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回りだす歯車・2

 遥か昔。大地の底に閉じ込められた魔物が巨大化し、地面を噛み砕いて地表に出ようとした。女神リュナはそれを食い止めようと、月から槍を投げる。それが魔物の喉を貫き、地底に魔物を縫いつけた。そうして巨大な魔物は動けなくなったが、噛み砕かれた地面は魔界と繋がり、後に【闇の地】と呼ばれることになったそこからは、魔物が現れるようになったという。人間が魔物から身を守れるようにと、女神は爪のひと欠片を地上に落とし、それを手にした者に魔力を授けた。

 それが、ヴィアラクテア王家に伝わる聖剣伝説だ。


「セイアッド殿下は女神から魔力を授からなかった。魔物討伐に赴く場合、聖剣を掲げて騎士を鼓舞するのが王家の役目でもあるというのに……」

「君ね、まだそんなことを言っているの?」


 馬を走らせながら、ルアルは隣にいる部下に呆れた視線を送る。

 彼女が率いる魔法部隊は作戦の都合上、第一討伐部隊の先頭を走っていた。リュナ王国を出てからずっと続いていた平原を抜けると、大きく口を開けた魔物のように見える暗い森が姿を現す。躊躇うことなく、ルアルは魔物の口の中に飛び込む。

 夜の森は、不気味な静けさで討伐部隊を迎え入れた。

 夜の森は危険だ。だが、これでも軍議を終えてから最速で出発できたほうだった。部隊を編成し、作戦を伝え、それぞれが装備品を準備していれば当然だが時間はかかる。朝まで待つべきだと言う者もいたが、そんな猶予はない。

 魔物はリュナ王国から見て北東に位置する【闇の地】の奥から、こちらに向かって来ている。休まず馬を走らせて、一日はかかる距離だ。けれど、魔物の群れの発生と発見には時差がある。すでにこちらに向かってくる魔物を先遣隊が発見したということは、観測可能な位置まで魔物は移動済みということだ。その後、先遣隊がセイアッドに報告している間や軍議の間、魔物はさらに進んでいるだろう。

 なるべく人気のないところで迎え討ちたいというセイアッドの希望に同意し、誰も近付かない【闇の地】周辺で迎撃できるよう、ルアルが率いる魔法部隊と、アレクサンダーが率いる騎兵部隊と弓兵部隊が足止め役を志願した。どちらも少数精鋭で、魔物討伐の経験豊富な騎士ばかりを選んでいる。

 後に全部隊を率いてやってくるセイアッドを待つための足止めといえど、失敗すれば命を落とす。全員、真剣な眼差しだ。そんな中でセイアッドが聖剣を抜けないことを持ち出し、部隊の士気を下げるような部下の発言は、さすがに聞き捨てならなかった。


「聖剣を見ただけでやる気が出るなら、今まで聖剣がなくても魔物を退治してきたセイアッド本人を見たら、もっとやる気が出るんじゃないかな」


 常勝不敗の男だよ、と付け足すと、部下は「はあ……まあ、たしかに……?」と首を傾げた。彼の言わんとしていたことは、なんとなくわかる。なんとなくわかることが、ルアルをより不快にさせた。

 今や誰もセイアッドが王になることに異論はない。けれど、王家の聖剣伝説がある以上、人々は聖剣を携えた英雄を求める。いくらセイアッドが強く賢く、王の器であったとしても、聖剣が抜けないという事実が、無意識下に、どこか他に真の英雄がいるのではないか────と、人々に疑念を抱かせるのだ。

 セイアッド以上の英雄なんて、いるはずがないのに。

 悔しくて手綱を握る手に力がこもる。唇を噛んで前方を睨むルアルの背後で、軽快な笑い声が響いた。


「ハハハ! さすが、殿下の家庭教師として様々な伝説を作り上げたルアル殿だ。皆も知っているだろう! ルアル殿が殿下とふたりで魔物討伐部隊以上の戦果を上げた武勇伝を!」


 騎兵部隊と弓兵部隊から歓声が上がった。

 軍師長でありながら騎士としても前線で活躍することがあるアレクサンダーが、ルアルの部下を押し退けて横に並ぶ。


「あまりの凄まじい戦いぶりに、魔物が逃げ出したとも聞く。そんなルアル殿と一緒なのだ、この戦い、恐れることはないぞ!」


 力強い彼の鼓舞に、部隊を取り巻いていた緊張とは違う重い空気が霧散した。


「おー!」

「本部隊が到着する前に片付いてしまうかもしれませんな!」

「帰ったら祝勝会だ!」

「ルアル様、よろしくお願い致しますね!」


 すごい男だ。ルアルはアレクサンダーをちらりと見る。彼もこちらを見ていて、緑の瞳と目が合ったかと思うと、軽くウィンクをされる。

 齢三十五で軍師長の座に就いただけあって、場の空気を操ることに長けている。他者と関わることが不得手なルアルには、こんな芸当はできない。

 二年前からセイアッドの護衛も務めているアレクサンダーとルアルは、もとから顔見知りではあった。が、こんな雄々しい騎士然とした彼は見たことがない。王城で会う時の彼は、いつも軍略書を片手に澄ました顔をしていた。軍議の時ですら、アレクサンダーは淡々と作戦の説明をしていた。

 まるで、騎士の顔と軍師の顔があるみたいだ。

(性格を使い分けてる? 本当に器用だ)

 感心しながら、ルアルは馬の速度を上げる。隣のアレクサンダーも続いた。そろそろ、目的地だ。


「全軍停止! これよりこの地での作戦行動に入る!」


【闇の地】の定期監視を行う騎士が、野営に使うこともある少しだけ拓けた場所。魔物の気配が濃いからか、野生動物ですらここらには近付こうとしない。迎撃に、これ以上に相応しい場所はないだろう。

 アレクサンダーの号令に従うため、ルアルと魔法部隊は馬から降りる。馬たちは戦闘に巻き込まれないよう、守護の魔法をかけて避難させた。

(さて、はじめるか)

 広範囲魔法の罠を仕掛けるのが、魔法部隊の最初の仕事だ。

 最適な場所を探すため、ルアルは歩き出そうとする。と、背後から呼び止められた。


「ルアル殿、あまりこの地より離れないでくださいよ。すぐにセイアッド殿下も来られますから」

「もちろん承知してます」

「貴女に何かあれば、私は殿下に顔向けできませんので、くれぐれも頼みます」


 好きだ、と言ったセイアッドの声がよみがえり、ルアルは慌ててアレクサンダーに背を向けた。

 変な顔をしたかもしれない。見られていなければいいけれど。

(セイアッド………)

 枝葉の隙間からひっそりと顔を覗かせている月を、ルアルは見上げる。

 彼は今、全部隊をまとめ終えている頃だろうか。王城の正面広場にずらりと並ぶ各部隊と、その先頭で、月の光を浴びたような金の髪を靡かせながら、威風堂々と立っているセイアッドの姿を想像すると、血が沸騰したように全身が熱くなり、奮い立つ。

 ほら、聖剣なんて必要ない。

 今ならひとりで魔物の群れを一掃できそうだ。そんなことを考えていたルアルは、不意に腕を掴まれて驚く。


「あ、ご、ごめんなさい、ルアル様……」


 慌てたように謝る、小柄な人物。どうやら何かに躓いてよろけたらしい。急いで態勢を戻したその人物は、魔法部隊の正装である白のローブ姿だが、目深にフードを被っていて顔が見えない。


「……いえ、大丈夫だけど。ええと、ごめん、君は……?」


 精鋭部隊の顔と名前は全員把握しているはずだった。ましてや、魔法部隊はルアルが管理している。なのに、フードの人物の声や雰囲気に心当たりがなかった。わかるのは、少女だろう、ということくらいだ。

 それに、魔法部隊はルアルの指示で三つに分かれている。右翼と左翼に分かれて罠を張る小隊がそれぞれ一つずつと、魔物の奇襲を警戒する小隊が一つ。ルアルは、ひとり(・・・)で左翼側を担当していたはずだ。

 怪訝そうなルアルに気付いたのか、彼女はふるふると震え、がばりと頭を下げた。


「申し訳ありません、ルアル様! 姉のシャグランが心配で……ついて来てしまいました! あたし、妹のプジーアと申します!」


 シャグランは先鋭部隊の中でも特に優秀で、ルアルの副官のような人物だ。そんな彼女の身内と知りほっと安堵しつつも、どうしたものかと頭を抱えたくなる。


「あのね、シャグランが心配なのはわかるけど、ここは遊びの場じゃないんだ。とても危険なんだよ」


 言外に早く去れと伝えても、プジーアは引かなかった。


「わかっています。でも、あたしも魔法を使えます! 姉は別の持ち場があって今回ルアル様の副官として働けないことを悩んでおりました。だからあたし、姉の代わりにルアル様の副官として何かできればと思って来たんです! お願いします!」

「────黙って」


 問答している時間はなかった。ルアルの感知魔法が、魔物を捉える。

 発光魔法でアレクサンダーに合図を送る。手早く魔法の罠を仕掛け、ルアルはプジーアの肩を掴んですぐ近くの木の陰に身を隠した。

 荒々しい獣の呼吸音が、近付いてくる。

(今だ────!)

 罠を発動させる。雷魔法に撃たれ、群れの先頭を走っていた魔物が次々と炭と化す。


「よし! 次に備えろ! 弓兵部隊、構え────放て!」


 アレクサンダーの怒声。放たれる雨のような矢の数々。魔法部隊の罠を逃れた魔物が射抜かれて倒れていく。その隙に、魔法部隊は防御魔法を展開しつつ、攻撃魔法で後方から押し寄せる魔物の数を減らし、騎兵部隊がそれらから逃れた魔物を槍で仕留める。


「うまくいってる……でも」


 シャグランに任せていた右翼の罠が、発動しなかった。

(ミスした? でも、彼女にかぎって)


「ルアル様、そちらに魔物が向かってます!」


 獲物を逃がした騎兵からの慌てた声にはっとする。

 迫る魔物を炎で灰にし、ルアルは改めて周囲を確認した。

 作戦はうまくいっている。それは間違いない。だが、想像以上に魔物の数が多く、そして怯む気配がない。

(このままだと疲労だけが蓄積して、犠牲者が出てしまう)

 判断し、ルアルはアレクサンダーに再び合図を送る。あらかじめ、こういう場合も想定していたのだ。


「全軍、次の攻撃で一度下がれ! 戦況を立て直す!」


 矢の雨が止む。じりじりと後退する部隊を確認し、ルアルは木の陰から出る。


「ルアル様……?」

「プジーアはそこにいて」


 次の魔物の群れがくる前に。

 部隊の先頭に立ち、ルアルは体内に流れる魔力を集中させる。

 まるで光る翼のように、ルアルの背後で巨大な魔法陣が左右に出現する。

 複雑な魔法式が芸術的に配置された円の中央部、月の魔法記号が白く光り輝き、十二の流星となって放射状に広がっていく。


「〝女神の流星(デア・メテオール)〟!」


 膨れ上がった魔力の塊が、二つの魔法陣から飛び出す。

 リュナ王国に伝わる魔法の中で、最も強大で広範囲の殲滅魔法。かつて女神が月から投げた流星(やり)の如き威力を誇る魔法が、魔物の群れに直撃する。

 瞬間、辺りは昼のように明るくなった。

(感知魔法展開。周辺に魔物の気配……なし。だいぶ後方の魔物まで消せたはずだから、さすがに怯んだのか。これならセイアッドが来るまで問題はなさそう)

 念の為、また罠でも仕掛けておこうかな。そう思い、アレクサンダーの指示を仰ごうと振り返ったルアルは、口をあんぐりと開けている部隊の面々を見て戸惑う。平然としているのは、彼女の魔法を見慣れている魔法部隊だけだ。


「……どうかしましたか?」

「い、いえ、噂以上だったもので……。いやはや、度肝を抜かれました」


 アレクサンダーがまだ動揺を隠せない様子で答える。隊長である彼の感想に共感した騎士たちが、いっせいに頷く。


「自分も、何度か戦場でお見かけしていたのですが……。いつ見ても慣れませんね」

「ルアル様がここまでの広範囲魔法を使うのははじめてなのでは?」

「いつもはもっと小技で攻めてる感じでしたよね」

「まあ、ここまでの魔物の大群もめずらしいですが」


 自分が話題の中心になるのは苦手だ。ルアルは視線を彷徨わせ、そっと人々から距離を取る。

 放っておいても、そのうちアレクサンダーが収拾をつけるだろう。

 そそくさと、ルアルは一か所にまとまって様子見している魔法部隊に戻った。


「お疲れ様です、ルアル様」

「大変でしたねー」

「うん、ありがとう……」


 魔法以外の疲労でぐったりしているルアルを見て、彼らは苦笑している。その顔をなんとなく見渡して─────ルアルは疑問を抱く。

 いつも真っ先に声をかけてくれるシャグランが、いない。


「………シャグランはどうしたの?」

「え?」


 最年少の双子の兄弟であるサクとヨイに問うと、ふたりは似た仕草で同時に首を傾げた。


「先ほどまでルアル様と一緒にいませんでした?」

「オレら、右翼のほうにシャグランさんが来なかったんで、てっきり作戦変更があったんだと思ってたんですけど」

「あっ、ほら、あっちに」


 無邪気に、サクが指を差す。

 嫌な予感がした。不安が動悸に変わり、ルアルの呼吸がわずかに乱れる。

 恐る恐る、サクが指差す方向に視線を向けた。


「シャグランさんでしょ、あれ」


 罠を発動させた時に、身を隠していた大きな木。その下で、俯いているローブ姿の少女。

(あの子は、シャグランじゃない)

 どういうことだ。

 背中に冷たい汗が流れる。

 シャグランは高身長で、ルアルよりも頭一つ分ほど背が高かった。さらに、いつも髪を高い位置で一本に結っていて、それが彼女のトレードマークだった。ルアルよりも背の低いプジーアを、一本結びではない少女を、シャグランと見間違えることなんてあるだろうか。それに、プジーアの発言。何か、おかしかったような気がする。

(姉が心配でここまで来たのに、どうしてわたしの副官をやるなんて………)

 その時、突然プジーアが駆け出した。【闇の地】の方向へ向かう彼女を、ルアルはとっさに追いかける。


「ルアル様!?」

「ルアル殿、どうされたのですか!?」

「彼女を追う! 魔物の群れを完全に消せたかわからないのに、奥へ向かったら危険だ! わたしが彼女を連れ戻すから、みんなはそのまま作戦を続行していて!」


 返事なんて待っている余裕はない。浮遊魔法を使って進むプジーアに追いつくために、ルアルも空中へ飛び上がる。

(う、バランスが取りにくい……箒も持ってくればよかった)

 いつも火力に頼ってばかりいたので、細かいことに注意が必要な浮遊魔法は得意ではない。ぐらぐらと揺れながら飛んでいると、突然、枝が伸びて襲いかかってきた。


「く………っ」


 四方八方から伸びてくる、まるで魔物の腕のような枝を掻い潜る。刃物のような先端は、防御の魔法がかけられているローブの裾をいとも容易く切り裂いた。

(そうか、もうここは【闇の地】なんだ)

 何が起こるかわからない、魔界と繋がっている未知の土地。普通の木に見えるけれど、周囲の木々ですら魔物なのだろう。

 はやく、プジーアを連れ戻さなければ。


『ギョア! ギョア! ギョア!』


 響き渡る魔鳥の鳴き声。上空からルアルを狙っている。不安定な空中での戦闘は不利だ。

 いったん降りるか、と考えていると、獣の唸り声が聞こえた。一匹二匹ではない、かなりの数の赤い目が、獲物が降りてくるのを待ち伏せている。

(振り切るしかない)

 速度を上げる。プジーアの姿はもう視界から消えていたが、捕捉魔法で方向はわかっている。

 追うことはできる。けれど、だんだんと冷静になってきたルアルは迷う。

【闇の地】の奥地は騎士団すら踏み込んだことのない前人未到の地だ。彼らは【闇の地】を監視するために中に入ることもあるが、ごく浅いところで必ず引き返すのが規則となっている。ルアルが飛んでいる場所は、すでに奥地に該当する。完全に、規則違反だ。

(ここまで来たら規則違反など気にしていられない。けど、さすがにわたしの勝手でみんなに迷惑をかけるわけにもいかない)

 あの木の隙間を抜けてもプジーアに追いつけなければ、一度引き返そう。セイアッドに事情を説明すれば、きっと捜索隊を派遣してくれるはずだ。それに同行しよう、とルアルは考えながら、魔鳥の鉤爪を避け、木の隙間を抜けようとして────死角から襲いかかってきた鞭のように(しな)った枝に弾かれ、地面に叩きつけられた。


「ぐ…………ッ」


 勢いを殺せず転がる。乾いた剥き出しの大地に全身を擦り、擦り傷が無数にできる。

 魔法で壁を創り、なんとか転がる身体を止めることができたが、地面に叩きつけられた瞬間に防御魔法で身体を守れなかったのがいけなかった。

(肋と、内臓………やられたかも………)

 かはっ、と咳と一緒に血が少量飛び散る。


『グルルルル』

『ギョア! ギョア!』


 木々のない禿げた地の上空で、月明かりに照らされたキアロの真上を巨大な影が旋回している。木々の隙間からは獣型の魔物が、巣穴から出てくる蟻のようにぞろぞろと現れる。

 万事休す、と思うところかもしれない。けれどルアルは、まったく違うことを考えていた。

(ローブがなんの役にも立たなかったな。かなり改良の余地がある。あの衝撃に肉体を守れるように防御魔法の魔法式を一から組み直しておかないと)

 飛びかかってきた魔物を一匹、小さな魔法陣で吹き飛ばす。それを皮切りに次から次へと飛びかかってくる魔物と魔鳥を、無数に出現させた小さな魔法陣でことごとく消し炭にする。

 地上戦で負ける気はしなかった。まだまだ魔力には余裕がある。母の魔力を吸い取って産まれた魔蛭と呼ばれたくらいだ。通常の魔法師より、魔力量は多い。

 満身創痍だろうと、百は優に超える魔物だろうと、魔力が尽きない限り戦える。

 先に音を上げたのは、魔鳥だった。ルアルに勝てないとみて、生き残った数匹が飛び去っていく。魔鳥は賢い。筋肉に全振りした獣型は獲物を諦めるという思考がないのだろう。どんどん数が減っているのに逃げる気配はない。


『ガアッ!』


 とうとう、最後の一匹が黒い灰となって消滅した。すぐさま、周辺に魔物が潜んでいないか探る。

(……いない。でもここは【闇の地】だ。魔物はいくらでもいる)

 早々に立ち去ろうと、痛む身体を無理矢理に立たせる。そこではじめて、ルアルは背後に視線を向けた。そして、そこに地面がないことを知る。

 大地に大きく亀裂が入っているのだ。反対側の地面まではかなり距離がある。風の音が反響して、獣の咆哮のように響いていた。

 引き寄せられるように、ルアルは亀裂を覗き込む。月明かりが底まで届いていない。どれだけ深いか検討もつかない。闇が深すぎて目眩がしそうだ。


「ここ……、まさか、聖剣伝説の────」


 言葉は、最後まで続かなかった。


「え……………?」


 胸が熱い。ちかちかと明滅する視界で、胸から突き出た真っ赤な刀身をとらえる。

(刺された……? 気配なんて……)

 なかったのに。

 どんっ、と背を押され、身体が傾く。胸を貫いていた刃物がずるりと抜け、堰き止められていた血が噴水のように飛び出た。

 ───────亀裂へ、真っ逆さまに落ちる。

 浮遊魔法を使わなければ。それと止血を。

 鈍くなる思考回路が、それでも生き残るための方法を探す。

 だが、知識として持っていたはずの魔法式は意識の混濁で上手く組めず、魔法陣は浮かんでは消えた。

(敗北はないと思ったのに。油断した。わたしを刺したのは本当に刃物? それとも魔物の爪? プジーアはどこに行ったの? シャグランは? わたし、このまま、何もわからないまま………)


 死ぬの?

 死を間近に感じた刹那、すべての音が消えた。


『ルア、俺は……おまえのことが好きだ』


 無の世界で聞こえたのは、落ち着く声。聞き慣れた、セイアッドの声だった。

(ああ、こんな時に思い出すなんて)

 どうしてだろう。目頭が熱くなる。

 出会って六年。ルアルが王城に来てからの思い出のすべてに、彼がいた。

 黒髪に紫の瞳のルアルと金の髪と灰銀の瞳のセイアッドを、月と影に喩える者もいたが、ルアル自身、月をより明るくするための影になりたいと、そう願っていた。

 いつかセイアッドが王になる時、側で見守っていたかった。

(もう、会えない………)

 月明かりも届かない地の底で、朽ち果てるのか。

 魔蛭にはお似合いの最期ということか。笑い飛ばしたかったけれど、まったく笑えない。


「………たくない…………死にたくない…………死にたくないよ、セイアッド………!」


 絞り出した情けない叫びと同時に、涙が飛び散る。

 ああ、そうか。

(わたしはもしかしたら、君のことが好きだったのかな……)

 いや、本当はわかっていた。怖かっただけだ。

 セイアッドの生気を吸い取って、闇に引きずり込んでしまうのではないか。誰よりも大切だからこそ、そんな不安が常にルアルに付き纏っていた。

 好きだと言われて嬉しかったのに。素直になれず、誤魔化してしまった。

(もし、生きて帰れたなら………)

 わたしも好きだと伝えたい。

 もう、手遅れかもしれないけど。

 せめて、王になったセイアッドを一目見たい。聖剣が抜けないことを気に病んでいた少年が、苦難を乗り越えて立派な王となった姿を、どうか。

(誰でもいい……この魂も魔力もすべてあげるから────)

 助けて。セイアッドの側に帰らせて。

 強く願う。

 不意に、地の底から強風が巻き上がった。

 絶望が呼吸をしたようなそれに、ルアルは目を見開く。

 なんて禍々しい、気配。

 

『いいだろう。その望み、儂が叶えてやる』


 闇色の電流を纏って姿を現したのは─────屈強な肉体を持った男だった。背には黒光りする鱗がついた翼、頭部には鋭い角が二本。

 古い本で読んだことがある。女神が封じた魔物は、長い年月を経て邪竜になった、と。


「邪竜………」

『いかにも。我が名は邪竜エードラム。若い魔法師よ、貴様の強大な魔力と魂を引き換えに、願いを叶えてやってもよいぞ』


 鋭く伸びた黒い爪を伸ばされ、ルアルはとっさに単純な攻撃魔法を放っていた。初歩的なその魔法は、指先を動かすのと同じくらい単純で、瀕死であろうと意識さえあれば使うことができた。

 だが、単純な魔法は威力も弱い。邪竜は軽くルアルの攻撃を避けた。


『はっ、その程度の魔法など儂には────』


 破壊音。蛇に似た鋭い目を丸くし、邪竜は背後を振り返る。

 ルアルの魔法が、岩壁を抉っていた。


「次は、当てる………」


 普通の魔法師が放てば弱い初歩の攻撃魔法も、魔力が膨大なルアルが撃てばそれなりの威力になる。

 邪竜は女神リュナを喰らうだとか、魔物を呼び寄せるだとか、とにかくリュナ王国にとっては災厄の象徴だ。邪竜に喰われた人間の数は、一国の人口に及ぶとも聞く。

 たとえ願いが叶うとしても、邪竜に頼るなどリュナ王国への、いや、セイアッドへの裏切り行為だ。

 彼を裏切るくらいなら、ここで邪竜を道連れに死んだほうがましだった。

 視界がぼやける。血が流れすぎた。

 それでもルアルは、指先を魔法の杖代わりにして、照準を邪竜に合わせる。

 睨みつけると、邪竜はびくりと震えた。そしてふるふる小刻みに震えて───────


『う………うわぁぁぁぁぁぁぁん!』


 泣き出した。


「…………えっ」


 驚くルアルの前で、邪竜からぽんっと軽快な音がし、白煙が上がる。そして煙が消えると、邪竜は幼い少年に姿を変えていた。

(いや、こっちが本物…………?)

 ひっくひっくと、少年はしゃくり上げながら涙を両手で懸命に拭っている。


「あ、あの………?」

『ううう………なんでみんな儂を嫌うんじゃ………。儂がなにをしたと言うのじゃ………ひぐっ』

「………だって、あなた、人間を喰らって力を得たんでしょう?」

『生贄だと言って勝手に放り込まれたんじゃ! 儂も魔力が減って腹も空いておったから魔力だけはもらったが……。じゃが、儂のところに来た時点で、もうみんな死んでおったのじゃ!』


 どういうことだろう。少年からはたしかに禍々しい魔力の気配が漂っている。しかし、言葉に偽りはないように感じる。

(じゃあ、誰かがこの子を邪竜にするために闇の儀式を行ったということ?)

 そもそもこの少年は何者なのだろう。

 エードラムと名乗った、この少年は………。

 ああ、もう、意識を保っていられない。


『儂は……母さまにあいたいだけなのに………』


 このままでは魔力が枯渇して死んでしまう。エードラムの悲痛な声を聞き、ルアルはふと、母親の話を聞かせてくれたセイアッドのことを思い出す。

 聖剣を抜けなかったせいで心ない噂が広まり、心を壊してしまったセイアッドの母。

 エードラムの寂しそうな瞳が、十二歳のセイアッドと重なる。


「わたしの魔力をあげる」


 だからそんなに悲しそうな目をしないで。

 気が付けば、ルアルはエードラムを抱きしめていた。

 母をひたすらに想う少年を、慰めるために。

 これは、裏切りだろうか。

 けれどエードラムは、きっと悪いことなんてしない。

 彼は、邪竜にされただけなのだ。

 いろいろ考えたいことがあるのに、ルアルはついに意識を手放す。

 意識が途切れる直前、あったかい、と呟いたエードラムの声が聞こえた気がした。

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