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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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07.罠に掛けて雁字搦めに束縛してあげる 後編

※ディーン視点です。

 窓から入ってきた月の光を受け、鈍く輝く蜂蜜色の頭が不安定にくらくらと揺れているのを視界の端に止め、どうやら眠りの淵をさまよっているらしいと気づいた。

 頭を引き寄せ肩にのせると、最初こそムッとしていたが、しばらくすると眠りが深くなったのか穏やかな表情になる。

 馬車の微かな振動が眠りを誘ったのだろう。

 無防備にも寝顔をさらす彼女に、かすかな苦みが込み上げる。

 確かにこんな時間まで連れまわしたのは自分なのだが。

 二人の間にわずかにできた空間に、力なく落とされたユーフェミアの手を取ると、薄闇の中、指の一本一本を確かめるようにたどっていく。

 身の回りのことを全て一人でこなしているため手は酷く荒れてしまっている。これではいくら着飾ったとしても彼女の身元を暴いてしまうだろう。仕事柄、指にできたタコは皮膚を固くし、本来なら細く美しい指であるにもかかわらず余計な装飾としてその見た目の邪魔をしている。爪も長くない。生活感に溢れた指先は、乾燥で皮が剥けて痛々しいほどだ。

 自分の知っている人物とよく似ていながら全く違うその姿に、ディーンは冷えたその指先を温めるように両手で包み込んだ。

 それでも、ユーフェミアの幸せはそこにあるのだろう。

 ふと先程立ち寄った店の店員たちの態度を思い出し、苦笑が漏れた。

 なぜあれほどユーフェミアに親身だったのか。彼女は全く理解していない。

 当然、子爵(自分)という後ろ盾があったのも確かだ。だが、彼女が布を身に当てた時、今まで想像すらしなかった姿が見えた気がしたのだ。

 日頃、その仕事を専門としている店員たちは言うまでもなかったのだろう。彼らが目の色を変えるほど、ユーフェミアは雰囲気を持っている。貴族よりも貴族らしく、ジュリアとはまた違った意味で存在感を放っている。

 日頃からあまり着飾ることをしない彼女は、周囲に溶け込むように一見したところ目立たない。だがおそらく、彼女のもっている本来の美しさに一度気づくと、その透き通った輝きから目が離せられなくなってしまう。それは貴族社会に潜む穢れを知らないからこその無垢な輝きなのかもしれないが。

 そう考えて、苦笑する。

 今から自分たちのすることは、ユーフェミアからその輝きを奪ってしまうことになるのかもしれない。

 ジュリアとの計画をアシュレイに嗅ぎつけられたことは予定外だったが、彼女にとってそれが吉と出るか凶と出るかは分からない。できることなら彼女ともう少し信頼関係を築いておきたかったのだが、このままだと彼女は逃げ出してしまうかもしれない。

 それを、惜しい、と自分に思わせるほど、ユーフェミアの価値は稀少だ。彼女がもっと欲深い人間なら、もっと早い段階で目的を打ち明けることもためらわなかっただろう。

 彼女はごくごく庶民的な小さな幸せしか望んでいない。それを思うと何も知らない彼女を巻き込むことが、彼女が本心から望むべきことではないかもしれないと、何度も計画の白紙を考えそうになってしまったが。

 思わず握っていた手に力がこもってしまい、ユーフェミアが小さく呻いて眉根を寄せた。

 目が覚めるだろうか、としばらく様子を窺ったが起きる気配はない。

 頭を引き寄せた時、先程耳にかけた髪が落ちてしまったのだろう。額にかかっている長めの前髪を指ですくい取る。柔らかい、絹糸のような髪だ。ほんの少し癖はあるが、それがユーフェミアの雰囲気を随分柔らかくしている。

 日頃の彼女は、年頃の女性が一人で暮らしている為か人一倍警戒心が強い。それが悪いとは思わないが、ただ、冷たい印象を与えてしまうのだ。その上わざと人を寄せ付けないようにしているようにも見える。こうして寝顔を観察していると、決して彼女の顔自体がきついわけではないのに。

 眠っているのをいいことに、いつもは絶対に触れることのできない頬に手を伸ばす。甲で軽く撫でると、寄っていた眉根がゆるみ、肩にかかった重みで、身体の力が完全に抜けたことが分かった。その上呼吸も深くなり、再び深い眠りに落ちたようだった。

 普段とはあまりにも違う様子に軽く目を瞠る。

 この危機感の無さはどういうことだろうか。

 日頃はあれほど警戒心が強いくせに、不用心にも程があるだろう。だが、考え方を変えると、多少なりとも信頼してもらっていると取れなくもない。もしくは、全く意識されていないか……。

 自らの考えに、軽く失笑する。

 断然後者だな、と一人納得をする。

 決して自分は悲観的な方ではない。

 意識されていないというのも、男として、という意味ではない。ユーフェミアの中では、彼女は労働者階級、ディーンは上流階級という位置づけが明確に成されている。二つの階級は決して交わることはないと、彼女は微塵も疑っていないのだ。

 確かにこのままでは交わることはないのかもしれない。だが、変えることができることを彼女は気づいているのだろうか。

 頬に這わせていた手の親指でゆっくりと彼女の唇をなぞると、まるで誘うように固く閉じていた唇が微かに開く。

 どこまでも隙だらけなユーフェミアに、軽い苛立ちを覚える。

 ディーンはそれを、無防備な彼女が悪いのだと決めつける。

 ユーフェミアの運命は、すでに動きはじめてしまった。いくら彼女が普通の暮らしを望んでも、もう彼女の望むように生きられない可能性の方が高い。今更どう足掻こうと、彼女自身に止めることはできないのだ。

 ディーンもこの期に及んで彼女を憐むようなことはしない。そのような資格がないことぐらい承知の上だ。なぜなら自分もユーフェミアの運命を動かす側の人間だからだ。

 頬に添えていた手を滑らして顎を持ち上げると、軽く身を屈める。薔薇色の唇からこぼれ落ちる息は甘く、どこまでも自分を誘う。

 引き寄せられるように唇を重ねようとした時、足に軽い衝撃を受け、何かが転がったような音が聞こえた。視線だけ動かすと、足元には先程買い求めた手袋が袋のまま転がっていた。

 まったく――。

 小さく息を吐き出す。

 すっかり忘れていた存在に、やむを得ず彼女から手を放す。正面に視線を向けると、空色の瞳と視線が合った。

「……あなたのことをすっかり忘れていましたよ」

 ユーフェミアには「彼」と説明をしている男は、小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 滅多に話すことはないが、「彼」が何気に彼女を守っていることは知っていた。彼女の周囲に(たか)る害虫を、こうやって追い払うように。

「わかっていますよ。彼女の了解がなければ手を出すなと言いたいのでしょう?」

 返事はなかったが、文句もなかったので間違いではないようだ。

 やれやれ、と息をはく。

 たとえ「彼」がいくら邪魔をしようとも、ユーフェミアのこの先の道は決まっている。そうなるように仕組まれているとも知らずに、彼女はこの手を取らざるを得なくなる。そして彼女も自らそれを望むだろう。それが彼女の最善の道なのだから。

 ディーンは薄く笑うと、ユーフェミアの手に自らの手を絡ませるよう握り直した。

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