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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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23.思っていたより、もっと無邪気でかわいい罪なひと 前編

 向けられた眼差しは、思っていたよりも優しくて――。


 遠い記憶にある空色の瞳を向けられ、いつのまにか何かを期待していたことに、ユーフェミアは自分自身に失望した。

「――では、一先ずこれで失礼致します」

 ディーンの切り上げの口上を最後に、習った通りに膝を折り、頭を下げる。

 促され、エスコートされるままに次に挨拶に並ぶものにその場を譲り、後にした……。



 実際のところ、国王への挨拶は型通り決まったもので、そこで何かが起こったわけでも、起こしたわけでもなく――。ディーンに紹介されて、一言、二言、言葉を交わしただけで、特に何事もなく終わってしまったのが現実だった。

 まさか、父親ですかと聞くわけにもいくまい。

 後ろ髪をひかれる思いと同時に、どっと疲れが押し寄せたのは言うまでもなく、口数が少なくなったユーフェミアを労わるように、ディーンに預けていた右手に彼の手が載せられたが、その手を振り払う余力も、文句を言う元気もなかった。

 わずか数分にも満たない謁見。

 このためだけに、ユーフェミアはどれだけの時間を割いてきたのか。現実はこんなものなのだと、わかっていたはずなのに。

「ユーフェミア……。あの場所では陛下も、特別なことは何もできないよ。それに、話す機会はまだあるから」

 労わる様に重ねた手を軽く叩かれ、ユーフェミアは隣に立つ男を見上げ、できる限り笑顔に見えるように口角を上げて見せた。

「――そうね」

 夜会の本番は後半にある。

 その頃には、場の堅苦しさも取れ、皆が自由に会話や余興を楽しむようになる。当然、ここは王宮であるから、ある程度の節度は守られてはいるが。

 ジュリアとアシュレイは、挨拶へと向かった折、他国の賓客に捕まって今は側にいない。

 彼らには彼らの役割がある。ユーフェミアも自らの役割を演じ切らなければならないのに気持ちが澱のように沈んでしまっている。

 まだ会話をする機会はあるはずなのに、次も同じように機械的に話して終わってしまうのではないか、思っていることを話せないのではないかという不安が押し寄せる。

 それを今考えていても仕方がないことだと分かっているのだが。

 小さく溜息をつくのと、横から伸びてきた手が顔の横に落ちていた髪を耳にかけたのは同時だった。そのまま頬に優しく触れる手を感じ、視線を上げると、夜色の瞳と視線がぶつかる。

「こんなに無防備なきみを見ていると、今すぐ攫って食べてしまいたくなるよ」

 一瞬、言葉の意味を理解できず、瞬き一つする。

 が、頭が理解した瞬間、顔に熱が集中する。

「……――っな、なにを言ってるのよ!」

 こんな場所で、何を言い出すのか。ただでさえ、周囲は聞いていないようで耳を欹てているというのに。

 視線が彷徨い、耳が自然と周囲の声を拾おうとする。

 近くにいた見知らぬ夫人が扇で口元隠し、「近頃の若い方ときたら……」とか、なんとか呟いているのが聞こえ、彼女の連れらしき紳士も頷いているのがしっかり見えた。

 ユーフェミアよりも随分と年若い令嬢が、紅潮した頬を押さえて、「攫って?……食べる!?」と言いつつ、くるりと背を向け、それでも気になるのか、ちらりとこちらを見ては、黄色い声を上げている。

 恥ずかしいことこの上ない。

 確かにアシュレイの言う通り、気を抜いてはダメだ。この男が何を言い出すか分かったものじゃない。

 左手で額を抑え、かすかに首を振ると、それをどう言う意味に取ったのか。あからさまに勘違いした男が、ユーフェミアを背後から支えるように腰を抱いてきた。

「気分が悪いのだったら、少し休むかい?」

 その距離は限りなくゼロに近くて。

 背中に感じる体温と、耳元で落とされる声に思わずゾクリとし、一瞬息を飲んで凍り付いた。そしてゆっくり息を吐いて鼓動を鎮めると、近くにあるディーンの顔をうろんな眼差しで見上げる。

 くっきり、はっきり、抑揚の籠らない、どこまでも冷ややかで低温ともいえる声で言ってやる。

「調子に、乗らないで」

「……元気が出たみたいだね」

 苦笑しつつも、思いのほか早くディーンは身を解放してくれた。

 安堵半分呆れ半分ではあったが、はたと気づく。それは、おそらくだが、ディーンが女性からとても好意的(・・・)にみられるという話から想像する限りだが、実はこれが彼なりの気づかいだったのかもしれない。

 気づかいと取るか、嫌がらせと取るか。以前ならはっきりと後者だと言えたユーフェミアだったが、今はそうとも言えない自分がいる。

 落ち込んだ気持ちが、気を逸らされたことにより今は少し上を向いている。

「ええ、お気遣い(・・・・)ありがとう」

 わざと、つっけんどんに言い放ってやる。彼の思惑にはまった自分の気持ちを誤魔化すように。

 それにはディーンも肩を竦めただけで、それ以上何かを言ってくることもなかった。本当に、距離の取り方が絶妙だ。そして彼の気づかいに気づくようになった自分にも嫌になる。

 二人からしてみればいつも通りの会話ではあったが、果たして周囲から見てもそう思えたのだろうか。単に仲が良い、の一言で済ませられない雰囲気を醸し出す二人の間に割って入る勇気のある者はそうそういないだろう。

 周囲を気にしていたユーフェミアが、近くで声をかけるタイミングを見計らっていたホール係に気づいたのは、彼にとっては僥倖だったといえる。視線が合った瞬間を逃さすものかと、すかさずトレイを持って近づいてくると、ホール係はユーフェミアに向かって安堵したように一礼した。

「エヴァンス伯爵ご令嬢ユーフェミア様でございますね? ご言伝をお預かりしております」

 トレイを差し出され、思わず隣の男を見上げた。ディーンにではなく、自分にこのような言伝が来るなどどういうことだろうか。ユーフェミア自身に、この場での知り合いはほとんどいないのに。

 それはディーンも同様で、戸惑うユーフェミアに代わって受け答えをした。

「誰から?」

「ジュリア王女殿下からでございます」

 告げられた名前に、警戒心が解ける。

 差し出されたトレイの上に乗っているメッセージカードを、ユーフェミアは礼を言って受け取ると、ホール係は一礼して立ち去って行った。

 何事だろうと思いつつ、半分に折られたカードを開く。すると流麗な文字が飛び込んできた。

 書いてあることに一度は首を傾げたユーフェミアだったが、次の瞬間、瞠目する。

「ディーン……――」

 カードを開いたまま、次の言葉が出てこなかった。

 縋るように見つめてしまったのも仕方がないだろう。

 カードの内容を確認したディーンは、周囲の目を気にしてか、何事もなかったようにユーフェミアを壁際へと誘った。

 それは王女からではなく――彼女の母親、パメラ王妃からの内密の呼び出し状だった。

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