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こぼれ話① 智コレクション?

兄さんのテンションがあまりに高く、収拾がつかなかったので外したエピソードです(笑)蛇足として付けておきます。




 翌日、用意されたすべての試験に合格し、僕は僕であることを証明した。自分で言い出したことであったが、実際造作もないことだった。

 そして父と兄、そして陣内とアメリカにいる叔父と話し合い、浅川智志の死亡は公表しない方がいいという結論になった。死亡届も葬式も出さずに僕の体は秘かに家の墓の下に入ることになった。

 社長をしていた会社にも事実は公表されることはなく、名前だけをそこに残し、必要なときは兄が表に出ることにして僕が裏で実務を取り仕切ることになった。だから表面的には何も変わってはいない。会社の行事やらなにやらに一切社長が出ることがないだけだ。前からそれほど頻繁に社員の前に出ることもなかったし、不審を抱く者もいないだろう。

 常識的に考えてありえない処置だということは重々承知していた。もし万が一世間に事実が知れたとき、死亡を秘匿しておくことなどリスクが高すぎるとわかっている。だが父が譲らなかった。僕がこうして存在しているのに、死んだことになどできない、と。確かに体は死んで、もう腐っていくのを待つだけだ。だが智の体であっても、知識も仕草も物言いも、どこをとっても浅川智志の存在は消しきれない。それを死んだと納得することができないとそう言うのだ。兄もできる限りサポートするから、死んだことにはしないでくれと懇願の体で言った。

 アメリカにいる叔父もすぐにでも駆けつけそうな勢いだったがなんとか押しとどめ、電話で話をつけた。

 アメリカ支社の人事がうまく片付けば叔父が日本に戻って来られるから、叔父と社長を交代して僕はアメリカに行ったことにすればいい、名前だけ置いておけるようになんとかする。泣きながら告げられた計画に僕は頷いて感謝を返した。

「叔父さん、ありがとう。そっちに行けなくてごめんね。なんとか頑張って」

 泣きながらの声だったので、叔父が何を言っているのかわからなかったけれども、本当は強い人だから大丈夫だ。人事はうまくいくだろう。

 叔父との電話を切って、僕は父に向き直った。

「父さん……ありがとう。兄さんも。それから、陣内も」

 応接室のソファーに座った父と兄を見る。そして頑として座らない陣内を見上げる。

「これから先迷惑掛けると思うけど……どうにもならなくなったらさっきも言った通り、僕の存在は消していいから、だから」

「迷惑になどならん! お前はずっと私の息子だ! 死んだってなんだって、お前がそうして私を父と呼ぶ限り、お前は私の息子なのだ! もう一回成長して大人になるのを見られると思えばなんてことない!」

 僕の言葉を遮って、父はまくしたてるように言った。ちょっと論点がずれているように思えるけれども、僕は何も言えずに苦笑を返した。

「うーん、おれの智志はいないけど、智だって結構かわいい顔してるもんな! よし、今度は智コレクションを作らなければ! 陣内、協力しろよ?」

 中身が僕だったらなんでもいいのか、と呆れつつもぞっとする兄の発言に、笑い顔も凍りつく。『智コレクション』とやらの作成協力を依頼された陣内は、そっと僕の顔色を伺ってから首を傾げた。

「さて……智志様入りの智でしたらこれから増やす他ありませんね。ただの智の写真でしたら生まれたばかりのころからざっと三千枚ほどはたまっているはずですが……そちらもご入り用ですか?」

「ああ、そうだな。よし、いかにおれの智志が可愛かったか智と見比べるのもいいな。陣内、用意しろ」

「かしこまりました」

「ちょ、ふたりとも何の話してるの!? 『おれの智志』って兄さん? まさか僕の写真をコレクションして……?」

 慌てて話に切り込むと、兄は至極当然の顔をしてこくりと頷いた。陣内が隣で訳知り顔なのが憎い。

「生まれたときから先月分まででそうだな……何万枚くらいになってたか。見たいか?」

「本人に無断でそんなコレクション作らないでください!! 早々に破棄してくださることを希望します!」

「やっ、そんな素晴らしいコレクションを持っていたのか武志よ。どれお父さんにも見せなさい。お母さんにも墓前に飾って見せてあげたい」

「父さんっ!?」

 少し前までの真剣な雰囲気はどこかに消え失せていた。こんなおかしな話題で盛り上がったことなどあっただろうか。相手の顔を見て怒鳴ったり、大声で笑ったり。大人になってからそれぞれの屋敷で暮らしている僕たちは普段顔を合わせることもなかったし、父さんが母さんの話題を出すことも久しぶりだ。

……なんて皮肉なんだろう。僕が死んで、子供の姿になった後でこんなに楽しい一家団欒が生まれるなんて。自分の体で生きていた時が幸せじゃなかったなんて言わないけれど、今のこの瞬間は、大きな輝きに満ちていた。話題だけはちょっと居た堪れなかったけれど。

「智志様、あまり興奮されると傷に障ります」

 なんだか泣きそうだ、そう思っていた時に陣内にこそっと耳元で囁かれて、感情のふり幅は振り切られた。――お前が言うのか、お前が。陣内。

 たまらなくなって陣内に抱き着くと、いつも揺らぐことのない磨かれた革靴が、たじろぐようにステップを踏んだ。

「智志様?」

「智志?」

 急に陣内に抱き着いた僕に、ワイワイ騒いでいた父と兄も驚きの声を上げた。僕は黙ったままで陣内にしがみ付いていた。顔を陣内のお腹に押し付けるようにして、誰にも見られないように。

「……智志様?」

 戸惑いの声を上げる陣内を無視してぎゅっと抱きしめる力を強めた。

「……さとるって呼べ……」

 陣内にしがみついたままで僕は呟いた。父が聞こえなかったように「ん?」と聞き返す。僕は顔を下に向けたまま、少しだけ空間を開けて聞こえるように言った。

「智って呼んでほしい。だって智はもう、本当にいないんだ。この体は智のものだ、智って呼んでくれる人がいなかったら……」

 可哀想だ、と言いかけて飲み込む。それは僕が言ってはいけない言葉のような気がして。

「智志……」

 父がぼんやり呟くのが聞こえた。でもどうしたらいいか分からない、という様子だった。それもそうか。僕が智志であることを他でもない僕が証明したのだから。僕は死んでないって証明したばかりなのだから。

 陣内がそっと、僕の髪を撫でた。昔、本当に小さかった頃よくこうして陣内に撫でてもらったことを思い出す。母は早くに亡くなったから、陣内が親代わりになって僕と兄を育ててくれた。小さいころからずっと、陣内は僕の傍にいてくれた。

「智志様、わたくしは思うのですが」

 陣内は僕の髪を撫でながら優しい声音で呟くように言う。

「智は確かにいなくなってしまったかもしれませんが、実際目で見える範囲でいなくなったように感じられるのは智志様のほうなのですよ。だってほら、傍から見ればわたくしに抱き着いているのは智でしょう?」

 ぽん、と肩を叩く仕草は主人に対して、というより孫に対する祖父のそれだ。

「ですからわたくしは、都合の悪い時以外は智志様とお呼びしたく存じます。智はここにいます。でも智志様は目に見えないのです」

 頭を陣内のお腹に押し付けたまま、僕は考えた。そうなのだろうか。僕はそれを許してしまっていいのだろうか。智はどう思うだろうか。

「どちらにせよ、対外的には智志様には智の振りをしていただかなければなりません。事情を知らない人にはあなたは十歳の子供、私の孫として捉えられます。その時には遠慮なく智と呼ばせていただきますから、それ以外は。……ね?」

 確かにその通りだな、と思い始めた僕に、父も畳み掛けるように言う。

「そうだぞ、智志。せめてこの家にいるときくらいは智志と呼ばせてくれ。私は外でお前を息子と呼ぶこともできないのだから」

「そうだそうだー! お兄ちゃんに智志と呼ばせろー! ついでに僕のことは『武志兄ちゃん』と呼べー! 智はお前には懐いていたがおれには懐かなかったからな」

 便乗して願望を押し付けてくる兄の言葉は無視して、僕は抱き着いたまま父の方を見た。

「ううっ! なんて愛らしいんだ!! 陣内! カメラはないかっ!?」

と、父が聞いたこともないような素っ頓狂な声を上げて口元を覆った。隣は目を輝かせた兄が、すでに小型のカメラを構えてシャッターを切っている。一体どこから出したんだ!

 僕は慌てて反対の方を向き、ふと自分がものすごく子供っぽい素振りをしていることに気づく。こんな風に誰かに抱き着いて離れないなんて、子供の頃にだって滅多にしなかったはずなのに。体が子供だからなのだろうか。行動が子供っぽくなってしまうのは。

 気づいてしまったらそのままでいることは羞恥心が許さず、ぱっと陣内から離れた。多分真っ赤になっているだろう顔を腕で擦ってごまかして、兄に噛みつくように言う。

「今すぐ写真を撮るのをやめなければ、二度と兄さんとは呼びませんよ!!」

「うっ! これで最後!!」

 往生際悪くシャッターを切り、兄は何事もなかったかのようにカメラを胸ポケットに納めた。白々しい態度の兄を睨みつけた後で、僕は陣内に向き直る。こちらも何事もなかったかのような顔に微笑を浮かべている。……くそ。

「陣内。本当にいいのか? その……お前の孫として生きられなくても」

 自分で言いながら今さらだと思った。浅川智志が存在できるように手回しを完了したところだというのに。

「陣内智として……このまま大きくなる未来だって選べる。裏で働くということは、小学校にだって行けないだろうし、そうだ、お前の娘は、この子の両親が何て言うか……!」

 当たり前の事実にようやく行き当たってはっとした。智の両親はこのことを知っているのだろうか。智の体は生きていても、意識は、魂は死んでしまったことを。

 だが陣内は笑って首を振った。そんなこと、もう片付いていますと言わんばかりに。

「ええ、いいのですよ智志様。娘夫婦とはすでに話を付けてありますし、そもそも智志様に普通の子供の振りは無理ですよ、時々は頑張っていただきますが」

 昔からずっと変わらない、穏やかな調子で陣内は言った。一体どんな風に話をつけたというのか、この大切な一人息子の大事をなかったことにするなどできないだろうと思うのに、にっこりと完璧な笑みを浮かべた陣内を問い詰めることもできなかった。





一部本編とのずれがあるかもしれませんがご了承ください。


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