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5話

 部活が終わり、自転車通学の結衣と正門で別れる。

 一人、最寄り駅までの帰り道。

 刻々と変わる夕焼けに目を奪われ、ふと時間の流れの速さを感じる。

 歩きながら、明日のお祭りのことを考えた。

 部活のあと、一度帰宅して準備をしてから、結衣と待ち合わせる。

 そんな段取りになっている。


 天気予報は良好。ダッシュで家に帰って、シャワー浴びてから、服を着替える。髪をセットして、歯も磨いた方がいいだろうか? というか、何を着よう? 髪型は? 靴は何を履いていこう?


 そんなことよりも明日、私は変に取り乱すことなく接することができるだろうか。そこが一番の心配だ。学校では散々だったから。


 ……ああ、どうしよう。

 どきどきしてきた。結衣が、おかしなことを言うからだ。食堂で言われた言葉を思い出した。


『——朝帰りとかはやめてよね』


 何てハレンチ極まりないことを……

 ああ、想像しただけで顔から火が出そうだ。



 中目黒駅で電車を降り、改札を抜けて川沿いの道へ出る。

 遊歩道は、静寂と薄明かりに包まれていた。舗装された道はしっとりと光を含み、月の光を受けて銀色に輝いている。

 遠くから聞こえる川のせせらぎ。

 風が木々の間をすり抜け、葉を揺らす音が、夜の静けさにそっと溶け込んでいく。

 等間隔に並ぶ街灯が、穏やかなオレンジ色の光で道を照らしている。

 落ちた影が揺れ、まるで昔話の一場面に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 気づけば、彼と並んで歩いた記憶を思い返していた。

 川面には月光が淡く反射し、ゆらめく光の筋が幾重にも重なっている。歩くたびに響く足音が静寂を刻む。

 ふと立ち止まると、水面に浮かぶ月の影が揺れていた。



 ただいま、と家に入るなり廊下で出くわしたお姉ちゃんに捕まる。


「おかえり」


 今日もお姉ちゃんの機嫌は良さそうだ。どこか垢抜けたメイクに憧れみたいな感情はあるけど、今の大学生は暇なんだろうか? お姉ちゃんを見ているといつもそう思う。

 まあ、就活が終わったというのもあるだろうけど。あの時期は大変だった。荒れ狂っていて。


「ねえっ、アンタんとこの新しいコーチ元全日本の人じゃん?」

「ああ、そうだよ」


 どこでそんな情報を仕入れてきたのだろう、と思いながらリビングへと向かった。


「お母さん、ただいま」

「おかえりっ。全日本の選手だったなんてすごいわね!」


 今日は簡単に逃げられそうにない。部活の疲れで早く寝る準備をしたいのに。とりあえずこの場で、ながら見のテレビみたいに、二人の会話を聞き流すことにした。


「元、祐天寺高校の生徒なんでしょ? インターハイにも出てた」

「あら、そんなにすごいの? だったらウィンターカップは期待できるわね? 久しぶりに全国大会の応援に行こうかしら」


 お姉ちゃんは、中学、高校、と全国大会出場の経験者だ。


「どんな人? 可愛い? 怖い? 練習キツい?」

「もー、お姉ちゃん、しつこいって」


 私が冷たくあしらうと、「おー怖、怖っ」と、まるで腫れ物を扱うように二人は顔を見合わせ、思春期ね、みたいなことを口にする。

 バスケやめた人間にとやかく言われたくない。それに、何かに付けて思春期、思春期と言うけど、お姉ちゃんに比べたら私なんか可愛いものだ。


 でも、そんなことは言えるはずもなく、

「もーいい? 疲れてるからもう行くよ?」

 私は自分の部屋に向かって足を進める。それなのに、再びお姉ちゃんの声に足を止められる。


「そういえば明日お祭りじゃない?」


 お母さんも、あ、そうだった、と思い出したように話し始めた。


「そうだった、桃っ。明日は浴衣、着てくの?」

「え、何? 浴衣? アンタ浴衣なんて久しぶりじゃない?」


 お姉ちゃんがいるときには避けたかった話題だった。現に、何? 彼氏? などと、からかい半分で訊いてくる。


「着てかない。あと、行くのは友達だから」


 げんなりと答えてからリビングのドアに向かうけど、お姉ちゃんがまだうるさい。


「せっかく中学のときに新調したのに、桃子が浴衣着たのって、あれっきりじゃない?」


 私の着る服は、いつもお姉ちゃんのお下がりばかり。


「もー、お姉ちゃん、うるさい」


 少しだけ感情をあらわにしてからリビングを出た。そしてドアを閉めて声がする。


「あー。さっきお父さんから、今から帰るってメールがきたから、あとで入るの嫌なら先にお風呂入っちゃいなさいー」


 私はお母さんに、気のない返事を、はーい、とだけ残して足を進めた。



 お祭り当日の、部活は地獄だった。

 体育館の中の空気は湿り気を帯び、皆んなの早まる息遣いとスケットボールが床に弾む音が響く。

 コートの端から端まで全速力で駆け回り、交互にドリブルをしながらリングに向かってシュートを打ち続ける。

 汗が額から滴り落ち、時折ボールが手から滑りそうになる。それでも、皆んな決して立ち止まることなく、苦痛に耐えながらも次々とシュートを放った。


「まだまだ! ラスト五分!」


 コーチの声は、絶え間なく続く練習の合図であり、皆んなの心にプレッシャーをかけていた。私は息が上がり足が重く感じる中、それでも必死にシュートを決めようとした。

 隣で同じように疲れ切ったチームメイトたちも、顔を真っ赤にしながら互いに励まし合っていた。



「あーーー、あの女鬼コーチ。明日試合だってわかってんのかー?」

「ほんと、このままじゃ、オーバーワークでくたばりそーー」

「てか、あんな、おっとりして可愛い顔してるのに、言葉きつすぎ」


 放課後の練習の休憩に、皆んな水道の蛇口がたくさんある水飲み場に駆け込んだ。皆んな、想像以上のハードワークに不満たらたらで、頭から水を浴びるようにかぶっている。


「あれ、絶対、今日、中目黒のお祭りだってわかってないよねー? まだ練習するつもりでしょ?」

「わたし男バスと約束してるのにィー」


 周囲を見る限り、他の部活の生徒たちは皆んな帰り支度をしている。毎年、お祭り前の部活動は早めに切り上げるのが慣例だ。男バスも帰り始めている。


「ほらほらっ、皆んなしょーがないじゃん。鬼コーチは本気で全国目指してんだから。もうちょっと頑張ろっ!」


 結衣もやって来た。

 皆んな、結衣がそう言うなら、みたいな雰囲気になって渋々やる気スイッチを入れ始める。


「ねっ? 桃っ」


 私も言われて、皆んなに向かって、胸元で小さく両手をグーに握り、「がんばろっ」と息を巻いた。


 そのあとに、女バスのキャプテン、沙織(さおり)んも来て、「先輩たちのためにも、ウチらは絶対、全国行くよっ」と、皆んなを鼓舞する。


 正直なところ、私も今日の練習はきつすぎると感じていた。でも、結衣の言う通りコーチは本気なのだと思う。

 コーチは十年前の全国大会ベスト8のメンバーだ。祐天寺はそれ以来、全国へは行けていない。

 あと、私は直接こうも言われていた。当時のコーチのポジションは私と同じ3ポイントシューターで、新チームの戦術は、遠距離のシュートを中心に組んでいくことから、私に期待していると。


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