4 重なる奇跡のその先で
智と出会ってからもう七年が経った。
私はアメリカに戻り、ケリーの両親の元で高校に復学し、無事に卒業できた。それからやはり両親の希望で地元の大学に通っている。藤井真央だったころにはできなかった建築関係の勉強を今頑張っている。何の因果か、ケリーになってからの方がよほど自分の意思に忠実に、自由に生活できている。そのことに何か罪悪感のようなものを感じないわけではない。心に靄がかかる時もあったし、どうしようもなく泣きたいときもあった。でも私の傍にはいつも、まっすぐな道を教えてくれる智がいた。
智は十一歳でアメリカの大学に入った後、順調に進級を重ねた。経営学科に入った彼は当たり前のごとく成績はトップクラスでそのまま大学院まで進学した。ただ、周りが思っているほど智が天才肌ではないことを私は知っている。だって大学に通っている間、智は家にホームステイしていたから。
小さくて体力のない体で、一生懸命勉強していたのをずっと傍で見てきた。膨大に出される課題をこなし、予習復習をする。大人に交じって討論するために、声を大きく出す練習すらしていたこともあった。
「そんなに頑張らなくても大丈夫じゃない?」と声を掛けたら、「そんなのケリーにお返ししますよ」と言われた。私もケリーの経歴に傷をつけないために必死で勉強していたから、智はいつも笑ってそう言ってくれた。
知り合いのいないアメリカで、智と交わす日本語にどれだけ救われたか。両親には聞かれないように極力二人きりの時だけ日本語で話すが、それでもケリーとして過ごす緊張の日々を、智の存在が大きく癒してくれていた。
そんな智ももう十八になった。子供だった体もいつの間にか大きく成長して、私の身長も通り越していた。小さかった手も大きくなり、指も長くなり、声も低くなり。
子供だと油断していたかつてが遠い昔のことのように、すっかり大人になってしまったと気づいた時には、少しドキドキした。確かに、書類の上では智――正確には中身の浅川社長――と結婚している私であったが、智が子供の姿だったこともあって、本当の夫婦だと思って過ごしてきたわけではなかった。
ただ時折、不意にされるキスに、二人の関係を思い出してはまた忘れてを繰り返し。
智はいつもにっこり笑うだけで本心を見せないから、一緒にいる日々に慣れてはいたし、智のことは好きだったけれどそれ以上ではなかったはずなのに。
智くんの誕生日が来て、十八のお祝いをしたその日。智は言った。
「僕もようやく結婚できる年齢になったからさ。結婚し直そうか」
「え?」
理解不能な言葉に、思わずそう返してしまった。結婚し直す、ってどういう意味?
「だって今のままだと、ケリーは浅川智志の奥さんでしょ? 僕の奥さんになってほしいんだよ。だって僕は今、陣内智なんだから」
智は少し不満げに、唇を尖らせて言った。いつからか丁寧すぎるほどの敬語は消え、対等の一人として会話できるようになっていた。距離が近づいた気がして嬉しいとは照れくさくて智には言えていない。
「えーっと、つまり? 智志さんと離婚して、智と結婚し直すってこと?」
話の流れとしてはそういうことよね、と首を傾げつつ尋ねる。……なんだかなぁ。ケリーとしては二十三になったところなんだけど、バツイチになるのねぇ。
「ね、ケリー、いいでしょう? 次の日曜に、結婚式挙げるからね」
「……え! なにそれっ!」
さすがの急展開に大声を上げると、智はにっこりとお得意のスマイルで、私の前に膝をついた。
「ケリー・スミスさん。僕と結婚してください」
いつかも同じようにプロポーズされた。あの時は手も小さく、驚いた拍子にすっと離れてしまったっけ。
そして今、同じ人に――成長して大人になった人に、またプロポーズされている。前の時よりもずっと凛々しく成長した、でも変わらないまっすぐな瞳に射抜かれている。
「……ねぇそういうの、前もって言って、って言ったよね?」
片膝をついた智に右手を取られたまま、私は半眼で彼を見下ろす。智はいつだってやることが唐突なのだ。思い返せばアメリカに来てうちでホームステイを始めたときだって何の相談もなく決まっていたし。高校のプロムだってよくわからないうちに智と踊っていたし。何事も準備というものがあるのに。……いや、その準備を裏で着々と進めていた訳か、この策士は。
「ごめんね。でも絶対にケリーと結婚したくて。その……既成事実、というか外堀から固める、というか」
分が悪い、と分かるとすぐにした手に出る。可愛い振りをして誤魔化すのもお手の物だ。けれどもそれが計算だと私はもうわかっている。
上目使いが可愛かったのは十五、六くらいまでだっただろうか。大きくなってからはわざとらしさが出てしまっていて、可愛げ何てない。そもそも身長百七十五センチの男の人が、こてん、と首を傾げて見上げてきても無理があるだろう。
……それでも。
全てが智の手の上だと分かっていても、愚かなことに私はそれを飲み込んでしまう。
だってもう、智以外の人と一緒にいる自分が想像できないから。
既成事実なんてなくても、私の気持ちが変わらないことにちょっとは自信を持ったらいいのに、相変わらずの恋愛音痴だ。でも仕方がないか、私も自分の気持ちを表に出しては来なかったのだし。
「……式にはアンジ―呼んでくれてる? あとキャシーも」
ため息とともに大学で仲良くなった友人の名を挙げると、智はぱっと顔を明るくし、立ち上がった。
「もちろん! ……で、それってオッケーっていうこと?」
今度は両手を握られ、至近距離で見つめられた。きらきらと光る瞳が雄弁に、その気持ちを語っているようで。
「オッケーも何も、私はもうあなたと結婚してるつもりだったけど?」
照れ隠しにそっぽを向いてしまったのも、許されるだろう。こんなにも自分を求めてくれる人の目を、ずっと見ているなんてある種の拷問だ。照れの極致だ。
「……っ、やった!」
ガッツポーズをする智を見て笑う。相変わらずの子供っぽい動作。嬉しい時はいつもそうなるのが可愛らしくて。それは背が高くなってからも変わらない、私の大好きな部分。
……たとえ何年経ったとしても、きっとこんな風に、私を惹き付けて離してはくれないんだろう。
そしてそれを、私も望んでいる。
こうして三日後の、私にとっては急すぎるほど急な結婚式までの日々が始まったのだ。
*
「陣内さん、招待客のリストをいただけますか? 父も確認したいと」
もう二週間前に渡米してきていたのだという陣内さんは、浅川の別邸で準備を進めていた。式は近くのチャペルで、その後のパーティーはこの別邸の庭で行う予定らしい。
私は大学のあれこれをすべて放棄して、式の準備に取り掛かった。とはいっても会場の手配はもちろん、招待客、神父さん、パーティーでの料理など、考え付くようなことはすべて手配済みだった。私が着る、純白のドレスさえ。
「ああ、ケリー様。ケリー様がいらっしゃったということは、智志様はとうとうおっしゃられたので? おめでとうございます」
「……ありがとうございます。その言い方だと、ここまで引っ張ったのは智の一存なんですか?」
陣内さんの苦笑いですべてを悟った私は、思わず半眼になって脳裏に智を描く。そんなにも私が逃げると疑っていたのだろうか。直前に言えばいいと思う方がだいぶ失礼だと思うのだが。
「いえいえ、なんと申しましょうか、それも智志様があなた様を思うが故とお許しください。すべての準備はこうして整っておりますから、あとはいつも通り、お美しいあなたがいればそれで」
主人が時折歯の浮くようなセリフを言うかと思えば、それはこの有能な執事直伝だったようだ。陣内さんは丁寧な言葉遣いの中にこうして美辞麗句をはさんでくる。智よりもよっぽど上手に。
「まだ一つ整っていない準備があるんですよ」
私は呆れてため息をつきながら言う。どんなに持ち上げられようと、女の子にはいろいろな準備があるのだ。大切な結婚式の三日前に知らされて、一体どうしたらいいというのだろう。
「はて。それはなんでございましょう? 早急に手配いたします」
「……心の準備よ、私の!」
智にぶつけられなかった分の不満を、間違っていると思いつつも陣内さんに向ける。どうせ陣内さんは智の第一の味方だ。文句を言ったって怒ったりはしない。もちろん私が冗談半分なのは陣内さんにも伝わっている。
「ふふふ、それはそれは。申し訳ございません。……さてこの陣内、どんなお手伝いができましょうか? 花嫁のマリッジブルーのお世話はしたことがございませんので……困りましたな」
全く困ってもいないような笑みでそう言う。
「んもう! いいんです、もう!」
私は頬を膨らませてそっぽを向いた。子供っぽいと分かっていても、これくらいしか反抗できない。
「ああ、では女性同士の方が話しやすいでしょうかね。屋敷からマキを連れてきておりますから、何か心配なことがありましたら彼女の方に」
「え、マキさん? わぁ、こっちに来たのね? じゃあお話ししに行こうかな」
思い出したように言う陣内さんの言葉尻に乗せるように、自然と声が弾む。マキさんは日本の浅川の屋敷にいる間にとてもお世話になったメイドさんだ。おっとりしているけれど仕事は正確で、参考にさせてもらおうと観察していたこともあった。
「あの子も一児の母であり、旦那のいる身ですから。結婚に対して何かご心配があれば、あれの方がよほど女性の気持ちもわかりましょう」
そう言った陣内さんの笑みが、何かを含んでいるように見えた。ふっと蔭るような、そんな笑み。それにマキさんを『あの子』とか『あれ』と呼ぶのが引っかかった。
「マキさん結婚してたんですね? でも毎日お屋敷で働いて……朝から晩までいましたけど」
そんな働き方で夫婦は成り立つのだろうか、子供はいいのだろうか、と不思議に思った。すると陣内さんが何でもないように言う。
「夫もあの屋敷におりますから。調理場で働いているのです。住み込みで、今は」
「……今は?」
陣内さんが、何か大切なことを私に伝えようとしているような気がした。いつもは穏やかな笑みで、決して自分から会話を振ってくることはない陣内さんなのに、今日は妙に饒舌だ。それも自分のことではない、お屋敷のメイドさんのことを。
「ええ。子供がいた頃は屋敷の近くに部屋を借りて住んでいたのですよ、親子三人で。ですが今はその部屋を必要としませんので」
「え……? マキさん、お子さんを亡くされて……?」
いつも優しく微笑んでくれたマキさんにそんな辛い過去があったなんて。人は何か辛い目に遭った時、自分が一番辛いと思ってしまうけれども、本当はそんなことはない。それぞれ大なり小なりの傷を抱え、それでも前を向いて生きているのだ。
「亡くした、と言えばそうでしょう。でも生きているとも言える。非常に複雑ではありますが、あの子もあの子の夫も、きちんと選んでいます。子供を傍で、見守る道を。……ようやく大きく成長して……とうとうお嫁さんを迎える日が来るとは……。ですからすべてが不幸だったとは、わたくしにはどうしても思えないのですよ、ケリー様」
ふっと笑いながら私を見た陣内さんの瞳にうっすらと涙が浮かんでいた。
「マキは……わたくしの娘です。そして智はマキの息子です」
……ああ。
その微笑みにすべてが集約されているような気がした。
すべてを許し、乗り越えてきた人の笑み。
智が陣内さんの孫なのだろうと私は分かっていた。だって智は『陣内智』なのだから。でも、まさかマキさんが智のお母さんだったなんて。
「智が三階のテラスから落ちた後、真っ先に智の元へ駆け寄ったのは娘でした。母親ですからね」
陣内さんがふと思い出したようにお茶を入れ始めた。長い話になるのかもしれない。
「隣で智志様が頭から血を流して倒れているのを見て、娘は智を抱きしめたまま気絶しました。息子が原因で主を死なせたとあらば、衝撃は大きかったでしょう。それはもちろん、わたくしとて同じでしたが」
カチャ、とテーブルの上に置かれた紅茶から白い湯気が立ち上る。ソファに向き合って座った陣内さんは、自分にもお茶を入れてそれを一口飲んだ。思えばこうして陣内さんとお茶を飲むのは初めてだった。知り合ってから七年も経つというのに。
「智志様が智の中にいると分かった時、わたくしは本当に救われました。亡くした主人が、どんな形であれまたわたくしを陣内、と呼んでくださったのですから。……そして決めたのです。すべてを隠そう、と。智志様は智がわたくしの孫であること以外、両親は誰であるのかご存じありません。多忙な智志様にわたくしの個人的なお話しをすることはほとんどありませんでしたから。ただ、智はやはり初孫でしたので、可愛くて。つい自慢したくなって写真を見せたり、屋敷に少しだけ連れて来たり。智志様も弟のように可愛がってくださって……」
陣内さんは瞼を伏せた。一筋の涙が、皺の寄った頬を流れていった。
「娘たちには自らの身分を明かさないようにと厳命し、職場に復帰させました。主を死なせた負い目がありますので、ふたりもわたくしの言うことに従ってくれました。そして智がいなければ帰る部屋も必要なく、むしろ近くで智志様を見守るために、屋敷に住みこむことになって。……最初は辛い日々でした。間違いなく智なのに、智ではない、わたくしの大切な智志様がそこにいるのです。娘たちも同様だったでしょう。陰から智志様を見守り、ただそこで動いて、笑って、食事をしてくれることだけに喜びを見出していました」
私は何も言えず、湯気が収まったカップを手に取った。陣内さんはスマートな動作でハンカチを取りだし、流れた涙をそっと拭った。
「もう二度と、おじいちゃんと呼ばれることはない。マキも母親だと名乗り出ることはない。それでも不思議と、わたくしたちは今、幸せを感じているのです。……何故だかわかりますか、ケリー様」
私は尋ねられているにも関わらず、口を開くことなくじっと陣内さんの顔を見つめていた。陣内さんが私に答えを求めてきているのではないと分かったから。陣内さんはもう、自分自身の中に、明確な答えを持っている。
私の視線を受けた陣内さんはふっと笑い、紅茶を一口すすった。なんだか少し、満足げな表情に見えた。
「やはり智志様は、人を見る目をお持ちです。智志様が選ばれた方があなたで良かった。ケリー様……いや、真央様」
私は首を振って応えた。
「そんな風に言われるような立派な人間ではありません。ただ……今思うことは、人生はいつだって思うようにはいかない。それでも前を向いて生きていくなら、きっとそこに道が開けている、ということでしょうか」
「ええ、ええ。その通りですね。あなた様と智志様がご一緒に生きてこられたお蔭で、わたくしたちは孫息子の晴れの日を目にすることができるのです。何が正しいかなんて誰にだってわかりません。考え方は人それぞれ。だから今わたくしが幸せだと思うことも決して間違ってはいないと思うのです」
今度は頷いて応えた。すると陣内さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「……どうぞお幸せになってください。途方もない奇跡がいくつも重なって存在する今を、決して忘れないように」
「……はい」
いつの間にか私も泣いていたようで、陣内さんが新しいハンカチを私に渡してくれた。胸が苦しい。もう本当に、何をどう言ったらいいのか。
私たちは、ただ自分なりに生きていて、それが時に運命の荒波に飲み込まれて乱されることがあって。
それは自分の力ではどうしようもないことだったり、途方に暮れたりするのだけれど。
そこで諦めてしまえばきっとそれまでだけれど、その先を生きていくことができるのなら。
どんなに情けなくて、辛くて、惨めで、苦しくても。
前を向いて歩いていけばもしかしたら、その曲がり角の先に思う以上の未来が待っているのかもしれないから。
……だから。
「……そういえば、日本の智の寝室で、あるものを見つけまして」
全然関係のない話をふと思い出して笑ってしまう。陣内さんは不思議そうに首を傾げた。
「あるもの、とは?」
「水色の傘です。私のイニシャル入りの」
「……ああ」
合点がいったように陣内さんは頷いた。そして苦笑いを浮かべた。
「本当はあの時から、始まっていたんでしょうか。ここへ続く運命は」
具体的なことを全く言わないのに、訳知りの陣内さんはちゃんとわかってくれたようで、感慨深そうにうなずいてくれた。本当に有能な人だ、私もいつかこんな風になれるのだろうか。智を支えることができるのだろうか。
「そうかもしれません。少なくとも智志様はずっと、あなたを想ってこられました。……執念の力、でしょうかな」
最後は冗談めかしてそう言い、陣内さんはウインクをした。
「しかしその傘をまだ返されてはいないのですか? 智志様は何もおっしゃらない? ……ああ、わが主ながら本当に恋愛音痴で申し訳ございません。わたくしの育て方がまずかったのでしょうかなぁ」
「ふふ、別にいいんです。ただ、社長に自分を知っていてもらえるようなことをしたかがずっと気になってて。あの傘を見て思い出して納得したんです」
智のクローゼットの中にしまわれた自分の傘。貸したときの記憶が一気に蘇り、またあの時の社長の表情を思い出した。照れたような、はにかむような、純粋で穏やかな笑み。今の智を見ていたら、返すことができずにずっとしまったままになってしまっていることが想像できた。
……きっと、あの時から。
あの時の出会いが今に繋がっている。
「ありがとうございます、陣内さん。私、幸せになります。……もうなってますけど、もっと幸せに」
「はい。どうか智志様をよろしくお願いいたします」
私たちは顔を見合わせて笑った。よく考えたらこれからは陣内さんが私のおじいさんになるんだ。……家族が、増えるんだ。
幸せが降ってくるようだった。涙の煌めきと共に。
*
そして式の当日。
私の方は両親と何人かの友人、智の方は智志のお父さん、ふたりのお兄さん、おじさん、そして陣内さん、マキさんが出席して小さな式が行われた。参列者が少なかろうとそんなことはどうだって良かった。集まってくれたみんなが祝福してくれるだけで十分だと思えた。
バージンロードをお父さんと一緒に歩いた時、お父さんは言った。
「……きれいな花嫁姿を見せてくれてありがとう。お前は……私たちの娘だ、これからも」
本当は別人なのだと、両親と話したことはない。そしてこれから先もこの事実を告げることはしない。ただお互いに知らない振りをしている。でも、私たちはそれでいいのではないかと思っている。お互いに、何も言わないけれど、ちゃんとわかっている。
「ありがとう……お父さん」
それだけを答えた。涙で潤んだ瞳の向こうで、お母さんが涙を拭っているのが見えた。
――ねぇ、ケリー。ここまで来たよ。あなたの理想ではないかもしれないけれど、幸せな姿を、ふたりに見せられた。白のウェディングドレス姿を、ちゃんと見せられたよ。
祭壇の前に立つ智は、白のロングジャケットを羽織り、いつもの三割増しで格好良かった。言ったら調子に乗るから言わなかったけれど、最高に素敵な姿だった。
「ケリー、綺麗だ」
隣に立った瞬間に耳元で呟かれる。こういうところは抜け目ない。
誓いの言葉を神父さんに続けて言う。
心の底から……誓う。きっとこれからも、一生。この人の隣を歩いていく。
いつまで経っても目を惹き付けて止まない、不思議な人の隣を。
ふと視線を感じて見上げると、智がこちらをじっと見ていた。とろけるような、慈しむような、目。ずっと見られていたなんて恥ずかしすぎるけど、今日くらいは。にっこりと笑って返すと、智は意外そうに目を見開き、そして破顔した。いつか見たような、穏やかな笑みだった。
*
「そういえば、ケリー? 悪いけど僕は、ちゃんとわかっているからね」
「え、何の話?」
智が不意にそう言いだしたのは、式の後でのパーティーの最中だった。みんな飲んでいい感じに酔っぱらいだしていたし、思い思いに寛いでいたので、近くには誰もいなかった。
「智の両親のこと」
「え……?」
そっけなく言い放った言葉に、私は声を失った。だってそれは。陣内さんが隠してきた秘密じゃないか。
「陣内には悪いけれど、ずっと知っていたよ。だって牧が僕を見る目は以前とは全然違う。わざと“牧”と呼んでいるけど、本当は“真希”だってことも知っているし……あれが智の父親だってことも知っている」
視線で智が示した方向には、シェフの格好をした大きな体の男の人がいた。……ああ、何だ。智くんのお父さんも来ていたのか。今日の私たちの為に、おいしい料理を作ってくれたんだ。
「僕は本当の意味で智になることはできない。智はもういない。それはみんな割り切っていることだ」
智の姿をした智志さんが、静かな声で言う。吐息に乗せるような、独特の話し方で。
「僕にできることは、この命を全うすることだと思っている。できれば怪我なく、病気もなく、心配を掛けないように生きていくことが、そっと見守ってくれているあの人たちへ返すことのできる、唯一のものだと思っているんだ」
宣言通り病気もなく立派に成長した人が言う。その姿はまぶしいくらいに輝いて見えた。それは向こうのライトの光などではなく、内面から輝く光。
魂の、輝き。
「……私も、そう思う。私も、生きていきたい。智と一緒に幸せに生きてるんだってことを、みんなに見せてあげたい」
テーブルの陰で繋がれた手に、きゅっと力がこもった。私の手をすっぽりと包み込む、大きくて温かい手。
たくさんのものを無くしてきたけれど、今、手に入れた、この上なく貴重な宝物。
――神様。
あなたのことを恨みます。でも感謝もしています。
「それから水色の……あの傘だけど」
「うん?」
「返せなくて、ごめん」
俯いて申し訳なさそうにする智が可愛くて仕方がなかった。大きくなったのに可愛いなんて言ったら怒られそうだから言わないけれど、そんな風に思う必要なんてないのに。むしろ……。
「いいの。私が確かに存在した証が、あそこに残っていて良かったと思っているの。真央のものは何一つなくなってしまったから」
「……ケリー……」
「だから返さないでいてくれてありがとう。あのまま持っていてくれる?」
イニシャルの入った、母親からのプレゼントだった。十八の誕生日にもらった、大切にしていた傘。あれが今も手の届く場所にあることが嬉しい。真央でなくなった今も、私が私を思い出せることがこの上なく。
「返すも何も、キミのものだよ、ケリー。そしてケリーが大切にしたいものなら、僕も大切にする。ずっと守る。……全部を」
智はそう言ってこちらを見た。大好きな、透き通った目で。
「……愛しているから、あなたのすべてを」
言ってすぐにふいっとそっぽを向いてしまった智を追いかけて、照れて赤くなったその頬に。
そっとキスを贈ってまた、目を閉じて祈る。
――どうかこのまま。幸せが続きますように。
ひゅう、と囃し立てる声が響いて目を開けた。
たくさんの笑顔がそこに咲いていた。
〈おわり〉
お付き合いいただきありがとうございました!
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