02.妹、フィーナ
「お兄さん、眠れません……」
枕を抱いたフィーナが俺の部屋を訪ねてきた。
時刻は夜の10時過ぎ。月明かりが窓から差し込む静かな部屋。扉の隙間からフィーナが顔を覗かせている。少し困ったような、頼りなげな表情で。
俺は14歳、普通なら思春期真っ最中だ。邪険にして追い出す場面かもしれない。
だがしかし――前世での人生を含めると精神年齢30代の俺に隙は無い。妹的存在に寄り添うだけの余裕があるのだ。
「そうか、俺はまだ少し勉強しているから、そこのベッドで寝てていいよ」
優しく答える。机の上には開いたままの魔法理論の本。可愛い妹が傍にいると勉強も捗るってものだ。
「……分かりました。起きてますので、一緒に寝てくれますか?」
ガタッ、と音を立てて椅子から立ち上がる俺。勉強なんてしてる場合じゃない!
流れるような動きでベッドに潜り込む。
秒で勉強を投げ出した俺の様子に、フィーナは少しだけ目を丸くした。それから、くすっと笑う。嬉しそうに、安心したように微笑んで布団の端を持ってベッドに入ってくる。
並んで目を瞑る。
布団越しに伝わってくるフィーナの体温。規則的な呼吸の音。静かな部屋に、二人分の息遣いだけが重なる。
寝返りを打つ気配がして、フィーナが小さく声を発した。
「……テオ兄さん」
背中越しの声。少し震えている。
「兄さんは……どうして私に良くしてくれるんですか?助けてくれて、居場所まで与えてくれて、いつも優しくて」
突然の質問に一瞬戸惑う。でも、答えははっきりしている。俺がフィーナを気にかける理由。そんなの決まってる。
「俺はあの日、フィーナを守れて嬉しかったんだ」
天井を見上げながら言葉を紡ぐ。
「助けた時はまだよくわからなかったけども。今は――君が可愛くて仕方がない。幸せにしたいと思っている」
もちろん、妹的存在としてだ。家族として、守りたい存在として。
よし、誤解なく言葉にすることができたな。100点満点の回答だ。
そう思い横に目をやると、フィーナは布団を頭まで被って震えている。
小刻みにぶるぶると。何かを我慢しているような「んー!」という唸り声も聞こえる。
あれ? 何か怒ってる?うまく伝わってない?
ならばもう一押し。ちゃんと伝えよう。
「好きなんだ。フィーナのことが」
「んー!んんんー!」
ますます大きくなる震えと唸り声。布団の中で何か必死に堪えているような気配。こわい。
これ以上声をかけても逆効果かもしれない。というか何か地雷を踏んだ気がする。大人しく寝ることにしよう。そうしよう。
「お、おやすみ、フィーナ」
「……はい。おやすみなさい。テオ兄さん」
掠れた、でもどこか嬉しそうな声が返ってくる。
俺は安堵のため息をつきながら、目を閉じた。
☆
――この男、天然であった。本当に自覚はないのである。
フィーナにとってテオは助けてくれた恩人で、優しくしてくれるお兄さんで。
剣を構えた時の表情が結構カッコよくて。それを眺めている時間が好きで。
両親のいなくなったこの世界で頼れる一番の人で。
いわば、この時点でかなり重めの感情を抱いていたのだが、
この夜のやり取りが更にその感情を激化させ、湿度の高い目で寝顔をじっと見つめられているとは露知らず。
テオは呑気にも夢の世界で剣の訓練をしているのであった。
☆
半年ほど経ったある日。
夕食後、両親から話があった。居間に呼ばれ椅子に座る。父と母が向かい側に座り、少し改まった表情をしている。
「フィーナを正式に養子として迎えるつもりだ」
父が切り出した言葉に、俺は一瞬理解が追いつかなかった。
「養子?」
「ああ」
父は頷く。少し困ったようなでも優しい表情で。
「本人は使用人として雇ってほしいと言っているんだがな。親を失い身寄りがない、働くからここに置いて欲しいと」
ああ、そうか。
フィーナは賢い子だ。自分の置かれた立場をよくわかっている。同時に、彼女は善意のみで成り立つ関係を信じていないフシがある。
お世話になるだけの関係だといつか捨てられる日が来る――そう考えているのかもしれない。
胸が少し痛む。あの子はまだ不安なんだ。
父の横に座っている母が口を開く。柔らかな笑みを浮かべながら。
「でもね、私あの子が可愛くて。私たちにはあなたしか子供がいないけど、娘ができたみたいで嬉しいの。だからね、貴方にも賛成してほしくて」
俺の手が震えた。
心臓が早鐘を打つ。呼吸が浅くなる。
なんということだ。この手があったのか。
精神的妹から実の妹にランクアップするなんて。すでに完成したと思っていた関係のその先があるなんて。
これは――運命か?神の采配か?
そんなの、反対する理由がない。むしろ全力で賛成したい。両手を挙げて賛成したい。
「俺も、彼女の事は実の妹の様に思っていました」
努めて冷静に、でも心からの言葉で答える。
「これからも家族として接していきたいと思います」
両親は安堵したのか、穏やかに微笑んでいた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
翌日の夕方。
フィーナを居間に呼んで、両親と四人で向かい合って座った。
「……私を養子に、ですか?」
フィーナはぽかんと口を開けたまま、父と母、そして俺を順に見た。
その瞳は困惑と不安と、ほんのわずかな期待が入り混じって揺れている。信じていいのか、信じたら裏切られるのではないか――そんな葛藤が見て取れる。
「無理にとは言わないわ」
母はそう前置きしてから、柔らかな声で続けた。テーブルに置いた手をそっとフィーナの手に重ねる。
「あなたが望むなら、という話よ。でも私たちは、あなたをもう家族だと思っているの」
「……」
フィーナはぎゅっと両手を握りしめた。視線が落ち、唇が小さく震える。俯いた顔からは表情が読めないけれど、肩が微かに震えているのがわかる。
「私、働けます。掃除も洗濯も、料理だって。だから、その……」
震える声。必死に何かを繕おうとしている。
ああ、だめだ。そうじゃない。
「それは違う」
俺は思わず口を挟んでいた。三人の視線が一斉にこちらに向く。フィーナが驚いたように顔を上げる。
だが構わず続けた。ちゃんと伝えなきゃいけない。
「ね、フィーナ」
できるだけ優しく、でも真剣に。
「俺は君を助けた。最初は助けたからには君を守りたいと思った。いや、その思いは今でも変わっていない」
フィーナの目がじっと俺を見つめている。
「だけどもそれ以上に――君と過ごした日々が、楽しかったんだ」
嘘偽りのない本音。朝一緒に起きて、ご飯を食べて、笑い合って。そんな何気ない日常が、本当に嬉しかった。
「俺と、家族になってほしい」
一拍置き――
フィーナがゆっくりと口を開く。その目には、涙が溜まっていた。
「……お兄さんが、家族になるなら」
声が震える。でも、確かな意思を込めて。
「なりたい、です」
その瞬間、母は目を潤ませて微笑み、父は静かに頷いた。
俺も自然と笑顔になっていた。
その日からフィーナは、ディーノ家の娘。
俺の妹となった。




