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隠された月


 すぐに会えるわ、と誰かが囁く。

 透き通った美しい声だ。発した音すべてが、きらきらと光る鱗粉を纏っているよう。

 慈愛のこもったその声に全身から力が抜け、ルアルは高い場所から落ちたような浮遊感を覚えた。




  ✾   ✾   ✾   ✾   ✾   ✾   ✾ 




 目覚めの朝は心地良く──────とはいかず、ズキズキと痛む全身に、ルアルは眉をしかめながら目を開けた。

 薄いカーテンから差し込む日差しの強さに、彼女は何度か瞬きする。


「……いたい」

「当然です」


 しかめっつらでこちらを見下ろしながら腕を組んでいるアレクサンダーと目が合う。すべてを思い出したルアルは、申し訳ない気持ちになりながら上半身を起こす。


「ええと…………、ごめんなさい」


 素直に謝る。

 はあ、と彼は重い溜息をついた。


「まったく……。勝手に飛び出してぼろ雑巾のようになって帰って来たかと思えば五日も目を覚まさないなんて。どれだけ皆に心配をかけるつもりですか」

「うう……反省してます………………って、五日も!?」


 頷くアレクサンダーに、ルアルは失態を恥じながらも驚きを隠せない。

 こんな職業だ。怪我などめずらしくない。けれど、五日も眠ったままになったのははじめてだった。

(どうして………、あっ)

 はっとして、慌てて胸に手を当てる。そして首を傾げた。


「あれ、傷がない? 回復魔法ってこんなにきれいに塞がるものだっけ」


 不思議に思いつつ寝間着の前を開けて確認しようとすると、怖い顔でアレクサンダーががっちりとルアルの手首を掴んできた。


「やめていただきたい」

「え、なに?」

「誤解を招きかねないことはやめていただきたい!」


 鬼気迫る表情の彼に圧倒されていると、がちゃりと医務室の扉が開いた。


「アレックス、大声を出してどうし─────」


 入って来たのはセイアッドだった。

 彼はルアルを見て、アレクサンダーを見て、掴まれている手首を見てからすっと目を細めた。

 美形の冷たい表情は、魔法のように部屋の温度を真冬並みに下げる効果があるのだと、ルアルは知る。


「…………説明してもらおうか、アレックス」

「い、いえ……私は何も。ルアル殿が突然奇行に走って」

「奇行って。胸の傷を確認しようとしたんだよ。それなのアレクサンダー軍師長が止めてきたんだ」

「…………なるほど」


 納得したらしく、セイアッドは頷いた。ほっと吐息を漏らしたアレクサンダーが、ルアルの手首を解放する。


「傷が痛むのか?」


 訊かれ、セイアッドを見上げたルアルは違和感を覚えた。

 目が合わなかった。彼はこちらを見ているようで見ていない。灰銀の瞳も、いつもより温度が低いような。

 怒っているのだろうか。それも当然だと、ルアルは俯く。

 戦闘中に勝手な行動をしたのだ。それも、顧問魔法師という、騎士たちの手本にならなければいけない立場の者が。

 意味もなくシーツをいじりながら、ルアルは乾燥している唇を開く。


「む、胸を刺されたはずなんだけど……、凹凸もなくきれいに塞がっていたから、気になって」


 怪訝そうに、セイアッドは片方の眉尻をわずかに上げる。


「胸を? アレックス、医師はなんて診断していた?」

「全身打撲です。胸に刺されたような傷があるとは聞いておりません」

「で、でも本当に……」

「後ろを向いているから、確認してみろ」


 くるりと男二人が背を向けたので、ルアルは急いで寝間着の胸元の紐を引く。

(傷が………ない………?)

 小さな傷なら跡形もなく消せることもあるが、ルアルは背後から貫かれたのだ。胸から突き出た刀身も見た。

 五日やそこらで傷跡すら完全に消すほどの回復魔法の使い手なんて、伝説の賢者くらいしかいないはずなのに。


「もうよいですか、ルアル殿」

「あ、はい」


 ほどいた紐を、再び結ぶ。

 振り向いた彼らに、ルアルは首を振ってみせた。


「傷は……なくなってた。それに、よく考えたら地面の裂け目から落とされたはずなんだけど、わたし、なんで助かったのかな」

「地面の裂け目……!?」

「……………………」


 顔を青ざめさせ、額に手を当てたアレクサンダーが、無言のままのセイアッドをちらちらと気にしながら、ルアルに「どういうことか説明していただきたい」と言った。

 記憶を辿りながら、ルアルは応える。


「あの時、シャグランの妹のプジーアが、【闇の地】の奥地へと行ってしまって、すぐに追いつけると思って追いかけたの。でも彼女は浮遊魔法でどこまでも進んでしまって、追いつけなくて」

「それで、何者かに襲われたのですか?」

「最初は魔物に。木の魔物に叩き落されて、それが全身打撲の原因かな。でも、鳥の魔物も獣の魔物も蹴散らした。勝ったと思ったんだけど、背後にあった裂け目を覗き込んでいたら……誰かに背後から刺されて。そのまま、突き落とされた」


 けれど、その傷はない。

(わたしはいったい、どうやって………)

 何かを、まだ思い出せていない気がする。


「わたしが帰って来たときのこと、聞いてもいいですか?」


 尋ねると、ちらりとセイアッドを横目で見てから、アレクサンダーが頷いた。


「はい。ルアル殿が【闇の地】へと消えてから、すぐにセイアッド殿下が本隊を連れてやって来ました。魔物の群れは完全に姿を消したので、我々はルアル殿の捜索を行いましたが、見つけられず。騎士たちの疲労も限界で、暗闇の中では思うように捜索も進まないため、朝を待とうと一度王国へ戻りました」


 殿下の説得に骨が折れました、とどこか遠い目でアレクサンダーはぼやく。


「早朝、殿下と私が率いる捜索隊が出発しようとした時、ルアル殿が」

「知らない男に抱えられながら城門のところにいた」


 やっと話したかと思えば、アレクサンダーの言葉を遮り、やけに刺々しい声音で、セイアッドは強引に会話の主導権を奪った。


「鍛え上げられた武人の男だ。こちらに気付いたらおまえを置いてすぐに消えた。身に覚えはあるのか」

「え? 武人? 誰だろう……」

「黒髪で、鋭い赤い瞳だ。見たことのない黒い服を着ていた」

「よく見ておられる………」


 アレクサンダーがぽつりと呟いた。

 ううん、と唸りながら、ルアルは考える。

 黒髪、赤い瞳。リュナ王国で黒髪は多くはないが少なくもない。ただ、赤い瞳はめずらしかった。

 誰かいただろうか、と知り合いの顔を順に思い浮かべていると、不意に、子どもの泣き顔が脳裏を過ぎる。


「……もしかして、エードラム……?」

「誰だ、それは」

「儂じゃ」


 声と同時に姿を現した少年に、一拍置いてセイアッドとアレクサンダーは腰の剣を抜いた。

 ベッドに腰掛け、足をぶらぶら揺らしながら、少年は好戦的な笑みを浮かべる。


「ふふん、まあまあ素早いじゃないか。じゃが、儂が殺す気だったらおぬしたちは死んでおったぞ」


 勝ち誇る少年の存在をぽかんと眺めながら、ルアルは一度自身の頬を抓ってみる。

(いたい、よね)

 そもそも、夢ならきっとこんなに打撲は痛まない。

 これは夢ではない。つまり、目の前の少年はあの(・・)エードラムで間違いないのだろう。

 忘れていた記憶がよみがえっていく。

 ルアルはエードラムの肩をぽんぽんと叩いた。


「こらこら、話がややこしくなることは言わないで。君はわたしの命の恩人でしょ」

「そうじゃ。ほれ、ちゃんと説明せい」


 促され、寝起きで回らない頭を懸命に働かせる。


「えっと、この子はエードラム。【闇の地】の地面の裂け目にいた魔物で、大きくもなれるけどこちらが本当の姿なんだ。セイアッドが見たというのは大きくなった姿だと思う。あとは、その………」


 邪竜と呼ばれる存在なのだと、告げてもいいものか迷う。

(混乱させるかも。でも、隠すのは卑怯……だよね)

 エードラムは脅威ではない。本質は母に会いたいだけの子どもだ。何者かの手によって、邪竜にされただけ。

 ルアルは、あの時の泣きじゃくる幼い少年を信じたのだ。隠すということは、疑っていることと同義だ。

 意を決し、ルアルは警戒しているセイアッドとアレクサンダーを交互に見る。


「邪竜と呼ばれる存在……だった」

「────そいつから離れろ、ルアル!」

「お下がりください、ルアル殿!」

「まっ、待って! お願い!」


 今にも斬りかかりそうな二人に慌てる。

 ぎゅっと、ルアルはエードラムを抱きしめた。


「違うんだ、この子は本当は邪竜じゃなくて! 誰かが悪しき儀式でエードラムを邪竜に変えたの!」

「何を言っている!? ルアル、おまえは騙されているんだ!」

「違うよ、セイアッド! ほら、見て! 刺された胸の傷がないんだ! あれは、間違いなく致命傷だった。治してくれたのはエードラムだよ!」


 胸元の紐を解いて見せると、魔力切れをおこした魔法人形のように、セイアッドの動きはぴたりと止まった。

 なぜかアレクサンダーが「あーあ」と呟いて脱力する。


「そうだよね、エードラム?」

「うむ。ついでに内臓の損傷と肋の骨折もじゃ。本調子ならば打撲のほうも治せたんじゃが、途中で魔力が切れてな」


 そういえば、内臓も肋もやられていた。打撲以外の痛みがなくなっていて忘れていたが、エードラムが治してくれなければ、あと数日は痛みに悶絶して過ごさなければならなかっただろう。


「ね? ほら、わたしの命の恩人なんだよ。こんなこと、本当の邪竜ならしてくれないよ」

「う……わ、わかったから、はやく紐を結んでくれ」


 目を逸らしたセイアッドは、マントの留め具を外してばさりと放ってきた。頭からマントを被せられ、ルアルはごそごそと紐を結んでから顔を出す。


「じゃあ、エードラムを王城(ここ)に住まわせてもいいかな……? もちろん費用はわたしが払うよ。もしダメだと言うなら、わたしとこの子は城下町の宿で暮らす。それならいいでしょう?」

「駄目に決まってるだろう」


 即答。いつにないセイアッドの態度に、ルアルは怯む。しかし、こほん、と咳払いしたアレクサンダーが補足した。


「殿下は、ルアル殿が城下町に行くのを却下しているのです」

「え、それじゃあ………」


 期待をこめて見つめれば、セイアッドは複雑そうにしながらも頷いた。


「そいつをここで一時預かるのは認めよう。ただし、監視はするし、ルアル、もし何かあった時はおまえにも責任が伴う。それはわかっているんだな?」


 セイアッドはじろりと睨んでくるが、その視線は本気で怒っていない。やれやれ、といった意味合いが強い。

 剣を鞘に戻すセイアッドとアレクサンダーに、ルアルは安堵の笑みを浮かべる。


「うん、うん……! 責任はすべてわたしがとるよ! ありがとう、セイアッド」

「……おまえの、命の恩人だからな。………本当に、よかった」


 表情をうまく取り繕えず、涙こそ流れなかったが泣き笑いのような顔をするセイアッドに、ルアルはどんな処罰でもいいから下してほしい心境になる。

 彼にこんな表情をさせてしまうなんて。

 後先考えなかった自分の行動が、ただただ愚かしい。


「わっ、な、なんじゃ、やめろ! はなせ!」

「お静かに。今、いい雰囲気ですので」


 さっとルアルの腕からエードラムを抱き上げたアレクサンダーが、さっさと医務室から出て行った。ぽかんとしていたルアルの頬に、ベッドに腰掛けたセイアッドが触れる。


「打撲の痛みはどうだ? 医師はもう自然治癒力で治ると言っていたが、まだ痛みがあるようなら回復魔法師を呼ぶが」

「う、ううん、少し痛むけど、平気」

「そうか」

「あ……あの、セイアッド」

「ん? どうした」

「その、わ、わたし………」


 真剣な告白を誤魔化し、魔物討伐戦では迷惑ばかりかけた。

(呆れてしまったかもしれない)

 それどころか、幻滅されたっておかしくはない。

 けれど、生きて帰れたなら伝えたいと願った。

 またあの時みたいな後悔に苛まれるのは、いやだ。

 暴れ出す心臓に目が回りそうになりながら、ルアルは勇気を振りしぼってセイアッドを見上げる。


「わたし、君が─────」

「セイアッド!」


 鈴を転がしたような可愛らしい声が、ルアルの言葉を掻き消す。

 医務室の扉が無遠慮に開け放たれ、何者かが入ってきた。


「………ヴィラ?」


 立ち上がるセイアッドの唇が紡いだのは、ルアルの知らない名前だった。


「こんなところにいたのね、セイアッド! 探したわ」


 駆け寄ってきたのは、見事な銀髪の少女だった。人形のように整った、可憐な容姿をしている。

 彼女がセイアッドの胸に抱きつくのを、ルアルは物語の挿絵を眺めるように見つめた。

 ああ、なんて。

(お似合い、なんだろう………)

 まさに月と月光。金色の月と、やわらかい銀の光。空高く輝く月を、闇の池から見上げるイメージが、ルアルの脳裏に浮かぶ。


「あら、こちらの方は?」


 柘榴石に似た色の瞳が、こちらを見る。


「ああ、俺の魔法学の先生だったひとだ」


 ──────先生(・・)

(なにを動揺してるの)

 当然だ。一度ひっくり返ったカップの中身はもとには戻らない。ルアルは自ら、セイアッドが差し出してくれたカップを払いのけたのだ。


「先生、彼女はヴィラ。あの日の魔物討伐に巻き込まれた被害者なんだ。帰還途中で倒れているところを見つけ、城で保護している。どうやら記憶も失っていてな、自分の名前しか思い出せない状態だ」


 声が遠い。耳鳴りがする。

(そんな、身元不明なひとを、どうしてセイアッドが……?)

 いや、もうわかっている。彼女が、ヴィラが、似ているのだ。

 ──────女神リュナの神像に。


「神官が、ヴィラを女神の生まれ変わりなのではないかと言っていた。そんなことがあるのか俺もまだわからないんだが、異国には転生した神の逸話もあるらしくて……」

「セイアッド、そろそろ行きましょうよ。あたし、今日は庭を見たいわ」

「ああ、そうか、約束していたな。わかったよ」


 腕を引かれるままに歩き出そうとしたセイアッドは、思い出したように立ち止まってルアルを振り向いた。


「そういえば、先程、なにか言いかけていなかったか?」


 かっと頬が羞恥に染まる。

 勝手に勇気を出し、勝手に好きだと伝えようとしていたことが恥ずかしくて、ルアルは慌ててセイアッドにマントを突き返し、寝具の中に素早く潜り込む。


「なんでもない。ごめん、やっぱり打撲が痛くて。少し眠るね」

「そうか、わかった」


 未練などなさそうに、彼はヴィラと出て行った。素っ気ない音を立てて閉まった扉に背を向けて、ルアルは自嘲する。

 感情がぐるぐると渦巻くのに、言葉にできない。

 不意に、扉が再び開かれた。


「まったく、あのアレクサンダーとかいうやつには酷い目にあわされたぞ」


 どうやら、エードラムが戻って来たらしい。


「〈くっきー〉とやらや〈けーき〉なるものをたらふく食わされた。なんてひどいやつじゃ。昼は鶏肉のスープと焼き立てのパンを振る舞うなどと言いおって。儂を餌付けする気か? ふん、浅はかなやつめ」


 そこはかとなく浮ついた口調で、エードラムが入ってくる。彼に尻尾が生えていたなら、左右にぶんぶん揺れていたかもしれない。

 なんとなく振り向くタイミングを逃したルアルは、そのまま静かに様子を窺う。

 軽い動作で、エードラムはベッドに飛び乗った。


「ん? なんじゃ、ルアルは寝ておるのか? だらしないやつじゃなあ。………ふああ、腹がふくれたら儂も眠くなってきたな……。どれ、昼まで寝るとしよう」


 ごそごそと寝具に入ってくると、エードラムはルアルの背中にぴとりとくっついた。そして、すぐに寝息を立てはじめる。

(なんか、可愛い……)

 振り向いて抱きしめたくなったけれど、下手に動いて起こしたら可哀想だ。ルアルは我慢する。

(……この子がいてくれて、よかった)

 ひとりでいたら、泣いてしまっていたかもしれない。

(セイアッド………)

 美しい少女に手を引かれながら去って行く彼が脳裏に浮かび、ルアルは無理に作った不格好な笑みを浮かべる。

(これでよかったんだ)

 死ぬはずだった命だ。願いを叶えるために魔力も命もエードラムに預けた。

 好きと伝えたかったけれど、セイアッドを少しでも長く見守ることができるのなら、満足だ。

(そういえば、結局のところわたしとエードラムってどんな契約になってるんだろ)

 あとで確認しようと思いながら、背中から伝わってくる心地良い体温にだんだんうとうとしてきて、ルアルはすとんと眠りに落ちた。


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