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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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24.殺めるなら優しく優しく、 前編

 ただ、息をしているだけ――。


 所詮、貴族の結婚は家同士の結びつき。そこに本人の意思など無いに等しい。

 それは分かっているが、それでも結婚に対し、夢や希望を抱かない娘はいないだろう。そして先日、その夢が破れた娘が今、ここにいる。



「私の人生ってなんなのかしら」

 クリスティアナは鏡に映った自らの背後にいる幼馴染のパメラを見やると、彼女は眉尻を下げ、ほら笑って、と両肩に手を置いた。

 裾に向かって濃い青色に染まるドレスを装い、金髪(ゴールデンブロンド)を結い上げているクリスティアナは、お世辞抜きに華やかでいて瑞々しく美しい。にもかかわらず、口を尖らせ不貞腐れた態度を取ると、パメラが苦笑交じりに呟いた。

「クリスってば、ひどい顔よ。いつもの聡明さはどこにいったのかしら。とびきり美人と評判の伯爵令嬢に、今夜のパーティでこの顔を向けられたら、きっと男性たちはショックで心臓が凍り付いてしまうわ」

「ちょうどいいじゃない。今更群がられても鬱陶しいだけだし」

 仏頂面のクリスティアナは、苛立ちを隠そうともせずに心底面倒くさそうに言い放った。

 今日は、フラムスティード公爵家にて王太子の弟――つまり、第二王子が海外へ留学する――為の夜会が開かれるのだ。フラムスティード公爵は、現王妃の実家、第二王子からすれば祖父となり、いずれは第二王子がフラムスティード公爵を継ぐ予定である。

 先日、ダルトン男爵の次男エイドリアンと婚約したばかりのクリスティアナは、二人そろって赴く夜会は今日が初めてであった。

 ――が、先ほどエイドリアンから手紙が届き、夜会には場慣れしていない従妹に同伴しなければならなくなったから今回は申し訳ない、というお断りの内容が書かれていた。

 場慣れしていない従妹、という箇所に目を細めたが、手紙から顔を上げると、その場で待っていたダルトン男爵家の使いに、お気になさらずに、という言葉だけを伝えた。

 これ幸いと、親友のパメラと共に夜会に行くことにしたのは言うまでもない。

 そもそも婚約者であるダルトン男爵家のエイドリアンとは、いままでも何度か夜会で顔を見たことがあったが、あまり良い印象は受けたことはない。

 一言で言うなら、女性にだらしない。それに尽きる。

 その名を父親の口から聞いたときのクリスティアナの心境としては、もう少しマシな人がいなかったのだろうか、だ。

 今回にしてもそうだ。場慣れしていない従妹とは、間違いなく血のつながりの全くない従妹に違いない。思い出せば思い出すだけ、むしゃくしゃしてきて、知らずうちに溜息がこぼれ落ちていく。

 この婚約に本人同士の意思がないにしても、婚約したばかりの許婚を放っておくものだろうか。少なくとも歩み寄ろうとする努力を見せてほしい。

 クリスティアナにしても、今回の夜会の為、エイドリアンの瞳に合わせた蒼色のドレスを新調したというのに。

 恐らく、夜会でその従妹にお目にかかることになるだろうが、さて何と言ってやろうか。

 クリスティアナの心境を察してか、早めに迎えにきてくれたパメラは現在、クリスティアナの結い上げた髪に付ける飾りを選んでくれている。

「そんな顔をしないで、クリス。もしかしたら、エイドリアン様は噂とは違う方かもしれないじゃない」

 大抵の夜会にはいつも一緒に参加しているパメラも、エイドリアンのことは知っているはずだ。あまり慰めにもならない慰めを口にされても気分は上向かないというものだが、これは彼女なりの優しさだ。実際、パメラはおっとりしているところがあり、恐ろしいことに本心からそう思っているのかもしれないが。

 彼女は公爵家の令嬢だ。すでにエドワーズ王太子との婚約が内定しており、二年後の春には嫁ぐことが決まっている。王子という身分上、夜会に同伴ということはなかなかできないが、今夜は夜会の会場で落ち合うことになっていると聞いている。

 クリスティアナも、エドワーズ王太子とは何度か顔を合わせたことがあるが、とても優しい人で話しやすく、彼らがお互いに好ましく思っていることを嬉しく思っていたのだが……。

 片や自分の結婚相手がこれでは、夢や希望を捨ててしまっても仕方がないだろう。

 慰めにならない慰めに期待するしかないが、どれほど期待できることか。

「こんなことなら、今までの夜会でさっさと相手を見繕っておけば良かったわ」

 少なくともエイドリアンよりもマシな貴族の青年は何人もいた。

 彼らは結婚相手を真面目に探していただろうし、クリスティアナのように単純に夜会を社交の場として楽しんでいたわけではない。

 クリスティアナにしても選り好みをしていたわけでもないが、必死に婿探しをしていたわけでもない。

 見栄えも決して悪くないクリスティアナに好意を寄せてくれる者もいたし、伯爵家という家柄も、公爵家ほど敷居が高いわけでもない。

 単に結婚相手は親が勝手に決めると思っていたし、跡取り娘のクリスティアナは、誰が何と言おうとも、と言うほど心惹かれる相手にも出会えていなかった。

 今思えばそれは言い訳でしかなく、単純に逼迫していなかったからに他ならない。もっと真剣に考えていたらこの現実は違ったものになっていたに違いない。

 しかし今更である。

 パメラは悩みに悩んだ結果、結い上げた金髪に薄藍色の玉と同色の布で作られた飾り花を挿した。窓から差し込んだ陽光を弾いて、玉が時折その存在を主張する。

 パメラは鏡の中のクリスティアナの出来に満足しながらも、眉を下げ、呟いた。

「せめて、全く会ったこともない知らない人だったら良かったのに」

 そうすれば、結婚するまで夢が見られた。

 クリスティアナも一瞬考えた。が、むしろ最初から諦めがついている方が結果として絶望が少なくて良かったのかもしれない。

 鏡の中の令嬢は、表情自体は冴えないが、身支度の仕上がりには満足せざるを得ず、背後に立つ幼馴染と鏡の中で視線を合わせと、苦笑をないまぜにしつつ、半ば自棄になって宣言する。

「この際、独身の間は、自由を謳歌するわよ」

 結婚前の娘が、出来ることなど限られているが、そうでも思わなければやってられない。

 それがクリスティアナにとっての、せめてもの慰めだった。



 夜会というのは、一般的に社交の場と言われているが、結婚前の娘にとっては戦いの場でもある。まして玉の輿を狙う娘と年頃の娘を持つ母親は、筆舌に語りがたいほど鬼気迫るものがある。

 婚約者のいるクリスティアナとパメラは、その戦いから離脱出来たかというと、残念ながら未だ渦中にいた。

 なにせパメラの婚約者は、王太子殿下である。内々に決まっているが、事故や不祥事が起きたとなれば、当然ながらパメラの婚約者としての立場は取り消されることになるだろう。不祥事、に関してはパメラの性格上無茶をするような人間ではないし、思慮の深さも持ち合わせている。それでも何かあれば、父親であるグラッドストン公爵が黙っていないだろう。事故の方にしても、これに関しては、護衛付きの王太子と合流してしまえば問題はない。とは言っても、夜会で何事かあれば、主催者側の問題にもなり得るので、今までのところ、そんなに重大な事故は起こっていない。

 ただ、二人がどうしても避けて通れない戦いがある。それは舌戦だ。

 パメラは本来、大人しい。おっとりした性格であるが故、言われっぱなしなのだ。夜会にも王太子との婚約が決まってからというもの、行きたがらないのだが、今日の夜会は王太子の弟のための夜会。王太子本人も来ることから、パメラは当然出席することになった。

 王太子であるエドワーズに合流するまで、それまではクリスティアナが盾となる。渡してしまえば、王太子を目の前にして、あまり無様な罵りを口にする者はいない。みな、自分が可愛いし、印象を良くしたいという思惑もある。

 クリスティアナ自身は、この戦いに本来加わらなくてもいいのだが、火の粉とは飛び火してくるものである。

 降りかかってきた火の粉を払うのは当然だが、幼馴染であり大切な友人でもあるパメラが傷つくのは嫌だったし、もともと負けず嫌いでもある。一言われれば十返せる自信はあったし、事実返り討ちを何度もしてきた実績もある。おかげで、嫌がらせをしてくる人間は限られてきたが。

 実際、今目の前にいる令嬢達はいつもの顔ぶれだ。

 フラムスティード家の夜会が行われている広間から、熱気が程よく届く中庭で、色とりどりな令嬢達にクリスティアナ一人が対峙していた。すでにパメラはエドワーズと合流済みだ。

 手入が行き届いた庭木の影で、会場からの人目は届かない。

 いつものことである。

 会話の半分以上は右から左に聞きながしているが、今までならクリスティアナも突かれて痛い弱点はなかった。

 しかし――。

「婚約したての婚約者が、他の女性同伴ってどうなのかしら」

「あなたってば見向きもされていないじゃない」

「よく一人で来られたものね」

「エイドリアン様もお気の毒に。こんな気の強い人がお相手では他の女性に癒されたくもなるでしょうに」

 酷い言われようである。

 クリスティアナも大概、自分のことなら大らかになれていたが、腹立たしい婚約者の件に関しては、頬がひきつるのを隠せなかった。

 エイドリアンは今日の夜会に、場慣れしていない(・・・・・・・・)らしい彼よりもかなり(・・・)年上の女性を伴って遅れてやってきた。その場にいたクリスティアナと一瞬、視線が合ったのを最後に、相手共々のらりくらりと姿をくらませ、結局今の今まで文句を言えずじまいだ。

 不完全燃焼だからこその怒りだ。今からでも嫌味の一つぐらいいってやりたいところだ。

 クリスティアナの顔色が変わったことに気づいた彼女たちは、いやらしく視線を交わしあうと、さらには本来侮辱するべき相手を貶すことも忘れていなかった。

「所詮、類は友を呼ぶと言いますもの。お友達もエドワーズ様にすぐに飽きられるのではなくって」

「本当ね。あの無口な女がいずれは王妃ですって? 無理だと思わなくって? 王妃としての務めも果たせるとは思えなくてよ」

「エドワーズ様がいらっしゃるからって、夜会によく顔を出せたものよね。黙っているだけで皆がちやほやしてくれるとでも思っているのかしら」

「顔も十人並みでとりわけて目立つところもないのに、どんな色目を使ったのかしらね」

 本当に、酷い言われようである。

 パメラは珍しい赤みがかった金髪(ストロベリーブロンド)をしており、瞳も淡褐色(ヘイゼル)という不思議な色合いをしている。持ち前のおっとりさから、どこか神秘的な雰囲気を醸し出しており、王太子との婚約が決まる前までは、よく遠回しにパメラのことを尋ねられていた。

 彼女はただ大人しいだけなのではない。思慮深く、人の話をよく聞いている。じっくりと考えてから自分の意見を言うようにしていると、以前本人から聞いたことがあった。それも偏に父親の公爵が、彼女を幼いころからすでに王妃になるべく教育を施していた賜物なのだろう。

 そんな彼女から学ぶべきことも多かった。

 だから(・・・)、クリスティアナもただ黙って聞いていただけではない。

 彼女たちが言いたい放題言った頃を見計らい、ダンっと足を踏み鳴らしたのだ。

 足元は通路用に整えられた石畳で、ヒールを履いた靴がいい音を周囲に響かせた。

「もう十分喋り疲れた頃ではなくって?」

 腰に手を当て不敵にニヤリと笑ってやると、令嬢達の身体が強張ったのが見て取れた。

 クリスティアナが黙っていたのを、自分たちがやりこめたと思い、内心勝ち誇っていたのだろう。だが生憎と、痛いどころか痒いところもない。その様子に、顔色を変えたのは令嬢達の方だった。

 ふっ、とそんな彼女たちを鼻先で笑うと、冷ややかな視線を投げつける。ようやくクリスティアナは、溜まりに溜まった鬱憤を吐き出した。

「あなた達との付き合いもいい加減長くなりますけど、いつまで経っても殿方の一人や二人捕まえられず、未だ婚約者もいらっしゃらないのは、そうやって集団で群れ固まって、こんなところで油を売っていらっしゃるからではなくて? 広間に戻られて顔を売ってこられた方がいいのではないかしら。花も咲いている時は短く、散るのはあっという間、と言いますものね。もうそろそろ、急いだ方がいいのではなくって?」

 半分、婚約者への腹いせも含んでいたが、思った以上に言葉に毒が混ざる。しかも、言わなくてもいいことまで口をついて出てくる。

「それとも、自分の身の丈をわかっていらっしゃらないのかしら?」

 令嬢たちの半分は顔色を無くし、片や半分は怒りのために顔を赤くしている。その内の一人が、身体を戦慄かせながら、ついっと一歩前に出ると、感情のままに行動に出た。直後、乾いた音と共に、クリスティアナの頬に痛みが走った。

 所詮、令嬢ごときの平手など大した痛手ではないが、クリスティアナは叩かれてなお、口角を上げる。

 彼女たちの主格で、今まさにクリスティアナに手を上げ、それでもなお興奮で震えが止まらない彼女を見やる。

 口で勝てないから手が出たのだ。つまり、クリスティアナの勝ちである。

 事実、叩いた本人の方が涙目になっていた。

「こ、こんな口さがない人なんて放っておいて、い、行きましょうっ!」

 くるりと背を向け広間に戻っていく彼女たちを見送って、十分に姿が見えなくなってから、ようやく身体から力を抜く。

 叩かれた直後は、それほど痛みを感じなかった頬が、ジンジンと熱をもってくる。

「思ったより馬鹿力ね……」

 ポツリと呟き、頬を抑えると、星が瞬く夜空を見上げる。

 これはしばらく会場に戻れそうにない。赤い頬を見たパメラがきっと心配する。

 どこかで時間を潰そう、と思ったのと、背後で音がしたのは同時だった。

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