第四章:Basin Street Blues
マイケルは典型的なWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)で、ニューオリンズの出身だった。金髪で碧眼、背が高く、姿勢がよく、どこかしらエリートの風格を漂わせている。彼の発音は完璧なアメリカ英語だが、時折、南部訛りのイントネーションが混じる。そのことで、近藤は彼のルーツに興味を抱くようになった。
「ニューオリンズって、ジャズが有名だよね?」近藤が尋ねると、マイケルは微笑んで答えた。「確かにジャズは有名だけど、それ以上に多様性があるんだ。僕の家族は何世代もニューオリンズに住んでいて、特に法曹界で活動してきた。」
マイケルの父はニューオリンズの弁護士事務所のパートナーで、祖父がその事務所を創業した。地元の名家であったマイケルの祖父は、裁判で黒人の味方をしたことから、白人社会では裏切り者と見なされ、家族は多くの困難に直面した。
「僕の祖父は公民権運動の時代に、黒人の権利を守るために戦ったんだ」とマイケルは誇らしげに語った。しかし、その戦いは容易ではなかった。白人社会で裏切り者とされた祖父は、身の危険を感じ、マイケルの父を幼少期に祖母と共にニューヨークへ送らざるを得なかった。
ある日の午後、近藤とマイケルは大学の広大なキャンパスを散歩していた。秋の柔らかな日差しが彼らの頭上の木々を照らし、葉は赤や黄色に染まりながら舞い落ちていた。
「ニューオリンズのこと、もっと聞かせてくれない?」近藤はふと尋ねた。彼はアメリカの歴史や文化についてもっと知りたいと思っていた。
「もちろんさ」とマイケルは答えた。「ニューオリンズは、本当に多様な場所なんだ。ジャズだけじゃなくて、いろんな文化が混じり合ってる。でも、僕の家族の話をすると、ちょっと重い話になるかもしれない。」
「全然構わないよ」と近藤は言った。「その方が興味深いし、もっと知りたいんだ。」
キャンパスの一角にあるカフェテリアでコーヒーを買い、近藤とマイケルは外のテーブルに座った。マイケルはコーヒーを一口飲んでから、ゆっくりと話し始めた。
「僕の祖父は公民権運動の時代に、黒人の権利を守るために戦ったんだ。当時、ニューオリンズでも南部のように激しい差別があった。祖父は弁護士として、黒人のクライアントを弁護することが多かった。彼は信念を持ってその仕事をしていたけど、周囲の白人社会からは裏切り者と見なされてしまったんだ。」
近藤はマイケルの話に引き込まれた。彼の祖父の勇気と信念は、当時のアメリカ社会において非常に困難なものであったことを理解した。
「それで、どうなったの?」近藤は続けて尋ねた。
「祖父は多くの裁判で黒人の権利を守ったけど、そのために家族は多くの困難に直面したんだ。白人社会からの圧力や脅迫があって、父は幼少期に祖母と共にニューヨークへ送られた。ニューヨークでは、祖母が父を守るために一生懸命働いてくれたんだ。」
マイケルの話を聞きながら、近藤はその背景にある人間ドラマを感じ取っていた。アメリカの歴史の中で、公民権運動がいかに重要なものであったか、そしてその影響が現在まで続いていることを改めて認識した。
近藤はマイケルの話を通じて、南部における黒人差別の歴史について学び始めた。彼らが図書館で一緒に勉強している時、マイケルは南部の歴史や公民権運動についての資料を見せてくれた。近藤はその資料を通じて、当時のアメリカの社会状況や、黒人が直面した困難について深く学んだ。
「この写真を見てくれ」とマイケルは言った。彼が見せてくれたのは、黒人が白人用の施設を使用したことで逮捕される瞬間の写真だった。「これが祖父が戦った現実なんだ。彼はこのような不正義に立ち向かったんだよ。」
近藤はその写真を見て、心の底から衝撃を受けた。彼がこれまで学んできた歴史の教科書には載っていない、現実の苦しみがそこにはあった。
マイケルの祖父が戦った黒人差別は、単なる歴史の一部ではなく、今でも影響を及ぼしている現実だった。それを知った近藤は、アメリカの深層にある複雑な人種問題について考えさせられた。
「君は南部に行ったことはあるの?」近藤が尋ねると、マイケルは少し考えてから答えた。
「実は、僕も南部にはあまり行ったことがないんだ。でも、家族の話を聞く限り、今でも差別は根強く残っているみたいだ。特に、トランプ政権下では、人種間の摩擦が再燃していると感じるよ。」
近藤はマイケルの言葉に考えさせられた。オレゴン大学のリベラルなキャンパスでは、その影響はほとんど感じられなかったが、アメリカ全体ではまだまだ多くの課題が残っているのだろう。
「でも、ここは平和だね」と近藤は言った。「大学の中では、多様性が尊重されているし、みんなが共に学び合っている。」
「そうだね」とマイケルは頷いた。「この環境がどれだけ貴重か、外の世界と比べるとよくわかるよ。ここでは、僕たちは未来のために学び、成長することができるんだ。」
近藤はその言葉に勇気をもらった。彼自身も、この環境の中で自分を成長させ、新しい価値観を築いていくことを決意した。
オレゴン大学での生活を通じて、近藤は日本での価値観がいかに狭いものであるかを痛感した。彼が日本で学んできた国際金融学は、ここでは単なる「お勉強」に過ぎず、実際の世界の問題を解決するためのツールとして使われていることに驚いた。アメリカの大学では、学問が実社会と直結しており、その現実に触れるたびに、自分の過去の努力がいかに表面的であったかを感じさせられた。
さらに、近藤はマイケルがこの世界の主人公の一人であることを痛感した。それは見た目や性格ではなく、完全に自分の努力によって成し遂げられたものであった。日本では、主人公たちは見た目やスポーツの才能で決まることが多い。しかし、実力社会のアメリカでは、誰もが努力によって主人公になろうとしている。その現実に直面し、近藤は自分の矮小さに気づいた。
ある夜、近藤はマイケルと寮の共有スペースで話していた。
「マイケル、君は本当にすごいね。家族の歴史もそうだけど、自分自身の努力でここまで来たんだ。」近藤は感心して言った。
「ありがとう、近藤。でも、僕だけじゃないよ。ここにいるみんなが、何かを成し遂げようとして努力しているんだ。」マイケルは謙虚に答えた。
「日本では、主人公は見た目やスポーツの才能で決まることが多いんだ。でも、ここでは努力が全てなんだね。」近藤は続けた。
「そうだね。アメリカは実力社会だ。だからこそ、僕たちは日々努力を惜しまないんだ。」マイケルは真剣な表情で答えた。
近藤はその言葉に深く感銘を受けた。彼自身も、この環境の中で自分を成長させ、新しい価値観を築いていくことを決意した。
オレゴン大学での生活を通じて、近藤は日本での価値観がいかに狭いものであるかを痛感し、自分の矮小さに気づいた。しかし、それを克服しようとする決意が、彼の心に新たな情熱を灯した。
マイケルとの友情を深める中で、近藤は新しい視点を持つようになった。マイケルの祖父が公民権運動で戦った背景を知ることで、近藤はアメリカの歴史とその影響についてより深く理解することができた。マイケルの家族の物語は、近藤にとって強烈な印象を残し、自分の人生観にも影響を与えた。
近藤は、マイケルとの出会いとその物語を通じて、新たな価値観を身につけ、成長していくことを実感していた。彼の心の中で、暗い情熱は少しずつ光に変わり、新しい希望を見出すことができた。
その後、近藤は日本に戻ってからも、マイケルとの思い出と共に「Basin Street Blues」を聴くようになった。この曲はニューオリンズのバシンストリートを歌ったもので、マイケルが彼に教えてくれた。苦しい時や自分を鼓舞したい時、近藤はこの曲を聴いてマイケルとの友情や、彼が学んだアメリカでの経験を思い出した。
「Basin Street Blues」は、近藤にとって特別な曲となった。そのメロディーが流れるたびに、彼はニューオリンズの街並みや、マイケルの笑顔を思い浮かべ、自分を奮い立たせた。新しい価値観と成長を象徴するこの曲は、近藤の心に深く刻まれていた。