最終話)ある晴れた、初夏の午後
CD発売ライブを渋谷で成功させた四人。
その後「世界制覇」は成るのか。
果たして恋人との関係は・・・
6
「CD発売記念ワンマンライブ」が終わってからも、タンツリは順調にライブをこなしていった
月に一度のパパスは好調だったし、千葉ワッチでのライブや、ダローネのライブも順調だった。
CDも、五百枚ほとんど売り切った。
その後もパパス主催の、ホールクラスの大きなイベントに出演したり、地方のイベントに呼ばれたりと、ひっぱりだこになったのである。
また、この年にはjリーグが鳴り物入りで開幕し、
日本代表のワールドカップ予選にも四人は夢中になった。
優人は小学生の時、キャプテン翼に憧れて、サッカークラブに入っていたし、
健はまだまだ日本にとっては縁遠かったワールドカップに子供の頃から熱狂し、
サッカーボールにワールドカップに出場する全選手の名前を書くほどであった。
越後も中学、高校とサッカー部で、サッカーに関しては、解説者のような面も持ち合わせていた。
浩二は特にサッカーに触れたことがなかったようだが、皆の勢いに乗じて夢中になっていた。
そして、サッカー日本代表はワールドカップ出場が夢ではなくなっていた。
ラモス、カズ、武田、ゴン中山や柱谷といったスター選手が台頭し、これまでにない程ワールドカップが近付いていた。
あの、ドーハの悲劇である。
あと三分持ちこたえられれば、出場決定である。
四人はムーンハイツで一喜一憂した。
日本がゴールを決めた瞬間には四人で叫びながら肩を組んでジャンプした。
「ぬを~!頑張れ!あと五分だ!」
優人は叫んだ。
健も浩二も越後も祈るように、さほど大きくないテレビを祈るように見ていた。
「ワールドカップ!ワールドカップ!」
とこぶしをにぎって叫んだ。
しかし、起こってしまった。
イランの同点ゴールである。
四人は言葉を失った。
これで夢のワールドカップはするりと手から落ちた。
四人はこれ以上ないほど落胆し仰向けに寝転がり、もう言葉も交わさずに一時間も過ごし、別れた。
こんな漫画のような結末が実際にあるのだろうか?
とにかく愕然とした四人であった。
四人は一体感をさらに増し、
いよいよメジャーからCDを出すのを夢見るようになっていた。
世界制覇に向けた第一歩である。
スタジオの中では、浩二が俺が「スルーパスを出すから」越後がそのパスを受け取り、
健と優人は「アイ・コンタクトで」という会話が流行った。
ワンマンライブあたりから、亮子はレコード会社の人間を内密で呼んでおり、
もちろんCDを関係者に渡し、その後のライブにもメンバーには内緒で呼んでいた。
亮子はタンツリをメジャーに引き揚げようと、孤軍奮闘、必死で格闘していたのである。
ところが、ライブを見に来たたいがいのレコード関係者は、「こんなバンドのどこがいいんだ?」
とか「まあ、日本にも一つくらいこういうバンドがいてもいいかもね」
「忌野清志郎のコピーですね」
という程度の冷たい返事であった。
それは、演奏力に欠ける部分もあったし、優人の声が清志郎に似すぎている、という事でもあった。
それに、バンドからはドラッグの匂いがプンプンした。
「次世代のステューピッツだ」
という意見もあった。
ステューピッツは当時、人気、実力とも忌野清志朗に勝るとも劣らず、
動因数はかつてのRCサクセションにも勝るほどであったが、
やはりドラッグの影響で、メジャーというフィールドには立てなかった伝説のバンドであったのである。
要するに彼らレコード会社の人間はタンツリに「手に負えないバンド」というレッテルを張っていたのである。
勿論、そういった情報や人間の動きは亮子が頑張り、回答も亮子の所で止まっていた。
なので、メンバーは何一つ知らずにライブを続けていたのだが、
亮子はプロの意見を聞いてメンバー四人に厳しく追及した。
「あんた達、また薬やってないでしょうね!」
当然、亮子もある程度の薬物に関して、彼らが手を出しているのは知っていたが、
辞めるようにさんざん注意していた。
亮子は純粋に絶対タンツリにメジャーに行って欲しい、と望んでいたのである。
その為にはバンドは品行方正にする必要があった。
が、しかし、ライブ前のマリファナは健や浩二にとっては普通のことであったし、
優人には酒が当たり前であった。
女遊びも制限されるし、そういった意味では四人にとって亮子は邪魔だった。
亮子は、特に健に厳しかった。
と、いうのも健が一番ドラッグに走っていたからである。
それからも、タンツリはパパス主催のホールクラスのイヴェントにも出たし、
東京、名古屋、大阪とツアーに再び行った。
そのツアーにはスタッフとして亮子も付いてきたが、前回の自由なツアーとは違い、
いろいろなことが亮子によって制限された。
例えば、順子や葵、カーさんといった彼女連中を連れてくるな、といったものであったし、
当然薬に関しても、厳しく管理された。
亮子にとってタンツリは遊びではなく、ビジネスだった。
しかし、そのタンツリのメンバーの意識との温度差は埋められなかった。
その制限によってか否か、時と共に本来のタンツリのパワーは出せなくなり、
ツアー自体も不完全燃焼といった感じであった。
上手く演奏しよう、と思い過ぎ、逆につまらない演奏になってしまうようになったのである。
健以外はそんなに薬好きではなかったが、健は全く以ってのジャンキーになろうとしていた。
それに、優人もアルバイトをしていたとはいえ、ほぼ毎日アルコール漬けの状態であった。
しかしながら、ライブ活動も亮子の強いコネと、それを使った宣伝によってうまくいき、
順風満帆に見えたタンツリであったが
亮子は脱ドラッグの為、シンシアをメンバーから遠ざけた。
しかし、メンバーの暴走はもう止まらなかった。
協調性に足らなくなっていたのである。
そしてこの頃。
逆に人気のなかった枕草子が音楽事務所に入った、というのである。
枕草子は大久保が率いていたが、その作曲力と歌詞のパワーに惹かれ、音楽事務所ではある意味では争奪戦になっていた。
「必ず売れる」
そう思っていた関係者達は、枕草子を解散させ、大久保だけをソロ・アーティストとして売りだそうとしたが、
大久保はがんとして断った。
「俺にはバンドがあるから」
断固として決意を曲げなかった、大久保に救いの手を陳べたのは「ガラクタ」と名乗る大手の事務所であった。
「ならば、事務所に入る」
という経緯で、大久保率いる枕草子は事務所に入った。
そしてこの後ファニーレコードというレコード会社から、いくつかのアルバムを出すが、
なかなか売り上げは伸びず、この後三年は月に五万円の給料でやっていくしかなかった。
とうてい五万円ではメンバー皆生活などできず、それぞれの彼女に助けてもらったり、八百屋からキュウリやかぼちゃを盗んだり、
と大変な生活のようだった。
そんなある日、優人のいるムーンハイツの電話が鳴った。
「はい、もしもし」
優人は晩酌を気持ち良く飲んでいるところであった。
「え、大久保ちゃん?どうしたの?突然」
突然の大久保からの電話に驚きを隠さなかった。
仲は良かったが、ライブハウスやスタジオで会う程度で、お互いに、電話することなど滅多になかったのである。
「どう?メジャーは?うらやましいよ」
優人はそう言うと
「いや~とんでもないよ。売れる曲書け書けってうるさくてさあ、給料なんてあってないようなもんだし、
そのくせ、プレッシャーかけてくるからよ~」
大久保も酔っているのは明らかだった。
「ふ~む、そうなんだ・・・てっきり、人気者になって金もそこそこ入ってる頃かと思ってたよ」
「とんでもね~よ!CD出したって売れないしさあ、そのくせ、お前らの為に何百人の人間が動いてると思ってるんだ、
とか言われるしよお、ったく呑気にライブやってるお前らがうらやましいよ。俺らも全国行ってドサ回りだけど、人も入んないし」
「うらやましいって、そんなもんじゃないよ、こっちだってメジャー行きたくて頑張ってライブやってるんだから」
「だからな、その頃が一番幸せだっつ~の!こっちは商売の世界だからよお、そろそろ売れなきゃ事務所もクビだよ」
「そっか~・・・」
優人はそんな貧しい大久保の生活を想像した。
「でも一発当たればデカイんでしょ?」
「当たればな!当たれば!多分当たればデカイんだろうけど。まあ、それがあるから頑張ってやってるようなもんで、
そうでなきゃとっくに事務所なんて辞めてバイトするよ。そっちの方が楽しいもんよお」
「そっか~・・・大変だな~、なんかいい話ないの?」
「まあ、今度のシングルが、なんかのCMのタイアップになるらしいけど、それだって、よく分かんね~話だし、
それでダメだったら事務所辞めるよ」
「それ、いいじゃん!頑張ってヒットさせれば」
「そう簡単に言うけどよ~、ホントに大変だって。俺らは曲作って、いい演奏することしか出来ね~んだから。
それにいっくら曲作ったって、そのあと会議やらなにやらでやり直し、やり直しの繰り返しだぞ!
あ~もう、ほんとにやんなっちゃうよ」
「う~む・・・そうなんだ・・・ヒット曲ねえ・・・タンツリもそうしなきゃいけないのかな・・・」
「まあ、事務所によるだろうけどさあ、いろんなカラーがあるんだろうし、事務所の力ってのもあるからなあ、
でもユートはそのままでいいと思うぜ」
「そのままでね・・・でもポップならポップな方が絶対いいわけでしょ?」
「多分、どこの事務所でもそう言うだろうな、みんな商売なんだから。売れてなんぼなんだよ」
「タンツリはあんまりポップじゃないと思うけど・・・」
「大丈夫だよ!たくさん曲かけばそのうち何曲かはいい曲できるよ、しかし・・は~あ・・やんなっちゃうなあ」
「じゃあ、ちょっと次のシングルに賭けてみなよ」
「分かったよ!じゃあ頑張れよ!ユート!」
大久保はそう言うと、一方的に電話を切った。おそらく、次の友人に同じ内容の電話をかけるつもりだろう。
優人はメジャーでの自分の暮らしを想像した。
アメリカやイギリスのロックバンドも同じなのだろうか?
もしかしたら大久保の言うように、今が一番楽しいのかも知れない。
パワーハウスで学んだ、雑誌やビデオで見てきたような、海外のロックバンドのような楽しそうな生活とは違うのかも知れない。
少し、そんなことを考えた。
次のスタジオのとき、優人はタンツリのメンバーにこの電話の話をした。
健はギターのセッティングをしながら
「そんな生活いやだな~、俺はギター弾いて食っていければいいや」
しかし越後は
「きっとみんな通る道なんだよ、ここは日本なんだし」
と、冷静に言った。
「目標は世界だからな、俺たち、選ばれし者だし」
浩二はドラムのチューニングをしながらそう言った。
優人は言葉を発せず、バンドの方向性を客観的に考えていた。
亮子も、レコード会社の反応を受けて、売れそうな曲を書くように注文をするようになってきた。
その言葉を一番嫌がったのは健である。
そして、九十三年にジャミロクワイというバンドが
「エマージェンシー・オン・プラネット・アース」というデビューアルバムを発表すると、
より、黒人音楽に傾倒していた優人と、あくまでロックギタリストを目指していた健との間に、
目に見えない隙間のようなものができてしまった。
ジャミロクワイはイギリス出身の白人グループであったが、
彼らの音楽はジャズやファンクといった黒人音楽に色濃く影響されており、
優人は友達の家で、そのアルバムを初めて聞いた時には黒人の女性シンガーのアルバムか、
スティービー・ワンダーの新作だと思った。
白人の男性シンガーだと知ったときには本当に驚愕した。
それに、そのアルバムの出来は素晴らしく、優人は衝撃を受け、
こんなバンドがやりたい、と思うようになっていた。
実際に、彼らの出現は世界の音楽シーンを変えてしまうほどのパワーがあった。
が、健はジャミロクワイに興味を示さなかった。
健にとってジャミロクワイはどうでもいいバンドであり、
健はただロックスタイルのギターを弾きたいだけであった。
ジャミロクワイのような音楽に、健のようなギタースタイルは必要なかった。
それは、ある意味では優人が健を必要としなくなったことと同じ意味である。
そのようにして、まだなんとなくではあるが、優人と健の音楽性が違ってきていた。
優人も健も、口には出さなかったが、お互いに何か違和感を意識するようになっていった。
越後や浩二もジャミロクワイに少なからず影響されたが、それはあくまでリズムに関してのことであり、
バンドの音楽性どうのこうのという次元ではなかった。
ただ、単純にロックというものに対して疑問を持ち始めていたのは事実である。
それに、優人と健の間ではCDを作った後あたりから、作曲、作詞の線引きについての口論も少なくなくなっていた。
優人は、歌詞に関しては当然自分の作品だと思っていたし、
作曲のクレジットにしても、健はただギターのリフレインを持ってきて、
鼻歌を歌う程度であり、あとはスタジオで四人で作り上げていくという作業が主流だった為、
作曲は自分も含めたバンドだ、と主張した。
しかし健は、曲は俺のアイデアで作られたのだから俺の作品だ、という主張だった。
CD作成の弊害は思わぬところに現れた。
しかも、ワンマンライブを成功させたり、当時の活動を支えていたのは、
四人それぞれが自分の努力のたまものだ、と思い始め、エゴイズムというものを発生させてしまっていた。
外から見れば、たかだか渋谷に二百人集めただけであったのに、
四人それぞれに「別に四人でなくても構わない」「もう一人前のプレイヤーだ」
という「オゴリ」という意識が発生してしまっていたのである。
一九九四年に入り、いよいよタンツリ本人達も、メジャーレーベル、いわゆるプロというものを意識しだしたが、なんとなく、一つの目標を達成した後は惰性に走り、ただ単にライブの回数をこなすような状況になってしまった。
それでも毎回3~40人の動員はあり、その後の宴会も相変わらずで、いろいろな意味で彼女連中に迷惑をかけていた。
特に優人と健の間はなんとなくギクシャクし出しており、会話もあまりしなくなっていた。
健はタンツリよりも、オクやステューピッツと遊ぶことが多くなっていた。
きっとドラッグの影響だろう。
優人も、ワンマンの後にはもっと有名なミュージシャン達に「これから期待できるボーカリスト」として認められ、
年上のミュージシャンと一緒に飲み歩くことが多くなった。
なにかおいしい話があるかも知れない、と内心思っていたのである。
この時点で優人は、自分はスターだが、タンツリは大したバンドではないと思い始めていた。
越後は今までと変わらず、ベースプレイヤーとしての自分を黙々と実践していたが、
ドラッグの作用のせいか、浩二は普通にライブが出来なくなってきていた。
なんとなく、四人の生活も別々の行動をとるようなことが多くなっていた。
ある日、浩二は頭を丸刈りにした。
いつものように練習の為、浩二以外の三人がスタジオKで待っていたが、浩二はいっこうに来ない。
「あいつ何やってんだろうな?」
「電話くらいかけてこいよなあ」
等とスタジオKのロビーで話していたが一時間も過ぎた頃スタジオに電話が鳴った。
「浩二だ!」
優人が出て、相手が浩二なのを確認すると、
「何やってんだよ!みんなずっと待ってんじゃね~か!」
と叫んだ。
「今さあ、スタジオの目の前のスーパー銭湯の店員に追いかけられて、江戸川のほとりにいる
近くに行ったらまた電話するから」
という内容だった。
どうしてスーパー銭湯の店員に追いかけられるのか誰一人分からなかった。
また、何かやらかしたに違いない、と三人は話していたが、
練習にならないのでロビーでタバコなどを吸っていた。
およそ十五分後くらいに、また電話が鳴った。
「はい、スタジオKです」
優人がでた。
「あ、ユート?おれおれ、こ~じ」
「分かってるよ!なにやってんだよ?」
「今向かえのゲーセンにいるからみんなで迎えにきてくれ。見つかるとヤバいんだよ」
「はああああ?」
内容を健と越後に伝えると、皆訳も分からないままゲーセンへ向かった。
見ると、つるつるボウズで背の低い浩二がゲーム機にまぎれている。
皆、ビチビチと浩二の頭を叩いた。
「なにやってんだよ!テメー!」
「いいからよ、スーパー銭湯に見つからないように、囲んでくれ」
浩二が言った。
仕方が無いので浩二を三人で手をつないで囲い、普通ではないその陣形のまま
スタジオまで訳五十メートル進んだ。
無事、スタジオKの地下まで潜った。
「さすが、チームワークだな」
と浩二が言った。
優人達は呆れ返った。
この阿呆が・・・
浩二のあごはアントニオ猪木のようにしゃくっていた。
いまにも喧嘩をするときの表情だ。
「テメーなにやってんだよ?またなんかやらかしたんだろ!」
健が高い声で攻撃した。
「いやいや、ちょっと聞け」
浩二は皆をなだめた。
「あのな、きのうな」
浩二はつるつるの頭を光らせて喋りだした。
「ステューピッツのケンにさあ、ふっかけられてさあ、お前、食い逃げしたことあるか?
っていうから、あるに決まってんじゃん!って言ったわけよ」
「ふうん」
皆、冷静だった。
「そんでさあ、スーパー銭湯は入るか?って言うから一緒に入ったんだよ」
「金も無いのに?」
越後が聞いた。
「そう、ケンの野郎俺にケンカ売って来たんだと思って、負けるもんか!と思っちゃったのよ」
「それでスーパー銭湯入って、そのままでてきたの?」
「そう、そしたら、さっきスタジオ来る前にスーパー銭湯の店員が
あ!あいつだ!って俺のこと指差すからダッシュで江戸川まで逃げたんだよ」
「・・・・・」
大分重症だな、メンバーは思ったが、とりあえず無事だったんだから、と練習を開始した。
ところが、全然間違ったところで浩二がブレイクして止まったり、
皆と一小節ずれているのに気付かなかったり、という意味不明の行動を取った。
越後と優人は「ヤバイな」という目配せをした。
浩二は「あれえ~?」といった表情で悩んでいるようだった。
優人は演奏をまともに出来ない浩二を怒ろうとしたが、健に止められた。
「止めとけ、止めとけ、あいつ完全にテンパってる」
健は誰よりも薬物に詳しく、浩二のバッドな状況を分かっていた。
浩二はステューピッツのケンに覚醒剤を仕込まれていたのである。
もう、その日は練習にならなかった。
また、本番での演奏にも影響が出だした。
タンツリはまだ週に二回、ダローネでハコバンをこなしていた。
そして、二ステージ目、いつもの様にストーンズのカバーの曲を健が弾きだした。
普通に浩二もツツタツ・ツツタツ・と四ビートを刻み始めたのだが、
優人が歌い始めようとした瞬間、ツツタツ・ツツタツ・が遅くなり始めた。
ツツタツ・ツツタツ・ツツ・タツ・・ツ・・ツ・・タ・・ツ・・・・タ。
止まった!
こともあろうに本番中に浩二は下を向いてしまい、演奏は止まってしまった。
お客さんもマスターもビックリである。
優人は、とりあえず小さな声で健を責めた。
「健、浩二になんか飲ませたろ?」
「そんなことね~よ」
健は言ったが、何か薬を服用していることは、火を見るより明らかだった。
やはり休憩時間の間に、極めて少量ではあるが、
健が浩二に何か錠剤を飲ませたようであった。
浩二は薬の作用というより、その行為自体が頭から離れず、
考えすぎて演奏どころではなくなってしまったのだ。
その日は奥秀行もいた。
そのルートであった。
優人や亮子が思っていたより、健のジャンキー度は増していた。
健はただ単に面白がっていたようだったが、亮子にとっては大問題であった。
あるパパスでのライブの日、パパスの事務室に健は亮子に呼び出された。
「あんた、いい加減にしなさいよ!」
健の顔にパイプ椅子が飛んできた。
「何がだよ!」
手で椅子をよけた健も反論した。
パイプ椅子をよけた腕は痛かったに違いない。
「あんたのせいで、みんなが困ってるんだよ!自分でわかってないの!」
「俺、そんな悪いことしてる?」
健は全く悪気はなさそうだった。
「悪いに決まってんでしょ!」
「なんで?」
「どれだけ、気を付けろって注意してると思ってるのよ!あんた、そのうち捕まるわよ!」
「大丈夫だよ、俺、スニーカーにスカジャンだし、他のバンドなんか目の周りとか黒くメイクしてそっちの方がヤバいじゃん」
「そういう問題じゃないでしょ!他のバンドはああ見えても薬なんか実際にはやってないのよ!バンドのコンセプトなの!」
「そんなのロックでもなんでもね~じゃん」
健が反論すると、今度亮子は椅子を蹴った。
「理屈並べるんじゃないわよ!あんた私がどれだけ頑張ってきたと思ってんのよ!」
「そりゃ分かるけど、薬はあんまかんけーね~んじゃね~の?」
「おおありよ!薬のせいで浩二だっておかしくなってきちゃったじゃないの!
それに、レコード会社はジャンキーなんか相手にしてくれないの!」
「浩二がおかしくなってきたのは俺のせい?」
「そうでしょ!あんたが、ロクでもない連中と付き合って、薬もらってくるからでしょ!」
「もらったんじゃね~よ!ちゃんと買ったんですう」
亮子はまたパイプ椅子を投げた。
ガラガラとタンスが音を立てた。
「ふざけんじゃないわよ!とにかく、もうやめなさい!あんな連中とも付き合うんじゃないわよ!
もうあたしは手を引くからね!」
あんな連中とは、ザ・オクやステューピッツ、またシンシアのことだった。
「分かりましたよ、薬やんなきゃいいんでしょ」
健は吐き捨てるように言った。
「ほんとにいい加減にして!」
亮子は半分泣いていた。
そんな九四年だったが、浩二は確かにおかしくなり始め、頑張ってはいたが、
会話がかみ合わないこともしばしば起こるようになっていた。
葵はそれでも浩二と一緒に高円寺にいたが、女性同士の会話の中では愚痴が多くなっていた。
かくいう優人もワンマンの前からであったが、酒の量が増え、今ではほとんど毎日昼から酒漬けであった。
酒が抜けるとなんとか小銭を集めてワンカップの酒などを飲むようになっていた。
スタジオでも大声を出すと同時に、おならでなく水のようなうんこを漏らすようなことが多くあった。
飲み過ぎで、胃がおかしくなっていたのである。
スタジオKのアルバイトも、三月頃に遅刻の多さを理由にクビになった。
ムーンハイツの家賃は、由美が払っていた。
越後は真面目に職人のアルバイトをずっと続けており、カーさんとの仲も良かった。
そんな四人だったが、ライブはなんとか続けていた。
しかし、なんとなくバンドの一体感が欠けると、お客さんの反応は敏感で、
この頃にはまた動員数は二〇人くらいに減っていた。
そんな中、浩二が「棺の作法」という新興宗教に入ってしまった。
精神不安定な状態は浩二も自覚しており、渋谷で勧誘され、すがるように入信してしまったのである。
浩二はその「棺の作法」に入信してからは熱心に信仰し、
打ち上げでお客さんを勧誘したり、タンツリのメンバーにも勧めた。
優人、健、越後は宗教自体に対して否定的であったし、ましてや、そんな新興宗教などは以ての外であった。
浩二には辞めろ辞めろと何度も言ったが、浩二は続けた。
これは、バンドにとって大きな打撃であった。
お客さんは浩二のこの行為によってだんだんと遠のいていったのである。
その影響か、浩二は葵と別れてしまった。。
もう、バンドは末期的な状況であった。
四人の若者という棒で出来たピラミッド型の建造物はもろくも崩壊していた。
たかだか四本の棒で支えあっていたピラミッドには、大した中身もなく、
一本が崩れれば皆同じようにガラガラと崩れてしまうような代物だったのである。
遊び過ぎたせいであろうか、バンドは衰退するのも早かった。
亮子も頑張ってはいたが、もうあきらめてしまっていた。
アル中の優人に、シャブ中の健、宗教にはまってしまった浩二、
越後こそまともであったが、大人しめの越後にこんなメンバーをまとめられるはずも無かった。
「解散」の文字がメンバーそれぞれの頭によぎっていた。
優人はもっと違った形でのライブを欲するようになっていたし、
健はただ単にギターを弾きたいだけであった。
が、健は薬とも離れがたくなていたし、優人も酒から離れらなくなっていた。
健は完全にジャンキー仲間と付き合うようになり、それを見かねた順子とは別れてしまった。
物事が壊れていくときは、このように全てが簡単に壊れてしまうのかも知れない。
その後の話し合いにより、メンバーの決意は決まった。
今までの一体感はどこかへ飛んでいってしまったようだった。
「宇宙のリズム」は完全に狂ってしまったのである。
九四年の十月にパパスにて解散ライブを行い、バンド、タンジェリンツリーは解散した。
解散ライブにも二百人集まったが、もう一年前のパワーはなく、
こうもあっさりと終わってしまうのかと由美は思った。
双子やタイガー、チビデブスなどの熱心なファンは最後までライブを見にきてくれていた。
解散のライブでは涙を流して惜しんでくれたが、
メンバーにとってははっきり言って、どうでもいいライブであった。
たかだか一年で、こんな結果になってしまうとは誰も思っていなかった。
ちょうど、バブル経済がはじけだしたのもこの頃である。
タンツリ号は名義人であった浩二が引き取ったが、廃車にしてしまった。
おそらくバブルとともに成長し、バブルとともにはじけたバンドといっても過言ではないだろう。
優人は、酒におぼれ、由美のヒモと化していた。
十一月のある夜、優人はムーンハイツの一〇一号室にいた。
いつものように酔って横になっていた。
部屋には、ワンカップの空き瓶とテレビの明かりだけがあった。
由美が仕事を終えて帰ってきた。
「あんた、また飲んでんの?」
由美がしびれを切らしてこういった。
「ああ、悪いかよ、酒買ってきてくれ」
優人は答えた。
「冗談じゃないいよ、仕事くらいしろよ」
「うるせえ、仕事なんかしなくたっていいだろう」
いつもの喧嘩であったが、この日は違った。
「あんた、いつまでこの生活続けるつもり?」
由美は感情を抑えながらも言った。
「さあね、いつまでだろうね」
優人は畳の上に寝そべり、腕を枕にしてあおむけになった。
「もう出て行ってくんない?」
由美が切り出した。
「お前が出て行けよ」
優人はタバコに火を付けた。
「ふざけんじゃないよ!そのタバコだって誰の金で買ってんだよ!」
由美は声を荒げた。
「ちょっとくらい稼いで来いよ!こっちはあんたのおかげでイライラしっぱなしなんだよ!」
「うるせえな」
優人はゴロンと背を向けた。
「うるせえじゃねえんだよ!こっち向けよ!」
由美は優人のシャツを引っ張った。
「なんだ?この野郎!」
優人も我慢たまらず反撃した。
「だらだらだらだらしやがって!ちょっとくらい稼いで来いよ!」
「うるせえんだよ!お前が稼いできてんだから問題ね~だろが!」
「そういう問題じゃねえんだよ!少しぐらい働けっていってんだよ!このヒモが!」
由美はさらに強く優人のシャツを引っ張った。
「いてーな!離せよ!」
優人は由美の手を払った。
「ふざけんじゃねえよ!てめえ!酒ばっかり飲みやがって!」
由美は今度は優人の髪の毛を引っ張った。
「いてーな!なんだよ、この野郎!」
優人はまた由美の手を払い膝で立った。
「あんたねえ!バンドもなくなって、就職先もないんだろうが!どうするつもりなんだよ!」
「別にどうもこうもねえよ!またバンド頑張るんだよ!」
「そんなアテがどこにあんだよ!具体的に言ってみな!
タンツリだってお前のせいで解散したようなもんだろうが!何が世界制覇だ!」
「別に俺のせいじゃねえよ!みんなの方向性が違ったんだよ!」
優人は立ち上がって反論した。
「どうでもいいから仕事くらいしろよ!」
由美は怒鳴った。
「うるせえ!」
バチン!
平手ではあったが、優人は生まれて初めて女性を殴った。
「仕事仕事ってうるせえんだよ!」
「だいたいなあ!」
優人は堰を切ったように言った。
「イランに行きゃあ、女が働いて、男は昼間ブラブラしてる!
ライオンの世界だってメスが獲物を捕ってきてオスはなんにもしねえんだ!
必要な時だけ出てくんだよ!男はそれでいいんだ!」
「イランだかライオンだか知らないけどねえ、あんたの言ってることはここ日本ではヒモって言うんだよ!」
二人とも激情していた。
「うるせえこの野郎!大体この世の中は間違ってんだ!
仕事仕事って、そんなに仕事が大事か?もっと大切なものはないのか?
そんなに金が大事かよ?金なんか無くたってみんなで助け合えばいいだろ!
もともと間違ってんのは俺じゃねえ!この世の中が間違ってんだよ!」
「屁理屈ばっかり言うな!金が無きゃ酒だってタバコだって呑めねえんだよ!」
「うるせえ!バーカ!お前なんか、この間違った社会の中で歯車の一つになって死ね!
俺は、中学、高校、大学と出てサラリーマンになるって道が大嫌いなんだよ!」
「そんなの知ってんだよ!だいたいあんた高校出てないじゃない!」
「そうだよ!俺はなあ!その頃からこの世の中おかしいと思ってたんだよ!
こんな世の中おかしいだろ?お前、十割る三の答え知ってるか?」
「知らんわ!そんなもん!」
由美は売り言葉に買い言葉で答えた。
「アホ!教えてやるわ!三・三三三・・・て、ずーっと割り切れねえんだよ!
そんな小学生レベルの時点で答えのない学問を教えてるんだぞ!
それが学問か?それが教育か?
そんな単純な答えも出せない学問の上に俺達は暮らしてるんだ
お前おかしいと思わないのか?おかしいと思わないお前の方が俺はおかしいと思うぜ!」
優人は吐き顔を真っ赤にし、捨てるように言った。
「だからってあんただって、その「おかしい」学問の上で車に乗ったり電車に乗ったりしてるんでしょうが!」
「あ~そうだよ!確かに電気、ガス、水道だってな、昔の人達の知恵から俺達は今いい生活をしてるよ!
だけど、これが本当に正しい道か?もしかしたら、間違った方向に進んでるのかもしれないだろ?
このまま進歩し続けて、世界はどうなる?戦争だってなくらね~じゃね~か!
歴史だって百年や二百年前のことは本当だろうが、紀元前のことになったら想像の産物にしか過ぎない!
ある程度の資料とせいぜいX線かなんかで年代を調べるようなもんであとは、みんな想像の話じゃね~か!
法律だってそうだ!全部人間の作ったものだ!
なんで酒が良くてマリファナが良くない?
アル中で死んでる奴はたくさんいるのにマリファナで死んだなんて話聞いたこともない!
コカインやヘロインは別としてもな・・・
日本の高度成長期には「ヒロポン」っていう名前でシャブを売って働かせて、
成長したらご法度にしたことだって俺は知ってる
政治家が好きなようにコントロールしてるだけじゃね~か!
宗教だって、神様や仏様の話が出てくるが、実際見たやつなんて一人もいない!
それこそ、伝説に過ぎないだろ!聖書を本当の史実だとお前は思っているのか?
キリストは本当にセックス無しで生まれてきたのか?
仏様はほんとに生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったのか?
おかしいだろ!おかしいことだらけだろ?この世の中!
じゃあピラミッドは誰がなんのために造った?本当に墓か?本当に紀元前四千年前のものか?
全部、下等な今の人間が創り出した答えだ!
俺はそんなもの信用しない!
俺は人知を超えた経験をたくさんした!アメリカでもバリでも、ここ日本でもな!
馬鹿だのなんだの言う奴が大半だろうが、俺には違う世界が見えてならない!
俺は経験から言ってるんだ!馬鹿野郎!ふざけんじゃねえ!
こんな世の中まっぴらごめんだ!人間が作ったものなんか全て否定してやる!」
優人は興奮し、息は荒かった。
由美はしばらく黙っていた。
が、
「あんたには付き合いきれん」
と静かに言い、扉を開けムーンハイツを出て行った。
バタン!
大きな音の後に静けさだけが残った。
その晩、今度こそ優人と由美は別れた。
別れたというのは、恋人関係を解消したということである。
実際には、後日電話で、「お互いの将来を前向きにとらえて」の決断だったが、
実質は、この日が最後だった。
優人は独りぼっちになった。
もう廻りには誰もいない。
外は雨が降り出していた。
優人はキッチンにあった調理酒を飲んだ。
やたらと甘辛い、そのまま飲めるようなアルコールではなかった。
優人はそれでも飲んだ。
味など関係なかった。
雨は強くなり、ザアザアと窓を叩いた。
優人は正座をし、調理酒をラッパ飲みした。
ちくちょう!泣くもんか!
そう思うと涙が出てきた。
「泣くもんか!泣くもんか!」
気付くと大粒の涙が頬を伝い、優人はグーで畳を何度も殴っていた。
「全ては水の泡だ。夢は必ず叶うなんて歌がよくあるが、夢なんて叶いっこない。そんな歌は夢を叶えた奴らの特権だ!」
優人はそう思った。
この六年間頑張ってきたバンド活動も、優子との生活も終わった。
優人はそのうちに声を上げて泣いていた。
その声はうめき声に近かった。
しかし、誰を恨めるはずもなかった。
そのうちに「全ては自分の責任だ」そう思った。
もう、自分の居場所はこの世にないように思えた。
しばしの間、ひとしきり泣いた。
そうして泣き崩れ、酔って畳の上に寝ていると、はと気付いた。
「十割る三は・・・」
それは気付いたというよりも、優人の頭の中の引き出しがポーン!と音を立てて開いたような感覚であった。
「十割る三は三・三三三・・・じゃない」
「十分の三という立派な数字だ」
優人は自分を恥じた。
常識のある人ならばなんということもない答えであったが、
今の優人にとっては衝撃であった。
さっきまで由美にわめき散らしていたことの全てが否定されたように感じた。
皆、割り切れない中でも必死に頑張って生きている。
勝手な理屈を並べて威張って世界制覇などとおごっていた、自分の方がおかしいのではないか?
そう思った。
そう思うと何故か優人は可笑しくなった。
「は・は・はははははは・・・」
独りで酔って笑った。
雨がまた、ザアザアと窓を叩いた。
「ははははははは」
「ははははははは」
笑うと同時に力が抜け、優人は気絶するように畳の上で眠った。
優人は、ムーンハイツを引き払ったあと、幕張の実家へ戻っていた。
越後もムーンハイツを出て、どこかへ引っ越した様子であった。
浩二も健もみんなチリヂリになってしまった。
シンシアも連絡をよこさなくなった。今度は違うバンドにくっついて回って、あの調子で遊んでいるのかも知れない。
みんな行き先は分からなかった。
枕草子は事務所の意向により、「フレア」というバンド名に改名した。
そしてそれから「フレア」の快進撃が始まるのである。
三枚目のシングルがオリコン一位に輝くと、瞬く間にスターになった。
大久保を含めたメンバー全員がだ。
ラジオやテレビに出演し、それこそ、目の廻るような毎日であり、もうタンツリのメンバーなどとは遊べなくなっていた。
優人はその活躍を機から見ては、応援していた。
「あ~、あの時の電話のシングルがうまくいったんだな、そういやテレビでよく流れてたよ!大久保ちゃんよ!」
当時は自分達の方が人気があったのに。
だが、仕方の無いことだった。
才能云々よりも結局は結果論である。
もしくは大久保には才能があったのかも知れない。確かに歌いやすい、良い音楽だった。
優人は年末に、無期限でおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんの家は静岡県の山の中にあり、幼少のころから、夏休みにはいつもそこで過ごした。
夏にはいつも蝉の鳴き声がうるさかった記憶がある。
おばあちゃんは、母方の祖母であり、山の中の大きな家で一人で暮らしていた。
おばあちゃんも、八十を過ぎていたが、まだまだ元気で、孫達が来ると、たいそう良くもてなしてくれた。
まだ、優人は二十三であり、由美と別れてから間もなかったが、もう良しとしていた。
あの夜、気付いたことはあったが、まだまだ頑張ろうという気持ちであった。
また、違うメンバーを集めて頑張ればいい。
タンツリがなくなったとはいえ、なにもそこまで落ち込むことではない、と思っていた。
おばあちゃんはいつも優しかった。
「ゆうと、勤めは決まっているのかい?」
などと聞かれはしたが、
「うん、千葉に帰れば仕事があるから」
と答え、三ヶ月ほどおばあちゃんの家になにもせずにいた。
世の中のおばあちゃんという存在は、みんな優しいんだろうな、と優人は思った。
時々伯父さんに食事に連れて行ってもらったが、やはり、山には癒しの効果があるように感じてならなかった。
実際、優人は酒を減らし、何もせずに本を読んだり、好きなCDを聞いたりと、気分良く毎日をすごせたのである。
そんなある日、千葉の母からおばあちゃんの家に電話があった。
「ゆーと?結婚式の招待状みたいな手紙がきてるわよ」
「結婚式・・・?手紙開けて」
「いいの?読むわよ?」
「いいよ」
「ちょっと待ってよ・・・えっと・・・この度、私達二人は結婚することになりました。
つきましては、ささやかながらパーティを開きたいと思いますのでご返信ください越後雄介、和美、だって」
「越後?越後雄介?」
「そうよ、ここにかいてあるもの」
「ははは、越後雄介と和美?」
「そうよ、誰なのよ一体?出席と欠席があるわよ」
母は息子のバンドのメンバーの名前すら知らなかったのである。
「ははは、出席に丸して返信しておいて」
「それは良いけどあんたいつまで、そっちにいるつもり?早く帰ってきて仕事しなさい」
「はいよ、分かってますよ」
優人は電話を切った。
越後が結婚かあ・・・
うまくやりおったな。
よりによって越後が一番早く結婚とは思いもよらなかった。
が、優人は嬉しかった。
「ははは、結婚式かあ」
優人は珍しくおばあちゃんの家を出てバスを乗り継ぎ、三保の松原へ向かった。
芝生の丘で横になった。
初春だったが、心が温かかった。
静かな春の、まだ少し冷たい風が優人の頬をなでた。
緑に萌える葉っぱが、サラサラと音を立てた。
しばらく、数年前のことを思い起こした。
アメリカの貧乏旅行、バリ島の金持ち旅行、ワンマンライブ、ジョニーの死。
そして由美のこと。
いろんなことが頭をよぎった。
健と浩二、そしてシンシアも来るんだろうか?
解散後はお互い連絡を取っていなかった。
「また、みんなに会えるのかな」
そう思うとまた嬉しくなった。
風に吹かれて目をつぶると、当時の光景がよみがえってきた。
「ふふふ、未来はこれからさ」
つぶやくと、優人は眠りに堕ちた。
その寝顔は笑っているように見えた。
時は流れ二〇〇九年五月九日午後、由美は数人の昔からの友人から携帯電話に連絡をもらい、青山にいた。
忌野清志郎の葬儀である。
前日までの雨は嘘のように上がって、初夏の太陽が眩しかった。
長い長い、どこまでも続く行列の中にいた。
一緒に来ていたのはタンツリのスタッフをやっていた頃からの友人で、
よくRCサクセションを一緒に見に行った仲間だった。
葵やカーさんも順子もいた。
全員女性だった。
行列に合流するまでには、三人の友人にも会った。
全く音信不通であったタンツリをよく見にきていた女の子二人組にばったりと会ったときに
「いやだなあ、こんなところで会って」
と言われたので、
「何言ってんのよ、キヨシローが呼んでくれたんじゃない」
と強気に言い返すと
「そうだよね・・・」
と女の子は涙ながらに答えた。
ライブハウスの店長やよくタイバンをしたバンド仲間にも偶然会った。
長い行列は三時間程動かず、並んでいる間は友人の女同士の会話でいっぱいだった。
皆、母親になっており、話題はもっぱら子供の事で、母親ならではの会話だったので、由美はあまり喋らなかった。
喋らずに平静を装ったが、キヨシローを思い出すと涙が出た。
優人やタンツリとの生活ことや、今までのことを思い返して。
「よく、RCを見に行ったな。あのバカ達と・・・」
どうしているのだろうか、気になった。
結局一九九九年には何も起こらなかった。
タンツリのメンバーとは連絡が取れなかったが、みな、子供を産み、母になった友達からの情報でその日に分かった。
何年かに数回であったが、彼らと絶縁した訳ではなかった。
ガラスホームのメンバーやタイガーやチビデブス、またタンツリのメンバー自身の結婚式があれば、
タンツリとして演奏をすることもあったし、しばらくの間は連絡をとれた。
忘れていたような懐かしいファンなどともインターネットを通して再会することが出来る時代だ。
皆、いろいろ生活に追われ大変そうであったが、元気であった。
母達の話しによると、健は解散後すぐに逮捕されたが、一年間服役してから結婚し、小学生の男の子供が二人いて、
大工かなにかの仕事をして頑張っているそうだ。
もう、薬は卒業したようだった。
越後は相変わらずベーシストとして色々なバンドで精力的に活動し、タンツリの頃から続けていた職人として、
カーさんと仲むつまじく約二十年黙々と日々を過ごしているという。
浩二も結婚し小学生の長男と幼稚園の長女、二人の子供に恵まれていた。
家業の不動産屋を継いでいるが、行動があまりにもおかしく五年程前に家族と精神病院に連れられた。
浩二は不動産屋の、安いが確実な給料と、国からの障害者年金を受けて生活しているそうだ。
結局、薬物に手を染めると命を落とすか、警察か病院のお世話になるかしかないのである。
当時の他のジャンキー達も皆捕まっては出所して、の繰り返しという状況らしかった。
優人に関しての噂は、いろいろと聞いていたが、解散後いくつかのバンドをやっていたという程度で、皆詳しく知らなかった。
多分死んではいないのだろう。
死んだら死んだで、誰かに連絡が入るはずだ。
もしかしたら、アメリカかどこかで数学の勉強でもしているのかも知れない。
それとも、アル中のまま、ホームレスのような生活をしているのかも知れない。
いろいろな想像が由美の頭を巡った。
あの馬鹿の言うように、この世の中は間違っているのかも知れない。
五十年後、いや一万年後はどうなっているのだろう?
おそらく戦争は無くなっていないだろう。
無くなるのならば、とうの昔に無くなっているはずだ。
由美は無言でいろいろなことを考えた。
キヨシローが「愛し合ってるかい?」と言い続けた意味が少し分かった。
二十年前はセクシャルな意味でしか捉えていなかったが、そうではない。
六十歳近くなってもキヨシローがそう叫んでいたのは、本当の意味で愛し合っていて欲しかったのだ。
愛し合い、戦争の無い世の中を欲していたのだ。
清志郎を通じて知り合った仲間と一緒に青山で並んでいた。
歌声や衣装、派手なメイクを思い出すと涙が出た。
癌と闘っていることは知っていたが、一年前に大復活祭と称して武道館ライブを行ったキヨシローは、まだ大丈夫だろう、
と勝手に思っていた。
ミックもキースもまだ生きているというのに。
中学生の頃から二十年以上憧れていた存在。
由美にとっても、あまりに大きな存在だった。
また涙が出た。
いろいろなことを日差しの中考えていると、
「清志郎さんにメッセージを書いてください」
とスタッフの人が紙を持ってきてくれた。
住所、名前、電話番号、裏に「ありがとうキヨシロー」とだけ書いた。
「由美、進んだよ」
葵が声をかけてきた。
「ああ、うん」
由美は涙を隠し、強がって進んだ。
少しずつ、少しずつ、進んだ。
名前を書いた紙をスタッフの人に渡すと、一枚の写真をくれた。
グレーのスーツを着た、いいお父さんの素顔の清志朗だった。
その写真を見て由美はまた泣いた。
昼前に並び、約四時間、葬儀所の中に入れた。
大きなウサギの人形が風に揺れ、キヨシローの歌が流れている。
涙がとめどなく流れた。
友人達も、皆泣いていた。
ハンカチを持ってきて良かった。
今日は今までで一番悲しい日かもしれない、と思った。
ああ、こんないい歌もあったな、懐かしい曲を聴いて思う。
その昔・・・といっても二十年程度前のことか。
よく優人や浩二とライブを楽しんだな。
今日、もしかすると彼らもならんでいるのかもしれない。
このニュースは知っているのだろうか?
フレアの活躍のことは知っているのだろうか?
彼らはもう日本のトップクラスのバンドとして今も活躍している。
本当に、生きていくのは辛い。
辛いことばかりでもないが、どちらの比率が多いかと聞かれれば、辛いことの方が多い。
今日に限れば、特にそうだ。
また、涙が出た。
葬儀所の中でも一時間ほど並び、献花所に入ることができた。
薔薇の花を一本もらい、ゆかりの品々の前に立った。
献花台にその薔薇を置いて手を合わせた。
「ありがとう、ありがとう・・・」
と心の中で何度も言い。
献花所を出ると、不思議と少しスッキリした気分になった。
もう夕方の、風にそよぐ五月の葉っぱがなんだか爽やかである。
友人もみな泣き止んでいた。
由美は空を見上げた。
いつもと変わらぬ、初夏の夕方の晴れた空が広がっていた。
いつまでもいつまでも永遠に、五十年後も一万年後も、この、今日のようなこの空が広がっていますように。
終