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第41話 距離感

 彼女の体温が指先に伝わる。


「……よし」


 一気に覚悟を決め、腕を回して持ち上げる。

 衿華の身体は思った以上に華奢で、抱えた瞬間、千成の腕の中にすっぽりと収まった。

 かすかにシャンプーの香りがして、心臓の鼓動が少しだけ速くなる。


 ───何を動揺してるんだ……オレは……


 自分を落ち着かせるように、ゆっくりと歩き出す。

 衿華が目を覚まさないよう、慎重に。


 千成はベッドの端にそっと彼女を下ろし、掛け布団をかけた。


「……これでいいだろ」


 そう呟きつつ、千成は少し距離を取る。

 ベッドの上の衿華は、静かに寝息を立てていた。

 彼は何気なく彼女の顔を見つめる。


 ───すげぇ、無防備だな。


 普段はしっかりしてそうに見えて、意外と抜けてるところがあるのはもう知っている。

 でも、こうして寝顔を見ると、いつもの彼女よりずっと幼く見えた。


 長い睫毛が伏せられ、唇が微かに開いている。

 肩までかかる濡れ羽色の髪が枕に広がっていて、微かに甘い匂いがした。


 心臓が、妙に騒がしい。

 別に何かをするつもりはないのに、衿華を見てるだけで、変に意識してしまう。


「あぁ……」


 無意識のうちに、千成は彼女の髪に手を伸ばしかけて───慌てて拳を握り込んだ。


 ───何をしてるんだ、オレ。


 触れるわけにはいかない。

 いや、そもそも触れる理由なんてない。


 ───オレはただ、衿華を運んだだけだ。それだけだ。


 けれど。


 ───本当に、可愛すぎるだろ……


 小さく呟いた言葉が、自分の中でやけにしっくりきてしまって、千成は頭を抱えた。


 ───なんでこんなに、惹かれてんだろ。もしかして……オレは……


 そこで思考が止まる。

 認めるのが怖いのか、それとも、まだ確信が持てないのか。


「……ダメだ、寝よ」


 強引に思考を断ち切るように、千成はその場を離れた。

 だが、心臓の高鳴りだけは、なかなか静まってはくれない。


 千成は一つ深呼吸をして、頭を切り替えようとする。


 ───とにかく、オレは親父の部屋で寝よう。


 余計なことは考えない。

 そう決めて、自室を出る。


 だが、旭のベッド腰を下ろした瞬間、さっき感じた温もりがじわじわと思い出されて、千成はまた頭を抱えた。


 彼は寝れなかった。












 ………………

 …………

 ……








 朝6時。

 結局、千成はほとんど寝付けなかった。


 何度も寝返りを打ち、深呼吸をしてみても、頭の中には衿華の寝顔や、腕の中に収まったときの感触がちらつくばかりだった。


 ───こんなんじゃ、眠れるわけねぇだろ……


 千成は、諦めてベッドから抜け出した。

 顔を洗って気分を切り替えようと、洗面台に行く。

 冷たい水が彼の気持ちを張り詰めさせてくれたのだが───


 彼はいつもの癖で、自室へ戻ってしまった。


 すると───ちょうど衿華が目を覚ましたところに出くわしたのである。


「……ん……千成の……におい?」


 ぼんやりと目を開けた衿華が、ゆっくりと上半身を起こす。


 そして───


「え……えええっ!?」


 一気に目を見開き、顔を真っ赤に染めた。


「ちょ、ちょっと待って……な、なんで私、千成の……部屋の……えっ、ベッド!?」


 慌ててあたりを見回し、混乱しながらも掛け布団を握りしめる。

 千成は寝ぼけたままの彼女を見て、軽く肩を竦めた。


「オレのソファで寝落ちしたからな。起こしても起きなかったし、鍵の場所も知らねぇし……仕方なくここに運んだだけ」


 その説明を聞くと、衿華の表情がさらに赤くなった。


「運……ん……で、くれたの……?」


「まぁな」


「そ、そっか……」


 衿華は視線を泳がせ、頬を両手で覆う。


「ご、ごめん……寝落ちしちゃって……」


「別にいいけど……」


 千成は気にしてないというふうに言ったが、実際には昨夜あまりにも意識しすぎて寝られなかった。

 それを思い出すと、自分まで変に気まずくなる。


 衿華はまだ混乱しているのか、シーツを握ったまま俯いていた。

 そして、ふと千成の方をチラリと見て───


「……あの、ソファから……どうやって……?」


 妙に上擦った声で、そう尋ねたのである。


「どうやったって……普通に……抱えて運んだんだが……」


「えええええっ!? か、かか、抱えて……!?」


 彼女は、遂に掛け布団で顔を隠した。

 そして恥ずかしそうにくねくねと身体を震わせる。


 そんな彼女を見て、千成は心の中で深く溜息をついた。


 ───だから、なんでオレまで意識しなきゃなんねぇんだよ……


 昨夜の動揺が、またぶり返してくる。


 少しの沈黙が流れたあと、衿華が布団の中から小さく言った。


「……ありがと」


 その声が妙に可愛くて、千成は思わず頭を掻く。


「……気にすんな」


 けれど、自分の声もどこかぎこちなくなってしまっているのに気付き、千成はまた溜息をついた。




 千成が旭の部屋を片付けて戻ってくると、一度自室に戻って学校の支度を終えた衿華がキッチンに立っていた。

 いつも通り、事前に作っておいた料理を温め直してくれている。


 けれど。


 いつもの彼女と、何かが違う。

 ほんの少し動きがぎこちない。

 普段なら「ほら、もうすぐだから待ってて」とか、「◯◯を手伝って!」と言ってくれるはずなのに、起きた時以降、一度も千成と目を合わせようとしない。


 千成もまた、彼女と目が合わないようにしてしまう。

 妙な気まずさが漂って、どうにも落ち着かない。


「……温め終わったから、テーブルに置いとくね」


「お、おう……」


 衿華は視線を落としたまま、お盆を持ってテーブルへ向かう。

 その歩幅がやけに大きくて、いつもより距離を取ろうとしているのが丸わかりだった。


 千成もつられて、微妙に遠い位置に椅子を動かしてしまった。

 向かい合うも、目線は合わない。

 合いそうになる度、逸れてしまう。


 お互い、無言のまま朝食を前にする。

 食欲がない訳ではない。けれど、なんとなく箸をつけるタイミングを失ってしまう。


 ───本当に何やってんだ、オレら……


 千成は密かに溜息をついた。

 こんなことで変に意識するのは、自分らしくない。

 だけれども、昨夜のことを思い出す度に、どうしても意識してしまう。


 衿華の方も、ちらちらと千成の様子を伺いながら、落ち着かない様子だった。

 彼女の耳のあたりは未だに赤い。


 この空気をどうにかしたくて、千成は思わず適当な言葉を探した。


「……衿華の味噌汁、やっぱり美味いな」


「えっ、あっ……そ、そう?よかった……」


 衿華はほんの少し笑ったが、やっぱりどこかぎこちない。


 千成にとっては、気を遣い合うようなこの距離感がやけに歯がゆかった。


 ───いつも通り、普通にすればいいのに。


 そう思うのに、なぜかそれができない。


 結局、朝食が終わるまで、2人の距離は縮まることなく、なんとも落ち着かない時間が続いてしまった。

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