05.癒しの聖女、セラ
――翌朝、鍛錬場。
いつも通り剣を構えようとしている俺、そのすぐ横にフィーナが立っている。普段より明らかに近い。
「フィーナ、近すぎないか?危ないぞ」
「これくらいなら大丈夫です」
フィーナがきっぱりと言う。
「兄さんの剣の届く範囲は把握しています」
言われて気付く。確かに今フィーナが立っている場所は、俺の間合いのすぐ外ギリギリの距離。数センチ単位で測ったかのような正確さ。
いくら毎日見ていたからって、この距離をこんなに正確に測れるものだろうか?
もしかするとフィーナには剣の才があるのかもしれない。観察眼というか、空間認識能力というか。
「おはようございます、テオ様」
そこへセラが現れた。
白い衣装ではなく、動きやすそうな淡い青の服装。長い金髪を後ろで一つに結んでいる。護衛の騎士長も少し離れた場所に付き添っている。
「おはようございます、聖女様」
「セラで構いません」
セラが微笑む。
「堅苦しいのは本当に苦手なんです」
「分かりました。じゃあ、セラで」
俺も笑顔で返す。
「俺の事もテオでいいよ」
「はい、テオ。今日はよろしくお願いしますね」
嬉しそうに頷くセラ。
その横でなぜかムスッとしているフィーナ。
眉間にしわが寄っている。
「ふふふ、なんだか新鮮です」
セラが楽しそうに言う。
「私、男の子の友達なんて初めてで……」
「お・は・よ・う、ございます、聖女様」
フィーナが一音一音、区切るように言う。いつもより声が冷たい。
ここ数ヶ月フィーナと過ごしてきた俺には分かる。これは機嫌が悪い時の声だ。
「おはようございます、フィーナさん」
セラが優しく挨拶を返す。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
「はい。兄さんとはいつも一緒です」
表面上は穏やかな会話なのに、何か空気がピリピリしている。まるで見えない火花が散っているような。
「それでは、始めさせていただきます」
気を取り直して剣を構え、この空気から逃げるように訓練に集中する。
まずは基本的な型から。
剣を振るう。空気を斬る音が鍛錬場に響く。
一つ一つの動きに無駄がなく、流れるように次の型へと移る。
前世で培ったアニメやゲームの知識と、魔力による身体強化を組み合わせた俺独自の剣技。
「……すごい」
セラの小さな呟きが聞こえた。息を呑む音も。
型を終え次は剣に魔力を込める。
剣が淡く光り始め、空気が震える。魔力が刀身を包み、青白い光が広がる。
一閃――
何もない空間を斬ったはずが、鍛錬場の端にあった木製の的が真っ二つになった。
遅れて、ドサッと二つに分かれて倒れる。
「え……今の、魔力を飛ばしたんですか?」
セラは目を輝かせている。騎士長も驚いた表情だ。口を開けたまま固まっている。
「兄さん、すごかったです」
フィーナが俺の腕をぎゅっと掴む。
「いつも見てますけど、やっぱり兄さんの剣、大好きです」
よくわからないけど機嫌が直ったらしい。
そうだねー。俺もいつも可愛い妹のフィーナが好きだよー。
心の中で安堵しているとセラが近づいてくる。
その瞳には純粋な興味と、何か別の感情が混じっているように見えた。
「テオは、どうやってそんなに強くなったんですか?」
「えっと……」
俺は少し考える。
「そうだな。こんなことを言っても笑われるかもしれないけど、俺にはずっと叶えたい思いがあって、そのためには力が必要で、だからずっと剣を振ってたんだ」
俺の前世の心残り。助けられなかった妹。
二度と大切な誰かを取りこぼさないよう。俺は強くなくてはいけない。
「笑ったりなんてしません」
セラが真剣な表情で言う。
「テオが積み重ねた時間は、今の剣を見ただけでわかります。本当に、血のにじむような努力をされたのでしょう」
その視線がじっと俺を見つめる。
澄んだ青い瞳。まっすぐで優しくて、少し悲しげで。
「……でも、何かを悔いていますね」
核心を突かれて、言葉が詰まる。
「私が力になれるかは分かりませんが、よければお話を聞かせていただけますか?」
「あ……」
見抜かれたことに言葉が出ない。
ああ、聖女は凄いな。
こうやって、他人の苦しみに寄り添い、背負い、世界を優しくする。なんという美しい生き方。自己献身。でも――
ふと思う。
それじゃあこの子は、自分自身の苦しみを預ける相手はいるのだろうか?
護衛に守られてはいるけども、もしかしたらこの子の心を守る人は居ないのかもしれない。
「いや、俺は大丈夫」
強がる。
「たぶん、セラが思っているほど深刻なことじゃない。そりゃ、後悔が無いとは言わないけど」
まぁ、強がるよね。
30代のおっさんが14歳の少女に懺悔を始めたら完全に事案だし。
「……そうですか、分かりました」
少し納得がいってなさそうなセラ。見抜かれてるなこれ。
「それはそれとして、もしよければ……」
セラが少し遠慮がちに言う。
「もっと色々教えていただけませんか?この街の事とか、テオの事とか、お時間があれば……」
「兄さんは忙しいです」
フィーナが俺とセラの間にすっと入り込む。
いつもの柔らかな声とは違う、はっきりとした口調。
「訓練もありますし、勉強もあります。それに、私と過ごす時間もありますから」
「あら」
セラが少し驚いたように目を瞬かせ、次の瞬間、何かに気づいたような表情になった。口元が少しだけ緩む。
「そうですか。お忙しいのでしたら仕方ありませんね」
にこりと笑うセラ。その目には少しいたずらっぽい光が宿っている。
「では、フィーナさんも一緒にお話しする時間をいただけたら嬉しいです。お二人の話、もっと聞きたいですから」
フィーナの表情が固まる。
一緒に、という提案は予想外だったようだ。
「それならいいですよね?フィーナさん」
セラの笑顔。親しみやすく、でもどこか挑戦的に。
「……ええ、構いません」
フィーナも笑顔で返す。
だが俺の腕を掴む手に少し力が込められている。
なんでまた妹の機嫌が悪くなって、セラが楽しそうにしているの?
俺はその場の空気に、ただ困惑するしかなかった。
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<セラの視点>
訓練を見学した日の夜、私は客室の窓辺に立っていた。
月明かりが庭を照らしている。静かで、穏やかな夜。虫の音が遠くから聞こえる。
窓を開けると涼しい風が頬を撫でた。
「……テオ」
小さく呟く。
名前を口にするだけで胸が少しあたたかくなる。不思議な感覚。
私は物心ついた時から聖女だった。
生まれながらにして癒しの力を持ち、神殿で育てられ、人を救うことを教えられた。
幼い頃から私は「聖女様」と呼ばれ、特別な存在として扱われてきた。
同年代の子供たちは私を恐れ、敬い、距離を置いた。
「聖女様と遊ぶなんて畏れ多い」――そんな声を何度聞いただろう。
大人たちは優しかったけれど、それは聖女への敬意であって、セラという一人の女の子への優しさではなかった。
皆、一歩引いて丁寧に、でも心を閉ざして接してくる。
寂しいと思ったことは何度もある。
普通の女の子のように、笑い合って、くだらない話をして、一緒に遊びたかった。
でも、それが私の役目だから。
人を癒し、救い、導くことが私の使命だから。
そう自分に言い聞かせて今日まで生きてきた。
巡礼の旅も孤独だった。
護衛の騎士たちは優秀で、私を守ってくれる。でも、彼らは私の心には触れない。触れてはいけないと、そう思っているのだろう。
「聖女様」と呼び、距離を保ち、敬意を払う。
だから、私は――
人の苦しみに寄り添うことで、自分の孤独を忘れようとしてきた。
誰かを癒せば、感謝される。
誰かを救えば、笑顔が見られる。
それで自分の寂しさを埋めてきた。
でも、それは本当の繋がりじゃない。
分かってる。分かってるのに。
――そんな私にテオは普通に接してくれた。
「セラで構いません」と言った時、「分かりました。じゃあ、セラで」と、本当に自然に返してくれた。
聖女様ではなくセラと呼んでくれた。
敬意ではなく、友達のように。
テオの剣を見た時、私は息を呑んだ。
あれほど強く、美しく、そして切ない剣は見たことがない。
一振り一振りに、想いが込められている。誰かを守りたいという、切実な願いが。
「俺にはずっと叶えたい思いがあって」
その言葉の奥に、深い後悔が隠れていることが分かった。
テオは何かを悔いている。恐らく、誰かを守れなかったことを。
私と同じだ。
私も、守れなかった人がいる。
幼い頃、神殿で一緒に育った友達。エリナという名前の優しい女の子。
病で倒れた時、私の癒しの力はまだ未熟で間に合わなかった。
必死に祈ったのに。何度も何度も癒しの力を使ったのに。
あの子の手を握りながら私はただ泣くことしかできなかった。
それ以来、私は必死に力を磨いた。
二度と誰も失わないように。二度とあんな無力感を味わうことのないように。
テオの言葉に同じ痛みを感じた。
この人も誰かを失った。そして、二度と失わないために強くなった。
――ああ、だから。
もしかすると私は、テオに惹かれているのかもしれない。
同じ痛みを知っている人。
同じ決意を持っている人。
同じ孤独を抱えている人。
妹を見る目は本当に優しかった。
愛する兄の目。守りたいものがある人の目。温かくて、柔らかくて。
(羨ましい)
そう思ってしまった自分に、少し驚く。
フィーナさんが羨ましい。あんな風に愛されて、守られて、大切にされて。
私もいつかそんな人に出会えるのだろうか?
聖女ではなく、セラとして見てくれる人に。
窓の外、月が優しく微笑んでいるように見えた。
風が髪を揺らし、夜の静けさが心に染み入る。
「……もう少しだけ、この街にいたいな」
小さく呟いて、私は窓を閉じた。




