第33話 熱気
開場時間を迎え、ライブハウスの受付には少しずつ人が集まり始めていた。
その殆どが〝HOLLOW CROWN〟のファンらしく、物販ブースには既に何人かが集まっている。
見に来た衿華と桃杏珈は受付の列に並び、カウンターのスタッフに電子チケットを見せた。
「ありがとうございます! おふたりとも〝MEBUKI〟が目当てですね! 1500円になります!」
「あれ? 1500円なんですか?ここには1000円だって書いてあるんですが……」
衿華が困惑したように画面を指差す。
確かにその画面には、「¥1000+1D」と書いてある。
「あぁ……これですね? 1Dってのがワンドリンクって意味で、500円をプラスで払ってもらってるんですよ」
「「ワンドリンク制?」」
二人が首を傾げると、後ろから声が掛かる。
「ライブハウスは飲食店ってことで営業許可を取ってるから、最低一杯は注文しなきゃいけないんだ。伝え忘れてた」
振り返ると、オーバーサイズのTシャツに黒のパンツを合わせた千成が、手をポケットに突っ込みながら立っていた。
「衿華……木村さんも。来てくれてありがとう」
千成がそう言うと、衿華は「教えてくれてありがとう!」とにこやかに笑う。
「そういう事だったんだ……」
桃杏珈も納得したかのように頷いた。
今日の衿華は落ち着いたベージュのカーディガンを羽織り、ネイビーのワンピースを合わせていた。上品で清楚な印象の装いが、ライブハウスの雑多な雰囲気の中でもひときわ目を引く。
一方の桃杏珈は、白のクロップド丈のニットにミニスカートという動きやすいコーディネート。元気な印象そのままに、肌を見せる着こなしがライブの高揚感とよく合っていた。
「じゃ、飲みたくなったら奥のカウンターにで頼んときな」
千成が軽く手を振って去ろうとしたとき、衿華が一歩前に出る。
そして、小さな紙袋を差し出した。
「千成!! 差し入れだよ!
桃杏珈と一緒にクッキーを焼いてきたんだけど、食べて欲しいな!」
千成は一瞬、目を丸くしたが、すぐに少しだけ視線を逸らしながら袋を受け取る。
「衿華……木村さんも、ありがとう。後で楽屋で食うわ」
気恥ずかしそうに呟く彼の様子に、衿華は小さく微笑んだ。
そんなやりとりを見ていた桃杏珈が、思い出したように声を上げる。
「そうだ、康太くんはどこにいるの?」
「アイツなら駅前のスーパー。ペットボトル買いに行ってる」
「え、ライブハウスって飲み物あるのに?」
「いや、ステージ用。演奏してると特にドラマーは大汗かくから……毎回あいつはまとめて買ってくる」
千成が淡々と答えると、桃杏珈は「へぇ」と呟きながら少し残念そうに視線を落とした。
「ま、すぐ戻ってくるだろ」
千成はそう言い残し、衿華からの差し入れの袋を持ったまま、奥へと歩いて行く。
その後ろ姿を見送りながら、桃杏珈は「……康太くんが戻ってきたら、話しかけられるかな」と小さく呟いた。
………………
…………
……
〝MEBUKI〟の前の4バンドは既に演奏を終えていた。
狭い楽屋の中で、千成たちはスタッフからの入場合図を待っている。
千成はベースのネックを軽く叩きながら、静かに息を整えていた。
「「「「「お疲れ様です〜!」」」」
「「「お疲れ様でした!」」」
先に演奏を終えたガールズバンドのメンバーが興奮した様子で戻ってきて挨拶を返すと、康太がぼそりと呟いた。
「……次、俺たちか」
テーブルでドラムの流れを軽く練習していた彼の瞳は鋭い。
隣でギターのチューニングを調整していた健明も、小さく笑った。
「マジでやべえ奴らが控えてるよな」
「だからこそ、ぶっ飛ばすんだろ?」
そう言った康太。普段はおおらかな性格だが、こういう時はアツい男に変貌する。
千成は目を開け、仲間を見渡した。
「アイツらの前座で終わる気はない。〝HOLLOW CROWN〟が相手でも関係ない。このステージは俺たちが掻っ攫う」
その言葉に、健明と康太がニヤリと笑う。
「言うと思った」
「ぶちかましてやろうぜ」
その瞬間、スタッフが扉をノックした。
「〝MEBUKI〟さん、準備できましたか?」
千成は深く息を吸い、ベースを肩に担ぎ直す。
「よし、行くぞ」
楽屋の扉が開き、ステージの熱気が彼らを迎え入れた。
暗がりの中、観客のざわめきが波のように押し寄せる。
千成が視線を巡らせると、最前列に見知った顔が並んでいた。
いつもライブに来てくれるMEBUKIのファン。
駆けつけてくれた衿華も桃杏珈。
それだけではなかった。
凛咲、正悠、玄杜、燈哉───文化祭の仲間が駆けつけてくれたのだ。
更に、佐倉第一高校の部活動Tシャツを着た見覚えのない奴らもいる。
───健明と康太のツレか……それとも文化祭で興味持ってくれた人なのか。
そしてその後ろに、どこか鋭い視線を向けてくる集団がいた。
黒を基調とした服に身を包み、腕を組んで様子を伺う〝HOLLOW CROWN〟のファンたち。
───試されてる。
千成はベースを握り直した。
「やるしかねえな」
エフェクターをアンプに挿した健明がにやりと笑う。
「当然。ぶっ壊すぞ」
康太が三点(ハイハット、スネアドラム、バスドラムのこと)を軽く叩く。
「お前がカマさねえと始まんねぇだろ、千成」
千成はマイクスタンドを握ると、客席を真正面から見据えた。
───ここは俺たちのステージだ。
「行くぞ!!〝MEBUKI〟!!」
観客の歓声がマイクに乗って弾ける。
その瞬間、千成たちは各々の音を鳴らした。
「『稲妻逃避行』!!」
千成がベースをかき鳴らすと同時に、康太のドラムが雷鳴のように響き渡る。
曲の始まりはハイハットの刻みとタイトなベースラインだったが、康太がスネアドラムを力強く叩いた瞬間、空気が一瞬にして変貌した。
低音を這わせるように弾く千成の指先は鋭く、力強い。観客の心臓にまで届くほどの重低音が、身体の芯を揺さぶる。
そこへ絡みつくように健明のギターが入る。最初はパワーコードだけだったが、ドラムが勢いを増すにつれ、健明の音も激しさを増していく。
疾走感のあるリズムが観客の心拍数を上げる。
千成の声がマイクを通して響くと、さらに熱気が高まった。
千成はマイクに口を寄せる。
その瞬間、真正面の衿華と目が合った。
───やってやる。
ギターが一瞬の静寂を作り、その隙間を埋めるように千成は歌い出した。
サビに突入すると、健明のギターが一気に解き放たれる。
彼は返し(演奏者に自身やバンドの音を届けるためのスピーカー)に片足を乗せ、身を乗り出していた。
自由に駆け巡るメロディーが、まるで雷光のようにステージを貫いていく。
観客が手を上げ、飛び跳ねる。最前列のファンたちが声を張り上げ、彼らに全身を委ねていた。
後方で静かに様子を伺っていたホロクラのファンたちは、目を見開いていた。
「何だよこのバンド……」
「ギターのパフォーマンスも凄いし、ドラムの一発一発が重い……」
「ヴォーカルも化け物じゃねえか? 歌いながら左手がめっちゃ動いてるし」
ホロクラのファンのほとんどは、〝MEBUKI〟のことを「ただの高校生バンド」としか思っていなかった。
だが、実際に彼らの演奏を目の当たりにし、その熱量に飲まれつつあったのだ。
康太がクラッシュシンバルを激しく叩きつける。健明のギターが最後の火花を散らし、千成のベースがそれをしっかりと支えながら、曲はラストへ向かって加速していく。
曲が終わっても、康太のドラムは止まなかった。
「『月夜を越えて』」
間髪入れずに、彼らは2曲目へ突入したのだ。