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回りだす歯車



『ルア、俺は……おまえのことが好きだ』


 ああ、こんな時に思い出すなんて。

(わたしはもしかしたら、君のことが好きだったのかな……)


 深い深い地の底へと落ちていく最中、今更になって理解した自分の気持ちに涙が滲んで、ルアル・ディルーナは目を閉じた。




  ─────遡ること十二時間前。




「魔物の群れが近付いてる?」


 午後の休憩時間、自室にこもって紅茶を飲んでいたルアルは、突然押しかけてきたこの国───リュナ王国の王子、セイアッド・タハト・ヴィアラクテアの言葉に紫の瞳を丸くした。驚く彼女とは対照的に、整いすぎて冷酷そうに見える顔立ちのセイアッドは至って冷静で、取り乱す様子はない。

 彼は、鍛え上げた肉体をもつ十八の青年にしては幼い仕草でこくりと頷いた。


「ああ。先程、先遣隊から聞いたばかりの情報だ」

「それは大変だ。国王陛下にご報告はしてあるの?」

「使いは出した。ただ、父上は今朝方、ふた月前に魔物の被害にあった近隣諸国の復興状況を確認すると言い出して、城を飛び出しているんだ」


 ルアルの脳裏に、豪快に笑う国王の顔が浮かんだ。

 フェンガリ・ナジュム・ヴィアラクテア王は齢五十過ぎの豪傑だ。まだまだ現役で、騎士団を押し退けて単身で魔物討伐に赴くこともある。

 今回も、止める大臣たちの声を掻き消す笑い声を上げながら、自慢の愛馬に跨って駆けて行ったのだろう。


「なんとも……間が悪いね」

「まったくだ。自ら動かなければ納得しない父上の性格は好ましく思っていたが、今回ばかりはな」


 溜息をついたセイアッドは、気持ちを切り替えるように小さく首を振った。月の光によく似た金の髪が、彼の動きに合わせて揺れる。


「今、アレックスに作戦を立ててもらっている。魔法部隊も動かすつもりだから、王家の顧問魔法師殿にも軍議に参加してもらいたくて迎えに来たんだ」

「それを早く言って」


 軍師長のアレクサンダー・シルトが作戦を立てているということは、本格的な軍議になりそうだ。

 急いで立ち上がり、ルアルは脇に寄せていた紙と羽根ペンを引っ掴む。要るか要らないか一瞬だけ迷い、念の為にと魔法書も数冊抱え、扉の前で待っているセイアッドのもとへと駆け寄った。


「そうしていると、顧問魔法師というよりは家庭教師だな」


 笑いを含んだ言い方に、ルアルは肩を竦める。


「もともとは君の家庭教師だったからね」

「そういえばそうだったな、()()


 懐かしい呼び方に、面映ゆい気持ちになる。

 自室から出て、左右に大きな窓が並ぶ広い廊下を歩いていると、セイアッドの勉強部屋へ通った懐かしい日々を思い出した。

 ルアルが彼の魔法学の家庭教師として王城に招かれたのは、十五の時だった。

 リュナ王国の王家は、神官の儀式のもと、月の女神リュナから魔力を授かり、聖剣を抜いて魔物から国を護る役目を担っている。その過程に本来なら魔法師は必要ない。だが、なぜかセイアッドは聖剣を抜くことができなかったため、これまでと同じ展開にはならなかったのだ。

 魔力を持つ者は、本能的に魔力を扱えるのがこの世界の常識だ。だが、極稀に扱い方を知らずに魔力を眠らせたまま一生を終える者がいる。逆に、魔力がないと思われていたのに扱い方を教えた途端に強大な魔力を発動させた者もいる。セイアッドもそれと同じで、魔力の扱い方がわからないのではないか。そう考えた国王が魔法を生業とする一族の門を片っ端から叩いて歩き、そうして家庭教師として選ばれたのがルアルだった。


「おまえには悪いことをした。膨大な魔力を持つ優秀な魔法師なのに、はじめての生徒が落第生の俺なんだからな」


 家庭教師として、ルアルがセイアッドに魔法について教えた期間は四年間。だが、その結果は芳しくなかった。

 セイアッドは魔力を扱えないのではなく、女神から魔力を授けてもらえず、聖剣〝スターリーヘブン〟を鞘から引き抜けなかったのだ。どれだけ扱い方を教えても、ないものは引き出せない。ルアルは四年間も、空っぽの宝石箱からダイヤモンドを取り出す方法をセイアッドに説いていたのだ。

 目を伏せ、自嘲気味な笑みを浮かべるセイアッドの横顔を見上げ、ルアルはむっとして眉を寄せた。


「わたしの可愛い生徒を悪く言わないでほしいな。魔力はなくても、セイアッドは剣術を磨きまくって王国一の剣の使い手になったんだ。わたしの誇りだよ」

「………………………」

「そもそもね、聖剣がなんだというの。そんなのなくても、セイアッドには剣術大会で優勝したときに頂いた聖騎士の証の剣があるし、それにわたしの魔法もある。魔物なんてわたし達でいくらでも蹴散らせるよ」


 そうだ。女神から魔力を与えられなかったセイアッドと役立たずな家庭教師だったルアルは、実力で陰口を叩く者を黙らせてきた。王国騎士団が魔物の討伐に行くと聞けば強引に参加し、その実力を見せつけた。そうして現在、セイアッドの次期王としての地位は盤石なものとなり、ルアルは解雇されるどころか顧問魔法師として雇われている。

 セイアッドと一緒なら、絶対にうまくいく。

 根拠のない自信が、ルアルの中で生まれたての風のように舞い上がる。

 どうしてか、彼といると実力以上に力を出せるのだ。

 こちらに向かっているという魔物の群れなんて、いくらでも吹き飛ばしてみせる。

 意気込むルアルは、不意に手首を掴まれて立ち止まった。


「……ルア」


 セイアッドしか呼ぶことのない愛称。最近は彼すら呼ばなくなったから、ずいぶん久しぶりに聞いた。

 振り向き、ルアルは首を傾げる。


「どうしたの?」


 急いで軍議に参加しなければいけないのに、どうしてここで足を止めるのか。レースのカーテン越しに陽の光を浴びるルアルと、窓の脇に束ねられた分厚いカーテンの影に覆われたセイアッドは向かい合う。

 窓の外で小鳥が羽ばたく。忙しなく動く小さな影が消えた頃、逡巡していた彼が口を開いた。


「ルア、俺は……おまえのことが好きだ」


 めずらしく、覇気のない弱々しい声だった。迷子の子どもが、偶然出会った旅人に道を訊ねるような、そんな不安そうな声。けれどどこか、強い決意を滲ませたような響きが混じっている気がした。

 言葉の意味が、ルアルにはよくわからなかった。


『母親の魔力を吸い取って産まれてきたんですってよ』

『まあ、怖い。まるで魔蛭みたいだわ』

『シュテルンビルト様もおかわいそうに……。奥様のこと、それはそれは愛していらしたのに』


 なぜだか、過去の記憶がよみがえった。

 歴史ある魔法一族であるディルーナ家の屋敷は、深い闇に包まれていた。ルアルが生まれてから、ずっと。


『お父さま』


 父に会いたくて、入ってはいけないと言われていた書斎の扉を開けたことがある。

 どうしても会いたかった。母の魔力を吸い取って産まれたとは、どういうことなのか。魔蛭とはなにか。母がいないのは自分のせいなのか、確認したかった。

 雷雨の日だったと覚えているのは、灯りもつけずに部屋の隅で立ち尽くしていた父が雷光によって照らされて─────その瞬間、見えたのだ。

 写真立ての中の、微笑む母を眺める父の頬に、一筋の雫が伝っているのを。

(わたしが、生まれてこなければ………)

 父の涙を見たのは、あれがはじめてだった。そもそも、父は多忙なひとで、滅多に屋敷に帰ってこなかった。帰宅しても書斎に籠もりっきりで、顔を合わせることなんてなかった。

 ずっと、父はルアルを避けていた。使用人たちの噂話は、真実だったのだ。

 母の魔力(いのち)を吸い取って産まれた魔蛭。それが自分なのだと知った日から、誰にも必要とされるはずがないと思いながら生きてきた。実際、ディルーナの屋敷にいた頃は、ルアルは不要な異物だった。

 十五になり、セイアッドの家庭教師に抜擢された時は夢を見ているのではないかと思うくらい驚き、同時に、はじめて必要とされる喜びを知った。

 ルアルは必死だった。選んでくれた国王の期待に応えるために。先生、と呼んでくれるセイアッドの役に立つために。

 彼は王子なのに女神から魔力を授けてもらえず、王城で腫れ物のように扱われていた。王妃の不義の子なのでは、と囁く者さえいて、繊細だった王妃は心を病み、田舎の別邸で療養しているという。

 セイアッドがどれだけ、自分自身を責めたか。

 それなのに彼は、家庭教師だと紹介されたルアルに笑いかけ、よろしく頼むと言った。その灰銀の瞳に諦念を滲ませながらも、ルアルを信じようとしてくれた。

(だからわたしは、セイアッドをみんなに認められる存在にしたくて、彼にはわたしのようになってほしくなくて、だから─────)

 魔蛭は【闇の地】の沼に棲息する魔物。手の届かない光り輝く月を睨みながら、足を滑らせ沼に落ちた旅人の生き血を吸い尽くす。

 干乾びたセイアッドの亡骸を沼底へ引きずり込むことは、絶対にしたくない。

 恐ろしい想像を振り払い、ルアルは笑みを作る。


「ありがとう、先生冥利に尽きるね」

「……違う、そういう意味では」

「さあ、早く行こう。こんなところで先生と生徒の絆を深めている場合ではないよ」

「……………………」


 黙り込んだセイアッドの手の力が緩んだ隙に抜け出し、ルアルはひとりで廊下を歩く。

 これでいい。セイアッドは可愛い生徒。大切な、最初で最後の生徒だ。

 いつか、彼は立派な王となり、輝く月のように見上げる存在になる。

(その日まで、魔蛭(わたし)からもセイアッドを守らなければ)

 こちらを気味悪がる使用人たちの目が、声が、足元に纏わりつく。本当に沼の中にいるようだと思いながら、ルアルは歩き続けた。


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