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「織田カメさん、どうぞ」
美人の看護師さんに呼び込まれて、三人でおっかなびっくり診察室に入る。
診察室は意外と広くて、壁際に数人座れるソファが、反対側の壁に先生のデスクとイスがあり、その横に会議室にあるのと同じ移動出来るホワイトボードが立っている。ドアの反対側、ぼくらの右手に窓があって、今はブラインドが下りていた。けれど、この部屋の主役は真中にどしんとあるステンレスの診察台。あのインチキ臭い動物病院にあったものと同じだった。
しばらく緊張して待った後で、先生が奥のガラスドアから出てくる。
「織田かめちゃん。どうしたのかな」
先生は四十前後の若々しい男の人で、何か小柄な印象なんだけれど、実際は百七十センチのお父さんと同じくらいの背丈の人だった。清潔な白衣は今日一日動物を診続けた感じがしない。きっと数件診たら着替えるんだろうな、と思った。
お父さんが経緯を説明する。途中先生が確認するように質問する。五分ほどやり取りした後で、ようやく先生はダンボールからかめきちを出す。
「さあ、かめちゃん」
先生は優しそうに声を掛け、かめきちを一目見るなり、
「右目はずっとこんな感じ?」
「そうです」
ぼくが答えると、
「乾燥して瞼が閉じない。もう見えていないね」
ぼくははっとする。
「うーん。これはひどいね」
先生は暫くかめきちをひっくり返してみると、ステンレス診察台の上に置く。そうしてダンボールに敷いてあったガーゼを取り、かめきちが吐いた血の臭いを嗅いだ。
「臭いね」
そしてお父さんに、
「前に診た医者は問診と触診だけで薬を?」
「ええ。これを出しました」
お父さんがプラスチックの目薬みたいな小さな容器を差し出す。先生は中身を少し出して臭いを嗅ぎ、ぼくがびっくりしたことに手の甲に垂らして舐めてみる。
「ビタミンね、確かに。抗生物質とビタミンを混ぜちゃいかんな」
先生はやれやれと首を振ると、
「レントゲンも撮らなかった」
「はい」
「何て病院?」
お父さんが名前を言うと、先生はデスクの上のカルテに走り書きをする。そして振り返ると、
「かめちゃんは多分、卵詰まりです」
先生はホワイトボードに絵を描いて説明した。総排泄孔が飛び出す原因は三つあること。うんちやおしっこを出す先っちょが出るくらいなら問題ないが、排卵する部分まで飛び出すのは危険なこと。出来た卵が詰まって、その上後から後から卵が出来て体内の内臓を圧迫し、果ては卵が腐って体もだめになること。
「レントゲンを撮ればすぐに分かることなんですがね。それでも発見してもオシリから卵を出させることが出来なければ手術です。下側の甲羅を半分剥がして切開し、取り出さないといけない。大手術ですよ」
三人とも何も言えなくなった。先生は動かないかめきちの頭をなでると、
「家に来て、七年?立派な体だ、きっと元気な頃は活発に動き回っていただろうね」
先生は目を細めて、
「この状態、犬や猫ならとっくに死んでいますよ、一ヶ月以上前にね。人間だってそうだ、モルヒネでも打ち続けなければ痛みでとっくにだめになる。この子たちはとても頑丈なんです、生命力が強いんだ。だから何もなければ何十年も生きる。亀は万年、って言うくらいにね。だからこんな状態でもあと数ヶ月生きるかも知れない」
先生はじっとぼくを見て、
「人間と違ってね、この子たちは生きることの意味なんて考えない。苦しくても痛くてもただ生きるだけなんだ。生命力が強いということは、実はとても辛いことなんだよ」
先生はお父さんに、
「レントゲンを撮って、検査しますか?それともこのままお帰りになりますか」
お母さんが息を呑む。そして初めて喋った。
「助けられないのですか?」
「かなり難しいね。卵詰まりだとして手術しても助かる見込みは数パーセントあるかどうか。術中に死んでしまう可能性のほうが遥かにある」
「出来るだけやっていただけませんでしょうか?」
お父さんが言うと先生は、
「分かりました」
途端に先生の動きが活発になる。かめきちを持上げると、ガラスドアを開け、そこにいた女性に渡しながら指示をする。何を言ったのかレントゲン、血液検査くらいしか分からなかった。ガラスドアの向こうにも診察台があって、たちまち三人の看護婦さんか助手さんが機械をセットする。かめきちを持った一人が更に奥のドアに消えた。ぼくらはそんなてきぱきとした動きをじっと立ったまま見ているばかりだった。