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海辺のふたり  作者: 生吹
8/13

街歩きしよう

 午後4時頃。まだまだ外はむんむんと暑かったが、太陽が雲の陰に入り、いつもより海からの風も強く吹いていて、いくらか歩けそうだった。私たちは入り口の前にある自動販売機で飲み物を買い、街へと繰り出した。西風が潮の匂いを運んできて、この匂いを嗅ぐとなんだかいつも胸の奥がキュッと詰まるような感覚に陥る。ミチヒもそう感じたのかはわからないが、「今日は海の匂いが凄いね」と笑って癖のついた前髪に風を受け、まあるいおでこをむき出しにしていた。


 小さな神社の前を通り過ぎいくらも車が停まっていない駐車場を突っ切り、駅前の通りに出た。私がほんの子供の頃は、書店に花屋に美容院、写真屋に電気屋、寿司屋にパン屋といった店が軒を連ね、そこそこ賑わいがあった。駅の隣にはバスターミナルまであったくらいだ。それが今では電気屋と写真屋と美容院しか残っていないし、バスターミナルは取り壊され1人〜2人乗っていれば良いくらいのバスが1日に数本出るだけになった。

 

「ねぇ、あのお店は何だったの? ミルク缶みたいのあるけど」

 

 ミチヒが指さす先には、シャッターの下りた小さな建物と錆びきったミルク缶があった。

 

「あれは元パン屋だよ」

 

 子供の頃、母と散歩のついでに明日の朝ごはんのパンを買いに、この通りのパン屋によく来たものだった。店の入口脇に私の背丈より少し高い年季の入ったミルク缶が2本置かれていて、その佇まいというか質感というか、そういったものがどこか非日常を感じさせた。パンの香ばしい香りと、こんがり焼けて艶のある茶色くてまあるいパン。母が持つ乳白色のトレーとトングの質感。全部、鮮明に覚えている。あんなに素敵な店だったのに、あんなに美味しいパンだったのに、どうして無くなってしまったのだろう。

 書店だってそうだ。母に連れられ、わくわくした気持ちで本を選び、何冊も買ってもらった。母は本であればいくらでも買い与えてくれた。小学校に上がり、友達とお小遣いを握りしめて胸を弾ませながら漫画雑誌を買いに行った時、その店は閉まっていた。あの時はショックだった。私が読んでいた漫画雑誌はこの辺りではここにしか置いていなかったからだ。自転車を道の脇に放り出したまま、しばらく友達と不満を口にしながらその場に居座ったのを覚えている。

 そんな思い出話をしながら、私はミチヒを連れてどんどん歩いた。こんな話を聞かされて面白いのかわからなかったが、ミチヒは終始真剣な顔をして私の話に相槌をうっていた。


「新しいお店は入らないのかな」

「入らないと思う。人がいないし、そもそも誰もこの通りに興味を示さないんじゃない」


 自分で言ってなんだか寂しくなった。寂れ果てていくこの町を見てどうにかならないものかと度々考えはするものの、結局私にはどうすることもできない。ただ流されるだけだ。


「スーパーのある方へ行ってみよう。そっちの方が多少賑わってる」


 私はそう言って先を進んだ。駅前の通りを抜け、オンボロの歩道橋を渡り、ボコボコの狭い歩道を歩く。海からはどんどん遠ざかる。潮の匂いが薄くなるかわりに、どこかの家の夕飯の匂いや、スーパーの惣菜を作る時に出る油の匂いが漂ってくる。

 町の中心まで来ると、車通りも多くなる。木造建ての酒屋に破けた庇のクリーニング屋、オレンジ色の傘のついたランプがレトロな肉屋に老夫婦が営む魚屋、八百屋にお年寄り向けの洋品店、葬儀屋、銀行……何も無い町だと思っていたがこうして挙げてみると自分はあまり利用しないだけで意外と店があるのだなと思う。それでも、昔はもっとたくさんの店があり、活気があって賑わっていたような気がする。


「あの店、めっちゃ昔のポスター貼ってあるね」

「オレンジのランプが昭和レトロで可愛い」

「クリーニング屋さんの匂いってなんか良いよね。あの庇は直さないのかな。台風で破れたのかも」

 

 ミチヒは通りにある店のひとつひとつを丁寧に観察しては感想を聞かせてくれる。私はそれに応える形でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 

「この町で唯一のスーパーだよ。ミチヒも買い物に来るでしょ」


 いつの間にかスーパーの前まで来ていた。歩き疲れたのと真夏の暑さに耐え兼ねて、私たちはスーパーの中に入った。真夏のスーパーは天国だ。特に肉や魚のコーナーはとびきり冷えていて、汗をかいた体が一気に冷えていくのがわかる。私とミチヒは特にこれといった用もなくスーパーの中をうろうろし、何か目新しい商品はないものかと見て周ったが、いつもの代わり映えのないラインナップが並んでいるだけだった。


「何か買うものある?」


 私が尋ねると、ミチヒは首を振った。しかし何も買わずに出るのも気が引けたのだろう。アイスでも食べようかと言ってアイスコーナーのある店の隅へずんずん歩いて行った。

 結局、ふたりして同じスイカ味のアイスを買ってスーパーを出た。店の裏手には昔運河だった川が流れており、川沿いはちょっとした散歩コースになっている。私たちはアイスを齧りながら川を見下ろした。緑色の水の中に、黒や朱い色をした大きな鯉が泳いでいるのが見えた。お世辞にも綺麗な川とは呼べないが、蟹や鰻も捕れるのだと聞いたことがある。だが昔の話だ。今はわからない。どれだけ目を凝らしてもばかでかい鯉しか姿がない。住む人が減り、時代も色々と進歩しただろうに、どうして川の生き物は減ってしまったのだろう。そんなことをぼそりと呟く。


「川の生き物も人間と同じでどこかへ言っちゃうもんなのかな」


 ミチヒは最後のひとかけだったアイスを棒から器用に歯で引き抜いてから言った。本当の理由はわからないが、彼女が何でも茶化さず真面目に答えてくれるのが無性に嬉しかった。


 そのまましばらく歩いていると、川沿いに新しい店ができていることに気がついた。まだオープンはしていないようだったが、看板には「豆花と杏仁豆腐の店」と書かれていた。古い物置を改装して店にしたらしく、真新しい木材とペンキのにおいがした。


「やったー! 今度来ようよ」


 ミチヒが声をあげる。真っ先に誘う相手が私なんかで良いのか。そもそもこんな場所に豆花の店なんて構えて儲かるのか等と疑問に思いつつも、純粋に嬉しかったので黙って頷いた。

 

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