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哲夫

 この物語の時代背景は、北朝鮮による拉致問題が公になる直前の、1996年頃に設定している。

 滝川哲夫、四十七歳。彼には、十数年連れ添った妻がいる。今年中学に上がった可愛い娘もいる。特にこれといって不満に思うこともない毎日を送っていた。趣味の登山が嵩じて、ある山岳会に籍をおいている。ゴルフや賭け事などと違って、そうそう金も掛からないから、休日を利用した哲夫のそれを、家族は大目にみている。

 彼は時折、家族をその山に誘おうと声を掛けるが、所謂『3K』に類するスポーツと決めつけられ、一蹴されるのが常であった。その辛さの向こうに素晴らしい世界があると、いくら演説しようが、どんなに健康に良いかと解説しようが、結果は同じ事だった。

 自然、家族の触れ合いは少なくなる。皆それぞれの中に、それぞれのライフスタイルで活動するようになる。哲夫としては余り面白くない。なので、益々山に浸って行く。そんなある日、山仲間に『真行寺智美』という若い女性が入会した。

 その社会人山岳会というのは、『互いの職業は明かさない。個人の生活には触れてはならない』という規約が会則にある不思議な会だったので、哲夫のようなサラリーマンは珍しく、自然と人に知られたくない職業や経歴の人たちが集まっていた。数年前、哲夫もその規約が気に入って入会したのである。

 もちろん哲夫のサラリーマンであることを知る人は居ない。だが、古参会員同士では、薄々ながらも互いを知っているようで、トラックの運転手と言っている誰それは実のところ刑務所の看守であるとか、いつもニコニコと優しい某は元暴力団の今は取立て屋であり、自分はモデルだと自慢する若い娘の実体はニューハーフ嬢だし、会計係をしているおばさんの亭主は汚職で有名になった元政治家だ、などと暗黙の内に知れ渡っていた。そして会長は現役の詐欺師らしい。不思議な会と言うより、怪しい会と言った方がいい。

 無論、憶測なので間違いもある。現に哲夫は、無免許の町医者ということになっている。もっとも、医大の薬学科を出て、製薬会社の研究室に勤務しているから言葉の端々でそう思われても仕方がない。であるが、むしろ本人は、会の中で限っていえば、サラリーマンよりましだと思っている。

 しかし、新会員である智美が何者であるかは、まだ闇の中である。そのうち古参の会員が、彼女の言葉や身ぶりから割り出すに違いないのだが、いまはシークレットのベールに包まれたままである。

 ある幹部会の日、会計のおばさんが智美の職業を当てるトトカルチョを提案した。自分が胴元になると言う。皆は面白がって賛成し、それぞれ予想を書いた紙を賭け金と共に会計に渡したのである。会則に反するのだが「幹部だけの秘密とすればいい」ということになった。ろくな会ではない。

 自然と彼女は、彼らの注目を浴びることになる。挙措言動に彼らの耳目が集まる。哲夫は敢えてそれに参加をしなかった。賭け事を好まないということもあったが、こんな怪しい会には似合わない、清楚な智美を遊びの道具にするようで、何だか気が進まなかったのだ。反対に哲夫は、できる限り知らん顔をして、一人彼女から距離をおいていた。山行を共にしても、言葉を交わすことを避けて、離れて歩く事が多かった。

(こんな会でも入会するからには、純粋に山を愛する人に違いない)哲夫は、そんな彼女をそってしておいてやりたかった。


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