07.わけがわからないよ
目が覚めた。
白い見慣れた天井。自分の部屋だ。
横を向くと椅子に座ったフィーナが目を見開いていた。目の下には隈ができ、髪も少し乱れている。
俺は体を起こそうとしたが、背中と左手に鈍い痛みが走る。そうか、刺されたんだっけ。
「兄さん!」
上体を起こすと同時に、横から勢いよく抱きつかれた。
フィーナが声を上げて泣き出す。
「兄さん……よかった……本当によかった……」
「フィーナ、ごめん、心配かけた」
その頭を撫でる。フィーナはぎゅっと、ますます強く抱きついてきた。
「ばか、ばか兄さん……あんな怪我して、死んじゃうかと思った……」
怒っているのか泣いているのか分からない声。でも、その温もりが俺が生きていることを実感させてくれる。
「あれからどうなったんだ?」
記憶が曖昧だ。暗殺者を倒して、それから――
「……聖女様が兄さんの傷を治してくれました」
フィーナが顔を上げる。頬が涙で濡れている。
「……私。聖女様なら、兄さんを少し分けてもいいと思っています」
え? 分けられちゃうの俺? どういうこと?
言葉の意味が分からず戸惑っていると、扉がノックされた。
コンコン、と控えめな音。ゆっくりと開く扉。
そこにはセラが立っていた。フィーナと同じく目に隈ができており、あまり顔色は良くない。髪も少し乱れている。
「テオ……!」
セラが駆け寄ってくる。
フィーナが俺から離れ、入れ替わるようにセラが抱きついてきた。ふわり、と花の香り。
フィーナには無かった柔らかな感触が心地良い。特に胸……いや、考えるな。考えてはいけない。
「よかった。本当に良かった」
セラの声が震えている。
「私のせいで大変な目にあって、本当にごめんなさい……」
涙が溢れている。セラも泣いていた。俺のせいで二人の女の子がシクシクと泣いている。実に胃が痛い光景だ。
俺はセラの頭に手を伸ばし優しく撫でる。金色の髪がサラサラと指の間を流れる。
「ありがとな、セラ。俺の命を救ってくれて」
撫でるなんて失礼かもしれないけど、今ぐらいはいいだろう。
セラは一瞬驚いた表情をし、さっきより大きな声で泣き出した。わんわんと、子供のように。
フィーナは泣き止みジト目で俺を見ている。
「ごめんなさい。なんだか、涙が止まらなくて……」
セラが顔を上げる。涙で濡れた頬、赤くなった目。でも、安堵の笑みを浮かべている。
「……どうして、自分の身を危険に晒してまで、私を助けてくれたんですか?……やっぱり、私が聖女だから、ですか?」
そんなこと考えるまでもない。俺はセラの目を真っすぐに見る。澄んだ青い瞳。
「可愛い女の子が目の前で困っていたら、守るのは当然のことじゃないか」
前世込み年齢30代の俺からすれば、聖女以前に14歳のセラは妹同然の可愛い女の子である。
そんな子が目の前で傷つくなんて、容認できるわけがない。
「ふぇ!?は、はぃ……」
ぽんっと湯気でも出そうなぐらい赤くなるセラ。耳まで真っ赤だ。
その横で、フィーナの目から完全に光が消えた。
無表情。無感情。ただ、俺を見つめている。こわい。
「……私、決めました!」
セラが顔を上げる。その目には強い決意があった。
「私、聖女として立派に務めを果たせるようになったら、そしたら迎えに来ますから!」
握りこぶしを作って、力強く宣言する。
「待っててくださいね。テオ」
花が咲いたような笑顔。
その美しさに一瞬息が止まる。綺麗だな、と素直に思う。
……ん?迎えに来る?どういうこと?
「聖女様」
フィーナが口を開く。いつもより少し冷たい声。トーンが低い。
「私、聖女様のことは認めてますけど、さすがにそれはダメです」
「フィーナ」
セラが優しく微笑む。
「あなたは私の恩人の妹です。セラって呼んでください」
「じゃあ、セラさん」
フィーナが一歩前に出る。
「兄さんは、ここで末永く私と幸せに暮らすんです」
少し間を置いてフィーナが付け加える。爆弾を落とすように。
「それと……実は兄さんとは、血が繋がってないです」
「え!?」
セラが驚く。目を丸くして、フィーナと俺を交互に見る。
「じゃあ、フィーナは……もしかして、私と同じ気持ちを……?」
「はい」
フィーナがきっぱりと頷く。
「むしろ私の方が重たいと思います。一緒にいた時間が、違うので」
セラは少し考え込んで――にっこりと笑った。悪戯っぽい笑み。
「なら、フィーナも一緒に迎えに来ます」
「え?」
今度はフィーナが驚く番だ。
「私、フィーナのことも大好きなので」
満面の笑みで言うセラ。
「……あれ?じゃあ、セラさんと、兄さんと、私……三人で?」
フィーナが小首を傾げて、考え込む。
「それなら……いいのかな?でも、法律は……?」
「大丈夫。私は聖女です。法の一つや二つ、捻じ曲げて見せます」
「権力を持たせちゃダメなタイプの人間だった!」
二人がワイワイと話している。俺が倒れている間に、すっかり仲良くなったみたいだ。
会話の内容はよくわからないから途中で理解を放棄したけど、やっぱり平和な空気が一番だよね。
少女二人の笑顔が眩しい。朝日が窓から差し込んで二人を照らしている。
本当に、セラを守れて良かった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
その夜のこと。俺が布団に入ってウトウトと眠りかけている時だった。
突然、バンと音を立てて、ノックも無く開かれる扉。
目を開けると、フィーナが枕を持って立っていた。無表情。目に光がない。
「兄さん、一緒に寝ましょう」
いつもより少し声が低い。何となく機嫌が悪い気がする……。
「お邪魔しますね!」
俺の返事を待たずにベッドに入ってきて、ぎゅっと横から抱きついてくる。
フィーナと一緒に寝ることはたまにあるが、こうやってスキンシップを取ってくることは珍しい。
「……フィーナ?」
「兄さん、私怒ってます」
低い声。感情のこもらない声。
「朝は兄さんが助かったことが嬉しくて、もうそれだけで頭が一杯だったけど」
ぎゅう、と抱きつく力が強くなる。
「落ち着いたら、なんだかイライラしてきました」
「う、うん……」
気圧される俺。フィーナの迫力に押されて、返事もままならない。
「どれだけ心配だったか分かりますか?私だけじゃないです。父さんも、母さんも、セラさんだって……」
段々と声が小さくなる。その時の事を思い出したのか目が潤んでいる。
「兄さん、兄さんは自分の命を軽く見過ぎです」
「……ごめん。俺が弱いせいで、皆に心配をかけた」
そう、俺は反省している。
いくら手練れの暗殺者だったとはいえ、生きるか死ぬかの戦いになってしまった。いや、セラが居なければそのまま死んでいただろう。
もっと強ければそんな事にはならなかったのに。大切な人達を守るためには、まだ力が足りない。訓練の強度を上げないと。
「そんなことありません!兄さんは強いです!」
がばっとフィーナが起き上がり、四つん這いで俺の上に覆いかぶさった。
完全に目が据わっており、感情のない表情で俺を見下ろしている。
「……あのー、フィーナ……さん?」
ただならぬ様子に、思わず敬語になってしまう。
「もう兄さんには危険なことをして欲しくないです。だけど兄さんにはそんなこと言っても無駄なんでしょうね。女の子が困っていると後先考えずに手を差し伸べるんですから。今回なんて死にかけたんですよ。人を助けるだけ助けて、それで自分は死にそうになる。大切な人に置いていかれる人の気持ちを考えたことありますか?もういっそ、どこにも行けないように閉じ込めたいです。鉄の檻ってこの家にありましたっけ?」
ははは、下手な冗談だな。……冗談、だよな?
光の消えた目は全く笑ってない。あかん、本気のやつだこれ。
「それと、兄さん、セラさんに抱きつかれて、すごく嬉しそうでしたよね」
フィーナの声がさらに低くなる。
「私と、比べてませんでしたか?大きさとか」
まずい。これは地雷だ。超特大の地雷だ。
「比べてない」
即答する。全力で否定する。絶対に認めてはいけない。
「嘘」
一瞬で見抜かれる。フィーナの目が更に据わる。
「兄さんは、私のことが好きって言ったのに」
……これはもう、有耶無耶にするしかない。
俺は上体を起こしてフィーナと向かい合い、その頭に手を乗せる。
「もう、兄さん、誤魔化されませんよ」
なでなで
「……兄さん……ずるいです」
なでなで
「……んっ……」
なでなでなで
フィーナの表情が、少しずつ緩んでいく。
目が細くなる。肩の力が抜ける。やっぱり撫でるのが一番効果的だ。
「そろそろ寝ようか」
「……兄さんは私のこと猫かなんかだと思ってませんか?」
フィーナが口を尖らせて言う。
「別に撫でられても機嫌は直りませんよ?兄さんに撫でられるのは好きですけど……」
チョロい妹がそう言いながら横になる。可愛い奴め。
俺も横になる。体が布団に沈み、眠気がやってくる。
「おやすみ、フィーナ」
「……おやすみなさい」
意識が遠のいていく中、フィーナの声が聞こえた。小さく、でも確かに。
「……兄さん、私、強くなりたいです。兄さんを守れるくらい」
その言葉の意味を理解する前に、俺は眠りに落ちた。




