誰が為に、命捧げし
「君は……この前の鬼退治士の一人、だね」
白き鬼は、口の端を歪めて言った。人間と鬼。その二つが混じり合った美しくも、禁忌の存在。
動は無防備にも、堂々と向かい合って対峙する。
「俺の死に場所は……ここしかないと思ったんだ」
この世に生を享けて二十一年。動はふと、己の人生を振り返った――
動が生まれた時、御三家一同は藤ノ宮の長男誕生に大層喜んでいたと、叔父の太堂から聞かされた。
ただ鬼退治士としての能力は低かったので、妹の静が生まれた時は居場所を取られてしまうことをとても恐れた。彼女の力は、鬼退治士の歴史上最高の力を持つと謳われていた程である。
しかし、静の容態が悪化してから二年程経ち、家族は手に負えなくなってきた六歳の彼女を放置し始め、皆は動に構うようになった。十歳になった動は優越感に浸っていた。ようやく藤ノ宮の跡取りとして、注目してくれるようになったのだと嬉しかった。静に嫉妬を覚えたのは、僅か数年のことだったのである。
そんなある時、静と母の言い争う声が屋敷中に響いた。
静の罵倒の言葉はかなりひどく、母は金切り声で叱っていた。
――それからだ。家族の静への態度が一変したのは。
静は完全に藤ノ宮から見放された。部屋に閉じ込められ、一切会うことができなくなった。
『え……静? さあ……あなたは気にしなくていいのよ。それより、修行の時間よ。早く支度なさい』
『静のことは、今は忘れろ。お前は勉強に集中するんだ』
妹の名を口にしただけでこの始末。いつしか彼女への憎悪は消え、逆に心配するようになっていた。
親戚達は彼女を『お荷物』と言って嫌悪したり、『可哀想』と言ってうすら笑っていたり、面白くなかった。ついには静の力の暴走を恐れ、暗殺しようとしている輩もいると知り、気が気でなくなった。
そんな中で、彼女を助ける術があるという噂を小耳に挟む。すぐに動は、会話らしい会話をほぼしたことがない妹を連れて、蔵へと忍び込んだのだ。
見つけたのは『鬼結の術』と『捧魂の術』。どちらも術の使用者に大きなリスクを与えるものだった。
捧魂の術は、己のキャパシティ全てを捧げ、相手を強化するというもの。つまりそれは、自身の死を意味する。
この術は、神成の『魂合の術』を元にしていると記載があった。鬼退治士の歴史を学ぶ上で重要な存在、神成家。御三家を守った影の英雄として語り継がれている。動も少なからず尊敬の念を抱いていた。
しかし現在では神成が存続しているのかすら不明であったし、仮にしていたとしても神成の術が藤ノ宮の人間に使えるとも思えない。捧魂の術からもわかるように、魂合の術も恐らく相当なリスクを背負うだろうことから、神成の人間に頼んだところで使ってくれない可能性は高い。詰まるところ、静を助けられるのはやはり捧魂の術しかないと結論付けた。
当時十歳の動には、到底使いこなせない術ではあったが、いつか来るべき日の為にと思い、夢中でその術を書き留めた。
妹の為に自分の命を懸けられるのか、そこまでは考えていなかったのだが。
不思議そうにこちらを眺める静には、鬼結の術だけ説明してやった。
それから数日後、静は藤ノ宮の敷地内から追い出され、祖父がかつて暮らしていたという小さな屋敷に閉じ込められた。これ以上一緒にいれば、彼女を傷付けてしまうからという両親の判断だ。それが正しいことなのかはわからなかったが、母は少し元気になったのでよかったと思った。この時点で静のことを気に掛けられない自分は、兄失格だなと苦笑する。
正直、静が出ていったおかげで勉強と修行に専念できたと感じているし、藤ノ宮一家は平穏を取り戻したかのようだった。
そして気付けば、静の側にはいつも楼と翔兵がいるようになった。いつの間に交流を持つようになったのかと疑問と興味を持ちつつ、同時に安心していた。家族がいなくても、彼女には友人がついているのだと。
動が高校生に上がった頃、父親から頭首としての仕事を教わるようになり、ついでに静の監視の役割を譲り受けさせてもらった。日に日に体調が悪くなっていく妹がいつどこで限界を迎えてしまうかわからないので、術の使いどころを見極めたかったのである。
この頃から動は、近い将来に頭首となる責任感とやりがいを覚えたのだ。
一族の繁栄。それは動の生き甲斐にも成得るものだった。
そして今、動は正式に頭首となる権利を得ている。
白鬼の出現は、静の兄として、藤ノ宮の跡取りとして、『捧魂の術』を使う絶好の機会だった。
篠を助けられなかった責任も感じている動は、己の命をもって全てを妹に託すことにした。
彼女の力があれば、白鬼も敵ではないだろう。藤ノ宮のことだって、彼女になら任せられる――
「君、力が漏れているよ」
「……だろうな」
動は平然と言ってのける。
「もうその体、ぼろぼろじゃないか」
クスクスと鬼は笑う。
「だからお前に会いに来たんだ。この……鬼ヶ島までな」
白鬼は真顔に戻る。
「ふうん。わざわざ殺されに? 一体、何の為に?」
それは――妹の為、一族の為、自分の為。
目の前の、白鬼の為。
「――夕柳真幌」
「っ!」
一瞬驚く白鬼だったが、次第に凶悪な表情へと変貌していく。
しかし動は全く物怖じせずに、不敵に笑った。
「最後に、一花咲かせてやるよ」




