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海辺のふたり  作者: 生吹
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花火大会

 「行けたら行く」と口にする人間は、大抵不参加であるものだ。しかし、この日の私は行く気満々だったと言っても過言ではない。午後6時に仕事を終え、帰宅して軽めに夕食を済ませると、近くのコンビニまで自転車を走らせ何本か酒を買った。キナコがうちに来てからは毎年ひとりと1匹であの場所に行って飲みながら花火を眺めていた。今年はどういうわけかふたりになるらしい。知り合って少ししか経っていないし、はまなか亭で何度か世間話をしただけの仲だ。それなのにミチヒは旧友にでも再会したようなノリで絡んでくる。歳が近い人間が珍しいからだろうか。誰にでもフレンドリーなのだろうか。


 買った酒をトートバッグに詰めながらちらちらと時計に目を向ける。まだ行くには少し早いか。しかしギリギリに行くのもどうなんだ。他に何か持って行くものはないだろうか。そもそも私たちは本当に約束をしたのだろうか。こちらの一方的な思い込みではあるまいか。そんなことを考えているうちにじわじわと時間は過ぎ去る。


「キナコ、行こうね」


 キナコにハーネスを着け、ずっしり重いバッグを肩に掛けて外に出た。外はもう真っ暗だが、昼間の熱の照り返しが酷くちっとも涼しくない。暑いな……と内心で呟きながら少しばかり緊張した足取りで海辺へと向かう。

 適応障害になって出戻ってから数少ない友人たちとの縁も殆ど切れてしまった。何もできない期間、隠れるようにして生きてしまった。何もできないのは恥だから。同窓会の案内も届いたがくだらないプライドと恐怖心のせいで参加できなかった。結局こちらから何も連絡しなければ存在は忘れ去られる。

 だからこんなことはあまりにも久しぶりで、変に浮き足立っていた。


 秘密の草原へたどり着き、手に持っていた携帯ライトので辺りを照らす。花火が始まる15分前だというのにまだ来ていないのだろうか。そこには誰の姿も無かった。

 すっぽかされた。

 瞬時にその言葉が脳裏に浮かぶ。いや、でも、そんなはずは……やっぱり本気にした自分は間抜けだっただろうか。急に恥ずかしくなって、私はその場にしゃがみこんだ。

 カサ……

 背後の茂みで音がして、キナコが低く唸った。獣か? そう思って振り返ると、暗闇の中に真っ白で不気味な幽霊の顔がぼんやりと浮かんでいた。思わず声を上げそうになる。だが、その幽霊の顔には見覚えがあった。


「へっ、へへへ……待ってました〜」


 薄ら笑いを浮かべる幽霊――もといミチヒはライトの青白い光で自らの顔面をライトアップさせながらひょこひょことふざけた足取りでこちらに近づいて来た。


「なんだ。もっと驚いてくれるかと」


 そう言って少し不満そうに私の隣に腰を下ろした。隣に来てもまだ顔面のライトアップをやめない。

 

「すっぽかされたのかと思った」

「それはこっちのセリフですよ。もう20分もスタンバってたんです」

「来るのが早い」

「わくわくしちゃって」

「そんなにわくわくするほど盛大な花火じゃないし、20分で終わる」

「私がわくわくしてたのは今の、この環境そのものなんで」


 ミチヒはそこまで言ってようやくライトアップをやめた。私はアウトドア用のランタンを取り出してふたりの間に置くと、バッグから酒を取り出してミチヒに差し出した。


「飲めますか」


 ぎこちない敬語で私が問うと、ミチヒは一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐにニッコリ笑顔になって、素直に受け取った。


「実は私も持ってきててぇ」


 彼女はやや気まずそうにしながら自分のバッグの中を漁る。出てきたのは酒ではなかったが、炭酸ジュースが2本。かなりお腹がタプタプになるのだろうなと思いながらお礼を言ってそれを受け取る。それとほぼ同時に最初の花火が打ち上がった。最初だから景気が良いのか、連続で打ち上がる。無意識にふたりで「おぉ」と声を上げていた。


 まずは私が持ってきた酒をふたりで飲んだ。花火が上がっている間は、どちらも言葉少なだった。決して派手ではないし、スターマインは最初と最後に少しだけ。それだってお世辞にも盛大だとは言えない。だが真剣に見ていた。

 花火が終わってしまうと、波の音と虫の声だけがやけに大きく聴こえた。ミチヒは帰ってしまうかと思ったが、不思議と解散にはならなかった。

 静かな海辺で、色々な話をした。今日あった出来事。取るに足らない世間話。はまかな亭のメニュー。話しているうちに段々とミチヒの敬語は薄れ、いつの間にか双方タメ口でお喋りしていた。私はよく喋るミチヒに対しぽつりぽつりと返事をすることが殆どだったが、こんなに他人と話したのも久しぶりのことだった。


「私がここに引っ越してきた理由……」


 あらかた話を終え、少しの沈黙の後、おもむろにミチヒは切り出した。その理由を聞いて、私は閉口した。

 聞けば、彼女は元々東京に住んでいたらしいが、数年前の冬、実家が火事になり、父と母が同時に他界してしまったという。ひとりっ子で親戚とも交流が薄かったミチヒはひとりぼっちになってしまい、それでも何とか保険会社での仕事は続けていたが、やはりショックは大きかったようで、加えて当時から付き合っている恋人が仕事の都合で台湾へ渡ってしまい、更に心のバランスを崩すことになった。


「彼氏とはたまーに連絡取るけどあんまり、うまくいってるとは言えない」

 

 様々な不調に悩まされた末、彼女は仕事を辞め、逃げるようにこの町へと引っ越してきてしまったのだという。


「なんでこの町を選んだの?」

「子供の頃、お父さんと来たことがあって。確か釣りに来たんだと思う。その時の記憶が鮮明に残ってて。元々別荘地だっていうから私みたいなのもそんなに浮かないかなって思ったんだよね。それと……」

「それと?」

「当時、一緒に遊んだ女の子のことをふと思い出したから。ちょっとね、ツバサに似てる感じの子」

「それ、いつの話?」

「小学校に上がる前だから、5歳とか、それくらいだったんじゃないかな」


 もしやその女の子とは自分のことではないかという烏滸がましい考えが頭に浮かび、聞いてはみたが私自身よく思い出せなかった。そんな記憶があるような、無いような。しかし、どうせ違うのだろうと自分に言い聞かせた。


 それにしても――


 自分はミチヒに対して何か酷い誤解をしていたのかもしれないと感じた。私はいったい彼女の何に苛ついていたのか、わからなくなった。同時に、何か力になれるのではないかという身の程知らずな気持ちも沸き上がるような気がした。


「まあ、ここに来てからは結構元気だよ。あんま心配しないで」


 考え込む私を見て何を思ったのか、ミチヒはキュッと口角を持ち上げてそう言った。


「どうして話してくれるの」


 ――私なんかに。


 わざわざ聞くべきではなかったかもしれない。


「優しい人は、少し話せばすぐにわかるし。あなたなら大丈夫でしょ」


 そう言うミチヒの目が本当に真剣で、私は何も言えなくなってしまった。


 


 

 

 

 

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