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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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 閑話

『何ですって!? ディーン様と泊りがけで旅行!?』

 空気さえ切り裂くような悲鳴混じりの声に、ユーフェミアは咄嗟に耳を覆った。

 夜半――。

 一階のソファでいつものように膝にリックをのせて話していたのだが。

 少なくとも旅行なんて言葉、使ってはいない。そのような楽しげなものではないのだから。

 もしかして彼女に話したこと自体間違いだったのかも、と軽く後悔する。しかしあとの祭りだ。

 実際、ジュリアの招待で家を数日間留守にする事実は変わらない。店にある骨董品は、値段は分からないがかなり高価なものに違いなく、もしも何かあったならば、と考えただけでも血の気が引いていく。

 店の前の通りは昼間であれば行き交う人も多いのでおかしな事をする輩はいないだろう。念のためケイトにも気にかけてもらうようお願いしているのだが、やはり夜は人目も少なくなるのだ。無難に彼らに頼むしかないと思ったのだが……まあ、動けないのだから何も出来ないかもしれないが。

 耳を塞ぐ為にリックから手を離してしたせいで膝の上から転がり落ちた彼はそれでも口笛を吹いてみせた。

『やるじゃねぇか!』

「あ、あのね、そうじゃなくて……」

 呆れ半分、恐れ半分に耳から手を外し、リックを拾い上げる。

 人形(イヴァンジェリン)には恐ろしくて視線を向けることはできない。だから手の中のリックを見つめていたのだが、彼女の方から怨みがこめられた歯ぎしりの音が聞こえてくるのは気のせいだろうか。

 ぞわりと肌が粟立つ。

 呪いの人形だと言っても過言ではないだろう。

『そうじゃないのでしたら、何だって言うのですっ!?』

 金切り声を上げる彼女に、リックがこえぇ、と小さく呟くのが聞こえ、咄嗟にぬいぐるみの口を手で覆う。今、そんなことを言ったら火に油を注ぐだけだ。

 彼女が叫び出す前に、もう一度簡単に説明をする。

「だからね、ある貴族の令嬢に招待されて、彼女の相手をしに行くのよ」

 本音はユーフェミアだって行きたくないのだ。だが仕事なのだから仕方ないではないか。そこのところを分かって欲しいのだが、無情にもイヴァンジェリンは更に激怒する。

『貴族の令嬢ですって!? まさかディーン様を狙う女狐ではなくて!?』

「あのね、招待されたのは私だから」

 どうしてそう言う話になるのだろうと呆れていると、逆に彼女は鼻でせせら笑った。

『あなたは本当に愚か者ですわ。将を射んと欲すればまず馬から、という言葉があるでしょうっ?』

 イヴァンジェリン側の耳だけを押さえながら、それでいくと自分が馬になるのか、と何気に思う。

 フッと笑みを浮かべ、取りあえず彼女の怒りを押さえることを考える。

 どうして、こうも彼女に対しては悪戯心が沸き起こるのか不思議なのだが。

「ねえ、もしその貴族の令嬢が本当に女狐だったらどうするのよ?」

 ニヤリと笑いながらちらりと横目で窺うと、微笑みを浮かべた――ジュリアによく似た――彼女が息をのんだ気配が伝わってきた。

『……ディーン様が、そのような女狐に騙されるはずは……』

「分からないわよ? ディーンも男なんだから、女の私から見ても、可愛いっ、て思える女性から言い寄られたら悪い気はしないんじゃない?」

 ユーフェミアの言葉に、イヴァンジェリンは黙り込んでしまった。あえてあなたに似た女性よ、とは言ってやらない。無暗に喜ばすようなことしたら最後、また延々とディーンの話をされそうだ。

 彼女の身体から発する気配は未だ変わらず、何かを考えているのだけは窺える。

 取りあえず大人しくなったことをよしとしつつ、リックの口から手を除けた。

 要は、二人のうちのどちらかに留守番の話が伝わればいいのだ。確かにリックでは心許ないが、言わないよりはマシだろう。

 ぬいぐるみを見下ろすと、ユーフェミアが口を開くより先に彼が話し出した。

『おいおい、大人げないな』

 どうやら馬扱いされたことに対する意趣返しと思ったのだろう。中らずいえども遠からずだが、呆れた声音に手の中を見下ろす。

 大人げないのはお互い様だ。

「年齢だけなら彼女の方が上でしょう?」

 いつだったか聞いたことがある。

 実際にいくつなのかは知らないが、五十年ぐらい前にこの街であった事件のことを実時間(リアルタイム)で知っているのだから違わないだろう。

 そういうリックも大して変わりはないはずだ。

『ユーフェミア』

 と、そこにわずかに震えるような声が耳に届き、リックとの会話を遮られる。

 これは相当怒ってるな、と思いつつ、無言で彼女の次の言葉を待つ。

『わたくしもその貴族のところに連れて行って下さい』

 珍しく謙虚な口調で、だが明らかに不本意そうな気配が全身を覆っていた。

「ええっ?」

『おい?』

 戸惑ったリックの声に、我に返る。

 まさかそう来るとは思わなかったが、さすがにそれは無理だろう。ただでさえ、ディーンがあつらえたドレスが先日、山ほど届いたばかりだ。荷づくりも大変だと言うのに彼女を連れていく余裕はない。

 それに――。

 知らず口元が歪む。完全に心の中で楽しんでいた。

「ロジャーも一緒だけどいいの?」

 告げた言葉に、彼女は小さな悲鳴を上げて言葉を失った。

「あれ? イヴァンジェリン?」

 様子を窺うように名を呼んでみたが、返事はない。

 どうやら完全に意気消沈してしまったらしい。彼女を覆っていたピリピリした空気が完全に霧散してしまっている。

 さらに何度か呼びかけたが返事はない。

 ちょっと調子に乗り過ぎてしまったらしい。

 表情が見えない分、手加減が難しい。

 どうやらイヴァンジェリンの珍しいお願いは、彼女にとって本当に最後の希望だったようだ。そこまでディーンに入れ込むなんて、ある意味奇特な人形だ。

 可哀想なことをしたかしら、と多少の罪悪感を覚えているところに、手の中から溜息混じりの声が届く。

『おまえって恐ろしい女……』

「ん? 何か言った、リック?」

 口元だけで笑ってやり、手に少しだけ力を込めてみる。

 こんな時だけ仲がいいのはずるい。

 リックは乾いた笑みをこぼし、殊勝な口調で言い切った。

『……留守番の役目は引き受けたぜ』

 つべこべ言わずに最初からそう言っておけばいいのだ。

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