30話
「あー、全然心配しないで。ただ、病院が居心地良すぎて長居してるだけだから」
友希さんは小さく笑って、不思議そうに顔を見てくる。
「どうした? 何かあった? 今日、何だか落ち着きないみたいだけど」
パンを食べながら、ついスマホに手が伸びそうになっていた。そんな様子を見ていた友希さんが、じっとこちらを見つめながら微笑んだ。
「いや、なんでもないです」
言い訳じみた返事をしながら、視線をパンに落としていると「もしかして試合?」友希さんが軽く笑いながら訊いてきた。
「友也。今朝、バスケットの試合を観に行くって出て行ったから」
「いや、大丈夫です」
何とか返事をするけど、自分でもぎこちないのがわかった。
「……それにしても、あの子、近頃おかしいのよね。急にまたバスケットに興味持ちだしたりして」
「また?」
「女の子と遊んでると思ったら、バスケットの練習してるみたいだし」
滝本がバスケ——意外な言葉に思わず顔を上げると、友希さんの表情はどこか不可解な面持ちだった。
「あれ、知らなかった? 友也、バスケットやってたのよ」
「初耳ですね……」
友希さんの視線は、どこか懐かしそうに遠くの方を向いていた。
「あんなに頑張ってたのにね。中学でやめちゃってね」
「どうして?」
友希さんは一瞬だけ目を伏せ、言葉を選ぶように唇を軽く動かしたあとに、小さくため息をついた。
「いくら努力しても天才には勝てないんだって——」
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朝のひんやりとした空気を感じながら、学校への道を歩いていた。遠くに見えた滝本の後ろ姿に自然と足が速まる。
はやる気持ちを押さえながら、なるべく落ち着いた足取りを装って近づく。きっと——ただ、温まりたいだけだと足のせいにして。
あと少しのところで滝本は振り返った。
「おう、純っ」
軽い挨拶と無防備な笑顔で、いつも通りの滝本だった。
簡単な挨拶を交わすと、俺の顔をちらりと見つめた滝本に「な、なんだ? どうした、息切れてね?」と、指摘される。どうやら鼓動は隠しきれなかったらしい。
できるだけ何ともない顔を装ってから、それとなく訊いてみた。
「どうだった?」
甘かった。滝本をみくびっていた。高感度センサーにすぐ引っかかる。
ははーん、と口角を上げ、悪そうな顔をした滝本が、俺を舐めまわすように見てくる。
「そんなに気になるなら本人に聞いてこいっての」
少し気持ちがざわついた。もったいぶるような素振りに、何ともいえないもどかしさが残る。
いま振り返ると、俺は……昨日も一昨日も、滝本か野々原の連絡を、もしかしたら——と待っていたのだ。
そんな様子に呆れたのか「わーった、わーった」と、滝本はやれやれといった感じで手をひらひらと振る。
「結果は一勝一敗。どの四校とも混戦状態。最終日までは勝負はわからん」
そう言いながら歩き出そうとする滝本。けど、俺の反応を見て足を止め、首を傾げる。
「たく、そんなに気になるなら自分で試合見に行けっての」
ため息をついてから滝本は続けた。
「初戦は、野々原の3ポイントが八本炸裂して圧勝。二試合目は、3ポイントを対策されて惜敗ってとこだ。これで満足か?」
俺は足を進めることで答えた。
「まあ……作戦なのか自信ないのかは知らんけど、ここ二試合ディープスリーは打ってないから、次の試合は、その辺が鍵になるんじゃね?」
滝本はそう言うと、ポケットに手を突っ込みながら足早に歩き出した。
学校終わりのバイト。ドアベルがチリンと鳴って反射的に顔が上がる。そこには一人の女の人が立っていた。
きちんと整った白髪を銀色に輝かせ、その凛とした佇まいからは年齢を感じさせなかった。
「いらっしゃいませ」
いつも通り声をかけると、女の人の目がふっと細まった。
「新しいバイトの子?」
柔らかな声に「はい」と返事をすると、女の人は、じっと俺の目を見つめ、不意に含みを持たせたように言った。
「あら、あなた。そんなに大きな穴を空けて、どうしちゃったの? どこで落としてきた?」
「え……?」
意味がわからず呆気にとられて、そのまま固まっていると、友希さんが慌てた様子で近づいてきた。
「あー、ごめんねー。その人、うちのおばあちゃんっ。あと……ちょっとそっち系の不思議な力があるっていうか……変なものが見えちゃう人なの。占いとかやっててね」
いまいちピンとこない俺は、どう反応していいのかわからず、思わず「はあ……」と曖昧な声だけがこぼれた。
「興味あるなら占ってもらえば? すっごい当たるって評判だから」
友希さんは笑って続けるが「はあ……」と、また同じ返事が出てしまった。
すると滝本のばーちゃんは眉をひそめ、友希さんに向かって口を尖らせる。
「こら、私を変人扱いするなって、いつも言ってるだろう?」
その口調は少し怒っているようだけど、優しさも含んでいた。
占いか……。
心の中で繰り返してみるけど……
興味はないな。
*
ボールの音が止んで、体育館にコーチの落ち着いた声だけが残った。前の試合の反省と次の星ヶ丘学園についてだ。
「次の試合。相手優勢の展開が予想されます」
一拍置いて、コーチは目を細めて全員を見渡す。表情に派手な感情は見せない。それでも、声の端々に隠しきれない熱が宿っていた。
「でも、最後まで走り切って、粘り強く食らいついていこうっ。そうすれば必ず、後半にチャンスは来る。絶対、気持ちで負けないこと——」
冷静な口調に込められた確かな想いが、漂う汗と熱気に混じって、コーチの言葉をさらに際立たせていた。
練習が終わり、パン屋さんへと向かう。
汗ばんだ服のせいで、肩にかけたバッグの部分が肌に張り付いている気がした。
……今日は、学校で鳴海君に会えなかった。
試合のことをちゃんと伝えたかった。
店に入ると、小さな鈴の音がチリンと響いた。店内は静まり返っていて、焼きたてのパンの香りだけが漂っている。
「あれ……?」
お店の人を探していると、奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「あー、いらっしゃいませー、ごめんなさーい!」
顔を見せたエプロン姿の店員さんは、私を見るなり「あー、ごめんねー。純君、もうバイト上がっちゃったー」と申し訳なさそうに笑う。
「あ、ぜんぜん平気ですっ」
努めて明るく答えてから、今朝、お母さんに頼まれていた食パンを手に取ってレジへ向かう。袋に入れた食パンが、温かい。
会計を済ませて店を出ると、冷たい風が頬をかすめた。そして歩き出そうと思ったとき、目の前に突然と現れた、お婆さん? 白髪の女の人にいきなり声をかけられる。
「あら、へびつかい座の女だね」
思わず足が止まる。へびつかい座? 何それ?
柔らかい笑みを浮かべたその人は、じっと私を見つめていた。
「大丈夫。安心して、私も同じへびつかい座だから」
「へ?」
唐突すぎて思考が追いつかない。女の人はふわりと微笑み、話を続ける。
「生まれは、十二月十一日でしょ?」
「え……何でわかるんです?」
「んなもん、顔見ればわかる」
相変わらず意味不明だったけど、その目からは何となく真実味が伝わってきた。
「同じ星のもとに生まれた同士だ。ついでに見てあげるよ。助けたいんでしょ?」
助けたい? 何を?
女の人は問い返す間もなく、静かに私の目を覗き込んできた。




