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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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14.空を見上げて貴方を思う 前編

 言ってしまった――。


 口から出た言葉一つで、すべてが動き始める。

 協力をする意味で差し出した手は、なぜかディーンに手の甲を上にして持ち上げられた。その所作の目的をユーフェミアが予測できなかったのは、ひとえに彼が目を奪うような嫣然とした笑みを浮かべたからだ。

 ディーンはユーフェミアの手を自らの方に引き寄せると、そのまま手の甲に恭しく口づけを落とした。

 それは貴族としての挨拶なのか、協力者として感謝を込めたものだったのか、ユーフェミアは口から出かけた悲鳴を飲み込むのがやっとで判断することは出来なかった。

 一方、助けを求めるようにジュリアを見ると、彼女は彼女で胸の前で祈るように両手を組み、頬を薄桃色に上気させ、空色の瞳を輝かせている。その態度が予想以上に何かを期待しているような気配を匂わせ、ユーフェミアは開きかけた口を思わず閉ざした。

 正直、反応の良すぎる二人に、しり込みしなかったわけではない。

 頭の片隅にも早くも辞退の二文字が浮かび上がったが、軽く頭を振って自らの目的を思い浮かべると、ふと先程ディーンが温室にやってくる前にジュリアとの会話が中断してしまっていたことを思い出した。

 聞きたかったのは、今朝アシュレイから聞いた話の再確認だ。

 アシュレイの言葉が未だ心の奥底に澱のように沈んでおり、何かの拍子にそれは舞い上がると、今までのジュリアの態度にどこか納得できない不可解さを感じてしまう。その違和感が何なのか。はっきりとした形が見えないながらも、ユーフェミアは取りあえず目の前の状態をどうにかすべく問い急ぐ必要があった。

「ねえ、ジュリア」

 口を開きながら、ディーンの手の中にある自らの手を引っ張った。

 不自然に思われず、いかにして手を解放してもらうかという目論みだったのだが、軽くつかまれた指先は離されることはなかった。

 その手を気にしつつ、今更だと思いながらも、ジュリアに感じた違和感とは違うもう一つの気になった件を口にする。

「どうしてジュリアは……いえ、あなた達は婚約を破棄したいの?」

 当然、最初に聞いて然るべきことだった。

 だが、上流階級の裏事情に首を突っ込むのは、庶民として分不相応な行為であるし、事実、身に危険が迫ることもある。うっかりで済まないかもしれない事態は出来ることなら遠慮したい。

 しかし、この度はその限りではないだろう。すでに巻き込まれているし、おそらく身の危険云々も心配はないはずだ。協力する以上はある程度の情報は仕入れておくべきだし、口では関わりたくないと言いつつも、実のところまったく興味がないわけでもないのだ。つまり、好奇心から純粋に知りたかった。

 ジュリアは目を数度瞬くと、一点の曇りもない笑みを浮かべた。

「先程も申しましたけど、このような(かた)はお断りですの」

 どこまでも柔和な雰囲気を醸しながら、ちらりとディーンを見る瞳だけはどこまでも冷ややかだ。

 ユーフェミアは首を傾げる。

 それが通用する立場なのだろうか。ここ数日で仕入れた知識を総動員すると、ジュリアの言っていることは王女という立場上、単なる我儘になるのではないだろうか。

 彼女は冷めた眼差しをディーンに向けたまま、先程ユーフェミアに言った台詞をまったく違う意味合いで言ってのけた。

「女性の扱いに慣れておりますのよ? いえ、慣れているのは時と場合によって役に立つこともありますけど、裏を返せば一体どれほどの女性と遊んでこられたのでしょう、ということですわ」

「……」

 思わずちらりとディーンを見てしまう。

 ジュリアと同じ眼差しで。

 たしかに彼女の立場を考えると、それが婚約を破棄する理由としては納得しかねるものではあったが、単に同じ女性としてなら共感できた。そんな男はお断りだ。

「――ジュリア」

 苦々しい表情を浮かべたディーンは、ユーフェミアと視線が合うとスイッとそらし、ジュリアを咎めるような眼差しを向ける。

 その視線を受けたジュリアはそっぽを向いた。

「姉さまにはもう話しましたし、カーティスも今更ですけど、確かに昔はあなたに淡い想いを抱いていたことがありましたわ。ですけど、所詮小娘の戯言と取り合わなかったのはあなたですし、わたくしも若気の至りですわ。……そうですわね。もっと人間的に優れた方を選ばせてもらえる機会を与えて下さったあなたには感謝しますわ。ですけど、そうなるとこの婚約ははっきり言って邪魔なのです」

 にこりと笑っていうジュリアから、何か得体の知れないものを感じる。

 それは明らかにディーンに向けられているものではあるのだが、日頃の彼女とは何かが違うような気がして胸の中に(わだかま)りを落とす。

「でも、ジュリア」

「姉さま」

 ピシリと言葉を遮られる。

 空色の瞳が、無言の力で発言を押し止める。

 聞かないでくれとその瞳は告げていた。

 どうやら彼の前で話したくないことらしい。口を閉ざすと、彼女は一度ゆっくりと目を閉じ、次に目を開いた時にはいつもの雰囲気に戻っていた。

「……ですから、姉さまが引き受けて下さり、これほど嬉しいことはありませんわ。もちろん協力のために姉さまがカーティスの毒牙にかかっては本末転倒ですし、出来る限りわたくしも姉さまの負担を減らすつもりです」

 ディーンを一瞥するとジュリアは唇を引き結ぶ。

 完全に対決姿勢を見せる彼女に、懸念が必ずしも払拭できたわけではなかったが少しだけ胸をなで下ろす。

 しかし、ジュリアの視線がすっと動き、冷ややかにその一点――ユーフェミアの手をつかむディーンの手――を見つめていることに気づいた。

 すっかり忘れていたが、彼はまだ手をつかんだままだった。

「……いい加減、手を離してくれないかしら」

 手を引くように引っ張るが、昨夜のように簡単にその手は離れない。むしろ、かすかに力を込められたような気がして眉を寄せる。

「ディーン」

 少し強めに名を呼ぶと、それにかぶせるように彼はジュリアに向かって言った。

「少し席を外してくれるかい?」

 先程までこの場でしていた会話を、まるで聞いていなかったかのような口ぶりと笑顔を彼女に向けた。

 その笑顔にジュリアの眦がかすかに上がる。何か言おうと口を開きかけたが、吸い込んだ息を結局深々と吐き出すと、諦めたように了承した。

「……かまいませんけど、姉さまに何かなさったら容赦しませんことよ?」

「分かってるよ」

 明らかに王女に対する態度ではない仕草で、空いた片手で彼女を追い払う。

 少々のことには寛大なジュリアもそれには顔を顰めてみせた。だが、どうやらディーンとの付き合いの長さに言うだけ無駄だと思ったのだろう。

 心配げな視線を一度こちらに向けたが、くるりと背を向けると温室から出ていった。

 その間もずっと手を捕らわれていたユーフェミアは、なんとか取り戻そうと振ってみたり引っ張ってみたりしていたが、何だか遊ばれているような気分になって無駄な足掻きは止めた。 

 顔を上げると、こちらを見下ろすディーンと視線が合う。

 その瞳が、誰を見ているのか。

 どことなく居心地の悪さを覚え、ジュリアが去った後、途切れたままの話題を探した。

 そう言えば、ディーンが何故婚約を破棄しようと思ったのか、そのことさえユーフェミアは知らないのだ。それなのに協力を引き受けたことは早計過ぎたかもしれない。

 しかし今更そんなことを思っても仕方が無い。彼らの婚約破棄の目的は、ユーフェミアの望みを叶えることに直接関わるものではないだろうし、知っていようといまいと結果は一緒だと思った。

 が――。

 やはり、知りたいのは好奇心だ。特に、ディーンの理由は気になってしまう。

 彼もジュリアを追い払ったほどだ。何か話があるのだろう。それはあまり人に聞かれたくない類の話なのかもしれない。つまり、クリスティアナの話の可能性も高い。だが、なぜだかそれを思うと、明らかにディーンに対する妬みが心の中に湧き出し、母のことを聞きたいと思う一方、耳も塞ぎたくもなる自分もいる。

 だが、この沈黙は堪え難い。

「ディーン」

 ユーフェミアは捕まれた手をくいくいと引っ張って、自らが座っているベンチの隣をもう片方の手で叩くと、ディーンはどことなく楽しそうな顔をして隣に腰を下ろした。

 それと同時にようやく手を解放され、ホッとしつつも、彼が落ち着く前に彼の話から逃げるように質問を口にしていた。

「どうしてあなたは、その……婚約破棄したいの?」

 視線をさまよわせ、ちらりと隣を窺う。

 いつかディーンも言っていたではないか。

 貴族社会の結婚に自分たちの感情が入ることはない、と。

 ならば、二人は否と言えないのではないだろうか。

「ああ、それを今から話そうと思っていたんだ」

 こちらを見たディーンの笑顔は清々しいほどさっぱりしており、逆にユーフェミアの胸に不安が立ち込める。その夜色の瞳の中にあるのは、紛れもなく自分の意思を貫き通す強さだ。

 もしかして、いきなり核心をついてしまった? と思わずユーフェミアは座ったまま、じりじりとあとずさっていた。

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