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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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13.痛くもない腹の探り合い 前編

 冗談でしょう――?


 前日の夜もよく眠れなかったというのに、昨夜も眠りは浅く、何度も目を覚ました。

 物音一つしない室内に響くのは、自身が寝返りを打つ度にする衣擦れの音と、口から漏れる溜息ばかり。

 暗闇に仄かに浮かぶ天井を見上げていると、昨夜ディーンに言われた言葉が頭の中で何度もこだまする。

 ユーフェミア自身、心がぐらついていたのは確かだ。

 彼が自分に向ける眼差しに誰を重ねていたのかを知った時、同一の人物を慕うからこそ、今までとは違う関係を築けるのではないかと思う反面、彼に対するかすかな妬みが生まれたのも事実だ。

 それは意外な感情の変化をユーフェミアにもたらした。

 彼との間にあった垣根を一足飛びに飛び越え、今までなら無防備で不用心に思えていたことでも、たった一人の存在一つでユーフェミアの中でディーンに対する距離は確実に縮まっていた。

 あえて言うなら家族に向けるものに近い。

 度重なって告げられた真実は息苦しいほどの苦痛を与え、剥き出しにされた心を甘やかして欲しくて、母との時間を過ごした彼を妬み羨む気持ちもあったが、それよりも互いに秘密を共有しあう者として、そして彼女を慕う気持ちを分かりあえるという点においても、思わず目の前のその胸に縋りつきそうになっていた。

 それはディーンが本音を見せてくれたからに他ならない。だから、そのまま甘えてしまおうかと思えたのに……。

 あの一言は、ユーフェミアに現実を思い出させ、踏み止まらせた。

 ディーンに握られていた手をすかさず振り払ったとしても仕方のないことだろう。

 心臓が飛び出しそうになったことは、もちろん秘密だ。

 ディーンの明確な意図は、結局その場で教えてもらえなかった。

 いつものように余裕のある笑みを浮かべ、肩を竦めただけだった。

 明日になったらジュリアと三人で話し合おうということになったのだが、明日とはもう今日の事だ。厚いカーテンの隙間からはまだ朝日さえ差し込んできていないが、これ以上眠ることも出来そうになくて、ユーフェミアはあきらめて上体を起こした。

 時計を見ると、おそらく邸の者も起き出す頃合いだ。朝食まで時間はある。何か温かい飲みものでも貰おうと、取りあえず身支度を済ませることにした。



 両手にカップを握り、立ち上る湯気に息を吹きかける。

 昨日、自らの出自を知った図書室に明かりを灯し、昨日と同じ場所に腰をおろした。

 昼間はあれほど暖かい日差しが差し込んでいたというのに、夜も明ける前だからだろうか。窓の外は暗く、むしろ冷気が押し寄せてくる。

 使用人が暖炉に火を入れてくれたが、部屋が暖まるにはまだ時間がかかるだろう。

 火の爆ぜる音を聞きながら、寒さよけのストールを身体に巻き付け、カップに注がれた甘めのミルクティーを一口含む。

 考えなければならないことはたくさんあった。

 だが、二十五年も一人で生活してきたのだ。今更何かを望まれているわけでもないことぐらい分かる。名乗りを上げるような馬鹿な真似をするつもりもない。平穏な暮らしを望むなら今のままが一番いいのだ。ディーンも言っていたではないか。このままでいいと。

 だけど。

 ユーフェミアは深々と息を吐いた。

 一番の問題は、そのディーンだ。

 このままでいいと言いながら、(貴族)の婚約者になれ、というのは如何なものか。おそらく協力して欲しいと言っていたのは、婚約者の演技をしろということなのだろう。もし了承すれば、それは否が応でもその世界に足を踏み入れることになる。

 平穏を望む自分にとって、正反対のことになるのではないだろうか。

 じわりと込み上げる不安と同時に、すでに引き返せない場所に立っている予感がする。

 なぜなら、ユーフェミアの欲望が心の奥で密かに芽吹いたからだ。それは抗いたい魅力で、昨夜からユーフェミアの心の片隅で囁いている。

 口では平穏を望みながら、一度だけでいいから、遠くから姿を見るだけでいいからと、エドワーズ国王に会いたいと思っている自分がいる。そして何よりも、王宮には母がいるという。聞きたいことはたくさんある。だが庶民であるなら、決して立ち入ることの許される場所ではないし、まして国王に目通りが叶うわけでもない。

 そう考えると、必然的に一つの道しか残されていないことに気づく。

 ディーンの婚約者としてなら、王宮に出入りすることも可能かもしれない。まして彼は王族と懇意だ。国王を垣間見る機会はあるかもしれないし、母にも会えるかもしれない。

 ユーフェミアの考えが辿り着く先など、ディーンにはお見通しだったのだろう。

 きっとこれは彼が用意した道に違いない。

 周到に用意されていたことに気づいた時には怒りと通り越して呆れてしまったが、この用意された道がどこに向かっているのか。ディーンがどういう思惑でこの道を準備したのか。

 互いの目的の為に、誰かを傷つけるわけでないなら、ユーフェミアとしても自分の小さな望みを叶える為にディーンたちに協力するのは願ってもないことだ。

 カップをテーブルに置いて目を閉じる。そして自分の心の中でもう一度問いかける。

 それは最初から変わりはしない。父親が誰であろうと、自分の生きる場所は一つ。

 ゆっくりと目を開けると、粛然と決意を固める。

 この気持ちが揺るがない限り、どんなことにも流されることはない。

 ならば、二人に協力してもいい。

 テーブルに置いたカップを手に取ると、ユーフェミアは腹を括ってソファから立ち上がった。

 耳には鳥のさえずる声が、夜が明けたことを告げていた。



 図書室を出たところで、朝も早い時刻だというのに思いがけない人物とかち合った。

「……おはようございます」

 一応挨拶はしてみたが、淡褐色の瞳はふいっと逸らされ、思った通り返事はない。

 視線が逸らされたことをいいことに、思わずまじまじとアシュレイを見てしまう。

 自分と同じ蜂蜜色の髪。淡褐色の瞳は屋内にいる為か、緑がかって見える。常にユーフェミアに対しては敵意をむき出しにしているが、目尻はどちらかというと下がり気味――要はたれ目で、普通にしていれば優しげに見え、女性からも人気がありそうに見えるのだが。

 これが弟になるのか。

 未だに現実を受け入れられていない為、やはり他人としか思えない。

 こうしてみるとブライアンとアシュレイはあまり似ていない。蜂蜜色の髪は同じだが、瞳の色も顔立ちも似ていない。むしろアシュレイはジュリアとよく似ている。

 と言うことは、イヴァンジェリンとも似ているのか……。

 そう思うと、噛みついてくる所など可愛いものだと思えてしまうから不思議だ。

「……もう、いいのか?」

 顔を逸らしたまま、アシュレイがポツリと漏らした。

「はい?」

 一瞬、家にいる人形のことを思い出していた為、咄嗟に何に対して言われた言葉か分からず、ぼんやりしてしまった。しかし、すぐに何のことか思い当たる。

 川で溺れかけたのは昨日の事だ。色々なことがありすぎて随分前のことのように思っていたが、アシュレイとはそれ以来会っていなかった。

「大丈夫です。あの――」

 上目づかいで様子を窺う。

 嫌われているのは仕方がないが、初日に骨が折れるのではないかというほど手を握られて以来、何かされるのではとつい警戒してしまう。現在もアシュレイと普通に(・・・)会話をしているが、通常他の人と会話をする距離よりも一歩分離れている。まるで、お互いの心の距離を表しているかのように。

 だが川に落ちそうになった時、助けてくれようとしたのも事実だ。

「ありがとうございました」

 礼を言い損ねていた事を思い出し素直に頭を下げると、ようやく淡褐色の瞳が正面から見つめてきた。

「……カーティスが煩いからな」

 口では渋々といった様子だったが、その顔を見ると満更でもなさそうだ。

 しかし、どういう心境の変化なのだろう。

 少なくとも最初の刺々しさは見られない。むしろ先程は心配を匂わすことを口にしなかっただろうか。

 その変化が、ディーンに起因するものであるのは少し意外だった。

「ディーンとは仲が良いんですね」

 言った後、さすがに気安すぎたかと口を噤む。

 アシュレイは嫌そうに顔を歪めると、不機嫌そうに胸の前で腕を組んで再び余所を向いた。

「あいつには敵わないからな」

 どういう意味なのか計り兼ねる。確かに悪賢いとは思うが。

 それが顔に出ていたのか、イラついたようにアシュレイは、わずかに強い口調で言い放つ。

「おまえもつくづく不運だな。いくらジュリアとのこととは言え、カーティスは一度決めたことは何が何でも自分の思い通りにする。この場に担ぎ出された時点で、おまえに選択の余地はない」

 嘲っているのか、同情してくれているのか。

 思わず目を見開くと、アシュレイは言い過ぎたとばかりに苦々しく顔を歪めた。だが一度堰を切ったものは止まらないようで、さらに言葉は続く。

「昨日も言ったが、別におまえと慣れ合うつもりはない。血がつながっていると思っていい気になるな。もしもおまえが少しでもジュリアのことを思うなら、二人の茶番に付き合うのは止めた方がいい。私は最初からカーティスを止めるつもりでここに来たんだ」

「それは、どういう――」

 冷静なアシュレイに対し、一方ユーフェミアは不穏なものを感じ、ざわりとしたものが心の奥で蠢く。

 血が身体中を駆け巡るのに対して、心の奥は冷えていく。

「私がカーティスに敵わないからといって、おまえを牽制できないわけではない」

「ちょっと、待って」

 ユーフェミアは一方的に告げられる内容に、無意識にアシュレイに一歩近づいた。

 途端、アシュレイの手が空を切ってユーフェミアがそれ以上近づくことを押し留める。

「ジュリアがカーティスと婚約していることをどれほど喜んでいたのか、おまえは知っているのか?」

「――え?」

 完全な不意打ちだった。

 ディーンとジュリアは共通の目的――婚約を破棄にする為にユーフェミアの協力を仰いでいたのではなかったのだろうか。

 だが、ふとジュリアが先日話してくれた相手がディーンであることに結びつく。権力で縛ってしまうのが嫌だと言ったジュリア。その為に、わざわざ婚約者の手を離すのだろうか。

「そういう事だ。よく考えるんだな」

 呆然とした表情から、ユーフェミアが知らなかったことに気づいたらしい。言い捨てるように言葉を放つと、アシュレイは背を向けた。

 一方的に言われ、一人廊下に取り残されたユーフェミアは、先程腹を括った決意が早くも揺らぎ始めていた。

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