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7話

 二人はラムネを片手に、屋台から外れた大きな木の影の中にいた。


 ……どうしよう。


 今日こそは、と特急列車みたいな意気込みだったはずが、いざ目の前に近づいてくると、やっぱり足がすくんできた。

 踏切の警報音がカンカンカンと頭の中で鳴り響き、遮断機の棒が上がったり下がったりを繰り返す。バッタンバッタンと、それはまるで踊り狂うように、何度も行く手をふさぎ、私の心をかき乱してくる。


 どきどきする。


 このままでは心臓が破裂してしまうのではないかと思うほどに、一歩、一歩、前に足を進めるたびに、鼓動が大きくなって弾む。

 そんなことになっているなんて知るはずもない結衣は、小走りで二人の元へ向かって行くけど、私は、心を落ち着かせるべく、自分のペースで歩いた。


「滝本君、お待たせー」


 離れていった背中から大きな結衣の声が聞こえた。滝本君は気前よく右手を上げている。表情を見るに、私たちが遅れて来たことは、気に留めてもなさそうだ。

 鳴海君は、挨拶程度に軽く片手を上げるだけで、我関せずという感じに見えた。

 私も合流すると、すぐに滝本君が声をかけてくれる。


「おう、野々原もお疲れなっ」


 気さくで穏やかな雰囲気だったため、少し緊張が和らいだ。ひょっとしたら、良い人なのかもしれない。私がただ勝手に偏見を抱いていただけで。

 流行りをいち早く取り入れた格好からは、落ち着きがなく浮ついた性格にも見えるが。

 ひとまず、私も遅れて来たことを詫びた。


「別にいいってことよ。気にすんな、俺たち二人で楽しんでたから」


 なっ、と滝本君は視線を送っているけど、鳴海君は、どうでもよさそうな顔をして、「ああ」と、小さく声をこぼした? たぶん、私の耳にそう聞こえた。

 その様子は、私がいつもお母さんにしている気のない態度と重なり、自分の普段の行動を見直すと同時に、やっぱり鳴海君は私なんかと会いたくないのだ、と現実を突きつけられた気がした。

 ますます……直接、顔を見ることができなくなる。

 そんな中、結衣と滝本君は楽しそうに会話をしている。


「——滝本君のことだから、待ってる間に、他の女の子とどっか行ってるかと思ってた。『なり』でさ~とか言って」

「ばかやろ。俺だって、『ならない』ことだってあるってもんよっ」


 二人は笑っている。


「純は押しに弱いから危なかったけどな~」


 いつの間に結衣は滝本君と仲良くなったのだろう。学校で話しているのを見たのは、つい最近になってからだ。ちなみに、私は滝本君とは話したことがなかった。

 しばらく二人のやり取りをぼんやりと眺めていると、滝本君の突然の言葉に耳を疑った。


「純っ。じゃあ俺たち行くから、野々原のことよろしくな~」

 鳴海君が「おい、何言ってんだ?」と驚く前に、私の「ひゃいっ⁈」という声が先に飛び出た。


 結衣は、そんな言葉にもならない声を笑いながら、私の耳元でそっとささやく。「押し倒しちゃえ」

 ぱっと、自分の顔が赤面してしまっているのがわかった。

 私は、待って、と結衣に言いたかった。

 でも、その願いは叶うことはなく、結衣たちはその場を後にした。鳴海君と私、二人を残して。

 それはまるで、踏切を列車が颯爽(さっそう)と通り過ぎていくみたいに、一瞬の出来事だった。


 ……私と鳴海君の間に沈黙が生まれる。

 何か話をしなければ。


 でも、心臓が暴れ回っているせいで頭まで思考が巡らない。

 もう、私の意気込みなんて所詮こんなもんだ、とうなだれる。こんはちっぽけな自分の性格が、ほんと嫌になる。


「どうする?」


 鳴海君がふと口を開いた。彼の声には、特に感情が込められているわけではないけど、その言葉の後ろに潜む期待や不安が、私の胸に直接響いた。


「え、えっと…」


 私は口ごもりながら、どうにかしてこの空気を変えようと考えるも、さっきの結衣の冗談が頭をよぎり、顔が熱くなるのを感じる。『押し倒しちゃえ』の言葉が、あまりにも唐突で、ただのからかいだとわかっていても、心の中で大きな波紋を広げている。

 そのまま、思いつくままに言葉を選ぶ。結衣や滝本君と同じように、無理に会話を盛り上げようとするのではなく、ただ普通に過ごそうという気持ちを込めて。


「……と、と、とりあえず、なりで、屋台、見る?」


 言って、何言ってんだぁーー、と心の中で絶叫した。滝本君の口癖を真似てしまった。


 は、恥ずかしすぎる——


 目の前に列車があろうものなら、特急でも各駅でもいいから、今すぐに飛び乗って消え去りたかった。


 しばらく黙って私を見つめる鳴海君。

 恥じらいを少しでも隠そうとする私。


 そのあと、鳴海君の声が聞こえた。あっさりと、何か含みがあるような感じだった。


「じゃあ。行きますか」



 屋台の明かりが煌めき、活気があふれた雰囲気が広がる中、私は鳴海君と並んで歩いた。

 いつまでも続く、ぎこちない沈黙に、私は、この空気を何とかして脱っせねば、と意気込み勇気を振り絞って、お祭り久しぶりだね、と声をかけるけど、鳴海君からは、そうなんだ、と、これまたあっさりとし言葉が返る。


 それでも、私の心の内は幸せだった。

 また、鳴海君の声が聞こえているのだから。


 安心感のある、柔らかな、心地の良い音が、ごくごく当たり前の空気のように、いつまでも鼓膜の奥の方で微かに残る。

 何度もすれ違う浴衣姿の人たちを見て思う。

 こんな日に、こんなみすぼらしい服装でやって来てしまったことが、改めて悔やまれると。

 鳴海君は、清潔感があってシンプルな好感の持てる装いだ。

 それともう一つ。ちょっとだけ二人の距離が近くなって感じる。改めて身長が高いことに。前よりも少し背が伸びた?

 横目で斜め上に見る顔は、過去のものとは違い、どこか冷たく寂しげなものにはなってしまっているけれど。

 賑わいに混じって鳴海君の声がした。


「なんか匂うな」


 小さく、ぼそっとした独り言だったけど、私は聞き逃さなかった。


 ——え? ひょっとして私、汗臭い?

 まんべんなく汗拭きシートと制汗剤で対策をしてきたはずなのに⁈


 私は慌ててポケットに常備していた制汗スプレーを吹きかける。そして、またやってしまった、とすぐに後悔する。

 一気に噴射したガスは広範囲に広がり、私と鳴海君はおろか、近くにいた人たちまで巻き込んでしまい、皆んなで小さくむせる。

 てんぱった私は、すぐに周囲の人たちに頭を下げ、鳴海君にも誤った。気を使ってくれたのだろうか。

 間を空けずに「違うって。俺が言ったのはあれ」と、鳴海君が指を差す。たこ焼きの屋台だった。


「ここのたこ焼き、地元で評判なんでしょ? うちのばーちゃんが言ってた」


 中学生の頃の想い出が頭を(かす)める。口調が心なしか昔のような温かみを含んでいたからかもしれない。

 ほんわかと、懐かしい屋台から漂ってくる白い煙と、香ばしいソースの香りが、私をタイムスリップさせる。それはほんの一瞬のことだったけど、まるで迷子だった。幻想の世界に迷いこんだみたいに。

 中学生の頃にも、ここで似たような会話をしたことがある。



 ——やっぱ中目黒神社の祭りに来たら、たこ焼きだよね~。

 鳴海君は子供もっぽくにこりと笑っていた。今にもよだれが垂れそうな表情に、私は、子供か、と食い気味にからかう。

 ——俺、子供のときからずっと食べてるしっ。

 愛おしいほどの、無邪気な笑みに、私はたまらず駆け寄っていた。

 屋台で売っていたたこ焼きは、残り一つだったけど、何とか買うことができた。そのあとは、二人で分け合って一緒に食べた。



 また売り切れてしまうかも——

 過去を振り返って、そんな気になった。まだ好物だよね? また、あの笑顔が見たい。

 私の口は自然に呼び止めていた。


「鳴海君っ。たこ焼き買お!」


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