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第34話 実力の差

 重低音が壁越しに響く。


 〝HOLLOW CROWN〟が待機する楽屋には、〝MEBUKI〟の演奏が僅かに漏れていた。

 ドアの向こう、フロアはすでに熱狂の渦。爆発的な歓声が、バンドの勢いを物語っていた。


東京(本場)を知らないバンドの癖にやるな……」


 ギタリストが腕を組み、低く呟く。無意識にフレーズを練習していた指が止まる。


「ベースの音が太いのにハッキリと尖ってる。かなり音に拘りを持ってるのか……」


 ベーシストの言葉に、ドラマーも相槌を打った。


「ドラマー、コウタって言ったか。アイツ、めちゃくちゃ鳴らしてるよな。叩いてて絶対楽しいヤツだろ」


 バスドラムの重み、アタック感(ベースの音の立ち上がりの強さ)が強いベース。そこに絡むギターの旋律とギラついた歌声。


「カズナリ……」


 楽屋の奥で、じっと音を聞いていたギターヴォーカルの天峰樹(あまみねいつき)はペットボトルのキャップをカチカチと弾いた。


「……良い声してんな。演奏の技術も高い」


 その声に、〝HOLLOW CROWN〟のメンバーがちらりと彼を見る。


「お前がそんなこと言うなんて珍しいな」


「別に。ただ、ちょっと面白いと思っただけだ」


 樹は肩をすくめたが、目の奥には確かな闘志が宿っていた。


「このまま観客ごと持ってかれたらシャレになんねぇな」


 樹がそう言うと、ベーシストが立ち上がってストラップを肩にかける。


「まあ、大丈夫だろ。結局トリを飾るのは俺らだ」


 ドラマーが自信ありげにスティックを握り直す。


「そうだ。高2のバンドに負けるわけがない」


 それを聞いて、樹は静かに立ち上がると鏡に映る自分の姿を見つめる。

 彼は、笑っていた。本気で〝MEBUKI〟の音を楽しんでいた。


「お前らの曲、アツいんだな……

 でも……お前らはまだまだだ」


 肉食獣のように鋭く尖った八重歯。

 瞳には、燃える闘志が湧き上がっていた。









 ………………

 …………

 ……








「ありがとうございました!!〝MEBUKI〟でした!!」


 湧き上がった拍手と歓声。

 スポットライトが暗転し、彼らは片付けを開始した。

 ステージを降り、足早に楽屋へ戻る。

 ドアを開けると、入っていた〝HOLLOW CROWN〟のメンバーが視線を向けてきた。


 千成はさりげなく彼らの表情を探る。


 バンドの実力差がありすぎれば、対バン相手が何を演奏しようが無関心でいることもある。

 逆に、圧倒された時は、こうして無言になることがある。


 ホロクラにどう思われているのか、それが千成にとって気掛かりだった。


「……お疲れ」


 先に声を発したのは天峰だった。

 低く落ち着いた声が、妙に静かな空間に響く。


「お、お疲れっす」


 康太が反射的に返すが、ホロクラのメンバーはまだ〝MEBUKI〟の3人ををじっと見ている。

 特にベースのメンバーは、警戒するように千成を一瞥していた。


 その視線に、千成は気付かぬふりをしながらソフトケースのジッパーを引く。


 警戒、もしくは評価───どちらにしても、〝HOLLOW CROWN〟が無関心でないことは明らかだった。


「ベースのキミさ、ヤバかったね!」


 不意に、ホロクラのベーシストが口を開く。

 千成は手を止め、緩やかに視線を向けた。


「何が……?」


「音作り。太いのにエッジがあるし、アタック感が抜群にいい。どうやってんのか気になるわ」


 興味を隠さないその言葉に、千成は肩を竦める。


「別に……普通にコンプレッサー(音量のばらつきを抑えるエフェクター)で作ってるだけです」


「ははっ、普通にって……まあ、いいわ」


 ベーシストは軽く鼻を鳴らし、椅子にもたれる。

 その横で、ドラムのメンバーが康太に視線を向けた。


「お前、楽しいだろ?」


「はい……?」


「ドラム、めちゃくちゃ鳴らしてたじゃん。叩いてて楽しくないわけないよな?」


「まあ、楽しいっすよ。演奏してるときは……特に」


 康太が答えると、ホロクラのドラマーはニヤリと笑う。


「いいねぇ。音楽は楽しまなきゃな」


 そんなやり取りを横目に、千成は天峰を見た。

 彼はまだこちらを見ていた。


「……カズナリ」


 低く名前を呼ばれる。千成の眉が僅かに動いた。


「お前、なかなか良い声してるな」


 不意に告げられた言葉に、一瞬だけ千成の呼吸が止まる。


「……そうかよ」


 素っ気なく返したつもりだったが、喉が僅かに詰まったのを自分でも感じた。

 天峰はその反応を見て、ふっと笑う。


「でも、お前らはまだまだだ」


 八重歯を覗かせた肉食獣の笑み。

 そのとき、スタッフからホロクラの召集がかかる。


「さて───終わらそうか。

 〝MEBUKI〟よぉ、どっちが『ホンモノ』なのか教えてやる」


 その言葉に、千成は静かに息を吐いた。

 胸の奥で、じわりと熱が広がるのを感じながら。











 ………………

 …………

 ……










 楽屋を後にし、〝MEBUKI〟の三人はフロアへと戻った。


 すでに転換が終わり、ステージの照明が落ちる。

 観客たちは期待に満ちた沈黙を保っていたのだが、次の瞬間───


 ドンッ!!!!!


 爆音のバスドラムが空気を震わせた。


 それだけで場の熱量が一段階跳ね上がる。


「───行くぞ!!!」


 天峰樹の声が響き渡る。

 照明が一斉に点灯し、ギターが荒々しくかき鳴らされた。


 ───重い。


 千成は瞬時に理解した。

 音の一つ一つが、まるで拳のようにぶつかってくる。


 ベースは低くうねり、ドラムは破壊的なパワーで全てを押し流す。ギターは攻撃的なカッティングを刻みながらも、一音一音が確実に突き刺さる。

 それを支配するのは、天峰の歌声だった。


 その声は、叫ぶようでいて研ぎ澄まされ、荒々しくも耳を引き裂くような美しさがある。

 歌詞は曲調とは正反対の優しさに溢れていた。真っ直ぐなラブソングが、攻撃的な演奏と絶妙なバランスを保っている。


「ヤバ……」


 健明は呆然と呟いていた。


 演奏の技術、音作りのセンス、全てのレベルが違った。

 一言で言うならば、雲泥の差だった。

 彼ら〝HOLLOW CROWN〟は、ただ上手いだけのバンドではない。

 この場にいる観客全員を、自分たちの領域の中に閉じ込められる力があった。


「圧倒される……」


 康太は、低く言っていた。

 彼の隣には、それとなく近付いていた桃杏珈の姿があった。彼女も、康太と同じような表情を浮かべている。


 圧倒される演奏。

 千成も、それを認めざるを得なかった。

 何より、この空間を完全に掌握している天峰の存在感が大きすぎる。

「お前らはまだまだだ」───先程、楽屋で言われた言葉が今この場で漸く胸に突き刺さった。


 ───クソ……


 悔しさが込み上げる。

 〝MEBUKI〟の演奏が悪かったとは思わない。けれど、目の前のホロクラは正しく「別次元」の領域だった。


 圧倒的な実力差。

 それを痛感させられる感覚が、千成の中でじわじわと膨れ上がる。


 ───何だよ……本当に……


 目を開けていたくなかった。

 耳も閉じてしまいたかった。


 そのとき、不意に千成の手の甲に何かが触れた。

 小さくて、温かい。

 彼のものと近いけれど、彼のものではない温度がそこにあった。


「千成……!!!」


 それは、衿華の手だった。

 千成が顔を向けると、彼女はじっとステージを見つめたまま、彼女はそっと彼の手に自らの手を重ねていた。

 ぎゅっと強く握るわけでもなく、ただそばにいることを伝えるように。


 千成は息を呑んだ。

 自分が悔しさで心を荒立てていたのを、衿華は察していたのかもしれない、そう思いながら。


 千成は力を抜き、指先を僅かに動かし、衿華の手に触れた。

 彼女の体温が、静かに心の奥へと染み込んでいく。


「ありがとう……衿華」


「落ち着いた?」


「お陰様で」


「なら……良かったよ」


 千成の中に渦巻いていた焦燥感は、ゆっくりと落ち着いていった。

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