れてしまった。
透き通るような肌に、大きな深緑色の瞳とさくらんぼ色の唇。まるで人形のような少女はしかし、強大な力を内に秘め、神々しく感じる程だった。まるで遠い存在になってしまったかのような錯覚に陥る。
「あ……ありがとう」
どもりながら礼を言うと、後ろ頭をバシリと叩かれた。
「何どもってんだ、馬鹿。行くぞ」
案の定、翔兵である。
「……今の静なら、御三家頭首達相手でも心配はいらなそうだね」
楼がぽつりと呟く声を聞きながら、四人は屋敷の中へと足を踏み入れた。
使用人らしき人物にすら会わず、静を先頭に長い板張りの廊下を進んでいく。
「お父さんに連絡したんだよ。人払いと御三家頭首達を集めといてってね」
「それは……よく聞いてくれたな」
何だか、とんでもない場所に向かっている気がしてきた。
「緊急事態だからね」
楼はどこか虚空を見つめた。
跡取り争いの相手とはいえ従兄弟が亡くなり、信頼できると言っていた動までいなくなった楼の心境は考えるまでもないだろう。
「……ここだね」
大広間だろう部屋の前に立ち止まり、静は少し緊張しているのか軽く深呼吸をしてから、襖に手を掛けた。
「失礼致します」
開け放たれた襖の向こう側には、ずらりと数人の男女が部屋の両側に並んで正座していた。
部屋の一番奥には、三人の中年男性が座っている。恐らく、御三家頭首達だろう。
全体で二十人近い人数がおり、てっきり頭首だけいるものと思っていた政景はその光景にぎょっとする。
「お久し振りです。……父様、母様」
静はそう言って部屋の中央に進み出た。政景達もその後に続く。
両側にいる親戚だろう人達が、幽霊でも見ているかの如く驚きざわついた。
「静、あなた……その力……!」
左奥にいる女性が青ざめた顔をしていた。
髪を団子に纏めた着物の女性は、誰だろうかと疑問に思うこともない程、静によく似ていた。
静の母親か――
「ご覧の通り、わたしは自分の力を制御できる完全な器を手に入れました」
親戚達はまたもざわめく。
「まさか――動か」
奥の中央に座っている袴の男性が、どこか諦めにも似た様子で問うた。少し気難しそうな印象を受ける彼は、恐らく静の父親だろう。
「……はい、そうです。兄は、全てを託す――そう言って姿を消しました」
静は唇を噛み、着物の裾をギュッと握った。
「どういうことだ、仙堂」
右隣に座る体格の良い坊主頭の男性が藤ノ宮頭首に向けて言った。
「藤ノ宮の禁術だ」
彼は目を伏せて、簡潔に答える。
「リスクは……高いのだろうな」
「ああ」
それは暗に、動の死を示唆していた。
「こうなった以上、わたしは白鬼を倒すつもりです」
「や、やめなさい!」
異を唱えたのは、青ざめたままの静の母親だ。
「あなたは実戦の経験もないでしょう!」
「紫都花さん、それはボクが保証します」
楼はいつもの笑顔で前へと出ていく。
「静の力は、ここにいる皆さんも感じてるでしょう? 白鬼に匹敵する……いや、それを上回るかもしれない力です。例え実戦の経験がなくとも、彼女は鬼退治士の勉強はしてますし、基本は押さえてるので問題ありません。サポートはボクと翔兵がしますし――」
不意に楼の視線が政景に向き、背中を軽く押し出される。
「心強い味方もいますから」
全員の視線が政景に注がれた。
「あ、えと……神成政景と、言います」
緊張でしどろもどろになってしまう。
藤ノ宮頭首――仙堂は「君が……」と目を見開き、周りもまたざわついた。
政景は動の言葉を思い出す。確か、仙堂を庇って父は亡くなったのだと。
「……君も、戦いに参加するというのか」
険しくなる表情に、明らかに異存があるのだと見て取れる。その威圧に負けないよう政景は視線を逸らさず、堂々と答えた。
「はい。おれも戦うつもりです。今まで神成の力を、鬼に好かれるだけの疎ましい力だと感じてきましたが、誰かの役に立つこともできるんだと、静のおかげで知ることができました。それに命懸けの戦いに向かう友人達を、指をくわえて見てるなんてできません」
つい熱が入ってしまったが、このくらい意志を伝えないと納得してくれないだろう。
暫く仙堂と睨み合うようにしていると、彼の左隣にいる洒落たスーツを着こなしたブラウンの髪色の男性がニヤッと笑った。
「僕は賛成ですよ。良い意気込みじゃあないですか。君達四人は熱い友情で結ばれてるわけだ。なあ、楼?」
「と、侯楼さん……!」
悲鳴のように叫ぶ紫都花だったが、楼は「さすがはお父さん!」と声を張って彼女の言葉を遮った。
「話が早くて助かるよ。そうだよ、ボク達の友情の絆は、堅焼き煎餅よりも固く結ばれてるからね」
……どんな例えだ。というか、その例えは果たして的確なのか。まあ彼らとの友情を考えれば、適度な固さかもしれないな、と呑気に思う政景であった。
侯楼は「素晴らしい固さだ」と言って、場にそぐわないくらい陽気に笑う。
成程、楼の父親だというのが何だか妙に納得できた。
そのやり取りを見て、坊主頭の男性は呆れたように溜息を吐く。
「翔兵、お前も静と共に先陣を切ると?」
「――はい、葉蔵伯父さん」
簡潔な返事ではあったが、そこには揺るぎない意志が感じられる。
「親父殿、自分も賛成だ」
葉蔵に向かって、鉢巻をした浅黒い肌の青年が口を開いた。
「……悔しいが、翔兵は自分よりも強い。小さい頃から一緒に育ってきた従兄弟の自分が言うんだ。親父殿なら当然、実力はわかってるだろう。それに、静お嬢さんのことは翔兵達が一番よく知っている。意思疏通が取りやすい奴らと組んだほうが、戦局も有利になるはずだ」
「葛馬……」
翔兵は意表を突かれたとでもいうように、その青年の名前を呼んだ。
「さすが、葛馬さんもいいこと言いますね~。頭首としての器は、翔兵よりも断然上だと思います」
楼の言葉に、葛馬は「相変わらず調子がいいぜ」と苦笑し、翔兵は眉間にシワを寄せて楼を軽く小突いた。
「葉蔵おじ様はどうですか?」
小首を傾げる静に、彼は苦虫を噛み潰したかのような表情になる。
「……反対したところで、聞かんのだろうが」
静はクスリと微笑んで、すぐにスッと目を細め、自分の父親へと視線を向けた。
「さあ藤ノ宮頭首も、そろそろご決断をお願い致します」
「……確かに現状、お前の力なくして、あの悪鬼を討ち滅ぼすことは不可能だろう。だがしかし、静。お前は何の為に戦うつもりだ?」
「理由……ですか?」
「復讐は己の身を滅ぼす」
仙堂はきっぱりと言い放った。
「……それは、ないとは言えません。だけどわたしは……自分の手で、全ての決着を着けたいんです」
沈黙が流れる。仙堂は口を開こうとしなかった。
「何か、もっと理由がありそうね」
「……菜絆おば様」
菜絆と呼ばれた女性は、青ざめた紫都花の背中をさすりながら、穏やかに言った。
「あの悪鬼は――夕柳家の真幌くんだと、動くんから聞いたわ。藤ノ宮の禁術を使って、鬼と化したと」
静はゆっくりと頷く。
「問題は、何故彼がそのような行動に出たのか。動くんはわからないと言っていたけれど、静ちゃん、あなたは知っているのね?」
「菜絆伯母さん、それは……!」
翔兵が声を張り上げようとするが、静は彼の肩に手を置き「いいの」と首を振った。
「菜絆おば様の仰る通り、知っています。何故なら、わたしが原因だからです」
またも周りがざわつく。
「彼は孤独でした。一族から無力だということで、疎外されていたからです。そしてわたしもまた、この体質のおかげで一人で過ごすことが多かった」
紫都花の肩がびくりと震える。
「一度、わたしは彼にさらわれました。その時、彼は言ったんです。わたしと一つになろうと。わたしには彼しかいないし、彼にもわたししかいないんだと。だけどわたしは、それを断りました」
「静……」
一筋の涙が紫都花の頬を伝う。
「彼の味方は、本当に鬼だけになってしまった。全ての人間を殺そうとしています。わたしはそんな彼を止めたい」
毅然とした静の告白は、一族の者達を黙らせた。
仙堂は、深く息を吐く。
「そうか……全ては、我ら一族の責任か」
その姿はとても悲しげだ。
少しの間を置いて、仙堂は居住まいを正した。
「我々は全力でお前達をサポートし、白鬼のもとまで連れて行こう」
すでに表情には翳りが消え、とても頼もしい雰囲気が醸し出されていた。これが本来の藤ノ宮頭首なのだろうか。
「静!」
突然、紫都花が立ち上がり、娘の名を呼んだ。
「ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……!」
ぼろぼろと流れる涙に構わず、彼女はただひたすら謝り続ける。静は「やめてください」とぽつりと呟いた。
「もう……いいんです。母様は、何も悪くありません」
「だけど……だけど……!」
着物の袖を涙で濡らしながら倒れ込むように膝をついた彼女を、菜絆がしっかり肩を支えてやる。そのまま菜絆は静達に視線を送ってきた。
「皆、一つだけ約束をしてちょうだい」
一体なんだろうか――
「どうか――生きて帰ってきて」
それは、身近な人の死を経験した者の目。政景は父――晴景の顔が過る。
静は大きく息を吸い込み、言った。
「――ええ、必ず生きて帰って参ります」




