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海辺のふたり  作者: 生吹
7/13

図書館

 花火大会の夜以前、ミチヒとははまなか亭でしか会っていないと思っていた。しかし、朝や夕方にキナコの散歩をしていると、示し合わせたわけでもないのによく遭遇する。聞けば、彼女がここに越してきた時から度々私とキナコの姿は見ていたらしい。何度か声を掛けようと思ったらしいが叶わず、ある時変な時間にお腹が減って気まぐれにはまなか亭に入ってみたところ、よく見かける私がいたのでそこで初めて声を掛けたのだという。

 

 あの夜、ミチヒは何の躊躇もなく私に素性を打ち明けた。私なんかに。だから私も自分の抱える問題について打ち明けてしまおうかと、あの瞬間何度か思った。でもできなかった。くだらないプライドのせいか、まだ彼女を信用しきれないからかはわからない。喉元まで出かかった言葉はすぐに腹の底まで下りてしまったのだった。

 友達とは何だろうか。思えば、それが何となくわかっていたのは小学生までだった。中学に上がってから今まで、ずっとその感覚を見失い、わからなくなっていた。しかしミチヒと出会った今、その「友達」という感覚を取り戻せるのではないかという、淡い期待が心の隅っこに芽生え始めているようだった。自分には大した財産も人間としての魅力も何も無いが、時間だけはその辺の社会人より持っている。その時間をミチヒのために、いや、自分のためにかもしれない。とにかく彼女と一緒に過ごすことに使おうと思った。


 何度もミチヒと散歩をした。早朝は山の向こうから朝日が昇るのを高台から眺め、夕方は海の向こうに夕日が沈むのを眺めながら浜辺を歩いた。私たちは夕方の散歩の方が好きで、歩く時間も長かった。最初は話すことがたくさんあった。だが時間が経つにつれて少しずつ少しずつ口数は減っていき、やがて心地の良い沈黙が流れた。不思議なことに気まずさはこれっぽっちも無かった。セミの声と波の音、ふたりと1匹の足音を聴きながら、ピンク色に染まる雲とその間から顔を覗かせる三日月をぼんやりと見ながら、頭を空っぽにしてただ歩いた。


「街の方へ行ってみない? 案内してよ。スーパーへは1人で行ったことあるけど、あの周辺はあんま歩いたことないからさ」


 そう言い出したのはミチヒの方だった。これまでは海や田んぼ道ばかりで街の方へは行っていなかったのだ。理由は2つある。1つ目はキナコの安全を考えて。もう1つは人に会わないためだ。同年代の若者たちはとっくにこんな田舎町を出ているだろうが、万が一知り合いにでも会ったら気まずいし、ただなんとなく人や車通りの多い道は避けていた。自分の存在がどうしようもなく劣っていて恥ずかしいものに思えていたからだ。


「……まあ、いいけど」


 長い沈黙の末、私はぼそりとそう答えた。ミチヒと一緒であるならば、大丈夫なような気がした。私の曇りかけの顔を不安気に覗き込むようにしていた彼女は、その返事を聞いて穏やかに微笑むと、何かを噛み締めるようにうんうんと2回頷いて「明日家に行くからね!」と元気よく言った。


 8月14日の午後。お盆に差し掛かり、といってもはまなか亭にお盆休みなど無いのだが、その日はたまたま休日だった。しかし日中は暑すぎてとても街中を歩き回ることなどできそうになかった。そのため時間を持て余した私たちは仕方なく駅前の小さなコミュニティセンターの中に入り、図書室で涼んでいた。

 小学生の時はいつもこの場所で涼んだり、古ぼけた椅子とテーブルが並べられた休憩スペースで駄菓子を食べたり、くだらないお喋りに興じたりしていたものだが、今やそんな子供の姿は見当たらない。古本臭い図書室もしんと静まりかえっていて、私とミチヒのたてる音以外の何も聞こえては来なかった。


「このネズミの絵本、懐かしいな」


 ミチヒは目についた絵本を手に取り嬉しそうだ。彼女が見つけたのは、眠そうな目をした1匹のネズミが出てくる有名な絵本だ。確か、他のネズミたちが冬支度のためにせっせと働く中、彼だけはぼんやりとしている。でもそれにはちゃんとした理由がある。そんな内容の話だったと思う。


「私このネズミ好き。こんな風になりたいと子供の頃よく思ったんだよね」


 どことなく今のミチヒと絵本の中のマイペースなネズミが重なるような気がした。

 

「借りていけば?」


 私が冗談交じりに言うと、ミチヒは一瞬真剣な顔をして、「どうしようかな」と悩み始めた。どうやら本気でこの絵本が好きらしい。

 結局彼女は図書カードを作り、ネズミの絵本を借りることになった。


「部屋に帰ったらじっくり読まなきゃ」


 ミチヒは猫の絵柄のトートバッグに絵本を入れながら言った。その様がまるで猫の腹の中にネズミが入っていくようで、私はひとりで少し笑った。

 

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