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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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23.思っていたより、もっと無邪気でかわいい罪なひと 後編

 広間から離れた王宮の一室。

 ディーンがいなかったら辿りつける自信がないほど王宮の奥まった場所にある客間は、広間からの楽曲が風に乗っても全くと言ってもいいほど聞こえない、夜会からは切り離された空間だった。

 夜会用に着飾った自分が場違いに思える部屋は、青を基調とした落ち着いた色味で統一され、夜の闇が鏡となって窓に映る自らの顔が、緊張のあまり蒼白に近い色をしているにも関わらず、そのことに気持ちを裂く余裕も、気づく余裕もなかった。

 秒針の音が響く。

 この部屋に着いてから、どれぐらい時間が経ったのだろうか。

 そんなに経っていないようにも、かなりの時間が経ったようにも思える。

 室内に置かれた一対のソファに、我が家のごとく寛いでいる男は、あえて何も語ろうとしない。

 足を組み、ひじ掛けに置いた腕に頬をついて、何かを考えているように見える。

 二人きりだと、いつもならば邪険にしたくなるほど饒舌なはずなのに、静かすぎるのも不気味なものだ。

 慮っているのか、はたまたかける言葉が見つからないのか。

 いずれにしろ、ユーフェミアにとって放っておいてくれるのは正直有り難かった。

 王ではなく王妃からの呼び出しが意味すること。それは恐怖を伴う不安しかない。かつて母とは親友だったと言うが、母亡き今、何をしに王宮に足を踏み入れたのかと罵られてもおかしいことではない。一方、伯爵家が取り潰されていない現状が、わずかな希望を残しているともいえるが、母の犯した過ちを考えればわずかな希望など期待できるうちには入らないだろう。

 片手で反対側の腕をつかみ、身の置き場所のなさに知らず身震いする。

「窓際は寒いだろう」

 気づくと、窓に映った自身の背後に、窓の外と同じ色の瞳をした男が立っていた。

 肩に置かれた手が、温かくてはじめて寒さに震えていたのだと気づいた。

「でも……」

 ソファに腰かけて落ち着いて待つことが出来そうにない。

 そう告げると、ディーンは仕方ないとばかりに上着を脱ぐと、すっぽりとユーフェミアを包んで綺麗に整えられた眉尻を下げた。

「今は何を言っても無駄だろうけど、私はどんなことがあろうと、きみの味方だから。――今までもそうであったように、これからもだ」

 忘れないでくれと、見下ろす瞳に宿るのは嘘偽りのない感情。この人は、どこまでも自分を甘やかす。

 頬を手の甲で撫でられ、ディーンは再びソファに移動していった。

 王妃の不快を買うということが、この国で一人が生活しているユーフェミアにとって、どれだけ不安を感じていたか。最悪、この国から出て行けと言われたらどうしたらいいのだろうと、悲観的な思いに苛まれる身に落とされたその言葉の優しさに、唇をかみしめる。

 今、そんな言葉をかけるのは卑怯だ。

 ずっと一人でやってきたのに、縋り付きたくなってしまう。

 肩にかけられた上着をギュッと握りしめて、思わず右手の薬指に嵌められた指輪を手袋越しに触った。

 気づいては駄目だ。認めては駄目だ。

 今まで何度も言い聞かせてきた言葉だった。呪文のように何度も何度も。今回も同じだ。同じはず……。

 視界から引き剥がすように、視線を窓へと向けた。だが、部屋の中を映す窓が、自然とその男の姿を捉えてしまう――。

 窓からも室内からも視線を彷徨わせ、落ち着かない心にいたたまれなくなった時、客室の扉がノックされ、数名の護衛に囲まれたジュリアによく似た女性がきらびやかな装いのまま姿を現した。

「お呼びたてしておきながら、待たせてしまいましたね」

 そう言って、淡褐色(ヘイゼル)の瞳に穏やかな笑みを浮かべたのはパメラ王妃、その人だった。



 護衛の者を下がらせたパメラは、ソファから立ち上がったディーンに軽く手を上げてとどめると、まっすぐにこちらに視線を向けたまま近づいてきた。

「本当に……、本当にクリスにそっくりだわ。ずっとあなたに会いたいと思っていたのよ」

 遠くを見るような眼差しで見つめてくるその瞳は、どこまでも温かく、ユーフェミアが心配していたような剣呑なものはどこにも見当たらない。しかし身にまとう王妃という雰囲気はいまだ夜会の最中だからか、目の前にいる凛とした女性はジュリアたちの母というより、一国を支える者の一人としての隙のなさを漂わせていた。

 息の仕方も忘れてしまいそうな緊張の中、そっと手を取られ、そこでようやく礼を失していたことに気づいたのは後の祭りだった。すでにいっぱいいっぱいだったユーフェミアが次に何をしたらいいのか混乱を極めたのも必然で、無言でいては失礼だと思いながらも、頭の中は真っ白で口を開くものの、開いては閉めを繰り返し、結果何もできずに突っ立ったままだったのは言うまでもない。

 そんなユーフェミアの緊張を見越した王妃は、ふわりと笑む。

 途端、王妃(・・)の気配が消えた。

「驚かせてしまったみたいね。ごめんなさいね。でも、どうしても直接会って話をしたかったのよ」

 それだけで場の空気がゆるく溶け、ジュリアの母の顔になる。

 淡褐色の瞳に労わりの色を濃く見つけ、ユーフェミアはぎこちなくも頭を横に振るとかろうじて返事をする。

「あの……、私も話を――」

「ええ、そうね。私も、あなたには色々と話したいことがあるの」

 ぎゅっと手を強く握り、そう告げたパメラの表情は、どこか翳りが見え、再び不安がこみ上げる。

 座りましょう、と促され、ユーフェミアは彼女に促されるまま、ディーンの向かいに案内され、自らの隣に王妃その人が腰を下ろした。

 ユーフェミアも戸惑いながらも座ると、ディーンも倣ったように着座した。

 手は王妃に握られたまま、淡褐色の瞳が再び柔らかくなる。

「何度かこちらの子爵からお話を聞いて、絶対に今回の夜会に連れてくるよう厳命したのよ」

 そう言って、悪戯っぽく片目を瞑って見せたのは、緊張のあまり未だ蒼白な顔をしている自分の為なのか、本来の彼女の性格なのか。

 少なくともそこに敵意は見られず、ようやく肩の力が抜けていく。

 ディーンは苦笑すると、肩を竦めた。

「彼女は私の婚約者ですからね。先手を打っておかないと、誰かに攫われては困りますし」

 それが例え国王一家であっても、渡す気はないですよと、目の前の男はいけしゃあしゃあと言い放つ。

 パメラは呆れたように、一つ息を吐きだすと、

「たかが婚約ごときで女性を縛り付けられると思うのはおやめなさい。嫌ならさっさとやめてしまえばいいだけの話なのですから」

 ふふふと笑う王妃は、さすがというべきか、人生経験が豊かなだけディーンさえも軽くあしらい、目の前の男に渋面を作らすことに成功する。さらにその上追い打ちをかける。

「もしも言葉巧みにこの子を騙しているのでしたら、いくら子爵といえども容赦はしませんよ」

 この言葉に、さすがにディーンも降参と、告げることしかできなかったようだ。

 それに満足したのか、王妃は満足げに頷くと、あら、と呟いた。

「何か温かい飲み物を持って来させましょうね。少し――いえ、今夜は長い夜になるでしょうから」

 王の在位を祝う夜会よりも、王妃はどうやらユーフェミアのことを優先するようだった。

 頭に飾っていた重い飾りをさっさと外してしまう。

 いいのだろうかと内心思っていると、表情に出てしまったのだろう。パメラは心配無用とばかりに言い放った。

「もう、子供たちもいい大人ですからね。この平和な時代、賓客の相手は、わたくし一人ぐらいいなくとも何とかなるものよ」

 どうやら本格的に祝宴に戻る気はないようだ。それに、と彼女は続ける。

「あなたがこの王宮に来る機会がこの先あるかどうか分からないし、この機会を逃したら次があるか分からないでしょう。今日ならば邪魔が入りづらいでしょうし……」

 邪魔が何を指しているのか。無駄に騒ぎそうな子供たちのことを言っているのか、それとも過去の噂を知る老獪な貴族たちか。

 人の目は今、夜会に向いている。

 静かなこの場所で、人払いをせずに、疑いをもたれずにユーフェミアを王宮へ招き入れるにはうってつけだったのだ。

 機会(・・)と言った王妃も、待っていたのか――。ユーフェミアがここに来ることを。

 お互い、違う場所で、違う立場で、この目の前の男と出会う前までなら、決して会うことのなかった人。

「パメラ様――」

 先程まで、彼女を恐れていた気持ちが霧散する。

 パメラは、ユーフェミアが王宮に来なければ、会おうとすることはなかったのかもしれない。最初にずっと会いたかったと言ってくれたが、立場上、自らが街に赴くわけにも、庶民を理由もなしに呼びつけるわけにもいかないだろう。つまり気にかけながらも放っておいてくれたのだ。言葉尻からそう感じ取れた。

 なぜ、これほどまでに、彼女はユーフェミアの平穏を静観し、守ってくれていたのか。それはきっと、彼女がこれから語ってくれる王妃と母親の関係がそうさせているのだろう。

 ユーフェミアは覚悟を決めて、王妃を見た。自然と背中が伸びる。

「パメラ様。教えていただけませんか。母が何を選択し、私が産まれることになったのか。私は今日、それを確かめにここに来ました」

 父親に会えればいいという思いでここへ来たはずだった。だが、目の前にすべての答えを知っている女性がいる。そして、彼女もまた自分に話すべきことがあると言う。

 確かに、王妃の言う通りこの機会を逃せば二度とないだろう。

 だからこそ、ユーフェミアはこの機会を逃さないと決めた。たとえ真実がどんな結果であったとしても――。

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