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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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18.君が信じないなら、何度でも重ねて好きだと言おう 後編

「……おい。何言ってるんだ。大体、あれはダンスのうちに入らないだろう」

 平静を装ったアシュレイの、どこまでも本音にしか聞こえない台詞に思わず目くじらを立てそうになったが、ふとユーフェミアは思いとどまり口を閉ざした。

 ディーンを宥める為に、ここはあえて抑え、アシュレイに同意する方がいいのかもしれない。貶される身としては、アシュレイの取った方法は腹立たしい保身のやり方だと思うが、それでディーンが落ち着き、背中に回された腕が素直に離れてくれるならば、百歩譲って引いてもいい。しかし一方で、ディーン以外の男性と踊ったことで拗ねているのなら、アシュレイを庇い立てすることは逆効果のような気もする。

 ならば、どうするのが一番いいのか。一瞬考えたが、すぐに結論は出た。

 アシュレイの方が付き合いは長いのだから、自分で何とかすればいい。怒りの矛先は生憎とアシュレイに向かっているのだ。申し訳ないと思う気持ちもなくはなかったが、自らの保身に走った台詞にカチンときたのも事実。結局、逆襲も兼ねて、だんまりを決めこんだ。

 束の間の沈黙が、冬のやわらかい日射しの降り注ぐ部屋に満ちた。

 一息を吐くほどの間の後、背中に回された腕と捉われた片手に力を込められる。そして――冷気を含む声音が、頭のすぐ側で落とされ、ユーフェミアは自らの考えが間違いだったと気づいた。

「それは彼女を愚弄する気かい?」

「「……」」

 まさか沈黙していた事が、逆にアシュレイの言葉で傷ついたと思われるとは予想外だった。

 今までディーンがこれほどの不機嫌さを表に出した記憶はない。割と誰に対してもいつも軽口をたたき、余裕の笑みさえ湛えて、決まって憤るのはユーフェミアの方だったのに。

 怖い、というよりも驚き過ぎて言葉が出ない。アシュレイを弁護しなければと思うものの、背中に回された腕がそれを許さない。

 アシュレイもどうして何も言わないのだろう。

 不思議に思いつつも、まさかアシュレイが内心あきれていることなど知る由もなく、ただ困惑するしかなかった。

「やはりきみはいい歳をして自覚がなさすぎる。女性に対する言葉づかいももっと気をつけるべきだ。きみたち兄妹は城を抜け出すのが趣味のようだが――さぁ、用は済んだのだろう? 早々と引き上げた方がいいんじゃないのか」

 多分に含ませた嫌味に、そろそろとアシュレイを振り返った。確かに付き合いは長いかもしれないが、相手は王族。言葉づかいに気をつけるのはディーンの方ではないだろかと、チラリと思う。

 ユーフェミアの心配をよそに、しかしながらアシュレイは苦虫を噛み潰したような顔して、肩を竦めただけだった。

「本当におまえはふてぶてしいな。私たち兄妹にそんな台詞を言えるのはおまえぐらいだ。確かに用は済んだから引き上げるが……それは少し甘やかしすぎじゃないか?」

 それ、と言った瞬間、ユーフェミアと視線がばちりと合った。

 名前を呼べ、とまでは言わないが、「おまえ」から「(それ)」に格下げされたことにジトリと睨みつける。

 宥めるように背中を撫でられると、頭上からひそやかな笑い声が落ちた。

「……事前連絡もなしに来た誰かさんのせいで今日の予定はすべて変更になったんだ。おかげで時間が出来たのだから、少しは気をきかせるぐらいの頭はないのかな?」

 そう言って笑うディーンを仰ぐと、アシュレイ共々、頬を引きつらすことしか出来なかった。

 それはどう言う意味にとればいいのだろう。休養したいという意味……ではないはずだ。背中に回されている手は明らかな意図をもって一層力が込められたのだから。

 まずいと思った。

 助けを求めるつもりはなかったが、自然とアシュレイを振り返る形になってしまった。彼も同様にこちらに視線を投げ、目が合ったのは一瞬。すぐに人の悪い笑みを浮かべた彼は、視線をそらし、何事もなかったかのようにソファから悠然と立ち上がった。

「好きにしろ。見送りはいいから、勝手にいちゃついておけ」

 どこか投げやりに言い放つ。だが先程の笑みから察するに、ユーフェミアに対する嫌がらせに間違いない。ディーンが屋敷に帰ってくるまでの間、二人で交わした会話から、どう考えてもユーフェミアがこの状況を受け入れ難いものとしていることなど伝わったはずなのだから。

「お気づかい感謝する」

 見送りはいらないという言葉を、そのまま実行に移そうとしているディーンに、しっかりと身体を固定されているので、当然ユーフェミアも立ち上がることは出来ない。片手は握られているし、もう片方の自由な腕で胸を押してみるが、びくともしない。完全に離す気がないことを悟ると、さっさと部屋を後にするアシュレイを、結局目だけで見送ることしか出来なかった。

 扉が閉まった直後、ユーフェミアは自らの身体を引き寄せる男を睨み上げた。

 もう一度、胸を押しやると、今度は腕がゆるめられ、ようやく視線が合わさるだけの距離を確保できる。

「失礼でしょう!」

「先に礼を欠いたのはアシュレイだよ。それに連絡もなしに来るなんて、きみが困っているのではないかと思って急いで帰ってみれば、どうやら私の心配も余所にすっかり仲良くなったみたいだったけどね」

 予想外の言葉に、目を瞬く。

 心配――した? その上、まだ少し拗ねているような気がするのは気のせいではないはず。こんなことぐらいで、と思う反面わずかに心音が跳ねる。

「……大丈夫よ。アシュレイ様も以前ほど敵意を向けてはこないし」

 事実を事実のまま告げると、ディーンは一瞬言葉を切った。

「――なるほど。アシュレイの言ったことも一理あるな。私はきみに対して甘いようだね」

 何を思ったのか、いつになく強気な発言をしてくる。

 アシュレイの言った「甘い」とディーンの言う「甘い」は何かが違うような気がする。ただ、どのように違うのか。あまり想像したくはない。

「そうかしら?」

 再度跳ねそうになる心臓を抑え込み、いたって平素を装いながらも普通に言い放つと、テーブルに置かれた招待状を意味もなく見つめた。

「うん。その無自覚なところが憎らしいね」

 再度、背中に回された腕に力がこもった。あっと思った時には再びディーンの腕の中に舞い戻っており、力いっぱい押しやっても、またもやびくともしない。

「……憎いなら放っておけばいいでしょう」

 じたばたと暴れながらも言葉尻を逆手にとってみたが、言った途端、胸の奥に鈍い痛みが走った。本当に憎いと思って言われた言葉ではないと分かっているのに、放った言葉が逆に自らの心に突き刺さる。

「どうして気づかない振りをするんだい? きみは私の婚約者だろう」

 いつもなら、もうそろそろ解放してくれるはずなのにその気配は微塵もない。むしろ背中にある腕が、がっしりと身体に回され逃げられないように自由を奪う。

 至近距離での会話が、とても辛い。心音が、徐々に早くなる。

「一応ね」

 どこまでも素っ気なく言い放っていたが、いい加減、本当に離して欲しかった。このままでは煩くなりつつある鼓動が伝わってしまいそうで、怖い。

「だったら、私の気持ちも酌んで欲しいな」

「……念のために聞くけど、どうして欲しいって言うのよ」

 すでに平静を装うのが精いっぱいで、限界は近かった。すでに口から出る声はわずかばかり震えている。もう自分で考えるだけの余裕はない。頭に上った血が、思考の邪魔をする。

 なりふり構わず今すぐ逃げ出したい衝動はあったが、果たして今のディーンが逃してくれるだろうか。問うていながら、答え自体を聞くのが怖くて、目の前の胸に置いた手が彼の服を皺になるほど強く握りしめるのをただ息を殺して見つめていた。

「私だけを見て欲しい」

 耳の側で落とされた声は、いつもより低く、耳朶をかすると、握りしめたその手から容易に力を奪っていった。頭の奥を麻痺させるような声は、ある種の薬にも似た陶酔感を与え、同時に胸にわき上がった言葉を飲み込むと、その言葉を隠すように反論した。

「は、恥ずかしげもなく何言っているよ!」

 再度拳を握り、目の前の胸を押す。

 その言葉をディーンから聞くと、無性に腹立たしい。

「何が恥ずかしいんだい? 言わなければ伝わらないだろう」

「そんなこと分かりたくないわよ」

 ついうっかり言ってしまい、途端捉まれた腕に力がこもった。

「なぜ?」

 真剣味を帯びた声にハッとし、しまったと口を閉ざした。

 本当はユーフェミアも分かっているのだ。ただそれを認めたくないだけで。

 ディーンは、いつも真剣に想いを口にしているのかもしれないが、ユーフェミアにしてみれば、どこまでも社交辞令のように聞こえてしまう。その軽さが溝のようなものを互いの間に作っていると彼は気づいているのだろうか。ましてその溝がユーフェミアの心の奥底にずっと潜んでいた疑念と繋がっているなど、どうして言えるだろう。

 黙っていると、再度耳朶を息が掠めた。

「私のことが信じられない?」

 いつもの台詞を今度は逆手に取られ、言葉に詰まった。

 否定はしない。だが、もしかすると彼自身が気づいていないだけかもしれないという確信に近い思いが、このオールドリッジ邸に来てからというもの、いやべレスフォード邸でのあの夜――彼とクリスティアナの繋がりを知った夜から、ユーフェミアに付きまとっているのだ。

 過去を語った時の熱を帯びる彼の瞳が、当初自分に向けられた時、あまりにも真剣過ぎて、てっきり自分に向けられたものだと思ってしまった。だけど、ただ完璧な婚約者を演じれてくれとでもいうように、自分のなすべきことだけをすればいいと言われて、考えてしまったのだ。

 彼が本心で求めているのは、やはりクリスティアナではないのだろうかと。

 娘であるユーフェミアが母に似ているのは当然で、だが別人であることをディーンは根底では気づいているから、知らず知らずユーフェミアと一線を引いているのかもしれない。だから、踏み込まれては不都合なのだろう。考えれば考えるだけ、その認識が正しいような気がしてずっと胸の奥に燻り続けている。

「きみを騙すように近づいた男の言うことは嘘だと思っている?」

 まるでこちらの心中を察するかのような声はどこまでも柔らかく、まるで彼自身を責めているかのように聞こえ、ユーフェミアは思わず身を固くした。

 否定の言葉を口にしたかった。だがそうすると、他の理由を問われてしまう。もしもこの疑念を口にしてしまえば、気づいていないかもしれない彼の本心を、気づかせてしまうのではないかと不安だったのだ。

「確かに私は隠し事をしていたけど、きみに嘘をついたことは一度もないよ」

 そう、気づいていないなら嘘にはならない。でも、彼が気づいてしまったらきっと傷つくのは自分だ。寄せられる想いがまやかしかもしれないなど、優しい言葉が全て、本当は違う人物へと向けられたものであったなど、悲しすぎる。

 いつの間にか彼が喋ることで触れる吐息は、うつむいたユーフェミアの額に移動していた。

 触れそうで触れないその距離は、互いの心の距離のようだった。

「それとも、何か気がかりな事でもあるのかい?」

 俯いたユーフェミアの頬を、手の甲が撫でていった。その手はどこまでも優しく、反面心を引っ掻いていく。

 この手が、自分に向けられたものでないとするならば、それはあまりにも残酷だ。だけど、振り払えない自分が、惨めで弱くて、醜い。

「それを教えてくれないか? 一体、何を心配しているんだい? 私がきみの気がかりを除ける手助けができるなら、何だってするよ」

 まるで約束と言う様に、そっと額に押し付けられた唇は温かくて、 その優しさが、苦しくて、痛くて、同時に鍵となって、気づくと閉じ込めていた思いを叫ぶように口にしていた。

「無理よ! だって、あなたは……私を母と――クリスティアナと重ねているだけなのよ! あなたが見ているのは私じゃないっ」

 ずっと心の底にあった不安。

 まっすぐなディーンの瞳は確かにユーフェミアを見ていたが、言葉の軽さが不安を呼んだ。彼自身、心のどこかで違うと分かっているから、いとも簡単に想いを口にする。

 そんな偽りの想いに揺れる自分を認めたくなかった。認めてはならなかった。

 まして「私だけを見て欲しい」などという台詞をディーンの口から聞きたくなどなかった……。

「――ユーフェミア」

 言ってしまった重苦しさに、息さえ潜めるように口を固く結ぶ。

 頭上から降ってくる声は、何の感情も窺えないほど淡々としており、背中に回された腕もするりと外された。

 しかし。

 深く長い溜息が落とされ、同時に呆れているような声が降って来る。

「……なるほど。それではいくら私が何を言っても、届かないはずだね」

 恐る恐る視線を上げると、どこか納得したようなそれでいて苦笑を浮かべた彼は、ソファの背もたれに寄りかかった。

「ずっと、そう思っていたのかい?」

 先程と、さして変わらない声音に安心して、ぎこちなくも小さく顎を引いた。

 すると、再度溜息が落とされる。

「最初に言っておくべきだったね。きみとクリスティアナは全然違うと。母子ならではの似ている部分はもちろんあるけど、私がきみに惹かれたのは彼女にはない部分だよ」

 あっさりと言い切ると、ふと表情を改めた。

「最初は、私もきみと同じように思わなかったわけじゃない。決して手に入らないものを、きみという代用品で済まそうとしているのではないだろうか……と。だけど、時間が空いた時に思い出すのはいつもきみの憎まれ口でね。以前は王宮へ出向いても、クリスティアナの現れる時刻まで理由を付けて居座ってたりしたけど、今は――」

 そう言うと、するりとユーフェミアの手を取った。

「きみのいるこの屋敷に帰ってくることが、楽しくて仕方ないんだ」

 そのままその手を自らの唇に引き寄せる。

 その偽りのない微笑から目が離せない。

「だから、きみが信じてくれないなら、何度でも言うよ――きみが好きだとね」

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