第42話 祭りのお誘い
それから、衿華は千成と目が合うたびに僅かに狼狽えるようになった。
料理を作って貰ったり、衿華に勉強を教えていたりとやっていたことは変わらない。
けれど二人の距離感も、互いに意識し合っているせいで自然と遠のいていき───気付けば7月になっていた。
強い日差しが窓から差し込み、教室の中にも夏の暑さがじわじわと染み込んでいる。
休み時間、千成は机に肘をつきながら、赤チートのページをめくっていた。
「なぁ、神室。ちょっといい話があるんだけど」
突然、燈哉が身を乗り出してきた。
彼の顔には妙に期待がこもっている。
「ん?なんだよ」
千成が顔を上げると、燈哉はニヤリと笑った。
「次の金曜から日曜にかけて、俺の地元の成田市で祇園祭っていう大規模ながあるんだよ!
毎年凄く盛り上がるし、屋台もたくさん出るし、皆で引っ張り合う山車だってカッコいいしさ……」
「へぇ、そうなんだ」
千成が相槌を打つと、燈哉は誇らしげな表情になった。
「まぁ、俺は地元の人間だから山車を引く側なんだけどな」
「……それは凄いね」
千成が感心すると、今度は前の席の正悠が話に入ってきた。
「俺は行こうかなって思ってる。千成たちも絶対に行こう」
そう言って、千成の肩をぽんと叩く。
その瞬間、燈哉が何かを思い出したように、千成をじっと見つめてきた。
「で、お前、三谷さんと最近どうなの?」
「え……?」
「なんかさ、前より距離あるよな?
それならさ、このお祭りでいい感じに戻しちゃえよ」
「いや、別に普通だけど……」
千成は言葉を濁した。
本当は、「普通」とは言い難い。
衿華とは今までみたいに気軽に話せていないし、目が合うとお互い妙に意識してしまって、どこかぎこちない。
あの夜以来、なんとなく距離を取ってしまっているのは自覚していた。
けれど、互いに一歩踏み出すことができなかったのだ。
「ったく、お前らを見てるとじれったいんだよな」
燈哉が肩を竦めると、隣で聞いていた正悠が口を挟む。
「折角だし、祭りに誘ってみればいいじゃん?
千成が誘うことを難しいと思ってるんなら、俺が凛咲に頼み込んでグループで行くようにしておくよ」
「え、みんなで行くの?」
「そうそう!
毎年の恒例行事みたいなもんだからな。どうせなら千成や三谷さんも一緒に行ったほうが楽しいだろ?
いい感じの所で二人きりにさせてやるから……そこで仲直りすればいいんじゃないかな?」
「うーん……」
千成は腕を組み、少し考えた。
最近の距離感を考えると、こういうイベントがあれば自然に話せるかもしれない。
けれど、誘うとなると少し気恥ずかしさもある。
「祇園祭って、結構大きなお祭りなんだろ?」
「ああ、めちゃくちゃ活気があるし、屋台や───めちゃくちゃ美味い鰻屋とかも色々とあるんだぜ」
「あと、浴衣姿の女の子もたくさんいるしな」
「ナンパでもしようと思ってるのか?」
正悠が得意げに言うのを、千成は呆れたように睨んだ。
「さすがに冗談だって。
でもさ、三谷さんも浴衣着てくるかもしれないだろ?」
正悠が軽い調子で言う。
「……まぁ、文化祭のときにも着てたけど」
千成はぼそっと呟いた。
あのとき、衿華は普段よりも落ち着いた雰囲気で、大人っぽく見えたのをよく覚えている。
髪を少し上げて、うなじが見えて───
───いや、そんなこと考えるのはおかしいか。
千成は軽く咳払いをして、適当に誤魔化した。
「まぁ……機会があったら、オレから誘ってみるよ。
もし無理そうだったらその時に───正悠にお願いしようかな」
「おっ、じゃあもうほぼ行く気だな!」
「いやいや、まだ決めたわけじゃ……」
燈哉と正悠がニヤニヤと笑うのを見て、千成は苦笑した。
けれど、不思議と悪い気はしなかった。
窓の外では、すっかり夏の陽射しが強くなっていた。
遠くの空は、どこまでも青い。
吹き込む風の中に、ほんの僅かに夏祭りの気配が混じっているような気がした。
───誘ってみるか。
千成はふと、そんなことを考えた。
このまま、ぎこちないままでいるのも、やはり居心地が悪い。
それに、衿華はどう思っているんだろうか。
あの夜のことを、彼女も気にしているのか───それとも。
「……まぁ、やるだけやってみるか」
小さく呟いた声は、自分に向けたものだった。
………………
…………
……
昼休み、西館の外階段にて。
いつものように、衿華と千成は並んで座り、彼女が作ってくれた弁当を広げていた。
「今日もありがとな」
千成が蓋を開けると、色とりどりのおかずが綺麗に詰められていた。
唐揚げに、卵焼き、彩りの良い野菜───千成の好みをちゃんと把握した内容だ。
「うん、どうぞ召し上がれ」
衿華はそう言ったものの、やはりどこかぎこちない。
ついこの間までは、何気ない会話を交わしながら食べていたのに、最近は互いに意識しすぎて、話すタイミングを掴めないことが多かった。
千成が箸を動かしながらちらりと横を見ると、衿華はちらちらと千成を見ながらも、自分の弁当をつついている。
───やっぱり、少し距離があるか。
それが千成の実感だった。
───このままずっとこんな空気のままなのは、絶対にダメだ。
「なあ」
思わず、口を開く。
衿華がぴくりと肩を揺らし、視線を向けてきた。
「……なに?」
「次の金曜から日曜にかけて、成田のほうで祇園祭があるらしいんだよ」
「祇園祭?」
「ああ、花崎くんの地元の祭りなんだけど……結構盛り上がるみたいでさ」
言いながら、千成は自分の箸先をじっと見つめた。
思ったより緊張している。
今までこんなことはなかったのに、衿華を誘うとなると、少しだけ言葉を選んでしまう。
「それで、よかったら一緒に行かないか?」
言った瞬間、衿華の動きが止まった。
箸を持つ手が固まり、千成を見つめる瞳が僅かに揺れる。
「……私と?」
「うん。まあ、他にも正悠とか川瀬くんとかDチームの人達が来るんだけど、でも、その……衿華と2人で回る時間もあったらいいなって思って」
衿華は驚いたように千成を見つめたまま、暫く口を開かなかった。
まるで頭の中で何かを整理するかのように視線を泳がせて、指先をそっと弁当の縁になぞらせる。
千成もまた、胸の奥で小さな緊張を感じながら、彼女の言葉を待っていた。
いつもなら、すぐに「いいよ」と答えてくれるはずなのに───今日は少し違う。
「……そっか。皆で行くんだ」
衿華は溜息をつくようにぽつりと呟いた。
「まあ、そうなるな。みんな毎年行ってるらしいし……俺も最初は誘われた側だから」
千成はなるべく普段通りに答えようとした。
だが、衿華の表情はどこか曇ったままだ。
「……でも」
衿華は小さな声で言いかけて、また言葉を飲み込む。
膝の上で指を組み、俯いたまま、迷うように唇を噛んでいた。
「衿華?」
千成が呼びかけると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
ほんの少しだけ、視線を揺らしながら───
「Dチームの皆で行くのもいいけど、私は……千成と2人きりで回りたい」
真っ直ぐな瞳で、そう告げた。
少しだけ、彼女の口元は緩んでいる。
「え……!?」
千成の鼓動が、一瞬で跳ね上がった。
思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
衿華を見ると、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らし、耳まで赤く染めていた。
「……やっぱり、変だった?」
「いや……」
変なんかじゃない。
むしろ、まともに返事をする余裕がないくらい、衝撃的だった。
───『2人きりで回りたい』か……
千成は、衿華の発言を反芻していた。
───それはつまり、衿華がオレと過ごす時間を特別に思ってくれているから……オレと行きたいのか。
それか、そんな深い意味じゃなくて、ただ気を使って言ってくれただけか?
いやそれは無いな。あいつの表情は真剣だし、オレの返事を心から期待してるのが伝わってくる。
「オレも……実はな……衿華と最初から最後まで一緒に回りたいと思ってた」
その発言には、少しだけ嘘が含まれていた。
本当は、お膳立てしてくれたDチームの面々と回ったあとに衿華と2人きりになれればと思っていた。
けれども、今の衿華を見てしまったら。
そんなことがどうでもよくなるくらい、彼女と一緒に回りたいという気持ちが千成の中で溢れ出したのだ。