第五話)晴れ時々曇り
アメリカ、日本国内での活躍も浸透してきたロックバンド、タンジェリンツリー。
しかし、彼らのアホさ加減に、その彼女達も黙ってはいなかった。
さて、この先彼らは何処へ行こうとするのか・・・
5
カウントダウンライブをワッチとパパスで終えた四人とその彼女らは初日の出を見に船橋の港へ向った。
ワッチに九時頃出演し、その足でパパスへと向かい、ちょうど十二時頃に、まさしくカウントダウンを行った。
そのくらい、老舗のパパスでも有望視されるバンドになっていたのである。
電車で千葉から渋谷まで付いてくるファンもいた。
「あれ?さっき千葉にいなかったっけ?」
メンバーが聞くと「電車できたわよ」ファンが答えた「すごいねえ」
だいぶ人気者になっていた。
そしてカウントダウンライブを終え、浦安の海の辺りにメンバー全員とその彼女たちは車を停めた。
東から昇る太陽はこれからの活躍を象徴するようだった。
相変わらず、パパスやダローネやワッチにおいてライブを続けた四人だが、
特にワッチでは、遠藤さん企画の「百一曲ライブ」や、「タンツリスリーデイズ」といった、
無謀な企画も試み、なんとか消化してきた。
「タンツリスリーデイズ」はその名のとおり、三日間、ワッチにおいて、彼らと交友のあるバンドを呼んだり、
ツアーバンドも入れたりしてライブを行う、という遠藤さんの企画だった。
三日間ライブをやることくらい、四人にとってどうということもなかったが、キチンとお客さんを呼んでこなしたことは、
自身にもなったし、楽しかった。
この頃はすでに、バンドの周りもにぎやかだったし、枕草子やザ・オク、ジャングルブギも参加した。
そして最後の日には「ビールかけ」をやった。
「ビールかけ」なんて想いもよらない発想だったが、遠藤さんが用意してくれた数十ケースの缶ビールを目の前にして、
血気盛んな若者達はワッチの店内で自然発生的にビールをかけあいだしたのである。
おそらく野球選手でもなければ体験できないであろうこのパーティは物凄く盛り上がり、男女問わずにビールをかけあった。
それはそれは楽しく、こんな贅沢なパーティはない。男は裸に、女は洋服をビショビショにしてビールをかけたり逃げたりした。
何も考えなくて良い、サイコーの気分であった。
「野球選手っていいな~」
「優勝すればこんなことできんだもんな~」
こんな風に贅沢で気ままな日々が過ぎていった。
優人にとっては珍しく、スタジオKでのアルバイトは長く続いた。
それもそのはずで、スタジオに寝袋を使って寝泊りすることが出来たので、遅刻や欠勤ということはあまり無かったからである。
由美も、どうせスタジオに寝ているのだろう、といった様子であまり気にしなかった。
ある暇な日、RCサクセションの「山のふもとで犬と暮らしている」という曲をスタジオKで聞いていた時、
優人はまた不思議な感覚に陥った。
歌詞の内容からか、優人の頭の中にふっと一枚の写真のような映像が浮かんだ。
古いお城のようなレンガで出来た部屋の中で、おばあちゃんが暖炉に当たりロッキングチェアに揺られている。
その横には犬が寝ていた。
その姿を優人は斜め上から眺めている。
シラフだったが、そんな映像が頭の中にはっきりと浮かんだ。
おばあちゃんは由美の老後に見えた。
見えたというよりも感じた。
「なんだろう」と優人は思ったが、きっとなんでもない。
眠かったせいかも知れない。
夢を見たような感覚であった。
しかしはっきりとしたイメージで、優人は翌日色鉛筆でその映像をスケッチに描きとめた。
数日後ワッチでのライブの日、ライブ告知の広告と一緒に、今度は彼女連中が企画した
「順子と行くバリ島旅行!参加者募集中!」
と銘打ったチラシが優人の手に届いた。
「なんじゃこりゃ?」
驚いて由美に聞くと、順子、葵、カーさん、優子が主体となり、
インドネシアのバリ島へ行くという企画らしい。
「お前らなんでそんな企画立てたんだよ?」
優人が由美に聞くと
「お前らばっか海外に行っててずるいじゃん。私達だって働いてお金も貯まったから海外くらい行ってもいいでしょうよ!」
という意見で、順子が言い出し、ファミリーである四人の女性陣が決めたのである。
実は去年からそんな計画を立てていたらしい。
むむう、そうであったのか・・・
まさにバブル景気であった。
しかしそのチラシに反響したものは多く、
枕草子の大久保、それにベーシストの高木、といった連中が既に決意表明しており、
タンツリのメンバーも合わせると十人という大所帯になっていた。
剛やカズは金が無く、今回は行かないようだった。
健や浩二は既に知っていたらしく、旅行の為の準備をしていたが、
優人と越後には寝耳に水であった。
ムーンハイツに住むカーさんと優子は互いに打ち合わせをし、優人と越後には伝えないようにしていたのである。
「どうする?」
二人は相談したが、結局流れで行くことになってしまった。
またも分割ローンである。
せっかく一回目のアメリカ旅行の代金が終わったというのに。
「ったく初めっから相談しろよな~」
優人と越後はグチグチと言ったが、それも想定しての、由美やカーさんの悪戯であった。
由美とカーさんは優人と越後が来ないと言うなら女性同士で楽しむのも良い、
と考えていたのである。
しかし、結局今回もタンツリのメンバー全員が参加することになり、
ある意味ではガッカリした面もあったが、
ライブ目的やシンシアの話ではなく、自ら企画の、ただの南国へのバケーションである。
しかもなるべく大勢でワイワイと行きたいという旅行計画であったので、
今回の旅はみんなで行くことが決まってからは楽しみで仕方なかった。
しかし、健と浩二はバリでも演奏するプランを二人だけでもくろんでいた。
亮子も特に反対せず、ただの海外旅行と捕らえ、OKした。
そのツアーは三月に出発した。
一週間組と二週間組がおり、健と浩二のカップルは二週間、優人と越後のカップルは
一週間、また大久保と高木も一週間の予定であった。
当時の飛行機にバリへの直行便はなく、
コンチネンタル航空で行くその旅はサイパンで乗り換え、それからバリ島へ向うという
決して楽な旅ではなかった。
機内で完全に酔っ払った優人は、日本時間の朝五時にサイパンで起こされると激怒した。
「こっちは眠ってんだ!ふざけんじゃねえ!」
叫んではみたものの、降りざるを得ず、サイパンの空港で二時間待った。
「なんで二時間も待たされるんだよ!」
優人は暴言の限りを吐いたが、由美に
「そんなことで怒ったって仕方ないでしょ!」
と怒られた。
優人は苦虫を噛んだような表情で、サイパンのロビーにて眠ろうとしたが、うまく眠れなかった。
結局、バリ島に現地時間の昼頃着くと、今度は優人は眠気も忘れ、ノリノリであった。
「ウォ~南国じゃん南国!」
発起人である順子や由美達女性人もキャーキャーと騒いでいた。
皆、お気に入りの水着を事前に用意していたようだ。
バリは当時、三階建て以上の建築物は許可されておらず、
まだ、日本の都会とは違う、しかし日本の大自然が残されているような島であった。
一行がバスで案内され「ローズ」というホテルに着くと、部屋割りがされた。
二人ずつの部屋だったのでもちろん、彼氏、彼女という割り振りになったが、
男二人で来ていた大久保と高木は一緒にならざるを得なかった。
「ローズ」はクタビーチの近くにあるまあまあのホテルで、敷地内に中庭とプールがあり、
バルコニーは横一列に全部の部屋がつながっていた。
カップル二人の旅行ならば少し困ったものだが、十人という大所帯にとっては
持って来いの環境であった。
なにしろバルコニーを行きかい、お互いの部屋へ侵入できるのである。
勿論、彼氏、彼女の関係である部屋にはある程度わきまえていたが、夜には星を眺め、
皆を呼び出すことができ、とても幸せだった。
部屋の中にはシングルベッドが二つあり、トイレも浴室も付いていたが、
シャワーのお湯の出が悪いことだけは難点であった。
まず一行は別行動をとった。
ローズの前は観光客用の繁華街であり、オーストラリア人と見受けられる白人や
日本人といった観光客が強い日差しの下、大勢歩いていた。
あるものはショッピングに行き、あるものはいきなり海へ向った。
優人と由美はまず食事に出かけた。
バリの食べ物は日本人に合うと言われていたので、とりあえずホテルの目の前のレストランに向った。
そこで、ナシゴレンやエビをたくさん食い、ビールを飲んでデザートまで食べた。
期待していたほどの味では無かったが、充分に満足し、お会計を済ますと約二万ルピーということであった。
当時のレートで考えると、一万円で十六万ルピーほどであったので二千円に満たない。
優人はもの凄い物価の安さに驚いた。
町行く現地の人々は五百ルピーでナシゴレンを食べている。
ということは、五百円で昼飯を食っている日本人の感覚と変わらず、
こちらで生活するには一ヶ月に二万円もあれば充分ということになる。
約三十二万円に値するのだ。
こりゃあ王様だ。
優人と由美は感激した。
「すげ~安いじゃん!由美、計算してみろよ!」
翌日優人と由美は海へ行った。
想像したよりも綺麗ではない海が眼前に広がっていたが、
ビーチで寝転んでいると、後ろに少年が座っている。
その少年を呼びつけ「ビール」というと「二千ルピーよこせ」というので、気前良く出した。
二千ルピーと言ったって百円とちょっとである。
しかし、彼らには二千円と同じ価値があるのである。
少年は喜んでビールを買ってきた。
あまり人のいないビーチでビールを飲み、ガラムを吸った。
なんの問題もない、至上の楽園である。
一万円札が五枚もあれば、至極上等の生活ができる。
雨季とはいっても、雨は降らないし、最高の常夏の国であった。
しかし、困ったことに海で寝ていても、ローズの近くを歩いていても、物売りがやってくる。
気を許して海辺で寝た日には、勝手に髪の毛を三つ編みにされたり、
腕や足にミサンガのようなものが巻きつけられており、
「五千ルピー」とせがまれるのである。
ローズに帰る途中でも、「いらないよ」と言っても
「アナタ、バカヤロ、コノヤロ」
「ワタシビンボー、アナタカネモチネ」
と日本語でずうっと付いてくるのである。
仕方がないから、と銀でできた指輪や大量のミサンガを五千ルピーで買うと、
由美に怒られた。
「別にいいじゃね~かよ、実際俺達にとってはそんな大金じゃね~し」
「そうやって甘やかしちゃいけないのよ!みんな図に乗るでしょ!」
まあ、確かに困るのは後から来る観光客かもしれなかった。
十人はローズにて楽しい夜を過ごした。
遊びに行って、帰ってきては敷地内のプールに入り、ビールやワインも飲み放題に近かった。
やんちゃな大久保や無口な高木も一緒になって遊んだ。
各部屋につながったバルコニーで宇宙を眺め、日本から持ち込んだカセットデッキと
カセットテープで音楽を流し、夜な夜な遊んだ。
健はマリファナはもちろん、マジック・マッシュルームをどこからか手に入れ、
それを順子が玉子焼きにして皆で食ったりした。
優人はその夜自分の部屋で現地のビールを飲んでいたが、由美が戻って来ないと、
おかしいな、と思い、バルコニーを伝って健の部屋をノックした。
すると、由美がバンッと音を立てて健の部屋から出てきた。
表情は怯えきっていた。
「どうした?」
優人が聞くと、由美は無言で優人に寄りかかってきた。
「みんなでマリファナを吸っていたら・・・」
「どうなった?」
「私だけ浮き上がって・・・」
なにしろ怯えていたので、優人は由美をお姫様だっこした。
部屋に連れて帰り、ベッドに寝かせたが、由美はずっとライチを食べていた。
「お腹いっぱいだけど止まらないの・・・」
由美は完全にマリファナに酔っていた。
とりあえず、由美を寝かし、優人も横に寝た。
なんとなく、寝づらい夜だったが、由美が眠りに就いたのを確認すると、優人も自然に眠った。
次の日の朝
「お前、ゆうべのこと覚えてるか?」
と優人がきくと、
「覚えてるよ・・・」
と由美はまだ不安げに答えた。
「みんなでマリファナを吸っていたんだけど、急に私だけが宙に浮いて・・・」
「それで怖くなってバルコニーに出てきたんだろ?」
そこまでは分かっていた。
「で、俺にお姫様だっこされたのとか覚えてる?」
「うん、でもね、この部屋に入ってきて正面の白い壁に暖炉があるように見えたんだけど、怖くて言えなかった」
「暖炉・・・?」
あの、スタジオKで見た、優人の幻影を由美も見たのだろうか?
もちろん、あの時の不可解な幻影は誰にも伝えていなかったし、由美がそれを知っているはずがなかった。
それに、この暖かい島に暖炉などあるはずがない。
なぜ、由美は暖炉なんて物を見て、それを優人に伝えたのだろうか?
優人は訳が分からなくなった。
きっと、前世に違いない。
前の世で、優人と由美は生涯を共にし、どこかのお城のようなレンガでできた寒い部屋で暮らし、
優人の方が先に死んで、ひとりぼっちでいる由美をあの世から見ていたに違いない。
そう思った。
でなければ、どうして暖炉なんて言葉が出てくるんだ?
神の島と言われている、バリ島ならではのイタズラか。ただの偶然か?
それとも、優人の意識が由美に入り込んだのか。
どちらにしても優人が恐ろしくなるほどの発言であった。
優人は余計にオカルトチックな世界に惹かれた。
前世や現世、輪廻転生といった世界はあるに違いない、と確信するようになった。
その日も快晴で、街は賑わっていた。
一行は純銀のお店に買い物に行こうという予定にしていた。
純銀のお店とは、その名の通り、純銀のアクセサリーがたくさん置いてあるお店で、
日本で買うよりはずっと安いとのことであった。
現地で知り合った運転手二人に健が一万ルピーずつ渡すと、運転手は喜んで車二台を使って
バリ島全体を案内してくれた。
純銀のお店までの道のりは思ったより遠く、行く途中にはお葬式の列がいたり、
スコールに見舞われたりした。
バリ島でのお葬式は、皆それぞれがピンクや黄色のカラフルな衣装をまとい、
静かながらも、厳かに歩いて行列を作っていた。
笑顔ではなかったが、車の中からでは誰のお葬式かも分からず、
どんな意味合いを持っているのか分からなかった。
ただ、日本とは違い、皆カラフルな洋服を着ている、という点だけが際立って見えた。
そうして、信号待ちしている間にはスコールに見舞われた。
高木は非常に無口な大男で、笑う時もたいがい「フッ」という言葉しか発しなかったし、
ワーワーキャーキャー騒ぐタイプのタンツリ四人とは全く違う性格だった。
しかし、いたずらは大好きな人間で、パワーハウスの前にうんこを置いたのは高木ではないか、という疑惑があり、
問い質したことがあるが、本人も「フッ」と低い声で答えるだけで否定しなかった。
前々から高木はスコールが見たいと公言しており、
何故だかは知らぬが、スコールを待ち望んでいた。
そんな中スコールが降った。
車の屋根を物凄い雨がザーザーと叩いた。
外は明るかったが、雨は確実に降っていた。
優人達は
「ワーワースコールだー!」
と大喜びしていたが、前々からスコールを見たいと言っていた
後部座席に座っている高木に優人は目を向けた。
高木の顔はニヤニヤし、言葉こそ発していなかったが、足はヒザとヒザをパタンパタンとぶつけて、
たいそう喜んでいるようだった。
優人は、高木って嬉しいときにはヒザを動かすんだ、とひそかに思った。
そうこうして純銀の店に着くと、中に案内された。
運転手は店員からお礼の金を貰っているようだった。
店の中はとても品が良く、静かな森の中にポツンと佇んでいる綺麗なお店であった。
店員の女性も綺麗な格好をしており、受け答えも穏やかであった。
指輪やネックレス、オブジェのようなものが整然と並んでおり、
値段もルピーなので、計算すれば、たいして高くはなかった。
しばし、店内をうろうろし、優人は気に入った模様の太い指輪を三個ほど二万五千ルピーで買った。
優人は指輪をはめると少し大人になったような気分になり、嬉しかった。
皆も思い思いに買い物をし、純銀のお店を出た。
お店を出ると、運転手はウルワツ寺院という所に車を走らせた。
小高い丘の上に立つその寺院はいくつもの石を積み上げてできており、
ここからは階段で、徒歩でどんどん上へと登らされた。
まだ、皆若く体力があったので苦には感じなかったが、お年寄りには大変だろうな、
と優人は思いながら登った。
てっぺんに着くとたくさんのサルがおり、優人達の持っていたタバコやらを取りに襲撃してきた。
凶暴なサルで、まったく人間のいう事など聞かない。
サルにとってタバコなど必要なのだろうか?
疑問が残ったが、サルが欲しがるので仕方なかった。
てっぺんに登りおのおの記念写真等を撮り、小一時間過ごすと、カーさんが具合が悪いと言い出し、
一行は降りることにした。
カーさんはアシッドか何かを食っていたようだった。
優人は、なんだかバリ島の神様に怒られたような気がした。
その後キンタマーニ高原などを走り、その日を終えた。
「キンタマーニだって、変な名前!」
優人と浩二らはけらけらと笑い、北野武が流行らせたコマネチのポーズをとったりして笑っていた。
夜、優人と由美は海へ行った。
波打ち際で、月を眺めながら横になると、本当に幸せだった。
なんの問題もなかったし、バンドも順調であったので、将来も明るく思えた。
「このままで、いいかな」
優人はバリの満点の星を見ながらそう思った。
アメリカから見る星空とはまた違ったが、単純に綺麗だった。
「綺麗だな」
「うん」
「お前じゃないぞ」
「うるせ~、わかってる」
その夜も由美と一緒にローズへ帰り、プールに入って眠った。
プールで優人と由美は服のまま入り、キスをした。
「結婚するか?」
優人が聞くと
「うん」と由美は言葉には出さなかったがしおらしくうなずいた。
もちろん勢いにまかせてのセリフだったが、本当にそんな気分で、
明日ここで結婚式を挙げてもいい、という気持ちだった。
同棲生活を過ごし、浮気を何度もしたが、今や優人にとって由美はかけがえのない存在になっていたし、
由美も、アホだがバンドを一生懸命頑張っている優人を愛していた。
二人にとって、少し甘酸っぱさを通り過ぎた、最高の日であった。
次の日は皆で海へ行こうということになり、ローズのロビーで集合し、海へ向った。
海までは約十分ほどかかり、道中には砂利道があった。
皆手をつないだり、楽しく会話をして海へと進んでいたのだが、
その砂利道で、最悪なことに、浩二が前歯の差し歯を落とした、というのである。
砂利はちょうど歯くらいの大きさの石ころで、どこにあるのか全く見当が付かない。
歯探しの為、皆足止めを食らい、総勢十人で歯を探した。
十人が地面をうろうろしている様を見て、現地の人達も何をしているのか聞いてきた。
「歯がない」と浩二が前歯を指して言うと、「オー!ギーギー」と言った。
現地の言葉で、歯は「ギーギー」というらしいのだ。
現地の人も理解したようで、「ギーギー、ギーギー」と言いながら一緒に歯を探してくれた。
「これじゃどこにあるのか全く分からないよ!」
「浩二、どの辺で落としたのか覚えてないの?」
などと、文句を言いながら小一時間程砂利道を根気良く探すと、
大久保が
「あった!」
と叫んだ。
みんなが「おうおう」「ほんとに歯かあ~?」などと言って浩二の周りに集まった。
浩二は、その歯と思われる物体を手にとってしばし見つめ、口へ運んだ。
十人全員が見守る緊張の一瞬である。
スポ。
歯が入った。
「ウォ~やったあ~、大久保ありがとう!」
浩二はと一行は大喜びし拍手が一斉に起こったが、健は「まったく人騒がせな」と少し怒っていた。
健が一緒に探す、という行為そのものが珍しかったのだが。
その後も浩二は何度も前歯を落とすのだが、とにかくあって良かった、と皆海へ向った。
こういった珍事件も優人は歌詞に取り入れたのである。
海に着くと、ギャーギャー騒いで遊んだ。
十人で異国の地で海水浴をすれば、それはそれは楽しいであろう。
優人はその日、みんなと一緒に海で遊んでいたが、波打ち際を走って飛び込もうと思い
陸上から海へと突進したが、足の裏に鋭い痛みを感じた。
「いてっ」
足の裏を見ると、血がでている。
ガラスか何かで切ったようだった。
優人は痛がりながら浜に上がると、たまたま近くにいた葵が
「どうしたの?」
と優人の血を見ながら驚いて言った。
「なんかで切ったみたい。貝かなあ」
「大丈夫?ちょっと見せて」
と心配そうに言うと、葵はポケットティッシュで血を拭いてくれた。
由美は沖でワイワイ騒いでいた。
優人は葵の優しさ、というよりも女性の優しさを久しぶりに感じた。
「大丈夫だよ、たいした傷じゃないじゃん」
「バイキンが入るから」
と言って小さなバッグからバンソウコウを取り出し、傷口に張ってくれた。
「いつもそれ持ってるの?」
優人はとても不思議に思った。
「女はいろいろ必要なのよ」
葵が言うと、優人は何も言えなくなった。
男と女はこうやって支えあっていくものかも知れない、と葵の介抱に何故か深く感銘した。
出血が止まるのを待って海に入ると、優人は昨日買った銀の指輪を全部海で失くしてしまった。
「指輪がない!」
と叫んだがさすがに海に落としてしまっては、もう探しようがない。
優人は仕方なくあきらめた。
純銀の指輪と二万五千ルピーは、一夜にして消えてしまった。
まるで花火のように。
夕方まで遊び、ローズに戻った。
優人と由美はシャワーを浴び近くのレストランで夕食をとり、優人は指輪をなくしたことや、
葵の介抱について話した。
「あたしじゃ悪いわけ?」
「そうじゃないけどさ、なんか、モノとかお金なんて、はかないし、
優しさっつ~か、いたわりあうことの方が大切なことだと思うんだよな」
優人はそう言ってビールを飲んだ。
「ったく酒ばっか飲んでるくせにエラソーなこと言うな」
「それに、お前、私をいたわってんのかよ?」
由美は呆れ顔で言った。
「まあ・・」
そう言われると・・・優人は言葉に困った。
そうして食事を終え、ホテルに戻りシャワーを浴びバルコニーに出た。
皆がいた。
いつものようにラジカセで好きな音楽を聞いて、歌を歌ったりしていた。
健に聞くと、バリコーヒーという幻覚作用のあるコーヒーがあって、
それをついさっき健と順子と浩二と葵の四人で飲んだのだが、何も作用は現れないということだった。
そして翌朝、優人はベッドに横になっていたが、なにか気配を感じ、目を覚ますと、
優人のベッドの足元に、浩二がボーっとあさっての方を見つめて座っている。
「なんだよ!邪魔だな!勝手に入ってきて何やってんだよ」
優人は怒ったが、浩二はボーっとしたまま動かない。
「何してんの?」
優人はしびれを切らして再び浩二に言うと、
「な~んか変なんだよな~、みんなどっかに行っちゃうんだよ」
「何言ってんだよ、いいから早く出て行ってくれよ」
優人が怒って言うと、浩二はゆっくりと立ち上がり、無言で入口のドアから出て行った。
由美も隣のベッドでまだ寝ていたが、その会話を聞き、のそのそと起きた。
「どうしたの?」
と寝ぼけまなこで聞いた。
「浩二が入ってきて俺のベッドで座ってた」
「なんで?」
「分からん」
恐るべしバリコーヒーの作用であった。
バリコーヒーは一日寝た浩二を襲ったのである。
浩二は、帰国後皆に変だった、変だったと言われ続けたので、
説明するのが面倒臭いという理由で、文章を書いた。
以下が、冒頭に出てきた、浩二の文章である。
(みんなでバリ島に行くことになりました。
バリのホテルに着いた、何日目だったかな?
夜、ホテルの部屋に、そのホテルの従業員が半袖でやってきた。
なにやら、なにやら、だ!
彼は含み笑いを浮かべ、コーヒーの粉を売りに来た。
「これはただのコーヒーではない、飲むと楽しくなる」
不思議なコーヒーらしいのだ。
我々もまんざらバンドマンなので捨ててはおけない、持ちかける話なのである。
「小さじで一杯を溶かし、飲むのがよかろう」
ふむふむ。
我々はそのいかがわしいコーヒーを飲んでみることにした。
言われた通り、小さじ分で飲んでみた。
期待してその効用を待ったが、たいして何も起きないので、量が段々と増え、
めんどくさいのでドッサリと飲んでしまった。
何時間かしたのか、私達はバルコニーで自作の歌を歌っていた。
その頃私にはある兆候がうかがい出していた・・・
バリコーヒーの効用第一段階「夜空に大群のUFO現る!」である。
私たちは、くだらぬ歌を歌っては大笑いしていた。
ひとしきりはしゃぐと、私は夜空を見上げてみる。
星達がバリの夜空に輝いている。
夏の夜である。
「ああ、暑いな」
ふ、と気がつく。
私はおかしいぞ!と思った。
その夜空に輝く星達が小刻みに揺れている。
ん!かなり細かく小刻みに揺れている
「なんだ?」
私には、なにやらその星達が飛来しているように見えたのだ。
酒に酔っていたなら「ああ、酔っている」で済んだのだが、そこはバリコーヒー。
どんどんと思い込みにはまり込む。
いや、まさしくそれは現実に起きている!のである。
「UFOだ!星に見せかけてこんなにもUFOが地球の上に待機していたのか!」
「知らなかった!そうか!そうだったのか!こんなにたくさん!」
青天のヘキレキ。
まるで、ガリレオ・ガリレイが地球の自転に気づいた様に、私も気が付いてしまったのだ!
私は驚愕していた。
「そーだったのか!そーだったのか!」
これを誰かに伝えなければ、と強くユートに強く訴えると、
「また、何をバカなことを」と、とりあってもらえない。
なぜだ!なぜ気が付かないんだ!本当なのに!
「気付いてくれ!」と地球の明日を本気で心配したのであった。
しかし、このUFO登場はバリコーヒーの効用の序曲に過ぎなかったのである。
翌日の朝には友人の顔がテーブルに現れる現象が起きるのである。
バリーコーヒー効用第二段階目「朝食に現る大久保くんの顔」である。
翌日、爽やかなバリの空には太陽が輝き、UFOの大群は消えていた。
ホテルの屋外にある、テラスで食事である。
爽やかな朝に、爽やかな昼食。
メニューはフルーツ中心で、ブドウ、バナナ、オレンジジュース等がテーブルに並んでいた。
なにもなかったかのように食事を取っていた。
今日何をして遊ぼうかと、みんなで話をしている。
「海に行くのもいいね、ショッピングなんてどお?」
私はフレッシュなブドウに手をのばした。
するとその時、目が合ってしまった。
今回の旅行に一緒に来ている大久保くんと目が合ったのだ。
ただ、大久保くんはこのテラスには来ていないはずなのである。
「あれ?大久保?何してんの?」
私は普通に話しをしている。
ブドウやバナナの乗っかっているテーブルに、
大久保くんの顔だけがニョキっと出て、私を見ているのだ。
「なんだあ?」
バリコーヒー効用第二段階である。
ただ、バリコーヒーを服用したのは前日の夜であって、目が覚めたその時からトリップしている自覚も無く、私は目の前にいる大久保くんと普通に話してしまっている。
当然、周りの人には何も見えないのだ。
大久保がいないのに浩二は「大久保、大久保」と言っている、の図になるのである。
恐るべし、バリコーヒー。
朝食を終わり、部屋に戻った。
どれくらい時間が経ったのか定かではないが、気が付くと独りだった様に記憶している。
ボーっとして部屋のバルコニーを見ていると、そのレンガにまじり友人の顔がはまっている。
しかし私は驚きもせず、会話していたような・・・
そして次なるステップ「百八十センチの大男壁の中に消える」
バリコーヒー効用第三段階が始まるのである。
友人の高木くんは百八十センチの大男である。
幼少の頃はジャイアント馬場のおっかけをしていた男だが、彼もバリに来ていた。
一人でいた私のところに高木くんがやってきた。
「こ~じ~」と私のアンダーネームを呼び、話しかけてくる。
高木くんとしばし話をしていると、彼はにやにや笑いながら、
「じゃあね~」と言わんばかりに壁の中にす~~っと消えていった。
私は「なんだあ?どうしたことだ?」
俺をからかっているのか!と部屋を探し始めた。
「高木はどこだ!どこに消えた!」どの部屋を見ても誰もいない。
この部屋は・・・とドアを開けてみると、そこにはユートがベッドに寝ていた。
やっと人に会えたと思い、優人に訴えた。
「みんな鬼ごっこしていなくなるんだ、高木は壁の中に消えた。
ユート、どうなっているんだ?」
ユートはけげんそうな顔をして
「また訳の分からんことを」ととりあってくれず、私は高木くんを探し続けた。
「どこだ、どこなんだ、高木」
と、つぶやきながら壁を確認してみる私であったのである。
次の日にはコーヒーの作用は消え、普通に海岸とかで遊んだような気がしますが、
なにはともあれ見えちゃったんだからしょーがない。
あの半袖のコーヒー売りめ!
あんなもん飲ませんな!
みなさんも海外で遊ぶ時には気をつけましょう)
以上が浩二の文章である。
優人は帰国後にこの文章を読んでから事実を知ったが、
バリ島では健も越後も「浩二がおかしい」と騒いでいたし、
優人にはなにがなんだか分からなかった。
ただ、バリコーヒーは一粒食べると、頭がおかしくなってしまう、という代物だったらしい。
一週間組の帰国日は近づいてきており、浩二の奇妙な行動を見ては
「あいつ大丈夫か?」と皆心配した。
帰国までの間、優人と由美、越後とカーさん、大久保と高木は名残を惜しむように、海で遊んだ。
ある朝、優人と由美はホテルのプールで遊んでいると、
「よ、色男」と女性が声をかけてきた。
由美の顔はこわばっている。
ん?優人が振り向くとそこにはなんとシンシアがいた。
「あれ~!シンシア!いったいなんでここに?」優人は本当にビックリして大声で叫んだ。
「シドニーに用事があってきたんだけど、来る前にあなた達がここにいるって聞いてね」
「誰に?」
「主催者よ」
「順子か・・・」
この人が現れると必ずこうなる。
海辺のバーで演奏させてもらう、というのだ。シンシアが歌いたいらしいのだ。
フロントで落ち合った男のメンバーは全員シンシアの登場に心底驚いていた。
「健、ちょっとあの店のマスターに聞いてみてよ」
陽も沈もうというころ、バーの近くに四人はいた。
「え?なんで?すぐに演奏できるんじゃないの?」健は不思議そうに聞いた。
「さすがのアタシもバリ島のバーには知り合いはいないわ。はっはっは」
「はっはっは、じゃねーよ。なんじゃそりゃあ?」健は呆れ顔で言ったが「じゃあシンシアも来てよ。英語で交渉してよ」
「いいわよ、じゃあ私がなんとかする」そう言って二人は行ってしまった。
優人、越後、浩二はポカンと様子を見ていた。
「浩二、大丈夫?」「何が?」「バリコーヒーだよ、バリコーヒー」
優人が聞くと「ああ、多分・・・」とだけ答えるとトボトボとどかへ行ってしまった。
「おい!待てよ!演奏できるっていわれたらどうすんだよ!?」優人は叫んだが浩二はもう見えないほど遠くに行ってしまっている。
「OKだったらアコースティックでやろうか?」越後に言った。
しばらくすると健とシンシアが帰ってきて
「ロックバンドはダメなんだって。レゲエとかそういうのじゃないと」
「なんだよ・・・」
越後と優人が言うと、シンシアも健も普通に「残念でした」という様子だった。
翌日、シンシアはシドニーへと経った。
「いったいなんなんだよ、あのババア」
その後、バリでしか買えないような派手な柄のTシャツなども購入した。
物売りもプロであり、優人達がだんだんと日焼けすると、自然と寄り付かなくなった。
色の白い、まだ到着した観光客ばかりを狙っていたのである。
そうして、一週間組が帰る日、皆はそれぞれに
「日本でね~」
「お先に~」
等と挨拶を交わしたが、浩二だけはその場所におらず、
ローズの中庭で見かけた浩二は、前歯がなく、自己嫌悪に陥っていたのか元気がなかった。
「じゃあね~」と優人と越後らが元気に言っても
下を向いて「うん」という返事しか返ってこなかった。
優人達は帰りの飛行機の中で、
「あいつと会うのは本当に最後かも知れないな」と本気で心配した。
優人達は一足早くムーンハイツに着き、大久保と高木とも成田空港で別れた。
それぞれに土産などを配り、あと一週間、優人達はアルバイトに励んだ。
そうして二週間組が帰ってきた。
浩二は普通に「ただいま~」「楽しかったね」などと普通に会話していた。
その後もホモにからまれたりと、いろいろあった様であったが、
無事で良かった・・・心から安心した優人であった。
しかし同時に、この野郎、まったく人騒がせな・・・と憤りを感じたのも事実である。
冒頭に出てきたシーンはこの頃の優人達の生活である。
秘密文書は先程の浩二の書いたものだ。
それからまた、普段のライブ活動に励み、練習もたくさんした。
そして、まだ早かったかも知れないが、夏にはタンツリのCDを出そう!という計画が持ち上がった。
スポンサーも何もなく、全部自費で製作するというのは少々無謀にも思えたが、
バンドとしてノリに乗っていた彼らは亮子に相談し、亮子もCDの一枚くらい無いと宣伝ができない、
逆に良いCDがあれば張り合いが出る、と意気込みゴーサインを出した。
スタジオKの仲間もタダでスタジオを貸してくれたりと、協力してくれた。
そうして、ライブをやりながらレコーディングの準備がはじまり、皆で選曲をした。
約十五曲の候補の中から十曲がリストアップされ、最終的に八曲のアルバムにすることに決まった。
恵まれていたのは、優人がスタジオでアルバイトをしていた為、
レコーディングのいわゆるゲネプロといった作業が出来たことだった。
ゲネプロとは、本番前にやる予行演習のようなものである。
ライブ前のリハーサルもゲネプロと呼ばれた。
タンツリは予定通り八曲を録った。
そうしてもう一度、作品を見直し、改善することができた。
四月から始まったこの作業で、大体の見通しがついた。
あるパパスのライブの日の精算のとき、亮子と四人は事務所でパパスのマネージャーにCD製作の旨を伝えた。
事務所にはいくつものアマチュアバンドのデモテープや音楽雑誌が雑然と置いてあり、テーブルにパソコンが三台と、パパスのステージの様子がTVモニターに写るようになっていた。
マネージャーはしばし間を置き、
「ワンマン、やる?」
と少しイタズラじみた顔で言った。
「ワンマン!?」
亮子も合わせた五人は声を揃えて言った。
ワンマンライブはその名の通り、一つのバンドだけでその夜のライブハウスを盛り上げ、
お客さんも自分達だけで呼ばなければいけなかった。
通常のブッキングでは、大体三つのバンドが出て、
人気のある順番に三番目、二番目、一番目と決められていた。
一番目は初期のタンツリのような若いバンドやツアーバンドが多かった。
三番目はもう人気も確立されたようなバンドが多く、一番目と二番目のバンド目当ての音楽好きなお客さんは、
興味半分で最後のバンドを見ていった。
が、一番お客さんが入るのは大概二番目で、タンツリは一番目になることはなくなっていたが、三番目は嫌だ、
いつも二番目にしろ、とうるさかった。
それが、ワンマンをやれ、とは凄い話である。
この頃タンツリは、調子が良くて五十人くらい呼べたが、二十人の日もあったし、三十人の日もあった。
一バンドだけで二百人収容できるパパスをいっぱいにするのは無理な話に思えた。
「ワンマンはまだできないでしょ~?」
亮子はマネージャーに言った。
「ワンマンなんて無理っすよ!」
優人も言った。
「CD売りたいんだったらそのくらいやらないと」
マネージャーは涼しげに言った。
「だって二百人くらい呼ばなきゃいけないんでしょ?」
優人は反論すると
「何人は入るかは君たち次第、まあ三十人だっていいよ」
挑発されたような、この言葉を感じた健は、
「やるよ!やる!」
と、またしても声高に言った。
健には自身があったのかも知れない。
「ケン、ワンマンってなんだか分かってるの?」
亮子が聞いた。
「分かってるよ、別に」
「だってここは二百人入るんだよ?」
「それも知ってるよ」
健は落ち着いて答えた。
「じゃあ!・・」
亮子が言いかけると、健は途中で遮った。
「いいから!別に客なんか少なくたっていいじゃん!」
健は集客よりも自分達がステップアップするチャンスだと考えていた。
マネージャーには、この答えが想像できていて、ワザとそう言ったのかも知れない。
メンバーには背を向けたまま、カタカタとパソコンをいじっていた。
四人はしばし無言のまま考えた。
あいつと、こいつと、あいつの友達とこいつの友達を呼べば・・・
いろいろなことを考え、OKの返事に踏み切った。
「七月にワンマンをやります!」
決心した四人は本格的にレコーディングを開始した。
ホーンセクションをいれたり、ピアニストを呼んだり、といろいろな工夫も凝らした。
まず、リズムトラックを勢いで一発録音した。
OKテイクが出ると、ギターソロや、その他の音色を入れ、
最後に優人が歌を入れた。
ほとんど音源が出来上がった五月のある日、スタジオに一本の電話が入った。
優人はその日アルバイトだったのでその電話に出た。
「はい、スタジオKです」
健だった。
「ユート?あのな、ジョニーが死んだらしんだよ、詳しいことは分からないけど、また後で電話する」
「なに?ちょっと待てよ、なに言ってんだかさっぱりわかんね~よ」
健はいつもに増して早口だったし、内容が内容だったので優人にはすぐには理解できなかった。
「・・・ジョニーが、死んだんだよ」
健は怒ったようにゆうくりと言うと一方的に電話を切った。
「ジョニーが死んだ・・・?」
優人は受話器を持ったままつぶやいた。
ジョニーとはザ・オクのベーシストであり、健の家でよく遊んだ仲間だ。
ここスタジオKでも一生懸命練習していた。
いつも優しい笑顔で、優人達の馬鹿さ加減を笑って見ていた。
ひっきりなしにいろんな連中からスタジオKに電話があった。
お通夜を岐阜の実家で明後日に行うらしい。健と浩二はもう電車で岐阜に向かう準備をしていた。
再び健から電話があり
「ユート、どうする?俺と浩二は先に行ってるから」
「バイトあるから・・・すぐに行くとは言えないよ」
優人はそう答えると電話を切り、越後の家に電話をかけた。
「聞いた?」
「聞いた。俺もバイトあるし、それに岐阜まで行く金がないよ」
「俺も、金ないし、バイトあるから・・・」
しかし、スタジオKでのお客さんでもあったジョニーの死に対して、店長は行ってきなさい、と休みをくれた。
優人はもう一度越後に電話をかけた。
「店長が休みをくれたから行く?」
「俺も休んでいいっていわれたから行こう」
「でも金がないんだよな」
「行けば帰りはなんとかなるんじゃね~か?」
越後は答えたが、
二人の所持金を合わせて一万五千円で、片道分の高速代とガソリン代だけであった。
タンツリ号は越後のいたムーンハイツにあり、とにかく行こう、ということで
越後はスタジオKまで優人を迎えに来た。
夜の十時くらいであった。
二人で高速を運転中に、ジョニーの思い出話などをしつつカセットテープを入れた。
ちょうどタンツリがレコーディング中だった「ウィンディ」という曲がかかった。
歌詞は優人がアメリカでカズがなくしたトルコ石の歌を歌ったものだったが、
「息をすることもなく、夢を見ることもない・・・」
という始まりの歌詞であった。
二人は顔を見合わせた。
なんで、こんな歌がかかるんだ?
「そういえば、前の曲で止めた」
越後は言ったが、偶然にしては出来すぎだった。
優人は実家に電話するのを忘れた、と言い出し、近くのパーキングに入った。
実家に電話をすることなどほとんどなかったが、さすがに訃報だから両親にも伝えなければ、と思ったのである。
公衆電話に入ると、財布の忘れ物が電話機の上に置いてあった。
中を見ると、ちょうど一万五千円が入っている。
「越後、俺、金拾ったよ・・・」と一万五千円を見せた。
「・・・」
越後は言葉も出ない様子であった。
こんな偶然があるだろうか?
ちょうど帰りの交通費である。
この時、優人は霊であろうが魂であろうが、この世には超常現象というものは確実にある、と実感した。
そういえば健も言っていた。
「母ちゃんが死んだ日に、ケンって呼ぶ声が聞こえたんだ。俺振り向いちゃったもん」
二人は交代で寝ながら岐阜へと車を走らせた。
BGMは先ほどのように、自分達がレコーディングしたものが多かったが、
この頃はスライ&ザ・ファミリーストーンや、プリンスといった「黒人音楽」が多くなっていた。
朝方、岐阜の奥秀行の家に着くと、健と浩二はすでに電車できていたようだった。
「おお、来れたんだ」
オクの古い家の広い畳の上に暖を取って奥達みんなと座っていた健が振り向いて言った。
「俺も越後も休みが取れた。しかも、金まで拾ったんだよ」
優人は信じられるか?というように腕を広げて言った。
「ジョニーが呼んだんだよ」
健は事もなさげ言った。
健はきっと超常現象を信じて疑ってはいなかったのであろう。
岐阜には訃報を聞きつけた東西南北の仲間が百人ほど集まっていたらしく、
皆、優人たちのように、不思議と予定が空いたりして集まっていた。
「そんなことがあるのか」
優人は実に不思議に思った。
「まあ座ってゆっくりしろよ」
オクがそう言って散らかった部屋を少し片付け、二人分のスペースを開けてくれた。
優人と越後は、そのスペースに腰を下ろし、健達と向かい合い、同じようにあぐらをかいて座った。
どうして死んだのか健に聞くと、原付バイクで雨の中走っている最中、
道路に出てきた犬を避けようとして転んだのだという。
優人の目には自然に涙があふれた。
ジョニーらしい、優しい最期である。
ジョニーの実家は、岐阜の住宅街にある、木造の古い一戸建ての家であった。
通夜に顔をだすと、確かに百人近い若者の男女がジョニーの実家の周りに集まっており、
皆、重苦しい空気の中にいた。
ジョニーの母が表へ出てきて、
「こんなにたくさんありがとうございます!うちの息子は本当に幸せ者です!」
と気丈に叫ぶと、百人からむせび泣く声が聞こえた。
優人の涙も止まらなかった。
ジョニーはまだ二十六という若さであった。
悲しみの下、泊めてくれた奥秀行にお礼を言い一行はタンツリ号で岐阜を去った。
公衆電話で拾った一万五千円を使って。
そんな悲しい事件もあったが、タンツリにはやらなければいけないことがあった。
レコーディングであり、世界制覇である。
そして世界を変えるのである。
ほぼ、終わっていたとはいえ、ミックスやマスタリングといった最後の工程が待っていた。
エンジニアの通称ターナーには迷惑のかけっぱなしであった。
ターナーは健達と同じ年で、優人と同じくスタジオKで働いており、マリファナ大好き人間ガンジャマンであったが、
主にレコーディングのエンジニアとして活躍していた。
ターナーはゲネプロのときからタンツリに付き合ってくれ、
レコーディングはもちろんのこと、いろいろなアドバイスをくれたりした。
音源を録り終わったここからがターナーの腕の見せ所であった。
このCD製作にはいろいろな人が参加し、また応援してくれた。
剛やカズも来たし、今はワッチの店長となった遠藤さんも応援しに来てくれた。
シンシアもコーラスとして参加したし、枕草子や他の戸田屋の仲間も来てくれた。
ようやく、最終工程が終わる頃には七月三日にパパスにてワンマンライブをやる事が決定した。
プレスはシンシアのルートに頼んだ。
CDは七月三日当日に出来上がってくるということだった。
ジャケットの写真は春に宣伝用にお花畑で撮った写真が用意されており、
あとは出来上がりを待ち、ライブの準備に備えるだけだった。
六月の半ばを過ぎると、初のワンマンライブに向けての練習に余念がなかった。
約二十曲の予定で、優人のピアノの弾き語りや、ドラムソロなど、いろいろな試みに挑戦した。
が、ただ一つ、不安だったのは動員数だった。
しかし、こればかりはふたを開けてみなければ分からない。
パパスやワッチ、またダローネやストリートでも盛んに宣伝していてくれていたが、
たかだか町のバンドを町のライブハウスが宣伝しているに過ぎない。
亮子も不安ながら、いろいろと宣伝し、そしてメンバーや、その彼女達を鼓舞した。
メンバーや彼女も、旧友や、知り合った友達に電話をしてその日に備えたが、
それでも二百人という人数は難しいように思われた。
とにかく、四人は七月三日に向けてライブ活動やアルバイトを続け頑張った。
そして、とうとうその日を迎えた。
朝から晴れ渡る、良い日だった。
ムーンハイツに集合し、カラフルなタンツリ号を飛ばし、面々はパパスへと向かった。
この日は何の問題も無く渋谷へ着いた。
由美と亮子はスタッフとして同行したが、他の彼女達は仕事が終わってから行く、ということだった。
午後三時にパパスに入ると、CDが五百枚出来上がってきていた。
ここまで約五年間、楽しみや苦しみを四人で味わいながら頑張ってきた集大成がそこにあった。
「どれどれ、見せて」
まだ暗い、客のいないパパスのホール内で越後が嬉しそうに早く見せろと優人にせがんだ。
「お~ちゃんとしたCDじゃん!」
越後は興奮気味に言った。
四人集まり、思い思いにダンボールを覗き込み、手にとって喜んだ。
そのCDをパパスの立派な音響で聞かせてもらった。
大きなスピーカーから流れてくる、何度も聞いたその曲達は、四人をさらに興奮させるには十分であった。
「ジャケットもちゃんとしてるし、意外といいんじゃん!」
浩二は大人ぶって言った。
「まともだよな」
健も興奮を抑えながら言った。
受験生が高校に受かったときのように、何故かその興奮を爆発させない四人であった。
優人が二十二、健、浩二、越後は二十四という年齢であった。
リハーサルを終え、割とリラックスした様子で四人は開場を待った。
泣いても笑っても、もう今夜を盛り上げるしかない。
いつものように道玄坂の回転寿司屋に四人で行き、大体十皿くらい食った。
またしてもそこで、優人は屁をこいた。
「お前、飯食うとこなんだからよ~」
匂いに気付いた越後が言った。
夏の夜は長く、六時を過ぎてもまだ明るかった。
この日は六時半開場、七時開演予定であった。
亮子と由美は受付の準備を始めた。
双子やチビデブス、タイガーはすでに来て、たむろしていた。
メンバー四人は声をかけると、
「頑張ってね、今日」
みな、それぞれの想いを声に出した。
「う~ん、ロックって、頑張るものでもないからなあ・・・まあ、これでね」
優人は親指を立て、そう答えた。
当時パパスには楽屋という楽屋が無く、大物バンドは別に用意されたりしていたが、
タンツリには用意されていなかった。
ステージの正面側に四人座ればいっぱいの通路のようなところが「楽屋」であった。
長髪で裸に近い格好をした四人はパパスの目の前に停めてあるタンツリ号で開場を待った。
「今日、お客さん来んのかな?」
優人が言った。
「来たって来なくたって、今まで通りやるだけだろうよ」
健は落ち着いた様子で言ったが、健もまた不安な様子であった。
そんな会話をしているうちに六時半を過ぎた。
健はマリファナを一服し、優人はビールを五百ミリリットル飲んだ。
四人は「楽屋」へと移動した。
「楽屋」からステージへは客席を通っていく。
ステージへ続くドアから優人はそ~っと客席を覗いた。
なんと!どこから集まったのか、もう客席は一杯に近かった。
「おい!いっぱいだよ!」
優人は嬉しさのあまり、メンバーの方を振り返り叫んだ。
他の三人もどれどれと覗いた。
「ほんとだ!いっぱいじゃん!」
どこから集まったのか、二百人収容の客席はほぼ満席であった。
浩二と越後は目を大きく開き、ウンウンとお互いに無言で頷いた。
健の無言の姿勢は、気のせいか、ひとしきり燃えているようであった。
が、健も大きな深呼吸をした。
そして、衣装を着替え、優人は目の周りをアイラインで書き、この日の為に用意したスパンコールの、
少し時代からはずれたようなジャケットを着て目をつぶり、呼吸を整えた。
他の三人も同じように準備を整え深呼吸をした。
七時を廻った。
あえて少し遅らせて、照明を落とし、ライブ前にいつもかけていた、
ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバレット・シングス」を流した。
曲が流れると、客席からは「いぇ~~!」「キャ~~!」といった歓声が上がった。
タンツリにとってこんなことは初めてであった。
「よっしゃ~!」
四人はいつも以上に気合を入れ、円陣を組んで楽屋から客席を通りステージに上った。
「ヒューヒュー!」「こうじ~」「ユート~」などと声が上がった。
ステージの後ろから眩しい照明が炊かれ、スモークで煙ったステージは、これから始まる演奏を期待させた。
四人はすでにステージの上でヒーローになった気分だった。
浩二が歓声の中、リハーサル通りカウントを取った。
「ワ~ン・ツ~・スリ~・フォ~!」
ジャ~~~ン!
照明が派手に点滅し、演奏が始まった。
一曲目から飛ばした。
ステージから見る客席は満員御礼だった。
優人は所狭しとステージ上を駆け回り、
健はこの日のために用意したワウというエフェクターを二台使っての演奏に酔いしれた。
一台のワウはステージの中央に、もう一台は自分の足元に置いていた。
越後はいつも通りに淡々とプレイしたが、この日ばかりはいつもより気持ちよくベースを弾いた。
浩二も無心でドラムを叩き、二百人を踊らせるぞ、という意気込みが感じられる演奏だった。
二百人を超えるオーディエンスはおおいに盛り上がった。
彼女連中はもちろん、ワッチの遠藤たけし、ストリートの岡野さん夫婦、剛とカズ、
シンシアや枕草子のメンバー、奥やステューピッツなどの姿も見えた。
当然タイガーや双子、チビデブスうあ八広ババアの姿もあった。
どこで寝たか分からない女もいたのだろう。
ジョニーもきっと天国からあの笑顔で見ていたに違いない。
タンツリは皆から愛されるバンドになっていたのである。
そして、彼らのライブからはいつも新鮮な果実のような、自然の匂いがした。
あるいは、海や山や川といった大自然の夏の匂いかも知れない。
彼らの歩んできた道のりそのものがステージから伝わった。
こんなにたくさんの人の前で演奏するのは初めてだった。
しかも、みんなタンツリを見に来ていたのである。
優人は幸せだった。
こんな日が毎日続けばいい。
こうやって皆と幸せを分かち合いたい。
そして世界制覇を成し遂げたらまたここに戻ってくる。
夢と希望に満ち溢れていた。
本当にこんな日が毎日続けばいい。
感謝の気持ちでいっぱいであった。
ありがとう、みんな。
浩二のドラムソロや、優人のピアノソロ、そしてピアノでの弾き語りも時々間違えながらも、それはご愛嬌であった。
お客さんと一体になったこの日は心から満足いくものだった。
大した演奏ではなかったかも知れないが、この喜びを二百人と共有できたのは、
四年間馬鹿をやりながらも真面目に音楽に向かい合ってきた証であった。
思えば「音楽で飯を食っていくから」と高校を辞めて以降、最高の日であった。
本当に夢は叶うものだと思えた。
千葉の田舎から出てきた若者四人はこの日渋谷でヒーローになった。
アンコールを二回やり、二十曲のステージは終わった。
四人は最高の気分であった。
CDも百枚は売れた。
なんの問題も無い。
もうスターになった気分だった。
実際に、千葉の進学校を辞めてから、パパスでワンマンを出来るようになったことは自信になった。
「CD発売記念ワンマンライブ」は盛況のうちに最高の形で幕を閉じた。
打ち上げにも約半数の百人が来た。
打ち上げ会場も前々から原宿の立食店を予約してあったが、百人も来るとは想定外で、
食べるものがほとんど無かった。
みんなが「良かったぞ、ユート~!」「やっぱ健のギターだよな!」「さすが越後だな!」
その場にいた大久保も、優人に対し、
「桑田啓祐を超えられるのは俺かお前しかいないな」
その言葉から分かるように、大久保は、優人のロック感とは違うポップ思考だったのである。
「浩二のドラムソロも良かったしな!」などとドラマーの間では興奮していた。
由美も順子も、葵もカーさんも惚れ直した様子で、酔っていた。
優人はビールを片手に由美の頭を撫でた。
「由美ぃ、俺達、カッコよかったろ?」
半分ろれつの回らない状態であったが、
「今日だけはな!誉めてやるよ!」
由美も酔っ払っており、ご機嫌な様子でそう言うと優人の頭を引っぱたいた。
「いって~な!このやろ~!」
メンバー四人は肩を組み、みんなにお礼を言った。
「サンキュー!」
こうして何度も乾杯して夜は更けていったのである。