26話
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「かあーっ、やっぱ気合い入ってんな~、バスケ部。大会の予選まであと一週間だもんな~」
いつもの軽い調子で張り上げた滝本の声が、体育館の張り詰めた空気に相殺される。
二階のギャラリーから見下ろすコートでは、男女それぞれが大学生相手に練習試合をしていた。俺たちはその中央付近に陣取り、どちらの試合も一望できる位置で立ち見をしている。男子側には山田と鈴木の姿も見える。
「祐天寺って、強いのか?」
訊くと、滝本が何か含みを持たせたように笑いながら、「純。変わったよな。バイト始めてから」と言う。
「はあ? そうか?」
「優しくなったよ、前よりな」
滝本はニヤつく。
「まあ、俺は最初の頃の完全武装した純も好きだけどなっ」
何だその顔と、軽く睨んではみたものの、否定し切れないところが悔しく思う。
とはいえ、ボールをつく音は、未だに不快ではあるのだけど。
「……女子は強いぞ。一次予選は通過したから、次は決勝リーグだな」
試合を眺めながら滝本は続けた。
「ウィンターカップ予選の参加資格も獲得してる中で、決勝リーグに進めるのは八校中、四校。ちなみに祐天寺は、夏の都予選ベスト4」
「男子は?」
「男バスはない。冬の予選参加条件、インターハイ予選ベスト8までだから。まあ、男子は来年の夏だな」
試合の流れに目をやりながら滝本は小さく息を吐く。
「まあ、夏は今キャプテンやってる糸田が怪我してたのもあったけどな。あいつ、良い動きしてんだろ?」
言われた背番号、四番を目で追うと、軽やかなフットワークと冷静な判断力を持っていて、たしかに、と納得した。
「あいつ、千葉から通ってんだぜ? よく一時間かけて来るよな」と滝本が呆れ半分に笑う。
「くそ真面目な性格してそうだから、電車ん中で筋トレしてそうだけどな」
「滝本は何で祐天寺を選んだんだ?」
この話題はどちらかというと、どうでもよかったが、話の流れで訊くと、珍しいな、と言ってから「やっぱ、変わったわ」と、滝本は意外そうな顔を見せて、またニヤりと笑った。
「俺は、ばーちゃん家が近いからだな。学校の近くに泊まれる家あるとか最高じゃん?」
まあ、俺も似たようなものだった。鎌倉にある父さんの実家という選択肢もあったけど、謎に母さんが猛反対したため、都内に移り住んだ。
「純は?」
と訊かれ、そのまま思ったことを適当に答えた。
すると、歓声が上がる。祐天寺の3ポイントシュートが決まったようだ。背番号は十二番。
「あいつは?」
たく、また男の話かよ、と文句を垂れながらも滝本は答えてくれる。
「前に話しかけてきた一年だろ? キラキラしたやつ」
ああ、そうだったかな、とぼんやりと頭に浮かべた。
「まあ、筋は良いんじゃね? 顔に似合わず積極的だからな。さっきから外から打ってるし。お、また打ったぞ?」
見ると、十二番が再び放ったシュートは、放物線を描き、ボールはリングの縁で弾かれてわずかに跳ね返る。と同時に、ギャラリーから漏れたため息が体育館に漂う。その中には、より際立った鈴木の熱のこもった応援の声も含む。
「ボールキャッチからのリズムが悪いな……タフショットが多すぎる」ふいに呟くと、滝本が顔を覗き込んできた。
「何何? 純、やけにバスケ詳しいなっ」
お前もな、と内心で軽く突っ込みを入れつつ「俺は野球もサッカーも知ってる」と言い返すが、何やら俺は、滝本のニヤり度をさらに加速させてしまったようだった。
その様子に思った。
「滝本は、なんだかカラッとした良い変態だな」
「なんだそれ、褒めてんのか、けなしてんのかわかんねーからっ」
声を上げて笑う滝本は、ますます嬉しそうにも見える。
と思いきや、すぐに気持ちを切り替えるように声をかけてくる。
「お、あっちのコートっ」
……こいつは何なんだ。
人に執着しない。
これがあるから、病的な情報収集も可能なのかもしれないな。
「野々原、出てきたぞ!」
……ん?
声に引かれるように視線を女子コートに移してから、すぐに違和感を覚えた。
……なんでスタメンじゃないんだ?
野々原のプレーには無駄がなく、風格さえ感じられた。普段の様子からは想像できないが。
そう思っていると、身を乗り出しながら張り上げる滝本の声がする。
「おっ! 3ポイント入るか? あれ、線から二メートルは離れてるんじゃね? ディープスリーとか、あいつスゲーなっ」
その瞬間、ボールが放たれた。けれど、リングに弾かれる音が響く。滝本は「あーあ」と苦笑いして頭を振った。
コートで何度かボールが行き交ったあとで、野々原が再び3ポイントシュートを狙う。でも、結果は同じだ。
……ダメだ、リズムが悪いし打点が低い。
自分でも驚いた。何でこんなにモヤモヤする?
でも、思いとは反して、次々と心語りは止まらない。
3ポイントシュートは決定率が命綱だ。二本連続で外せば次は重圧がかかる。三本外せば、もう打つ勇気さえ失い、そしてベンチに引っ込む。シューターはそれくらい繊細なものだ。
心の中がざわついている。理由はわからない。でも、この感情を無視することはできなかった。
次のプレーで、野々原は2ポイントシュートを決めた。
だめだ。自信をなくしてる。今のは3ポイントを打てた場面だ。ひょっとしてメンタルに不安があるのか?
そう鼓動を早めながら俺は——だめだ、と自分にも言い聞かせようとするけど、胸がざわざわして落ち着かない。
次のシュートもどこか消極的だ。見ているだけで苦しくなる。
——次はどうする? 3ポイント打つか? でも……これを外したら終わりだ。三本連続で外したら、次はもう打てなくなる。
……でも、
と、言葉を溜めながら、俺は無意識に拳を握っていた。
——それでも、シューターは……それでも打つしかないんだ。
気づけば、大きな声に出していた。
「もう一本っ! 逃げるなっ! 打てっ!」
その瞬間、自分の声で体育館全体の空気が張り詰めたのがわかった。そのあと野々原が放ったボールはリングに吸い込まれ、歓声が上がる。
「……俺、バイト行くわ」
滝本に背中を向けながら、思わず口をついて出ていた。
……この空気は気まずすぎる。
ボールが外に出て試合が止まるたびに訪れる沈黙みたいなものが耐えられなかった。考えすぎだとは思うけど、ギャラリーの視線が自分に向けられているような気がした。
「へいへーい。いってらっしゃ~い」
滝本がニヤりと笑った気配だけが背中に残る。その茶化すような軽い声は、何だか、全てを見透かされているように耳に届いた。
外に出ると、もうすっかり空気は冷たくて、やけに体に染みた。まだバイトまで時間はある。どうするか。
俺はひとまず、冬混じりの空を見上げ、深い息をつくこととした。
*
試合が終わってからは大変だった。
コーチの話が終わると、すぐに結衣と沙織んと、何人かのチームメイトに囲まれて、追い詰められるように質問攻めにあった。コーチには睨まれていた気がするし。
あれは絶対、部活動に恋愛持ち込むな派だ。
おかげで、どう答えていいかわからない私は、ボールカゴに山積みされていたボールを誤って全部ぶちまけてしまった。
まあ、それでも……
また、やってしまった。反省せねば。
と、思いつつも、転がったボールを必死に拾い集めながら、耳に残るあの声援を思い返して、密かに胸を満たしていたのだけれども。
玄関を開けると、リビングからお母さんの陽気な鼻歌が聞こえ、その声に思わず肩の力が抜ける。
入ると、テーブルにはアイドルのグッズが所狭しと並んでいて、お母さんとお姉ちゃんが楽しそうに話していた。
……推しのライブ帰りだな。
二人ともそれっぽい派手な格好をしている。
「ただいま」
「おかえり~。今日は早かったわねー?」
お母さんがグッズを手に取りながら振り向く。どちらも推しのメンバーカラーを全力でまとっていて、正直、ちょっと引く。
「今日は軽めの強化試合だけだったから」
「どこと?」




