第44話 衿華とお寺
すみません。長らく更新していない間に日間ランキングに載っていたようです!!
70話くらいまで書いているので、徐々に出していきますのでよろしくお願いいたします!!
午前10時。千成は、衿華のマンションのエントランス前で待っていた。
夏の空気は収まることは無い。けれども、時折吹く風は暑さを和らげてくれる。
「千成!」
名前を呼ばれて顔を上げると、そこには浴衣姿の衿華がいた。
白地に藤の模様が入った浴衣。清楚で、涼やかで、それでいてどこか儚げな雰囲気を纏っている。
「……!」
千成は息を呑んだ。
浴衣姿を見るのは初めてではない。文化祭で何度も見ているのだ。
でも───今日の衿華は、明らかに違って見えた。
祭りの日の空気のせいか、それとも彼女の表情のせいか。
目の前にいる衿華が、ふわりと別世界の存在になったような感覚。
「……可愛い」
気付いたときには、口に出していた。
「……え?」
衿華が、ぱちぱちと瞬きをする。
千成も、自分が今何を言ったのかを理解し───瞬間、内臓がひっくり返ったような感覚に襲われた。
───あ、やべっ……
言ってから、彼は物凄く気恥ずかしくなっていた。
衿華を見た瞬間に、そう思ったのは本心である。
けれど、口に出すつもりなどなかった。
───なんで言っちゃったんだ、オレ。
頬が熱を帯びる。
けれども、目の前の衿華は───彼以上に悶えていた。
「っ……えっ……ええええっ!?」
顔を手で隠しながら、衿華はその場で爆発した。
「ちょっ……待っ……え!? な、何!?今の!?」
「え、いや……」
千成は戸惑いながら、視線を泳がせる。
「いやって何!?普通に!? 普通に今の……千成が言ったの!? 聞き間違えとか……じゃ……ないよね!?」
「ああ……いや、なんか……口から勝手に……」
「勝手にそんなこと言える!? 千成が!?」
「……いや、オレも今めっちゃ動揺してる」
言った自分が一番驚いていた。
衿華の浴衣姿を見た瞬間、自然に出た言葉だ。
普段通りの千成なら、絶対に言えなかっただろう。
けれども、浴衣姿の彼女が纏う魔力は絶大すぎて、言えない筈の言葉を放ってしまったのだ。
───いや、でも、もう言っちゃったし……
千成が葛藤している横で、衿華は顔を覆いながらしゃがみこんでいる。
「無理無理無理無理っ!! ちょっと待って、無理!!」
「いや、そんなに?」
「そんなに!! だって今まで……そういうのなかったじゃん!!」
千成は言葉に詰まる。
確かに、今まで「可愛い」なんてことを言った覚えはない。「似合ってる」さえ言えなかったのだ。
ちらりと衿華を見ると、彼女は両手で顔を覆い、肩を震わせていた。
その仕草は、あからさまに動揺しているのを物語っていた。千成はますます視線のやり場に困る。
「ちょっと……落ち着くから……話し掛けないで……」
「う……うん」
千成は困惑しつつも、言われた通り口を噤む。
衿華はゆっくりと深呼吸を始めた。
吸って、吐いて、吸って、吐いて───けれど、途中で「うわぁぁぁぁぁ……」と小さな声で悶え、頭を抱え込んでしまう。
「だから!! 何なの!! 今日の千成!!」
「いや、オレも解らねぇよ……」
「なんで急に……そんな……さらっと……」
「……いや、別にそんな深く考えて言ったわけじゃねぇし……」
「それが余計にやばいんだけど!!」
衿華は手の隙間から、少しだけ睨むような視線を千成に向けていた。
千成は、軽く頭を掻いた。
なぜこうなったのか、未だによく解っていない。
けれど、これ以上何か言うと余計に衿華を追い詰める気がしていた。
「……ほら、もうそろそろ電車に乗らないとだろ」
「解ってる……解ってるけど……もうちょっと……」
衿華は深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
顔はまだ赤い。けれど、さっきよりは幾分落ち着いたように見える。
「……よし。行こう」
「本当に大丈夫か?」
「うん……多分」
「そうか」
小さく笑いながら、千成は歩き出した。
隣を歩く衿華は、まだ心の中で何かと戦っているようだったが───そのうち落ち着くはずだ。
………………
…………
……
電車に揺られること約四十分。京成成田駅に到着すると、すでに駅周辺は祭りへ向かう人々でごった返していた。
普段の街並みとは違う、賑やかで熱気のある雰囲気。あちらこちらから屋台の呼び込みの声や、人々の楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「凄い人……」
千成がそう呟くと、隣の衿華が「でしょ?」と得意げに微笑んだ。
「成田の祇園祭って結構有名だからね。しかもこの時間からどんどん混んでくるよ」
「へぇ……」
千成は周囲を見渡しながら、ふと横の衿華に目をやる。
───さっきまであんなに動揺してたのに、めちゃくちゃ機嫌いいな……
衿華の足取りは軽やかで、どこか上機嫌な雰囲気を纏っている。
それもそのはず。数十分前、千成に「可愛い」と言われたのだ。
電車の中では、衿華は俯きがちだったが、降りた途端に切り替えたらしい。
顔の赤みはすっかり引いていたものの、時折ちらっと千成を見ては、何かを噛みしめるように口元を引き締めている。
───いや、マジで何なんだ……
千成は若干の気まずさを抱えつつ、衿華の後を歩いた。
「さ、まずはお寺に行こう! 祭りのメイン会場だから」
「おう」
人混みの中、衿華が先導する形で歩き出す。
参道に足を踏み入れると、両脇には屋台がずらりと並んでいた。
焼きそば、たこ焼き、かき氷……屋台特有の香ばしい匂いが鼻を擽る。
「わぁ……相変わらず賑わってるなぁ……」
衿華が嬉しそうに目を輝かせながら、ちらちらと屋台を眺める。
「腹減ってんのか?」
「え?うーん、ちょっとだけ……」
「じゃあ、先に何か食うか?」
「……いや、まずはお寺に行こうよ! 食べ物はそのあとにしよ!」
衿華はぴょんと軽く跳ねるような足取りで歩き出す。
千成はふと、自分が「可愛い」と言ってしまったことを思い出し───何とも言えない感覚に襲われた。
───あの一言が、こんなに影響するとはな……
改めて衿華の背中を見つめる。
白地に藤の模様が揺れる浴衣。
自分の何気ない言葉が、彼女にどんな影響を与えたのか───それを、少しだけ実感した気がした。
「ほら、千成、置いてくよ!」
「……あぁ」
千成は、軽く息を吐いて彼女の後を追った。
寺の門をくぐると、喧騒が少し遠のいた。
敷地内にも屋台はあるのだが、参道の賑やかさとは対照的に、境内にはどこか厳かな空気が漂っている。
「うわぁ……やっぱり、お寺って落ち着くね」
衿華は感嘆の息を洩らしながら、本堂へと向かう石畳を踏みしめる。
千成も彼女の隣を歩きながら、ちらりと横顔を窺った。
───こういうときの衿華って、何か神妙な顔するよな……
普段の明るさとは違う、どこか静かで、穏やかな表情。
浴衣姿も相まって、より一層大人びて見えた。
「ほら、千成、お賽銭」
「あぁ」
本堂の前に立ち、2人は並んで財布を取り出す。
衿華は迷わず5円玉を取り出し、千成は5円玉が見つからなかったため、10円玉を掴んだ。
「……お寺って、お願いするところじゃないんだろ?」
「そうだけど、折角来たんだし。手を合わせるだけでも、気持ちが落ち着くよ」
「……ま、そうだな」
2人は賽銭箱に小銭を投げ入れ、軽く手を合わせる。
何を祈るでもなく、ただ目を閉じるだけ───それだけでも、不思議と心が静まる気がした。
千成が目を開けると、隣で衿華もそっと手を下ろしていた。
「じゃあ、千成。庭園をちょっと歩こうか」
微笑んだ彼女の笑顔は、澄み切っていた。
本堂を後にし、境内の庭園を歩く。
緑に囲まれた静かな空間に、池の水面が揺れていた。
「私は……これからも楽しく過ごせますように、ってささやかな気持ちを拝んだんだけど、千成は?」
「まぁ、似たような感じだ」
千成は短く頷き、視線を逸らした。
───オレは、何も考えてなかったな……
改めて、衿華がそういうことを大事にする人なんだと気付く。
「ここ、いい雰囲気だな」
「でしょ?屋台の賑やかさとは全然違って、落ち着くよね」
衿華は足を止め、池の鯉を眺める。
水の中でゆったりと泳ぐ鯉を見ていると、不思議と時間の流れがゆっくりに感じられた。
「千成、鯉にエサあげる?」
「いや、別に……」
「ふふ、なんか千成って、こういうとこだとちょっと照れるよね」
「うるせぇ」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、二人はゆっくりと庭園を歩いた。




