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05 辞表



 多忙を言い訳にして独身だった皇太子がついに婚約者を選んだ。


 国民は大騒ぎ。祝福の声が上がった。


 だが、皇帝宮内には別の雰囲気が漂っていた。


 皇太子が婚約者として選んだのは貧乏な伯爵家の令嬢。


 皇太子付き侍女からの玉の輿に思えるが、寵愛されている様子がない。


 皇太子は相変わらず仕事で多忙な日々を送っている。


 一方、アマリアもまた婚約者に選ばれたというだけで、皇太子付き侍女としての生活を送っている。


 皇太子から美しいサファイアのイヤリングを贈られ、侍女用の相部屋から豪華な客間へ引っ越したことは婚約者らしい。


 しかし、なぜ皇太子妃の部屋ではないのか。


 客間の掃除をアマリア自身がするのか。


 結婚式に向けて花嫁修業をしなくていいのか。そもそも侍女を退職しなくていいのかなどと疑問は尽きない。


 そして、その全てを解決する答えが、皇太子妃候補をゼロにするための婚約者、つまりはお飾りというものだった。





「確かに簡単ね」


 アマリアは新しい仕事に不満を感じていなかった。


 基本的な仕事は前のままで変わっていない。


 だが、婚約者になったことで宝飾品を買ってお洒落をすることは免除され、豪華な客間へ引っ越すことになった。


 部屋の快適度は相当良くなった。


 自分で部屋の掃除をしないといけないのはあるが、勤務時間に行えばいい。それはつまるところ、自室を掃除するだけで給与が貰える。


 貧乏だったせいで私物も少なく、散らかしようがない部屋の見た目は美しく気持ちが良い。侍女でありながら、皇太子の婚約者らしい贅沢な気分を味わうことができた。


「待遇もいいし、結構気に入ったかも?」


 アマリアは喜んでいた。


 しばらくの間は。


 だが、賢いからこそ気づいてしまった。


「私、本物の婚約者ではないわよね?」


 皇太子妃候補をゼロにするため、婚約者を務めているだけにすぎない。


 仕事については今まで通りのようなものだが、プライベートについては違う。


 皇太子の婚約者である以上、素敵な男性と知り合い、恋人になったり婚約したり結婚したり子供を産んだり温かい家庭を築いたりすることはできない。


「喜んでいる場合ではないわ! 大幸運どころか大不運よ!」


 アマリアは辞表を書いた。


 皇太子の婚約者も侍女も辞めることにした。


 昼食の時間を利用してアマリアは側近の部屋に向かい、ノアに辞表を渡した。


「皇太子殿下に渡していただけますでしょうか?」

 

 封筒の表にあるのは辞表の文字。


 ノアは封筒の裏を見たが、何も書かれていなかった。


「誰からですか?」

「私からです」


 ノアはアマリアを見つめた。


「侍女を辞めたいのですか?」

「婚約者も辞めます」

「なぜです?」

「このままでは誰とも結婚できません。皇太子妃候補をゼロにしたいだけで結婚する気が全然ない皇太子殿下のために、私の人生を無駄に浪費されては困ります。皇太子殿下は無駄を嫌う方ですので、ご理解いただけると思います」


 ノアは口角を上げた。


「やはり賢いですね。午後の勤務は免除します。自室で待機していなさい」

「わかりました」


 アマリアは自室に戻った。


「取りあえず、ソファで休憩……」


 アマリアはソファのクッションにもたれかかった。


「はあ……。お部屋の居心地も生活もいいのに、人生ってままならないわ」


 突然、荒々しくドアを開ける音が響き渡った。


 アマリアの目に映るのは、血相を変えたカインの姿だった。


「何が気に入らない?」

「全部です」


 アマリアは答えた。


「この状況を抜け出すには婚約者も侍女も辞めるしかありません。実家に戻って別の仕事を探します。良縁を探したいのです」


 カインの表情に怒りが宿った。


「許さない! 仕事はある。楽だ。待遇もいい。皇太子の目に留まった。婚約者だ! 良縁に決まっている!」

「でも、皇太子殿下は皇太子妃候補をゼロにしたかっただけですよね? 本当に私と結婚する気はないですよね?」

「それはこれから検討する。知り合って間もないというのに、いきなり結婚するわけにはいかない」

「検討期間はどの程度でしょうか?」

「わからない」

「特に決めてはいないということでしょうか?」

「そうだ。まだ婚約者にしたばかりだからな。これからのことはこれから考えるに決まっている」

「それでは皇太子妃候補と同じです。候補にしただけで、それ以上になることもなくずっと待たされ続けるだけ。あの方々は解放されましたが、今度は私がそうなるわけですよね?」


 カインは違うと言うことができなかった。


「皇太子妃候補をゼロにするために婚約者を一人増やすのは、人数的に得です。宝飾品を与えても、侍女の待遇であれば経費的にも得なのでしょう。皇太子殿下にとっては経費節減、良案かもしれません。でも、私にとっては良案ではありません」


 アマリアはカインを見つめた。


「皇太子殿下に見初められたい女性も婚約者になりたい女性も多くいます。現在の私のような状況や待遇でいいという方もいるでしょう。その方にしてください。簡単な仕事ですので、私でなくても務まります」

「無理だ」


 カインは答えた。


「アマリアがいい」

「でも、私は困るのです」

「私も困る。皇太子の婚約者になれる者は、私が婚約者にしてもいいと思った者だけだ。アマリアであれば婚約者にしてもいいと思った。他の者に対してはそのように思わない」

「では、探します」


 アマリアが答えた。


「婚約者にしても良いと思っていただけそうな女性を見つけます。皇太子殿下の許可をいただけましたら、交代ということでいかがですか?」

「自分の代わりになる者を探すのか?」

「そうです」

「私に別の女性を紹介して、それでいいと言われたら、交代するというわけか」

「そうです」

「それほどまでに婚約者を辞めたいのか?」

「そうです」

「侍女の方はどうだ? どうしても辞めたいのか?」

「侍女については、給与がしっかり出るなら辞めないことも検討します」

「私も検討する。少し待て」


 カインは肩を落として部屋を出て行った。





 後日。


 婚約者の内定は取り消され、アマリアは皇太子付きの侍女に戻った。


 そうなったのはアマリアの気持ちを無視して一方的に皇太子(カイン)がアマリアを婚約者に選んだためだった。


 皇太子はアマリアの同意の上で正式な婚約者にしたいが、アマリアは自分では釣り合わないことを理由に婚約者になるのを辞退した。


 皇太子は諦められない。アマリアを婚約者にしたい。他の婚約者も皇太子妃候補もいらない。


 アマリアが了承すれば、すぐにでも正式に婚約する気だった。


 つまり、アマリアは皇太子妃候補をゼロにするための婚約者から、皇太子付き侍女で皇太子の想い人になった。


 アマリアの状況は改善されたようで、そうではなかった。


 給与はしっかり出る。高給だ。


 しかし、皇太子の想い人に言い寄る者がいるわけもない。


 アマリアから告白されれば皇太子の嫉妬を買うだけでなく、出世は絶望的。職を失う可能性もある。


 宮殿勤めをしている男性たちは可能な限りアマリアを避けるようになった。


 そのような状態では独身であっても恋愛は無理。結婚も無理――というか、結婚したいなら皇太子がいる。最高の相手だ。婚約して婚約者になればいい。


 皇太子と婚姻できる。たぶん。恐らく。もしかしたら。その気になれば。


 そんな雰囲気が皇帝宮に漂っていた。


「ダメだわ……」


 アマリアは真剣に悩んでいた。


「どうして私を婚約者にしたいのかしら? 賢い女性は沢山いるのに!」

「それは皇太子殿下がアマリアを気に入っているからでしょう?」


 同僚である皇太子付きの侍女たちは呆れていた。


 なぜ、わからないのかと。


「偶然、目に留まっただけです」

「同じよね?」

「同じね」

「違うと思います。都合が良かったからです!」

「それは気に入ったのと同じよね?」

「同じね」


 アマリアはため息をついた。


「何か考えないと!」


 昼食時間が終わった。


 アマリアは仕事へ向かった。


 午後に行う最初の仕事は皇太子の執務室へ行くことだった。


 そして、


「私の婚約者になる気になったか?」

「謹んで遠慮申し上げます」

「残念だ。仕事に戻っていい」

「はい」


 毎日婚約者になる気はないかとカインに聞かれ、その気はないとアマリアは答えていた。


「なぜ、ダメなんだ?」


 カインはそう思う。


 結婚するために持参金を貯めていたということは、良い相手と結婚したい証拠。皇太子に見初められ、婚約者になって喜ばないとは思ってもみなかったというのがカインの本音。


「なぜ、私なの?」


 アマリアはそう思う。


 皇太子の相手として自分は到底釣り合わない。もっと釣り合いそうな女性で、皇太子が結婚する気になるまで一生待つというような女性を婚約者にすればいいというのがアマリアの本音。


 周囲も膠着状態になっている二人に呆れたり困ったりしていた。


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