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黄昏時の溜息  作者: 薄明
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05.触れる指の温度 後編

『それはつまり……あなたのおじい様もご存知ないの?』

 話を聞き終わったイヴァンジェリンが躊躇いがちに声をかけてきた。

 リックに至っては無言だ。彼はこのように重い話は苦手なのだろう。それはそれで構わない。

「分からないわ」

『分からないって……。聞いたことはないの?』

 呆れた声音に、どう答えていいものかと悩む。

 だが、意外にもリックから真剣な雰囲気を感じ、手の中のぬいぐるみを見下ろした。

『怖いのか?』

 それは限りなく、胸に抱く感情に近い。

「……そう、怖いわ。でも――」

『もしかして知りたくなかったりするのかしら?』

 相反する感情は、長年の付き合いだ。

 知りたい。でも知りたくない。

 クリスティアナの言うように、静かに平凡に暮らすのが一番なのかもしれない。何も求めず、今の生活のまま。

 だが、すでにこの生活に軋みが出始めているとすると、それを正すことはもう出来ないのかもしれない。

 だから――。

 ユーフェミアはぐっと顔を上げた。

 ここからが本題だ。

「……ディーンは、どうしてあなたたちをここに連れて来たのかしら?」

 売物でもない人形を置く意味は、果たしてあるのだろうか。

 もしもユーフェミアにこの感覚がないのであれば、最適な監視役ではないだろうか。現にあったとしても、監視はされているのだろう。

 これは直感だが、この監視と自分の生い立ち――つまり、父親のことが関わっているような気がするのだ。

 そう思ってしまうのも、ディーンに髪色を指摘された時、彼はあえて母親と同じ色かと聞いたからだ。つまりユーフェミアには母親しかいないということを知っている。ならば、クリスティアナの髪色も知っていてもおかしくない。それなのに、わざわざ聞いてきた意味は、ユーフェミアが父親を知っているかどうかの確認だったのではないだろうか。

『もしかして、ディーン様を疑っていらっしゃるの?』

 恐々とした声がユーフェミアの耳に届く。

 それと同時にハッと息を飲む音が手の中から聞こえた。

『あいつが父親か!?』

 イヴァンジェリンに反して、リックの短絡的思考に思わず目をむく。

「『それはない!!』」

 はからずもイヴァンジェリンと声が重なる。

『チッ、冗談だよ』

 あの驚きから、かなりの本気が窺えたが、取りあえず手の中のぬいぐるみは取り合わないことに決め、イヴァンジェリンに向き直る。

「教えて欲しいの。ディーンが何を知っているのか。あなたたちに何を聞いているのか……」

 今、自分は彼の掌の上にいるような気がする。すべての運命は彼が握っている。

『……もし、それを知っていたとして、どうしてあなたに教えなくてはなりませんの?』

「イヴァンジェリン!」

『教える義理などありませんわ』

 素っ気ないにも程がある。

 仕方なく手の中のぬいぐるみを見下ろす。

「リック」

『お、俺は知らねぇ』

 動揺にまみれた口調が何を示しているか。

 思わずぎゅっと手に力を込める。

『ぉい! あいつのことなんかより! 父親の手がかりとかねぇのかよ!?』

 苦し紛れの言い逃れにしては、先程の冗談を入れても、本音を吐いてくれたような気がする。リックの放った二つの台詞。つまり、彼らはユーフェミアの父親が誰かを知らない。

 ディーンもそうだとは言い切れないが、やはり何か目的があって自分の側にいるような気がする。それは、彼が貴族だと知ってしまったから過敏に反応しているだけかもしれない。だが、イヴァンジェリンやリックをわざわざ監視役に置いているぐらいだ。間違いはないはず。

 手から力を抜くと、わざとらしく咳払いをするリックを見下ろす。

 返事の代わりに額にかかる前髪をつまむ。

「手がかりは――この髪色と……」

 自らの掌を見つめる。

 もしかしたら、過去に一度だけ、会ったことがあるかもしれない。それが父親だと断言できないのは、クリスティアナがそう言わなかったことと、ナフムがその人と激しく言い争っていたからだ。

 それが同日の出来事であったか記憶は定かではない。なぜなら、ユーフェミアは当時まだ三歳かそこらだったのだ。

 だから記憶の中のその人物の顔も、歳も何もかも記憶の彼方に行ってしまったのは仕方ないだろう。

 唯一、髪の色が一緒だと話した記憶はある。

 抱き上げられた腕は力強く、いつもより目線が高かった。

 地面に下ろされ、もっと抱っこをしてほしくて見上げた先にあった指の先を握ると、とても温かかったことを覚えている。大きな手のひらが自分の手を握り返してくれたことも嬉しくて、その瞬間、その人のことが好きになった。だが、それ以来会うこともなく、顔も名前も記憶から薄らいでいった。

『それじゃ、手がかりがないのと一緒だな』

『そうかしら? 言い争っていたのなら、やっぱりおじい様に聞けばそれが誰なのかはっきりするでしょうし、一番早いのではないのかしら?』

 イヴァンジェリンの言っていることはきっと正しい。それが出来れば、今までこれほど悩んだりしていない。

『どうして聞けないの?』

 もっともな質問に、ユーフェミアはもう一度曖昧な笑みを向けた。

「――やっぱり……怖いのよ。答えを知った先に、自分がどうしたいのか分からないのよ」

 このままの生活を望むなら、知らなくてもいい問題だと思う。それならば、知ってしまったらどうなるのか。自分は何かを望んでしまうのだろうか。

 それに今まで聞かなかったことを突然ナフムに聞くようなことをしたら、この生活に不満があると思ってしまうかもしれない。決してこの生活が嫌なわけじゃない。

 実は父親かもしれない人の手がかりはもう一つある。

 クリスティアナの取った行動だ。

 その人の帰り際に、スカートをつまみ、まるでお姫様のようなお辞儀をしたのだ。

 初めて見る母のその行動に一瞬にして目は惹きつけられた。あの頃は無邪気にも、ねだってお辞儀の仕方も教えてもらったほどだ。

 だが大人になってからよく考えてみると、庶民へと身を落としたクリスティアナが取る行動ではない。

 いつもユーフェミアを蔑んだ眼差しで見ていた貴族たちに、彼女は一度としてそのようなお辞儀をしたことはなかった。ということは、ユーフェミアに対しての不快感を示さなかった相手に対して礼儀を取ったのか、それ以外に考えられることは、全てにおいて優先すべきほど高い身分の持ち主か――。

『――あなたって意外と臆病者ですわね』

 どこか嘲笑の混ざった声音に、意識が引き戻される。

 視線をイヴァンジェリンに向けると、実際には見下ろしているはずなのに、なぜだか見下されているような気がした。

 表情を動かせないはずの彼女が、どこかあきれているように見える。

『知りたいと言いながら尻込みしてる。それは単に逃げてるだけでしょう。自分のことを知ろうともしないで、ディーン様のことを知りたいなんて百年早いですわ』

 突き放す口調は、どこまでも容赦ない。

 言葉が出なかった。

 確かに、彼女の言うように躊躇いはある。これは、逃げているのだろうか。

 呆然と彼女を見つめていると、ふわりと彼女の雰囲気が変わるのが目に見えた。甘く、柔らかい、少女のようなものに。

『――わたくしはディーン様を信用していますわ』

 声を落としたイヴァンジェリンが囁くように言った。

『わたくしは動けないからディーン様の行動の全てを知っているわけではありませんわ。でも、あの人の周りにいる人は誰も、彼のことを悪く言わない』

 手の中のリックも反論をしないところを見ると、同じ考えなのだろう。

 悪い人ではないと思っていいのだろうか。彼が何を考えているのか分からない。ただ、自分が望んでいることは一つだ。それを守ることが出来るなら、彼を信用してもいいのかもしれない。平凡な人生が送れるなら、利用しようとしていないなら――貴族の前に引き出さないなら……。

 窓から白い光が差し込んで来る。

 夜が明ける。

 眩しさに目を閉じ、これだけは彼らに伝える。

「私は、あの人のすべてを信用したわけではないけど、これでもあなたたちは信用しているのよ……」

 明けた一日の始まりに、返事はなかった。



 そのまま寝入ってしまい、このままでは風邪をひくと思いながらも、重い瞼は開いてくれない。

 ゆるく、髪が梳かれる。

 温かい指先が、額に触れる。

 記憶の底をたどる様に、あの日のままのあの人が現れる。

「エド……」

 どこか戸惑ったように笑う人。

 向けられた空色の瞳は春の晴れ間のように温かくて、その手が離れていかないよう手を伸ばす。

 母も祖父もいなくなった。そのような温かい眼差しを向けてくれる人は、もう、貴方しかいないのに……。父親だと思っているのは自分の願いかもしれないけど。

 だけど、手は空を切る。

 望むものは昔から決して手に入らない。手に入ったと思っても、それは決して長続きしない。

 ――今あるものだけでも守りたい。もう、大切な人を作りたくない。

 だから、一人で生きていく……。

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