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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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18.君が信じないなら、何度でも重ねて好きだと言おう 前編

 招待状――?


 白い封書と共に告げられた言葉に、ユーフェミアは小さく何の?と呟いていた。

 ディーンはある程度予想がついていたのか、ユーフェミアの疑問をよそに、封書には興味も示さず、そう言えば、とアシュレイと世間話を始める。

「エドワーズ陛下の治世になって、もう十五年か。早いものだな」

「……だったら、おまえとの付き合いも十五年だろう」

 口では煩わしそうに言うものの、アシュレイはどこなく喜んでいるようにも見える。以前から思っていたのだが、ディーンと話す時のアシュレイは、身にまとう雰囲気ががらりと変わる。一見したところ言葉自体は刺々しいが、ディーンの言うことは素直に聞くのだ。

「そうだな。……と言うことは、あれからそんなにも経つのか」

 後半は声を落とし、ユーフェミアにも分かるほど、あれ、に忌まわしさを匂わせた。それだけで、アシュレイにも伝わったらしい。

「ああ」

 低い返答は、短かった。

「レイモンド様のご容体はどうなんだ?」

「最近は、小康状態だ」

 ユーフェミアにとって余所事の会話が交わされる中、テーブルに投げ出された封筒だけが、陽を浴びて白く輝く。

 当たり前のことだが、ディーンが今までどのような生活を送ってきたのかユーフェミアの知っていることは極わずかだ。二人にとっては日常的な会話なのだろうが、分かることは微々たるものだ。

 ああ、そうか、とふと思う。

 レイモンド、とは先代の王、つまりエドワーズ国王の父親だ。ユーフェミアがまだ幼かった頃、大きな事故に遭われ退位せざるを得なくなったと聞く。その頃、ちょうど母を亡くしたばかりだったユーフェミアは、世間の出来事など無関心だったのだ。

 完全に関係ないと思っていたが、血のつながりを考慮に入れると多少なりとも関係あるのかもしれない、と半ばぼんやりしながら封筒を眺めていると、いつの間にか止まった会話に顔を上げた。

 どこか咎めるような視線を、淡褐色の瞳の持ち主が送ってくる。完全に聞きながしていた事に気づかれたようだ。誤魔化すように笑うと、溜息を吐かれた。

「もうすぐ父が王位を継いで十五年を迎える。その記念に式典を催し、夜には大規模な夜会も開く。これはその招待状だ」

 簡潔で分かりやすい説明だったが、向けられた眼差しは、そんなことも知らないのか、と語っている。

 アシュレイが父、と言うからにはつまるところ、母は違えどユーフェミアにとっても同じ意味なのだろう。それは喜ばしいことなのだろうが、いまいちピンとこない。

「何をぼんやりしている。開けてみろ。おまえの名前も記されているはずだ」

 テーブルの上に無造作に投げ出された封書に目をやる。職業柄、紙質には詳しく、白く漂白された紙は見るからに上質のもの。

 王子自らが持参したものを偽物だと疑ってはいないが、告げられた言葉は、にわかには信じがたいものだった。

 繊細な紋章が刻まれた印璽(いんじ)で封蝋を押された封書におそるおそる手を伸ばし、自分が開けてもいいものかディーンを見やると彼は小さく頷いた。緊張で冷たくなった指先で封を外すと、こぎみよい音を立てて蝋が割れた。

 ゆっくりと開くと、そこにはユーフェミアの名前と、母から本来引き継ぐべき家名が記されていた。

 信じられない思いで無意識のうちに視線が招待状とアシュレイの間を往復する。

 ユーフェミア・エヴァンス――。

 この名を名乗ったことは、実のところユーフェミアは一度もなかった。

 書かれた名前を指先で辿るように撫でながら、小さく口の中で呟くと不思議と違和感はない。むしろじんわりと心に染み入り、もう何十年も前から当たり前のように名乗っていた名前のように感じる。とても、愛おしい。

「……あれから色々と調べてみたが、エヴァンスはまだ爵位を剥奪されていない。領地を放っておいたことについては何かあるかもしれないが、取りあえず、おまえに名乗れる権利はある」

「――いいの?」

 本当にこの名を使ってもいいのだろうかと、途端不安になる。

 確かにこの名前はユーフェミアのものだ。しかし、過去に母が仕出かしたかもしれない事は何十年たっても消えるものではない。それが、どのようにディーンやジュリア、もしかしたらエドワーズ国王の上に圧し掛かるのか。貴族社会に詳しくないユーフェミアには残念ながら予測不能なことだらけだ。

 だからアシュレイとディーンが意味ありげに視線を交わしたことも、良い意味にとることなどどうして出来るだろう。横から伸びてきた手が、軽く肩に触れただけで思わず身をすくめていた。

「きみは堂々としていたらいいよ」

「でも――」

 臆するユーフェミアを、アシュレイが鼻で笑う。

「おまえは以前、私になんと言った? 恥ずべきことは何もしていないと、矜持をもって生きていると言ったのは嘘だったのか?」 

 そう、確かにジュリアたちとピクニックに出かけ――川に落ちる前に言った記憶がある。

 世間に顔向けできないような生き方はしていないし、誇りをもって仕事もしている。

 だが、それとこれとは話が違うのではないだろうか。貴族社会の者は決してユーフェミア自身を見てくれるわけではない。子供の頃向けられた、あの蔑むような視線が何を意味しているのか、今なら分かる。クリスティアナが仕出かした事。おそらく不義の子を産むことが、自らの過ちの証拠だと分かっていても、ユーフェミアを産むことを選んだのだ。来るべき未来が茨の道だったとしても。

 このままずっとナフムやクリスティアナが望んだように庶民としての生活を送っていれば、ユーフェミアの未来は決して茨の道ではなかったのだろう。だが一度この世界に踏み込めば、その棘はユーフェミアに無数の刃となって襲いかかるのだ。

 だから怖いのだ。

 背筋を伸ばしていたが、招待状を持つ手がかすかに震える。しかしアシュレイを正面から見据えると、しっかりと声を出した。

「嘘じゃないわ。今だって言い切れる。確かに母は間違ったことをしたのかもしれない。だけど母が私を愛してくれたのは、私を産んだことを後悔していないからよ。だから、母のしたことは私も負わなければならないことだわ」

 そう、たった一度だ。

 エヴァンスの名を名乗るからには、覚悟が必要だ。もう何度も怖いと思った。だが、名乗るべき名前を突き付けられて、やっと心が決まるとは。

 寒さからではなく手が震える。

 だが震えるその手を横から伸びた手が握った。力強く、大きなその手は、震えを止めるかのようにギュッと力が込められた。

「それは違う」

 握った手同様、その声は力強かった。

 思わず手の持ち主を見上げると、吸い込まれそうなほど真っ直ぐな夜色の瞳がこちらを見つめていた。

「きみが責められることなど何もない」

 予想外の言葉に、震えがピタリと止まる。

 驚くべきことに、正面からも否定の言葉が投げられた。

「責めるべきはおまえの存在を知っていながら放っていた父親だろう」

 冷ややかな声音に、思わずアシュレイを振り返った。

 その視線はどこを見るともなしに宙に据えたまま、忌々しげな光を宿すと吐き捨てるように告げた。

「貴族の馬鹿どもは、自らの権力を保持するために弱者を排除することを厭わない。それがたとえ王族の血を引いていようとも、役立たずならば引きずりおろされるだけだ。おまえの母親もおまえを守るだけの力がなかった。そして父も」

 抑え気味の声が、怒りではなくアシュレイの寂寥感を如実に語っていた。

 あれほどユーフェミアを蔑んでいたのに、一体何があったのだろうと思うほどアシュレイの中で何かが変わっていた。ユーフェミアに対するのは、近親者への感情とは明らかに違うものだが、そこにもう憎しみはない。

「どちらにしろ、おまえに母親のしたことを理解できる頭があるなら、馬鹿どもを迎え撃てばいいだけだ。その準備は――まだ完ぺきとは言いがたいがな」

 そう言って、見せつけるかのように足を組み替え、ニヤリと笑った。

 途端、ぼんやりした頭に血が巡りだす。

 八回。

 目の前の人物の足を踏んだ回数だ。そして彼は、王族で。どうして自分の力量を知らずに無様にも言われるままに踊ったのだろうと今更ながらに恥ずかしくなる。

 あまりのことに悲鳴を上げたいのを我慢して、ユーフェミアはアシュレイを軽く睨んだ。まったく嫌味な言い方をしてくれる。

 淡褐色の瞳に見下した色を浮かべる男としばらく視線だけで応酬していると、未だ横から握られたままの手に力が込められた。

「なんだか面白くない図だね。いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」

 拗ねた口調と共にぐいっと手を引かれると、上体が傾いだ。

 必然的にディーンの方へと倒れそうになったが、もう片方の手に肩を抱き止められる。奇しくもディーンの胸に寄りかかる状態になり、ユーフェミアは慌てて喚いた。

「な、何言っているのよ! さっき踊った時に足を踏んでしまったから、嫌味を言われていただけでしょう!」

 ちゃっかりと背中に回されたディーンの手から逃れるように身をよじり、どこを見て仲がいいと思っているの、と叫ぼうとしたが、いつになく冷ややかな声が頭上から降ってくる。

「そう、私でさえまだきみと踊ったことがないのに……。――アシュレイ、きみもいい度胸をしているじゃないか」

 ディーンとの距離が近すぎてその表情を窺うことができなかったが、その声音に、ユーフェミアはピタリと動きを止めた。険呑なものを十分に含ませた声は、もしかしなくても怒っているのだろうか。

 だが、何故ディーンが声をとがらせているのか理解したくなかった。

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