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海辺のふたり  作者: 生吹
13/13

タイトル未定2025/12/29 19:52

 11月になると、ミチヒは私の家を出た。隣地区のアパートに引っ越し、アルバイトだが仕事も見付けた。田園地帯の端っこにぽつりと佇む物流倉庫で、まずは週3日からという話で働かせてもらっているようだった。

 会う頻度は減ってしまったが、しょっちゅう連絡は取っていた。今日は何を食べたとか、道端で見つけた猫が可愛かったとか、そんな他愛もないやりとりをした。お互いの休みが被った日には、私の車で海沿いの道を1日中ドライブしたり、1人なら絶対に行かないであろう山奥のダムまで紅葉を見に行ったりした。車の運転はさして好きなわけではなかったが、ミチヒがとなりに座っていれば話は別だった。

 一度海に行った帰り、父が入院する病院の前を通りかかった。ミチヒに事情を話していたこともあり、彼女は「お見舞いに行ってみたら?」と提案した。私は父と不仲なわけではなかった。しかし特に仲が良いわけでもなく、自分から積極的に話しかけたり病院に見舞いに行くようなことも無かったため、思わず顔を顰めてしまったが、かと言って全く父のことを気に掛けていないわけでもなかったし、ミチヒがいるならそうしようかなという気になれた。

 

 ミチヒが来てからというもの、私の世界に対する狭苦しい視界は徐々に開けていった。強張っていた心や自己嫌悪、世の中に対する恐怖心が少しずつ遠のいていくのがわかった。 

 だからこそ、彼女から突然連絡が来なくなった時は、目の前が真っ暗になってしまった。


 12月に入った頃だった。徐々に寒くなり、世間が年末特有の焦燥感に包まれはじめた頃、ミチヒはパタリと連絡を寄越さなくなった。こちらからメッセージを入れてもなかなか既読にならず、返信もまばらだった。最初は忙しいのかと思い放っておいたが、ついには既読すら付かなくなり、電話をしてみても繋がらない。

 嫌な予感がした。散々迷った挙げ句、迷惑であることを承知で、私はミチヒのアパートを訪ねてみることにした。

 気持ちよく晴れた土曜の午後、自転車を走らせアパートへと向かう。インターホンを鳴らしてみるが、誰も出てこない。だが確かに人の気配はある。声や物音が聞こえたわけではないが、そこにミチヒがいるのは確かだと、直感が告げていた。


「ミチヒ」


 名前を呼んでみる。返事はない。


 ――え? 生きてるよね?


 縁起でもないことを考えながら駄目元でドアノブに手をかけると、なんと開いてしまった。鍵はかかっていなかったようだ。すんなり開いた扉に面くらいながらも、室内へ足を進める。冬だというのに、いつの間にかじっとりと汗をかいていた。

 部屋は真っ暗で、電気をつけなければ何も見えなかった。中は散らかっていた。玄関から入ってすぐに台所があり、短い廊下の奥にベッドが見える。そのベッドがこんもりと膨らんでいた。布団からは頭も手足も見えていない。


「ミチヒ」


 もう一度名前を呼んでみる。返事はなかったが、布団の膨らみが少しだけ動いた。


「大丈夫?」


 私が布団に手を掛けると、強い力で抵抗された。


「ごめん。今出られない」


 布団の中からくぐもった声が聞こえてきた。その声は信じられないほど弱弱しかったが、確かにミチヒのものだった。

 なんとなく辺りを見回してみる。カーテンはすべて閉めきられ、一切の光を遮断しようとしているのがわかった。おそらく悪い刺激になるのだろう。私は電気のスイッチを切ろうと思い、ミチヒの側から離れようとした。


「待って……!」

 

 ミチヒは私が帰ろうとしたのかと思ったようで、慌てた様子で布団から這い出てきた。その拍子にベッドから転げ落ちてしまった。髪にはひどい寝ぐせがついていて、着ている服もヨレヨレだった。彼女は眩しそうに目を細め、眉間に深い皺を寄せた。


「電気を消すだけだよ。その方が良いんでしょ」

 

 電気を消すと真っ暗だったが、しばらくじっと目を凝らしていると目が慣れてきた。ミチヒはベッドに寄り掛かったままで、ぽつりぽつりと話し始めた。


「あの時から、毎年冬になると駄目なんだ。私がろくに働けない理由はこれ。ここに来れば大丈夫だって思ってたのに……」


「あの時」とは、やはり家族を失った時のことだろう。


「バイト先には、話してある?」

「面接の時に、一応話してある。けど、もう駄目かも。どうしよう」

「大丈夫だよ」

「今までで一番ひどい。もう何日休んだかわかんない。クビかも」

「そう簡単には、クビにできないよ」

「そうかな。呆れられてないかな」

「呆れる方が悪いでしょ」


 枕元にはスマホがある。私はそれをおもむろに引っ掴んで電源ボタンを押してみたが、バッテリー切れのようだった。


「お腹空いてない?」


 尋問にならないように気を付けながら尋ねる。


「お腹は何となく、空いてると思う。よくわかんない。食べれば意外と食べられる。でも、食べたいものもわかんない。何食べたら良いのか……冷蔵庫にろくなものがない」

「そっか。外には、出れないよね」

「無理そう。東京にいた時は、アプリでなんとかして頼んでたんだけど、ここ、そういう宅配サービス来てくれないよね」

「クソ田舎だからね。せいぜい食堂の出前くらいかな」


 私が言うと、ミチヒは「出前かあ」とつぶやいて考え込んでしまった。私を使うという考えは無いようだった。私が「うちに戻ってくる?」と尋ねると、彼女は大きくかぶりを振った。


「それはしたくない」

「じゃあ、食べるもの持ってくるから」


 そう提案すると、ミチヒはまたかぶりを振る。じゃあ戻って来い。それは嫌だ。押し問答の末、ミチヒが折れた。当然、折れてもらわなくては困る。もし私がここに来なかったら、彼女はどうなっていたのだろうか。考えただけでゾッとした。




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