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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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21.かわいい君のかわいい我が侭 前編

 今夜一晩だけ――。


 極淡い薄紅色の絹は艶やかな光沢を放ち、ほっそりとしたユーフェミアの上体に沿いながら、腰を過ぎた辺りから緩やかに広がり床に届く。

 いつもはきっちりと首まで覆われた服しか身につけないユーフェミアは、剥き出しになった肩や広く開いた胸元をしきりに気にしていた。

「どうして夜会用のドレスってこんなに無防備なの……」

 仮縫いの段階から、あまりにも上半身の布地の少なさに泣き言を漏らしつつ、それでも仕上がったドレスの美しさに胸が高鳴らなかったと言えば嘘になる。ただ、着る人間が自分ではドレスに負けてしまうのは最初から目に見えていたが。

「肌が白く見えるのは、きちんと似合っている証拠ですわ」

 ノーリーンに強く勧められるままに、ドレスの色や意匠を決め、必要な小物を揃え、あっという間に夜会の準備は進んでいった。それらは数日前には届き、皺にならないよう掛けてあるドレスを見る度に、本当に似合うのかどうか、今まで準備してきたことがきちんと出来るのかどうか、不安ばかりが募っていた。

 しかし実際着てみると、貧相とまでは言わないまでも決して豊かではない胸を、ノーリーンはどういう技を使ったのか、見事としか言えないほどくっきりとした谷間を作り上げ、遠目から見た全身のバランスとしてはそれなりに見られなくもない。しかし上から見下ろすと、布の占める割合が少な過ぎて、かなり心細く感じてしまう。

「これで――踊るの?」

 はっきり言って、無謀である。

 ユーフェミアの身体に線に合わせて作られたドレスとはいえ、ふとした拍子にあわやということにならないだろうか。いくらノーリーンに大丈夫だと言われても、手が自然と胸元を押さえ、その方が不自然だと言われても無意識のうちにまた手がいってしまう。

 髪もいつもより高く結い上げられ、首もともひどく心許ない。背中に関しては……すでに意識を向けないようにしている。

「胸を張ってくださいませ。それでは貴族令嬢たちに苛めてくださいと言っているようなものですわ。ドレスは女性にとっての勝負服です。虚勢でも構いません。この場で自分ほど美しい者はいないと思ってください。事実、ユーフェミア様はおきれいですし、それでも自信が持てないようでしたら、伯爵家の血も引いることを思い出してください。そうやって夜会の間中、ご自分を誇っていてくださいませ」

 全身を写す鏡の中で、どう見ても自らの背後に立つ彼女の方が美しく見えるのだが……と内心思いつつもユーフェミアは曖昧に笑って見せた。

 実のところ生まれてこの方、ここまで着飾ったことはない。

 滑らかな手触りの絹は、幼馴染の仕立屋でも見たこともないほどの上物で、最初は似合わないと思っていた若々しい色味も、ノーリーンが言うように肌をより一層白く見せていた。

 蜂蜜色の髪をゆるく巻き、頭上に結い上げて真珠の髪飾りをさし、化粧を施された鏡の中の自分は、まるで別人。

 全体的に淡い色の中で、唯一、深緑の瞳がユーフェミアの意志を主張する。

 気弱になれば、瞳が揺らぐ。存在自体が薄くなったような気がして、落ち着く為に深く呼吸をすると、ゆっくりと胸元から手を下ろし、姿勢を正した。

 その様子を目にとめたノーリーンが満足げに頷く。

「今夜の夜会にユーフェミア様をお連れしたことを、ディーン様が後悔なさる様が目に浮かぶようですわ」

 夜は冷える為、毛皮のショールを準備しつつ、鏡の向こうで彼女は楽しげに笑う。ユーフェミアも予め手渡されていた二の腕まである白い手袋を嵌めようとし、その言葉に顔を上げた。

「……やっぱり見苦しい?」

 婚約者として不釣り合いだと言うなら、今日の夜会の最重要事項は中止にしなければならない。それは必然的に二つ目の目的――こちらは自身の内面問題だが――エドワーズ国王に対しても、無様な姿を晒すようでは申し訳が立たない。

 やはり時間が足りなかったのだろうか。

 ノーリーンは、眉間に皺を寄せてうろたえるユーフェミアに、こらえ切れないとばかりに声を上げた。

「嫌ですわ。何の御冗談ですか」

「でも、私のせいで、あの人――ディーンが恥をかくのでしょう?」

 彼が後悔する様など思いもつかないが、平常であればそれもまた一興だ。だが今夜ばかりは違う。

 貴族社会がどういうものか、ユーフェミアにとっては未開の地である。少なくとも協力すると言った以上、それなりの成果は出したいし、それが無理ならせめて、これからもそちらの世界に居続けなければならないディーンの顔に泥を塗るようなことは避けたい。(にわか)仕立ての婚約者が庶民育ちの自分では、見劣りするのは分かっているが、王女であるジュリアやディーンが自分でなければならないと言ったからには、最善を尽くしたつもりだったのだが。

 落ち込みかけたユーフェミアに、だが、ノーリーンは笑顔で肯定した。

「ええ。まぁ、そうですわね。ユーフェミア様のせいでディーン様は苦い思いをなさるのですし。夜会ではきっと殿方全ての視線をユーフェミア様が集めてしまわれるでしょうから」

「そ、そんなに見苦しいの!?」

 思わず手に持っていた手袋を握りしめる。

 蔑みの視線を思い出し、思わず青くなって、ふるりと肩を震わせた。

 ノーリーンはその様子に目を瞬き、次に深く、長い息を吐きながら首を横に振った。

「……――いえ、申し訳ありません。今言ったことは忘れてください。行けば分かりますから」

 どこか諦めたように彼女は溜息をつくと、手袋が皺にならないようユーフェミアの手からそっと抜き取った。

 その足りない言葉に不安にならなかったわけではないが、ユーフェミアとしてもここまでくれば、自ずと腹は決まってくる。今更とやかく言ったところで、これ以上の支度はできないだろうし、おそらくノーリーンが手を抜くなどあり得ない。

「ノーリーン」

 ショールを肩にかけてくれる彼女に鏡の中から向き合う。

「何でございましょう?」

 目線を上げた彼女と鏡越しに視線が合い、ユーフェミアは少し迷ったがくるりと身体の向きを変えると、実物の彼女に向き直った。

「あなたの言葉を信じて、頑張ってくるわ」

 綺麗だから誇れといった言葉。

 そう、少なくとも、ユーフェミアから見ても、今の自分はかつてないほど美人に見える。

 もちろんそれは、ドレスやノーリーンの技のおかげでもあるが、自分に少しでも自信を持たなければ、これから向かう夜会のことを考えただけで足が竦んでしまいそうになる。それでは、寝る間を惜しんでまで出来得る限りの準備をしてきたことまでもが台無しだ。

 誰かと比べてしまうから自信がなくなってしまうのだ。どうせ比べるなら過去の自分を比較対象にしてしまえばいい。少なくとも、格段に今の自分に自信が持てる。誇れるものは内面にあるのだが、だがやはり外面もそれなりになると、自信も溢れてくるというもの。

 ドレスが勝負服だと言ったノーリーンの言葉にも頷ける。

「今夜一晩だけ、私はエヴァンス伯爵令嬢になって、ディーン・ラムレイの婚約者であることを見せつけてくるわ」

 そう力強く宣言したユーフェミアに、ノーリーンは頷いて見せた。

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