第一夜 出会い
初投稿です、気楽に頑張りました。
夏休み―――。
子どもたちにとっては一年のうちで最高の日々を過ごすことができる長期休日だろう。
皆さんも少年時代、子どもながらに夏休みを謳歌してきたと思う。
私は、少年時代。とてもやんちゃで活発な子どもだった。
私はその頃、毎年、夏が来るのが待ち遠しかった。
今からする話は、私が少年の時、私の生涯の中で最も鮮明に記憶に残っている、ひと夏の美しい思い出である。
◇
ガタンゴトン―――。ガタンゴトン―――。
蝉の声が辺りに響き、窓からは夏特有の涼しい風が入ってくる。
列車は、都会の喧騒を離れ、窓の景色は次第に見渡す限りの田園地帯に変わる。
ああ、いま私はこの広大な田園地帯を風と共に駆け抜けているんだな。
私はサンダルを脱ぎ、窓の外から入ってくる風に当たり、酔いしれる。
ふと、窓の外を眺める。遠くで田んぼの稲の世話をしている人が見える。私はその光景に新鮮さを感じ、広大な田園地帯にいる農家の人に向かって手を振ってみる。
それは、子供が行った単なる所作にしかすぎないのだが、私はその時、子どもながらにこの風景に感動し、私を感動させるに至ったこの何気ない、いつも見ている人には何とも思わないかもしれないこの風景に、子どもらしからぬ大きな賛辞を送ったのだと思う。
いつまでも手を振っていると、母が、窓から顔を出すのは危ないからおよしなさいと言ったので、私はしぶしぶ窓から顔を離し、脱いでいたサンダルを履き直したのだった。
列車は、田園地帯を抜け、トンネルに差し掛かった。
今まで窓の外に見えていた風景が、トンネルによって隠され、見えなくなったが、内心トンネルの中も悪くはなかった。少し、トンネルを満喫した後、私の目の前に現れたのは、田園地帯とは全く異質といっていい、子ども心を擽るような雄大な峡谷が見えていた。
眼下には川が見え、そこには転々と魚釣りをしている人も見える。
私は一刻も早く電車から飛び降りて、あの澄み切った清流で泳ぎたいと思ったが、列車は川の上にかかる線路の上を走っている。流石にここから飛び降りたら無事では済まないので、飛び降りるのは諦めたが、 その時私は、どっぷりと自然の魅力に惚れ込んでいたのだった。
山の深みに入っていくにつれ、木々の色がどんどん濃くなっていくのが分かる。
そして、山の木々からは、椚特有の甘い蜜の香り。
いかにも昆虫などが沢山いそうな場所で、甲虫やら鍬形虫を捕まえるのには目がない私には、とても魅力的な場所だった。
列車に揺られて、結構な時間がたっていたらしい。私は先程から外の景色に魅了され、軽く興奮していたために、あまり長く乗っていたとは感じなかった。
やっと駅に着き、駅の時計を見ると、短い張りが夕方の七時を指していた。
しかし空はまだぼんやりと明るく、ミンミンゼミの鳴き声と、風が木々を嬲り、さわさわと音を立てているのが聞こえる。
私たちは、日が暮れないうちに駅の前の遊歩道に沿って歩き始めた。
私は、母に連れられ、夕日に照らされた道を、話もなく、二人でとぼとぼと歩き続けた。
流石にこれだけ歩いてくると、列車での疲労感が出てきたらしい。私は、疲弊しきっていたが、母から離れないように必死に足を動かした。
「着いたよ」
母の声ではっと顔を上げると、そこには周りを雑木林で囲まれた一軒の家と、私たちを迎えに出てくれていたおばさんたちが玄関で手を振って待っていた。
迎えてくれた叔母さん。私の母の妹である。
「よくこんな遠いところまで来たねぇ、信ちゃん。待ってたよぉ」
叔母さんとは一度、数年前、父の葬式で会っていた。その頃の私は、まだ立って歩いたばかりの時だったからあまり記憶にはなかったのだが、唯一特徴的だった語尾を軽く伸ばす仕草ははっきりと覚えている。
「久しぶり。叶恵」
二人を見ていると、姉妹といえども、あまりにも二人は、似通っていない。
そういえば、母から聞かされていたが、母は昔、活発で天真爛漫な少女だったらしい。男勝りで、男子たちとは何度も喧嘩し、その度にいつも相手をボコボコにして帰り、祖母は母が傷だらけで帰ってくる度、相手の親御さんに謝って回ったそうだ。それがどこまで本当なのかはわからないが、今でも母に敵う人間はいないのではないかと思うくらい逞しい。そのためか、母は私に強くなってほしいのか友達と喧嘩して泣いて帰ってきたときはいつも私に「お前は女か、男ならガツンと一発決めてこい。」というのである。 私は今でも喧嘩した帰り道は必ず、母に叱咤されるのが怖くて泣く。
それに対し、叶恵叔母さんは比較的温和で、子どもには甘い。しかし、日ごろ温和なせいか、怒ったときは母より怖いらしい。母よりも怖いとはどういうことなのか一度目にしてみたかったが、そもそも母より怖い人間なんかいるのか。という疑問が出ている時点で、母より怖いなどとはあってはならないのである。私にはなぜか背筋が凍るような悪寒が走った。
「あら、静江姉さんも元気そうで何よりだわぁ」
母の軽快な口調も、叶恵叔母さんはまんざらでもないような顔で笑んでいる。
そこまで性格が違うのに、今まで仲良くやって来たということは、やっぱり姉妹なのだな、と思い、感慨深くなってしまう。
そういえば、笑った叶恵叔母さんを初めてみたけど、笑顔が素敵な方だなと思った。きっと、久しぶりに昔一緒に遊んでいた人と会って嬉しいのか、懐かしいのか。昔のことでも思い出しているように、どことなく、しみじみとしていた。
「元気とは言えないけど、まあ、ボチボチってところね」
母は今更という風に、いつも通りに軽く返事を返す。
「そう、あ。駅の時間大丈夫?最終便、もうそろそろじゃない?」
母は時計を確認し、そうね。と頷く。
「じゃあお願いするわ、叶恵。信太郎もちゃんと叔母さんの言うことをよく聞くのよ?」
「ええ、任せなさい。姉さんの仕事が落ち着くまで、少しの間だけどちゃんと信太郎君を見るから」
私は耳を疑った。こんなド田舎に私を置き去りにしてどこへ行くというのだろうと思った。
私はここに来る前、母に旅行と聞かされてやってきた。私はてっきり日帰りで帰るものだと思っていたのだ。
「え、母さん帰るの?」
本当に心の底から出た言葉だった。
「そうよ。ちゃんといい子にしているのよ?お母さんちょっとしたら帰ってくるから」
「真っ暗だし送ってこうか?」
「いいわよ。前にも何回もここ来たことあるし、第一、私よ?大丈夫」
母が私たちに手を振り、歩いていく。
私はその場で呆然とし、母が背中を向け歩いていくのを、ただ眺めているのだった。
「信ちゃん、お腹すいたでしょう。ご飯作ってあるから早く家に上がりなさい」
叶恵叔母さんはそう言うと家の中に入っていった。
叔母さんが家に入っていった後、私は少しの間、空を見上げて木々の生い茂る中に佇んでいた。
夏の夕暮れ、木々をそよそよと嬲る風。私は一人にされたことに、なぜか嫌悪感は感じず、むしろ、この自然が私に与えてくれる高揚感に身を躍らせていた。あたりから薫ってくる木々の香り、そうだ、別に寂しくなんかない。これでいろんなことができるんだ。この自然の中で目一杯遊べるのだ。と、私は前向きに考えることにした。
割り切ってしまえば、私にとってここは、ひと夏中、私を満足させてくれる大自然の織り成す魅力の宝庫であった。
そして私は、子供心に、これから始まるまだ見ぬ発見に、胸を膨らませていたのだった―――。
家の方から叔母さんの声がした。そろそろ行かないとまずいだろう。
夏の涼しい風に混じって微かに味噌汁の香りが漂ってくる。ついでに私の腹もぐうと鳴った。
夕飯が待ち遠しくなり、私は急いで家の方へ駆けて行った。
辺りが薄暗くなっている中、ヒグラシが私を急かすように、静かに、そして悲しげに、暗闇の中でいつまでも鳴いていた―――。
私は、玄関でいそいそと靴をきれいに揃え、玄関横の洗面所で手を洗う。
奥の部屋へ入ると、そこには叔母さんが作った数々の料理が食卓にところ狭しと並び、テーブルの上にはハンバーグや卵焼きなどの私の大好物のほかに、山菜ご飯、里芋の煮転がしなどの山で採れる旬の食材がふんだんに使われた料理が並んでいた。
叔母に勧められ私は窓際の椅子に座り「いただきます」の食前の挨拶も早々に、食卓にのっている箸を手に取った。まずは温かな湯気が立ちのぼっている味噌汁を一口飲んでみる。どこか懐かしい香りと、濃厚な味噌の香りが口の中に広がる。
次に山菜ご飯を口にする。叔母さん曰く、私たちがここへ来る前に裏山で取って来たばかりだという山菜と、茸が炊き立てのお米に混ぜ込んであった。こんな美味しいものを食べている叔母さんたちが心底うらやましくなった。そして母がこんな夕食にありつけてないことに、どこか気の毒な感情が芽生えてきたのだった。
ともかく私は叔母さんが心を込めてもてなしてくれた料理に舌鼓を打ち、箸を止めることはなく、一気に食べ勧めた。まずこんな美味しい料理、都会にいるときは一度も口にしたことがない。
叔母さんが休む間もなく食べ続ける私を見て、「咽るよ」と言われたことは気にせず、どんどん料理を口に運ぶ。
しかし、料理を必死に口に運んでいる最中、なぜか違和感が私を襲った。突然息が苦しくなったのだ。勢いよく食べていたせいで里芋の煮転がしが喉に詰まったのである。
叔母が私の背中をトントンとたたく。私は何度も咳き込み必死に飲み込もうとした。それから少しして、私はなんとか里芋を飲み込んだ。
叔母さんはその様子を見て、安堵の溜息と同時にあははと笑い始めた。叔母に笑われて私は少し恥ずかしくなり、軽くはにかんで見せる。
ひと騒動も終わり、コップの麦茶を飲み、少し落ち着いてから私は一つ疑問に感じた。
叔母さんに気を使い、いいタイミングを見計らい、そういえば―――。と前置きを挟み、話を切り出す。
「叔母さんって独りで住んでいるの?」
叔母さんは箸をおき、悠長に話し始めた。
「ああ、そうだったわね…。信ちゃんはまだ小さかったかもしれないけど一人、信ちゃんと同い年の子どもが一人いるのよ。覚えていないかもしれないけど、昔一緒に遊んだことがあるのよ?」
へぇ…。と軽く受ける。遊んだことがある。と言われても、正直私の記憶には、はっきりとしたものではなく、何かぼんやりしたものが隅っこにぽつんとあるだけだった。それからというもの、私がまだ幼かったころのことや、他愛のない話を交えながら、二人で夕食を取った。
料理をあらかた食べ終えたころには、胃袋にはもう何も入らないくらい食べてしまっていた。
食器を台所に持っていくと叔母さんに、大丈夫だから休んでいていいわよ。と言われたので、椅子に座って待っていた。
台所からは黙々と食器を洗う音だけが聞こえる。
「叔母さん、そういえば叔父さんたち帰ってこないの?」
私は椅子に座り、昔一緒に遊んでいた時のことを思い出していた。
「そういえば、夏休みだし、そろそろ帰ってくるんじゃないかしら。今頃、こっちに着いていたりしてね。」
その時、玄関の戸がガラッと開く音がした。
「ただいま」
玄関から聞こえた元気な声。
どしどしと廊下をかけて来た黒い影がリビングの扉を開く。
そうだ―――。私はこの声を知っている。この人物を知っている。
扉を開けた―――が私を見つけた途端、彼の顔が一気にほころぶ様を見た。
私は暫くの間会えなかった親友に、私が思いつく限りの言葉を口にする。
「久しぶり、健二君」
「信ちゃん…?信ちゃんじゃないか…!!」
健二が駆け寄ってくる、そして久しぶりの再会に私たちは肩を抱き、我を忘れてはしゃぎまくった。
その日、私たちは、他愛のない昔話を夜更けまで続けたのだった。
森閑な雑木林、黒に溶けた木々の中に、どこからか聞こえてくる虫の声と二人の笑い声だけが微かに響いていたのだった―――。
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