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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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16.見せたくない過去も暴きたくて仕方がないくらい 前編

 そこは、幽霊屋敷――。


 オールドリッジ邸はバルフォアでも有名な幽霊屋敷だ。

 街の一等地にあるその屋敷は現在街一番の金持ち、ディーン・ラムレイの持ち家でもある。

 かつての持ち主であったオールドリッジ卿はある夜、夜盗に入られ、一家もろとも住み込みの使用人一同、すべて惨殺されたという。

 それは今から五十年ほど昔の話……。



 オールドリッジ邸はバルフォアの中心地より少しだけ離れた閑静な住宅街にある。しかしそこは、街中であることに変わりはなく、当然クライトン郊外にあるべレスフォード邸のような広大な土地と邸を有しているわけではない。



 バルフォアの拠点となる市庁舎広場には、街を東西に二分するよう南北に縦断する街道が走っている。多くの脇道がその街道から枝を張るように延びているのだが、広場から西へと延びる石畳の道をしばらく進むと、やがて人の背丈ほどの柵が左右に広がった場所に突き当たる。

 黒く塗られた柵の向こう側が噂のオールドリッジ邸であるのだが、柵越しからは目隠し代わりに庭木が植えられているため、屋敷の全景を望むことは出来ない。かろうじて空に伸びる屋根の尖端が見えるぐらいで、その距離感は微妙なものだ。だからこそ想像の種は尽きないもので、未だに幽霊屋敷としての噂は絶えることがない。

 イヴァンジェリンの言うところのマナー養成強化合宿の場となるオールドリッジ邸は、ユーフェミアの家とは広場を挟んだ対角線上にあると言ってもいい。

 同じ街に住んでいるとは言っても、見えないものが見えてしまうユーフェミアが、わざわざ幽霊屋敷を見物に行くことなど当然あり得ない話だ。むしろ出来るだけ近づかないように心がけていたというのに、その屋敷でまさか寝起きをする日が来ようとは思いもしなかったが。

 考えただけで気が重くなる。

 歩いてもたかが知れている距離をわざわざ迎えにきたディーンに、いつものごとく強引に馬車に乗せられ、なぜだか幼馴染のケイトとその娘のリリーに、片やニヤニヤ、片や満面の笑みを餞別代わりに見送られたのはつい先程の事。

 重い気分のまま馬車に揺られ、ディーンとの会話に曖昧な返事を返しつつ、窓の外を流れる街並みを眺める。

 ちょうど通りかかった広場は、昼時であるからだろう。先代の国王の功績を称える記念碑が建つ台座付近では、冬場であるにもかかわらず珍しく暖かい日差しが降り注いでいるからなのか、昼食を取る人々が思い思いにくつろいでいる。

 そんな穏やかな日常を見ていると、ついつい自分の置かれた現状に溜息がこぼれ落ちる。

 何故、自分はこんなところにいるのか。一体、何をしているのか。望んでいることは小さなことのはずなのに、その代償の大きさにうんざりしてしまう。

 しかし――。

 ふと影を落とした記念碑を見上げる。通り過ぎざま、目に飛び込んできた太陽に手を翳しながらも、かつて会った記憶の中の人にもう一度会いたいと、諦めきれない自分がいるのだ。

 決めたのは自分自身なのだからと何度も頭の中で繰り返したものの、一方、他にも方法があったのではなだろうかという思いもある。では、どのような方法かと問われると、少なくとも一介の庶民である自分一人の力でどうにかできる事でないことも分かっている。やはりディーンやジュリアの力添えがなければどうにもならなくて、それならば無理を通すよりも彼らの言う通りにする他ないのだろう。

 そうして悶々としたままディーンの会話に生返事をしつつ、彼にもうすぐ到着することを告げられた。

 見ればすでに屋敷のすぐ側の道沿いを走っており、しかも身構えた割にはあっさりとオールドリッジ邸へと到着してしまった。

 常日頃から一等地だと言われているため、庭木の向こう側には広い庭が広がっているのだと勝手に想像していたのだが、実際は違ったのだと、その日ユーフェミアは初めて知った。

 と言うのも、通りに面した門から正面玄関までの道はゆるく曲がっており、馬車の窓から見えていた門が覆い繁った庭木に隠されるとほどなく、身体に伝わっていた微かな振動が止まり、到着を知らされたからだ。

 ついに到着してしまった噂の屋敷に恐々としながらも、観念して馬車から下り、全貌を現した建物を見上げて、ユーフェミアは言葉を失った。

 二階建ての煉瓦造りの屋敷は明るい日差しが降り注ぎ、庭木が生い茂っているように見える庭も、良く見ると手入れがされている。冬場ということもあり花こそ咲いていなかったが、おそらく春になると庭木は大量の花房を付け、他の花々と競うように咲き乱れることだろう。

 この煉瓦造りの屋敷と計算されたように作られた庭が、その情景を容易に思い起こさせ、ここが本当に幽霊屋敷だとは思えなかった。

 促されて足を踏み入れた玄関ホールもべレスフォード邸を見た後では質素だと思えなくなかったが、華美ではないというだけであって把手一つにしてもきちんと磨かれ、正面に延びる二階への階段の手すりも照明の明かりを受け艶やかに光っている。想像していたような薄暗さはどこにも見当たらない。

 階段脇を通り抜け、部屋に案内されながらも、噂に聞く五十年前の事件の痕跡を恐る恐る探してしまったが、当然見つからなかった。

「本当は私の部屋の隣にきみの部屋を用意したかったんだけどね」

 どこか残念そうに言いながら、一階の客室に案内してくれるディーンを背後から睨む。

 それは何の為に、とは口が裂けても聞きたくはない。ちなみに彼の部屋は二階にあるらしい。いつでも歓迎すると言われたが、きっと用はないに違いない。

 先程紹介されたばかりの執事のアドルフは、ユーフェミアのわずかばかりの荷物を持って後ろをついてきていたが、主人の軽口を諌めるようにわざとらしく咳払いした。

 初老に差し掛かった彼は、まるで古木のようにひょろりとしている。一見したところ柔和に見えるが、真っ直ぐに伸びた背筋はたとえ主人の命令でも間違ったことには従わないという確固たる意志の強さを感じさせる。

 どうやらユーフェミアの部屋が一階となったのは彼の指示ようだ。

 あとできっちりお礼を言っておかないと、と心に留め置き、ディーンの話に取りあえず耳を傾ける。

 骨董品店(アンティークショップ)にやってくる時もそうだったのだが、彼は日に二度やって来ることはあっても長居をすることは決してなかった。来る時間もまちまちで、どうやら客先との待ち合わせ時刻の合間に寄っていたらしい。話を聞くと、昼食や夕食は外食をすることが多いとのこと。つまり、日中は留守がちということだ。

 そのことにホッと胸をなで下ろす。

 ディーンはチラリとこちらに視線を寄こすと、どこか残念そうに呟いた。

「少しぐらいは寂しがって欲しいね」

「……寂しがると仕事の邪魔になるでしょう?」

 わずかなためらいの後、ボソリと落とした言葉は、決して本心ではない。一応「婚約者」ということなのでそれらしく答えてみたのだが、言うまでもなく棒読みにしか聞こえなかったようだ。

 背後でアドルフが再び小さな咳払いをする。

 ユーフェミアがディーンの婚約者となった経緯をある程度知っている彼は、ユーフェミアの教育係の一人でもある。

 どうやら今の受け答えでは不合格らしい。だったら何と答えれば良かったのだろう、と首を捻ってみたが、歯の浮きそうな言葉は浮かんでくるものの、実際にそれを口にした自分を想像して鳥肌が立ってしまった。

 ありえない。

 そして気づく。もしかして目の前を歩く人物に多少なりとも感化されているかもしれない……。よくも常日頃からあのような歯の浮きそうな台詞が言えたものだ。

 ある種、感心しながら適当な言葉を考えてみたが、これといった言葉は浮かんでこない。それでもディーンはユーフェミアが返した言葉に多少の努力を認めてくれたようだった。

「うん。だったら夕食ぐらいは一緒に取れるようにロジャーに時間の調整を頼んでおこうか」

 やはり彼は、転んでもただでは起き上がらない性質らしい。一歩も二歩も上手をいくその返答に、お構いなくと言いかけ、ふと思い直して声を出さずに密かに笑う。

 駄目だと思いつつも、やはり、どこかでやり込めてやりたいという思いがあるのか、むくむくと反抗心が湧き上がってくる。

 わざとらしく聞こえないよう注意しながら、今度は逆にできるだけ声調を抑えて告げる。

「それは駄目よ。……あのね、私がここに厄介になることで、あなたに仕事上の付き合いをおろそかにして欲しくないのよ。気に掛けてくれるのは嬉しいけど、気持ちだけで十分よ」

 考えつく限り、思いやった言葉ではある。一応、婚約者らしい言葉とは言えなくもないだろう……多分。

「……もう一言あると嬉しいんだけどね」

「まだまだでございますね」

 前後からそれぞれ溜息混じりの答えが返され、どこがいけないんだと再び頭を悩ませた。

 それでも気を取り直した彼は、ちょうどユーフェミアの為に用意された客室に着いたこともあり、扉を開けてくれ、どうぞと促してきた。勧められるまま一歩踏み込む。

 白い薄地のカーテンがまず目に飛び込んできた。

 落ち着いた色調の家具は、どこかユーフェミアの自宅の居間を思わせた。ソファの色合いといい、床に敷かれた絨毯といい、まさかという思いが過る。似ているが偶然だと思いたい。

 冬のやわらかい日差しが差し込む部屋は明るく、あらかじめ暖めておいてくれたのだろう。暖炉の側で火の状態をみていた女中が身を起こし、目が合うと彼女は静かに微笑んで、軽く頭を下げてきた。

「彼女はノーリーン。きみの身の回りの世話をしてくれる者だよ。困ったことがあれば遠慮なく彼女に言えばいいから」

 紹介されたのは、おそらくユーフェミアと同年代と思える女性だった。

 まとめ上げた髪は見事な金髪で、思わず目を奪われるほどの容貌だった。部分部分の造りは派手ではあるが控え目な化粧で落ち着いた印象を与え、まとめた髪も服装もお仕着せである為、逆にそれが彼女の美しさを際立たせている。澄んだ瞳は吸い込まれそうで、誰が見ても美女だと口を揃えて言うだろう。

 こんな身近にこんな美人がいるのであれば、ディーンも彼女に婚約者の役目をしてもらえばいいのに、と自分の目的を忘れてチラリと思う。

 気のせいかもしれないが、視線を交わしあう二人の間に流れる雰囲気が、かなり親しみを込めたもののように思える。

 雇い主を前にして緊張しない女中は珍しい。良好な雇用関係が保てていると考えれば納得できないこともないが、ジュリアの言葉がどうしても引っ掛かってしまう。

 女性の扱いには慣れている――。

 ……どういう意味に取ればいいのやら。

 それに、彼女としても同じ庶民出の女の世話をしろと言われて嫌ではないのだろうか。大体、身の回りの世話をする者なんて必要ないのだ。自分のことは自分で出来るのだし。

 どこからともなく湧きあがってくる苛立ちに、気づかれないように小さく息を吐く。

 状況的に今更何を言っても仕方がないことばかりだ。

 だが、ふと視線を感じ、顔を上げると無遠慮に見つめてくるノーリーンと目が合った。

 その視線は悪意のあるものではないが、むしろ興味をもって見つめられ、その顔立ちが頭の片隅に何かを告げた。

「……あの、どこかでお会いしたことありました?」

 こんな美人を忘れるはずはないのだが、なぜだかぼんやりとして思い出せない。同じ街にいるのだから、どこかですれ違っていてもおかしくはないのかもしれないが。

 うーんと唸りながら首を傾げると、ユーフェミア以外の三人が、ほぼ同時に笑い声を上げた。

「ロジャーも憐れだね」

「不肖の弟がいつもお世話になっております」

「ノーリーンはロジャーの姉でございます」

 三者三様の返事が戻ってきて、あっと声を上げた。

 言われてみると、確かにロジャーに似ている。しかしロジャーとは違い、その瞳の強さが彼女の芯の強さを表しているようで、庇護欲とは無縁の――きちんと自立した女性に見える。

 つまり自分と同種の人間だろう。

 それなら話は早いかもしれないと、先程の不満をものは試しに申し出てみた。

「身の回りのことは自分で出来ますから――」

「駄目でございます」

 全部を言う前に、理由も聞かず、有無も言わさず、にこりと笑って却下される。

「でも」

「聞き入れることはできません」

 言いたいことは分かりますけど、とその瞳は告げていた。

 何を言っても譲ってもらえそうにない頑ななその様子に、仕方がないと肩を落とす。彼女もこの仕事で賃金を得ているのならば、ユーフェミアとしても同じ働く身として彼女の立場を理解できないわけでもない。

 簡単に引き下がったユーフェミアに、ディーンもなぜか気を良くしたようで、ノーリーンに向き直った。

「彼女のことは任せたよ」

「承知致しました」

 きっちりと丁寧な礼をとり、早速アドルフからユーフェミアの荷物を受け取った彼女は、まずはお部屋の説明をしますね、と言って、促されるというよりもむしろ強引に、奥の部屋へと連れて行かれた。

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