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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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01.予感と言うには曖昧な、 後編

 彼の名がこのバルフォアの街に知れ渡ったのは今から五年前。

 街一番の一等地にある、街一番のいわくつき物件であったオールドリッジ邸の買い手となったからだ。

 オールドリッジ邸はディーン・ラムレイの手に渡るまで、持ち主を何度も変遷し、早い者だと一日、もって五日もすれば、どんな屈強な者も取るものもとりあえず逃げ出していくと言われてきた屋敷だ。

 聞くところによると、逃げ出した者たちはみな青ざめながら、日暮れから明け方まで幽霊に追いかけ回されたと口を揃えて言っている。

 つまり、知る人ぞ知る幽霊屋敷なのだ。

 そのような噂のある屋敷を、次はどのような人物が持ち主になるのかと街の住民たちは噂の種に……ある意味、楽しみにしていたのだが。

 彼が屋敷に入ってから、数日。一向に出ていく気配はない。

 十日経っても一ヶ月経ってもそれは変わりなく、それどころかパーティーでも開いているのか、敷地内からは煌々とした明りと楽曲、人のざわめきが聞こえてくる時もあるという。

 そしてついに三ヶ月を迎える頃、バルフォアの住民は彼を、幽霊と暮らす変人だと言うようになったのだった。



 取り立て屋で一人残った男は、オーブリーと名乗った。

 付いて来る男を居心地悪く思いながら帰路につき、ユーフェミアが鍵を取り出し玄関を開けると、遠慮もせずに彼は中へ入っていく。抵当として差し押さえられているこの家の現在の所有者は、確かに彼らの元締めなのだが、勝手に上がり込まれたようで気分が悪い。それに、この家が自分の家ではないことが、ユーフェミアとしては実感がわかなかった。

 一階は昨日まで古着屋を営んでいたバック家の物がそのまま残っていた。だが、彼らは昨夜のうちに夜逃げをしてしまったのだ。

 朝起きた時、一階は静かだった。すでに一家の姿はなく、訳が分からないユーフェミアの元にオーブリーたちがやって来たのだ。このようなことになって迷惑をかけられ腹は立っているが、人の気配のない家はやはり寂しい。それに、一家がここに戻ってくることはもう二度とないのだろう。

 どうしようもない現実に虚しさだけを覚え、一階を興味深げにうろついているオーブリーを放っておき、二階へと上がった。

「ただいま」

 誰もいない空間に声をかけ、鍵を戸棚の所定場所に置く。

 まさか家を抵当にいれられたとは思いもよらなかった。

 だが言われてみれば、数日前に祖父が何かを言っていたことを思い出す。今思えば家と土地の権利書のことだったのだが、ここ数日、仕事が立て込んでいて気にも留めていなかった。それに昨夜は、前日から徹夜で仕事を片づけ、疲れきって深く眠っていた為、一階の物音にも気づかなかったのだ。

 まだ安心はできないが、あの青年――ディーン・ラムレイはこの街で一、二を争うほどの金持ちだと言われている。彼が一体どのような用件で自分を訪ねて来たのか知らないが、これ以上事態が悪くならないよう祈るしかない。

 夕闇の迫りくる窓辺に立ち、道行く人々を見下ろす。

 この家はユーフェミアが祖父から受け継いだ唯一の財産だ。できることなら手放したくはない。それに――。

 窓に映った室内を振り返り、先ほどまで誰もいなかったその場所に立つ祖父に、ごめんなさいと呟く。

「もしかしたら家を手放すことになってしまうかもしれない……」

 今では絶対に祖父の温かい手を握ることはできないが、その笑顔の温かさは生前と変わらない。

『ま、仕方ないの』

 日が暮れる頃になると、祖父のナフムは現れる。

 五年前、ナフムは確かに亡くなった。他に家族のいないユーフェミアは一人、ここで暮らすことになったのだが、しばらくして祖父が廊下に立っていることに気づいた。

 だが幽霊というにはおぞましさがなく、生前の元気だった頃そのものの祖父で、病気だったことも亡くなったことも、夢だったのではないかと思えてしまうほど変わりなく、だが透き通る身体は現実で、どうしたものかと思いながら数日を過ごしていたが、ある日、どうにも堪え切れなくなって声をかけてしまったのだ。

 話してみるとナフムは自分が死んでいることに気づいていた。ただ、ユーフェミアに見えているとは思わなかったようで、怖がらせてはならないと、これからもずっと見守っていくつもりだったと話してくれた。

 それからは日が暮れると、ナフムと過ごすことにしている。一緒に夕食を取ったり、仕事を手伝ってもらったりしている。

 ナフムはかつて大学の教授をしていた経歴もあり、ユーフェミアも子供の頃は彼に文字や勉強を教わったのだ。おかげで女性としては珍しく読み書きができ、今では写字職人として一人で生活する分にはそこそこの収入も得ている。

「ねえ、もしも……家を手放すことになったら、おじいちゃんはどうなるの?」

『ん? そうじゃな。わしはここから動けんじゃろうて』

 分かりきっていた返事に、口を引き結ぶ。

 今までどうにか一人でやってこられたのも、夜になるとナフムが現れてくれたからだ。それもこれも自分のせいなのだが、これから本当に一人きりになるのかもしれないと思うと、胸が押し潰されそうになる。

『心配せんでも大丈夫じゃ。何となくそんな気がするわい』

 撫でる感触はないが、ナフムが今、頭を撫でてくれているのが分かった。ユーフェミアの頭の位置に持ち上げられた手が、ゆっくりと動いている。

「おーい! ねえちゃん!」

 一階からオーブリーの呼ぶ声がして、ハッとする。

 いい加減、ねえちゃんと呼ぶのは止めて欲しい。中年の弟を持った覚えはないのだ。

 何か言い返そうかと思ったが、続けてディーン・ラムレイが来たことを告げられ思い止まる。

 不安はあったが行かなければならない。今後の生活がかかっているのだ。

 穏やかに笑むナフムに見送られて、ユーフェミアは一階へと向かった。



「つまり、現在この家は貴方のものなのね?」

 説明を受けながら、確認した。

 ディーン・ラムレイの説明によると、ユーフェミアが払うべき借金は、払わなくてもよくなったらしい。元々借金はユーフェミアがしたものではなく、保証人になっていたわけでもないので、それが幸いだったと言われた。

 だが、やはりこの家は抵当に入っていたようで、家と土地の権利書はすでに彼らの手に渡っていた。当然それは払わなければならなくて、彼がその場で支払ったと言った。そして権利書は現在、彼の手の中にある。だから当然、家主はディーン・ラムレイということになる。

 オーブリーはそこまで話を聞くと、用は済んだと判断したらしい。呆気ないほど簡単に立ち去ってくれた。

 ユーフェミアたちは一階の客間に取りあえず落ち着き、話を続けているのだが。

「きみは、このままここで暮らしたい?」

「あたりまえです!」

 もし出ていけと言われれば出ていくしかなかったが、選択の余地が残されているなら、もちろんこのまま住ませてほしい。ナフムとも離れる必要はなくなる。

「そうだね。私も別にこの家が欲しかったわけじゃないからその点はかまわない」

 さらりと言われたその言葉に、思わず目を見張る。

 欲しくもないのに家を買う人の心理など分からない。助けてくれて文句を言うのも何だが、それだけお金が有り余っていることを何気に自慢しているのだろうか。

「――ありがとうございます」

 引きつりそうになる頬を笑顔でどうにか誤魔化すと、彼の機嫌を損ねないよう一先ず礼を口にする。

 しかしユーフェミアには一つだけ懸念があった。

 それを察したのかどうか。彼は口を開いた。

「ただ――」

 きたっ、と思った。

 無料(タダ)で美味しい話など、あるはずないのだ。

「何でしょう? 家賃はきちんとお支払いしますけど」

 差し当たって先手を打ってみる。

 家を買い戻すことも考えたが、それはどう考えてもユーフェミアの現時点での収入では無理だった。ならばせめて人道的に暮らしていける方法を選びたい。

 彼はそれには答えず周囲を見渡すと、面白そうに口元を歪めた。

「ここは以前、店をやっていたのかい?」

「ええ。昨日までは古着屋でした」

 目の前に座る男が着ている服よりも格段に質の落ちる服が、客間とはいえ其処此処に広げてあった。

 まだ積み上げられている服にも目を止め、ユーフェミアは首を横に振る。このままこの家に住むなら、店の品物も処分しなくてはならない。

「それなら私もここに店を構えることにしよう。そうだな。家賃はいらないから、きみはこれから開く店で店員をしてくれないか?」

「はい?」

 それは交換条件というものだろうか。思わず聞き返す。

「うん。いい案だ」

 よしっと言って、彼は立ち上がった。ユーフェミアの返事も聞かずに。

「詳細はまた後日にしよう。今日はもう遅いから失礼するよ」

「はい?」

 すでに彼の中では決定事項となってしまったようだ。

 釈然としないまま、それでも家を出なくてもいいという安心感に、どっと疲れが押し寄せてくる。

「ラムレイさん」

 店の出入口でもある扉の前で、馬車に乗り込む青年に声をかけると、振り返った紺色の瞳がユーフェミアを映した。

「ディーンで結構。では、また。ユーフェミア」

 お礼を口にする時間さえ与えられず、さっさと馬車の扉を閉めた青年を呆気に取られて見送る。

 悪い人ではないのかもしれない。だが、何なのだろう。彼は周囲が見えていないのだろうか。その行動と思考に合わせようとするとかなり疲れる。

 石畳を去っていく馬車を見送りながら、夜空を見上げて息を吐き出した。



 まさかこれがユーフェミアの運命を変える出会いになるとは、その時は思いもよらなかった。

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