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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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06.よく分からないひと 前編

 やられたらやり返す――それが母の教え。


 今現在、ディーンについて分かっていることは、名前と住んでいる場所、社会的地位ぐらいだろう。つまりバルフォアの街の一住民として聞き及んでいることぐらいしか分かっていないのだ。

 イヴァンジェリンから聞いた話によると、彼の周囲にいる人は――きっと近い人だと思うのだが――彼のことを悪く言う人はいないらしい。逆を言えば、彼を知らないから悪く言うのだと言われているようなものだ、自分のように。

 ぼんやりと考えながら、クライトンの街を歩く。

 クライトンはバルフォアから馬車で一時間ほどの場所にあるフェアクロウの王都だ。

 依頼されていた原稿の納品にやってきたのだが、これが個人で引き受けた最後の仕事だった。

 バルフォアからは乗合馬車を利用して来たのだが、郊外に向かうには街中を突っ切る必要がある。こちらもそのまま馬車を利用する手もあったのだが、通りに並ぶ店を眺めながら歩くのも実は楽しみにしてきたのだ。仕事代が入ったら帰りに何か買って帰ろうかな、と目星をつけるためでもある。

 バルフォアも商業で賑わいを見せる街ではあるが、やはり王都となると並外れた違いを見せつけられる。まず街の作りからして違う。道幅も馬車が余裕ですれ違えるほど広く、人通りも多い。一つの店の規模も違う。建物もほとんどが四階以上あり、ここに暮らす人たちの格好もどこかお洒落で洗練されたものに見えてしまう。

 ユーフェミアもクライトンに来る時は客先に赴くこともあり、服装にはかなり気を使っているつもりだがやはりどこか違うのだ。今は冬場で、コートを着ているおかげで多少の誤魔化しがきくから助かっているが。

 歩きながら通りに立ち並ぶ店の飾り窓を見やり、そこに写った自分の姿にうんざりする。

 コートを新調したのは遠い昔、ナフムが生きていた頃の話だ。それでも流行りのない型と色なので流行遅れには見えないが、一言で言えば地味なのだ。今更新しいコートを買うだけの余裕もなく、取りあえず着つぶす気ではいる。たとえ買えたとしても、お洒落をしても行く場所も予定もないのだから必要ないだろう。

 それでも街行く同年代の女性たちを見ると、気分が沈んでしまう。

 ただでさえ薄曇りの冴えない天気が続く冬場なのだ。綺麗な色味の服を着た女性たちが、色とりどりの花を通りに咲かせている様は見た目にも美しく、やはり羨ましく思ってしまう。いくら気にしないようにしていても、その中に混ざれない自分が何だかすごく惨めで、この場から逃げ出したくなってしまうほどに。

 気を取り直してせめて手袋だけでも新調して帰ろうかな、と道の端を歩きながら顔を上げた時、見たことのある顔を前方に見つけ思わず立ち止まっていた。

 どうしてこんなところで会うのだろう、と自らの不運さを嘆きたくなる。しかし、すぐに黒髪の青年が一人ではなく、女性と連れ立っていることに気づいた。

 女性はまだ若く、年のころは二十歳前後ぐらいだろうか。上品な色合いの薄紅色のコートを着ている。

 しかしその人物の顔を見て、ユーフェミアは思わず息を飲んでいた。

「イヴァンジェリン……?」

 腕に抱えられるサイズの人形ではなく、彼女は等身大の人間として歩いていた。

 陶器のような白い肌と、うっすらと赤く染まる頬。空色の瞳と薄紅の唇。生きているのが不思議なほど整った顔立ちは、まさに人形のようだ。どこからどう見てもイヴァンジェリンにしか見えない。

 いや、あえて言うなら髪色が金髪ではなく赤みがかった金髪(ストロベリーブロンド)だ。それを結い上げているのだから、イヴァンジェリンに似ていると思ったのは錯覚だろうか。

 だが、似すぎている。

 驚きのあまり声も出せずにじっと見つめていると、聞き覚えのある声が耳に届き我に返った。

「ユーフェミアじゃないか。どうしたんだい、こんなところで」

 視線を一度彼の方に向けたが、自然と目は彼女の方に行ってしまう。

 赤みがかった金髪の彼女は、ディーンの台詞に澄んだ空色の瞳をこちらに向けると、パッと顔を輝かせた。

「貴女がユーフェミア様ですのねっ。こんなところでお会いできるなんて!」

 いつもはかすかな微笑みを湛えているだけのその顔が、くるりと表情を変える様には驚きを隠せない。ユーフェミアが戸惑いを隠せずにいると、ディーンは苦笑しながら紹介をしてくれた。

「彼女は、ジュリア――だ」

 どこか引っかかりを覚えるような言い方に首を傾げる。だが、すぐにその名が、ロジャーがイヴァンジェリンを想い人の代わりに呼んでいた名だと思い当たり納得する。

「あなたが……」

「ジュリアと申します。ユーフェミア様」

 礼儀正しく几帳面にも礼を取る彼女に、ユーフェミアも慌てて頭を下げる。

 どこからどう見ても彼女は上流階級だ。着ているものも、その身から放たれる雰囲気も明らかに違う。

 ロジャーが恋に落ちるのも納得だ。同性のユーフェミアから見ても可愛い人だと思えてしまうのだから。その微笑みは、老若男女を問わず心が蕩かされてしまうだろう。

 なんて可愛いらしいの、とぼんやりしていると、現実に引き戻すように彼女の隣で咳払いをし、己の存在を主張している男がいたことを思い出す。

「相変わらず、きみは酷いな。挨拶を返してくれないどころか、私のことを視界にも入れてくれないなんて」

「……あなたね。何言ってるのよ」

 げんなりとしつつも、視線を移動させる。彼を見る目がどうしても険を含んでしまう。

 この二人がどういう関係にしろ、彼女の前で誤解を生むような発言は控えて欲しかった。不用意な発言でこちらにとばっちりが来るのはごめんだ。

 ちらりとジュリアの様子を窺うと、彼女は微笑ましいものでも見るように小さく笑うだけで、気分を害した様子はなかった。

「仲がよろしいのですね」

 話し方もイヴァンジェリンと似ているというのに、声に含まれる強さが違う。

 イヴァンジェリンは澄ましたところがあるが、ジュリアは嫌味もなく親しみを込めた温かみを感じる。

 その態度にちらりとディーンを見やる。

 以前、彼は女性に好評だと言っていたが、それは男女関係のことではないのだろうか。あの話の展開からすると、恋愛を遊びのように言っていたからそういう意味だとばかり思っていたのだが。

 ジュリアには相手にもされていない様子に内心ほくそ笑む。

 だが、ふと飾り窓に映った自分の姿が視界の端に入り、そうではないと気づく。

 ジュリアが相手にしていないのは自分の方なのかもしれない。彼女は上流階級で、多分貴族だ。冴えない色味の地味な女など、ディーンが相手にするはずがないと考えていてもおかしくはない。

 彼女から見下げられているような感じは受けないが、そう考えてしまう自分がいて情けない。その事実に一度気づいてしまうと、場違いな態度を取っているのではないだろうかと心細くなる。

 周囲を見渡すと、明らかに一級品を身につけた男女と対等に話している自分は異質ではないだろうか。通り過ぎる人々の目を引いているような気がする。

「ところでユーフェミア様。今からどこかに行かれるご予定があるのですか?」

 不毛なことをぐだぐだと考えていると、いつの間にか隣に来ていたジュリアに腕を取られる。ふわりと女性らしい甘い香りが鼻腔をくすぐり、思わずロジャーにも勿体ない、と思ってしまった。

 ユーフェミアは不相応な呼び方に眉尻を下げて見せる。

「あの。その様付けは止めてもらってもいいですか?」

「ご迷惑でしたか?」

「いえ、何だか慣れなくて。呼び捨てか、もしくは……ユーファと呼んでいただいた方が落ち着くというか……」

「まあ! ではユーファ姉さまとお呼びしても!?」

 予想外の反応と、期待を込めた瞳で見つめられ、どうして否と言えようか。

 先程まで考えていた彼女が自分を相手にしていない、という考えが恥ずかしくなる。真剣に自分の言葉を受け取ってくれている相手に対し、あまりにも失礼だったかもしれない。

 一方、出会ったばかりだと言うのに、ここまで親しみを込めてくれることを疑問に思う。名前を知っていたということは、ディーンが何かを彼女に話したことぐらい想像つくが、一体、何を吹き込んだのやら。

 取りあえず、ユーフェミアに拒否権はない。

「……お好きなように呼んで下さい」

 上流階級の人間と会う機会がそう何度もあるわけではないだろう。

 半ば押され気味に諦め半分で頷くと、彼女はふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべた。

「ではわたくしのこともジュリアと呼び捨てで。それと敬語も必要ありませんわ」

 わたくしの方が年下ですし、と続ける彼女にユーフェミアも同じ言葉を返す。

 職人であるユーフェミアは労働者階級だ。本来なら接点のない階級で、まして一生のうち世間話をする機会など無いに等しい。ユーフェミアの方から率先して彼らと付き合おうという気はないので、この場限りの出会いということになる。それならば、と思って口にした言葉にも関わらず、彼女の方は嬉しそうに頬を染めた。

 女性としての見本が目の前にある、と思いつつ、この後の予定を聞かれていたことを思い出し、手に持っていた封筒を見せる。

「今から届け物をしに行かなければならないのよ」

「……そうなのですか――……それは、とても残念ですわ……。せっかくだから一緒にお買い物でも、と思ってましたのに……」

 心から残念そうに、だけど諦めきれない、という素振りでなおもユーフェミアのコートの袖を握りしめるジュリアに戸惑いつつも曖昧に返事を濁す。

 上流階級の人間と買い物など冗談ではない。

 何か一品買うにしても、数日かけて働いた仕事代が、あっという間に無くなってしまうだろう。ましてやどのような店に入ると言うのだろう。ジュリアやディーンのように見るからに高級品を身に付けている者と、自分のような身なりの者では、貴族の子女が外出の際に付くという付添人にさえ見えないだろう。果たして店に入れてもらえるかどうか。そこから問題だ。

 いや、そこまで酷い格好をしているつもりもないのだが――。

 先方に連絡しておいた約束の時刻も迫っている。

 曖昧に返事をしたことで、さすがにジュリアも引き下がってくれた。

 しかし。

「いつかユーファ姉さまのところに遊びに行ってもいいですか?」

 思いがけない提案に驚きつつも、これはきっと社交辞令だと思い、頷き返す。まさかバルフォアまで来るはずはない。

 だが、今まで黙っていた目の前の男が珍しく渋い顔をした。

「ジュリア――。それは――」

「口出しは無用です。――……」

 一瞬、二人は視線を合わし、気まずそうに口ごもると、ぎこちなくこちらを見た。

 何だろう、この雰囲気。

 なぜか二人の邪魔をしている空気がそこはかとなく漂う。ユーフェミアは触れてはならない何かを感じて、それじゃ、と片手を上げた。

「時間がないので、ごめんなさい」

 何故だかいたたまれなくなる。

 彼らの間に流れるのは、秘密を共有する空気だ。もちろん、その秘密に触れたいとは思わない。だが、疎外感を全く感じないかと言えば嘘になる。

 足早に二人と別れ、人ごみに紛れた後、別に関係ないし、と小さく呟いた声は、側を通った馬車の車輪が軋む音にかき消された。

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