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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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14.空を見上げて貴方を思う 後編

「私はきみとの婚約をその場しのぎで済ますつもりはないよ」

 耳に飛び込んできた言葉に、思わず目の前の男を凝視していた。

 どこか不敵な笑みを浮かべるディーンに対して、ユーフェミアの頬は次第に強張っていく。

 いつもと同じ軽口のはずなのに、中身の重さがまったく違う。その場しのぎで済ますつもりではないのなら、どういうつもりだというのか。

 答えは一つしかない。

 たどり着いた結論に、血の気が引く。

 まさかと思いつつ、尚も違う可能性を考えてみる。

 一体、なぜこのような話になっているのか。確か、彼とジュリアが婚約破棄をするに至った理由を聞いていたはずだったのだが。

 ユーフェミアはこめかみを押さえ唸った。

「ちょっと、待って。意味が分からないわ。だってあなたたちは婚約を破棄する為の協力だって……」

 もとを(ただ)せばそうだったはず。

 しかし告げられたのは、先程のその場しのぎではないという発言。

 ディーンは混乱するユーフェミアに尚も追い打ちをかける。

「ジュリアからどう聞いたのか知らないが、私はきみに婚約者になってくれと昨夜言ったじゃないか」

「いや、でも、それはあなたのお養父(とう)さまを言いくるめる為じゃないの?」

 言葉は悪いが断りを入れられるほど構っている余裕はなかった。

 彼自身も別段気にした様子も見せずに話を続けた。

「第一の目的はそうだが、これは国王さえ巻き込む話だ。国王を謀れば……いや、それ以上にきみと嘘の婚約をしたことが国王に露見したら私はただじゃ済まないし、何より私はもとから嘘を吐くつもりはなかったよ?」

 飄々とした態度で、こちらを楽しげに見つめてくる。

 先程から彼の口調とは裏腹に、言っている内容が重みを増しているのは気のせいだろうか。ずしりと胃の辺りが重くなる。

 つまり。

 国王を謀らない為に保身で婚約を真実にするのか。いや、もとから嘘を吐くつもりはないということは、本当に彼自身の意志で結婚する気があるということだろうか。

 ――どちらにしろ、ユーフェミアにとって有り難くない話だ。

 引きつる口元を無理矢理上げると、口からは乾いた笑みしか漏れなかった。

 冗談としか思えない。

「……でも、私はあなたと結婚する気はないし?」

 見解の相違は早い段階で解決しておくに限る。

 今後のことを見据えても誤解されたままでは困るので、その点だけは分かってもらうつもりだった。

今までは(・・・・)、だろう?」

これからも(・・・・・)、よ」

 強調された言葉をすかさず投げ返す。

 一体、どこで齟齬が生じてしまったのか。

 当惑するユーフェミアをよそに、ディーンは少しも狼狽せず、わずかに眉を上げただけだった。

「一つ聞いてもいいかな?」

「何?」

「どうして結婚するつもりはないんだい?」

「どうして結婚しなければならないの?」

 一人で生活していけるだけの力は取りあえずあるつもりだ。

 今の生活に不満はない。ならば、結婚などする必要がどこにあるのか。

 上流階級のように義務的に結婚する必要は庶民にはないのだ。

 それに昔から感じていたのだが、どうやら自分には家族との縁が薄いような気がしてならない。誰かと結婚して家庭を築いても、その先の幸せが見えないのだ。それは酷く心の中を不安にする。

 本気でユーフェミアが言っていることにようやくディーンも気づいたのか、やっと面食らった表情を見せた。

 軽く天井を仰ぐと、小さく何かを呟いた。

 それがどこか呆れているように見えて、心の奥に痛みが生じる。

 おかしなことを言ったつもりはないのに。

「私はあなたたちに協力するけど、あなたと――いえ、誰とも結婚するつもりはないのよ」

 声に滲んだ不機嫌さに気づいたのか、ディーンはこちらを振り返ると、何かを決意したように頷いた。

「分かった。この際、きみの信条はどうでもいい」

 そう告げると、なぜだかおもしろそうに見つめてくるディーンに、さらに不愉快さは増していく。

 どうでもいいと言われたことにも腹が立つ。

「ユーフェミア」

 まるで宥めるようにこちらに手を伸ばしてくる。その手が触れる前に払い除け、軽く睨みつける。

「……私が聞いている質問に、私の信条がどう関係しているっていうのよ」

 当初の質問から離れてしまっていることに気づき、どうにか話を引き戻す。はっきり言って、まったく関係ないではないか。ディーンが婚約破棄したい要因と、ユーフェミアが結婚したくないことなど何の関わりがあるというのか。

 ディーンはこちらをじっと見つめると、思わせぶりな笑みを口元に浮かべた。

「それは、半分はきみのせいだからだよ」

 意表をつく台詞に瞬間言葉を失って、すぐに首を横に振る。

「まったく身に覚えがないんだけど?」

 何故そうなるのか分からない。しかも婚約破棄の原因を人に転嫁するなどいい迷惑だ。その上、言葉の裏には責任を取れという意味合いが含まれているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 ディーンは軽く笑うと次いでその胡散臭い笑みを消し、ふと懐かしむような目をした。それは昨夜とまったく同じ瞳だった。

「きみの母親――クリスティアナに出会ってから、自分の考えと養父の考えに差があることに気づいたんだ」

 神妙な様子を見せる彼に、騙されてはならないと思いつつも黙って耳を傾ける。

「それが年を重ねるごとに苦痛を伴うようになってね。ジュリアから異性として慕われていることにも気づいていたが、養父の思い通りになることに嫌悪を覚えて、どうしても彼女を受け入れることは出来なかった。だから、ジュリアから婚約の破棄を申し出られた時、むしろホッとしたよ。……そう、商売を始めたのも養父に反発してのことだ。表向きは自分の力試しと言っていたが、生まれた時から貴族社会に身を置いてきた養父はあまりいい顔をしていない。だが、商売はある意味、養父の目の届かない場所で自由な時間を持てたという意味でも、収穫のあるものだったよ」

 そう言って、こちらに穏やかな目を向ける。

「自由な時間を持てたおかげで、養父の裏をかける。今回の計画はかなり前から準備をしてきたが、私の相手を務める女性がどうしても見つからなくてね。役に溺れることなく、養父に(買収)されず、それでいて私の相手として周囲に納得させることができる女性はそうはいない。きみの存在は知っていたが、実際に人となりを知るまでは、きみを候補にさえ上げていなかった」

 穏やかな瞳がこちらを見つめる。ユーフェミアを通して母を見ているのではなく、おそらくユーフェミア自身を。

 そのことにどこか落ち着かない気分にされながらも、べレスフォード邸に来てからずっと疑っていたことの答えでもあることに気付く。

 つまり、出会い自体は彼が仕組んだものではなかったと?

 本当に偶然だったと思っていいのだろうか。

「ユーフェミア」

 再度伸びてきた手が、今度は払い除ける間もなくユーフェミアの手を握る。

 思わず身体に力が入り、その手を見つめながら全身がディーンの声を拾い集める。

「きみがすぐに適役だと気づいたよ。私の持つ肩書を前にしても靡くどころかむしろ嫌悪した。だからと言って態度を変えることもなく……。きみを知れば知るほど、面白い女性だと思ったよ。役だけで終わらすには惜しいと思わずにはいられなかった」

 思いのほか近くで聞こえる声にそっと視線を上げると、すぐ間近に夜色の瞳があった。

 だが、その瞳はすぐに伏せられる。

「いや、そうじゃないな。途中から目的は関係なく、きみのことが気になって仕方がなかったよ。きみとの会話が楽しくて、仕事と称しながらも会いに行くのが待ち遠しくてたまらなかった」

 語られる言葉が、ゆっくりとユーフェミアの心の中に落ちてくる。だがそれは、必ずしも滲み入ることはなく――。

 ユーフェミアは軽く首を横に振った。

 彼の言っていることは、特別だと言っているわけではない。物珍しいという意味でも取ることが出来る。

 今までも、ユーフェミアに近づこうとする者は幼馴染であるケイトの言を借りると何人かいたらしい。しかも彼らからは最初に珍しいという言葉を大抵告げられていた。しかしすぐに興味を失ってしまうのか、知人以上の関係になることもなく、ユーフェミアもまたそれ以上の関係を望まない以上、どうにかなることはなかったのだ。

 だからディーンも一緒だろう。

 面白い――物珍しいだけで、ユーフェミアも今までの者たちとそう大差ないと思っていた。

 しかし――。

 グッと手を強くつかまれ、自ずと意識を向かわされる。

 再び視線を上げると、再度夜色の瞳と視線が合わさった。

「だから――」

 思いのほかその声が強くて、ユーフェミアは咄嗟に自らの手を取り戻そうとした。視線を無理に外し、思わず誰かに救いを求めるよう温室の入口に目を向ける。

 しかし、初めから込み入った話をする目的でジュリアが人払いをしていたのだ。当然、誰もおらず。

 違うと言いながら、彼が何を言わんとしているのか本当はどこかで分かっていた。

 そんなこと、正面切って言われた経験はない。

 どうしたらいいのか、わからない。

 聞いてはならない言葉を聞いてしまうような気がして、心が逃げ出そうとする。

 物珍しいだけで済ませればいい。

 しかしユーフェミアが逃げ腰なことなどディーンにはお見通しらしく、さらに手を強くつかまれた。終いには、もう片方の手を頬に添えられ視線を戻される。

 今、認識できる視界にはディーンしかいない。

 逃げられない――。

 息を飲んで見つめるユーフェミアに、ディーンは挑発的に微笑んだ。

「きみの信条がどんなものであれ、私はきみを手に入れるつもりだよ。もちろん、心ごとすべて。私のことも好きにさせてみるよ」

 宣言された言葉は、完全にユーフェミアの心に深くに突き刺さった。じわりとそこから滲み出たものは痺れるような痛みを伴いながらも、なぜかとても心地良く、彼の発言に抗いたいのに、どうしても口を開くことは出来なかった。



 ぼんやりと見上げたガラス越しの空は、重苦しい灰色の雲に覆われ、外気との温度差が激しい為かガラスは白く曇り、外の景色を完全に遮断している。しかし冬だというのに常緑に覆われた温室は、上着を着なくても大丈夫なほど温かい。

 一人、ユーフェミアはベンチに座っていた。

 ぼんやりと霞んだ空を見上げながら、必死に心を宥めていた。

 あの後、さらりと頬を撫で上げられ、完全に固まっていたユーフェミアは我に返ると共に、いつの間にか握られていた手が自由になり、後頭部に回された彼の手がディーンとの距離を縮めていることを知ると、咄嗟に目の前にあった彼の口元を手で覆った。

 何をされようとしたのか、分からないはずはない。

 あの発言に、この状況、この状態。

 だからといって、ユーフェミアが触れることを許した覚えはない。

「調子に乗らないでっ」

 言った瞬間、怒りがこみ上げてきた。

 口を覆われたディーンは一瞬、目を瞬いたが、ユーフェミアが覆う手を取ると、かすかに笑みを浮かべたまま、なんとそのまま手のひらに口づけを落としてきたのだ。

「な、なな、何をするのよ!」

 悲鳴を上げ、逃げるようにベンチから立ち上がった。

 捕らえられた手を力任せに取り戻すと、完全に彼の手の届く距離から離れる。

「何って? 好きな女性にキスしたいと思うことはおかしなことかな?」

「許可した覚えはない!」

 いや、それ以前に好きな女性って……。

 瞬間、頬が熱くなる。

 面と向かって言われ慣れていないと、照れくさいような面はゆいような、決して向けられる好意が嬉しくないわけではないが、この歳になって舞い上がってしまうことがそれ以上に恥ずかしい。

 それを悟られたくなくて、赤くなった頬を怒気で誤魔化す。

「は、話を元に戻すけど、つまりジュリアと婚約を白紙に戻すのは自分の為なのね?」

 話からすると決して、ユーフェミアのせいではない。つまり、責任を取る必要もないはずだ。ディーンの言う「その場しのぎ」もユーフェミアが否と言えば、丸く収まる話ではないか。

 次第に本来の自分を取り戻すユーフェミアに、ディーンはベンチから立ち上がると一歩近づく。

「まあ、そうだね」

 何気に距離を縮めようとする彼と同時にユーフェミアもまた一歩下がる。

 二、三回それを繰り返し、結局引いたのは彼だった。

 肩をすくめると、

「一応話は済んだが……私は欲しいと思ったものは必ず手に入れるから」

と、何気に捨て台詞に近い断言をし、去っていくその背中はなぜだか楽しげだった。

 それから一人取り残されたユーフェミアは、ベンチに座り直すと誰もいないのをいいことに顔を覆って悲鳴を上げた。

 恥ずかしすぎるし、完全に高ぶった感情は静まらない。

 顔も胸の奥も熱い。

 一時そのままでいたが、ようやく顔を覆う手を除けると、ゆっくりと空を見上げた。白く曇るガラスの向こうで雪が降っていることに初めて気づく。

 そう、浮かれている場合ではない。

 ユーフェミアの目的は、あの人を一目見ること。そして母に会うこと。その為の一歩を踏み出したというのに、どうやっても心の中からあの夜色の瞳が消えることはなかった。

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