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旦那の元嫁と同居することになりまして

 

「ま、待って? 家で客人を預かってくれって、どういうこと!?」


 帰宅した夫を玄関で出迎えたあと、お買い得だったホーンラビット肉のシチューを食卓に置いたところで、彼の口からとんでもない言葉が飛び出した。



「すまない。サシャを見捨てることができなくて」


 脱いだ皮鎧を棚に置きながら、夫のクロードは「仕方がなかったんだ」と短く揃えた茶髪をガリガリと掻いた。


 騎士団で鍛え上げられた筋肉からは、勤労の証である汗の匂いが漂ってくる。三十も(なか)ばを超えて、この肉体美はさすがと言える。同い年で腹のたるみが気になってきた私とは大違い。


 普段なら仕事の疲れを(ねぎら)いながら、彼の体を堪能するところなんだけど。あいにくと今日は、そんな気分になれなかった。



「だからって、私に相談も無しだなんて……」


 それに一番の問題は、彼のいう客人の正体である。

 もし聞き間違えでなければ、サシャさんは私の旦那であるクロードの前妻だったはず。


 とは言っても、彼女がどんな人物なのかあまり知らない。私が彼と出逢った頃には、離婚して数年が経っていたし、顔を見たこともない。

 今の生活が平穏で幸せだったから、追求しようと思ったこともないしね。


 正直に言って、私にとってサシャさんは赤の他人だ。


 ――でもだからといって、そう簡単に泊めても良いとはならないでしょう!?



「駄目か?」

「その言い方は、ズルくないかしら」

「……すまん」


 はぁ、と思わず重たい溜め息が出てしまう。

 そのお人好しなところに惚れたのは事実だけど、付き合わされる方の苦労も理解してほしいわね。


 真面目で仕事もできる男なのに、女心はサッパリ分かっちゃいないんだから。


(とはいえ、キッパリと駄目と言えない私も私か……)



「それで? 泊めるのは一晩だけでいいの?」

「……いや、期間は分からない」

「はい?」


 えーっと、それはつまり、どういうことかしら?

 数日泊まらせる……って言い方でも無いような。

 嫌な汗が私の背筋をダラダラと流れ始める。


 だけどこれは、まだ序の口(ジャブ)だった。



「言い忘れていたが、俺は明日から遠征に出て家を空けることになった」


「はいいいぃいいい!?」


 渾身のストレートをモロに浴びた私は、我を忘れて大絶叫を上げるのであった。




 ◇


「それじゃあ、家のことは頼んだ」


 クロードは私()()にそう告げると、飛翔魔法を自分に掛けて空を飛んでいった。


 嫌味なほど澄み切った青空へと消えていく旦那の姿。今だけ急な雨雲がやってきて、あの人に雷を落としてやってくれないかしら。



 グッと拳を握りながら、隣の女性を見やる。

 (つや)やかなブロンドのショートヘアを風に揺らし、手の甲を額に当てて空を見上げている。上等な布を使った緑のワンピースは汚れひとつない。


 まるで太陽の光を真っすぐに浴びる、大輪の花のような人だ。



(それに比べて……)


 長さしか取り柄のない、ありふれた茶髪を後ろで縛っただけの芋臭い私。

 服だって中古のウール生地だし、(がら)なんてない無地のものだ。でもそれだってヘソクリを貯めてようやく買えた代物だったりする。


 くそぅ、芋だって綺麗な花を咲かせるんだけどな。



「えっと、それでサシャさんは……」

「サシャで良いわよ。アタシは居候(いそうろう)する身なんだし、そんなに気を使わないでくれる?」

「は、はぁ……」


 うわぁ、気の強そうな人だ。ハキハキとした物言いもそうだけど、勝気な切れ長の目を向けられただけで、気弱な人間は思わず従ってしまいそう。ぶっちゃけ、私の一番苦手なタイプ。



 外に立ちっぱなしもなんなので、ひとまず我が家へ上がってもらう。


 我が家と言っても、小さな石造りの賃貸アパートだ。二人だけでも手狭だけど、少し我慢してもらうしかない。

 サシャさん……サシャは大きな革鞄を両手に抱えて、私のあとをついてきた。細腕なのに力持ちだ。



「急にお邪魔してすまないね! ……え~っと」

「あ、エミリーです」

「エミリーね、よろしく頼むよ」


 取り敢えず、キッチンにあるテーブルと椅子で休んでもらうことに。


 自分は対面の席に座り、簡単な自己紹介を済ませた。



「いやぁ、クロードの奴……おっと、奥さんにその言い方は失礼か。ともかく、アイツのおかげで助かったよ! 宿から追い出されて困っていたんだ」


 差し入れた自家製ハーブティーをゴクゴクと飲み干したあと、サシャさんは豪快に笑いながらそう語る。


 うーん。どこから突っ込めば良いのだろう。そんなことを思いつつ、私は空いたカップにお代わりを注いであげた。



「お、悪いね。喉がカラッカラに渇いていたんだ。……うん、美味い!」

「えっと、サシャさ……サシャが宿から追い出されたというのは……」

「商談で調子に乗って、品物の仕入れに有り金を全部はたいちゃってさ。宿代も払えないほどの一文無しだったんだよ。いやー、参った参った」


 床に置いた大荷物を横目で見下ろしながら、サシャは「たはは……」と頬を掻いた。


 そのあとも話を聞いたところ、彼女は個人で商人をしているらしい。大きな取引きに釣られて、財布の中身を全てつぎ込んでしまった。昨夜もクロードに一晩の宿泊賃を借りて、どうにかやり過ごしたのだとか。


 なんというか、とても豪快な人だ。そんな一か八かの賭けで騙されでもしたら、あっという間に人生が詰んでしまいそう。



「心配しなくとも、人の善悪を見極めることには自信があるんだ。そう簡単には騙されないよ」

「それで泊まる宿も無くしていたら、世話ないですけどね」

「お、エミリーも言うねぇ! でもアタシはそれぐらい軽口を叩かれる方が好きだよ!」


 テーブルに両肘をついて、ニヤリと笑みを浮かべるサシャ。


(美人はどんな笑い方をしてもサマになるんだなぁ)


 そんなことを思いつつ、自分のお茶に口をつけた。



 するとサシャは、ベッドルーム(ベッドが置いてあるだけの簡素な部屋)に視線を向け、片手を頬に添えながらヒソヒソと話しかけてきた。


「それで? クロードとの生活はどうなんだい。アイツのブツは立派だから、夜は大変だろう?」

「ぶふっ!?」


 とんでもないことを言い出すものだから、ハーブティーを盛大に噴き出してしまった。



「げほっ、ごほっ……」

「あはは! ごめんって、冗談のつもりだったんだ」

「もうっ! 昼間から下世話なことを言わないでくださいよ!」


 自分で汚したテーブルを拭きながら、目の前の人物を睨む。だけどサシャは気にした様子もなく、ニタニタとした表情を崩さない。


「でも、事実だろう?」

「……黙秘します」


 自分が小柄な体格をしているせいで、彼の相手をするのはひと苦労。しかもクロードは体力お化けなもんだから、朝になる頃にはもう私の姿は大変なことになってしまうのだ。


 だけどそんな赤裸々なことを初対面の人にぶちまけられるほど、私のハートは丈夫にできていない。


 そもそも女友達のいない私は、誰にもこの話題を口にしたことは無いけれど。



(……でも、そうよね。別れたとはいえ、奥さんだったんだもの。サシャもクロードのことを知っていて当然、か)


 私と違ってサシャさんは背が高く、スタイルも良い。ひょっとして、クロードもこういう女性らしい人が好きなのかな。


 そう思うと、なんだか心がモヤモヤとする。



「なんだか視線が痛いね」

「そう思うのなら、少しは自重してください」

「ははは。仲良くなるためには、互いに胸の内をオープンにしておいた方が良いと思てさ」


 それが商談を上手く運ぶコツさ、と言って椅子の背もたれに寄り掛かる。

 だからって、もっとマシな話題のチョイスはなかったんですか。


(でも、なんだろう。まさかこうして元奥さんとお話をする日が来るとは、夢にも思わなかったな)



「あ、もしかして嫉妬しているのかい?」

「……」

「エミリーは分かりやすい子だねぇ。だけど、その心配は杞憂だよ。アタシとクロードは、キスすらしたことが無いんだから」

「――えっ?」


 キスをしていない? キスって口付け、接吻……つまりはそういう行為よね?


 訳が分からず、頭がフリーズしてしまった。



「サシャさんたちは夫婦、だったんですよね……?」

「口調が元に戻っているよエミリー。そうだよ。だけどアレはなんていうか……仮初(かりそめ)の夫婦? まぁ言い方は悪いけど、互いに好きとかそういった感情は無かったのさ」


 私が用意した香草入りクッキーに手を付けながら、サシャはあっけらかんと言った。ポロポロとこぼれ落ちる粉を見つめながら、私は首を傾げる。


 謎は深まるばかり。じゃあ、どうして夫婦になったの?



「アイツとアタシは、同じ街で生まれ育った幼馴染でね。小さいころは、よく一緒に遊んでいたものさ」

「お二人が……幼馴染……」


 そういえば私と違って、クロードは別の街出身だ。彼はあんまり自分のことを喋らないから、小さい頃の話って全然知らなかったな……。



「ほら、ガキの頃って友人同士で約束をするもんだろう? 互いに大人になったら結婚しようね、とか。そんなオママゴトの延長みたいなのがあってね」

「ってことは、その約束を果たしたってことですか?」

「そうそう。クロードも律儀な男だからさ、十年以上も昔の約束をしっかり覚えていたんだよ。まったく、愚直すぎるよねぇ」


 サシャは当時、夢を叶えたばかりの新人商人だった。駆け出しで女性だったこともあり、商売相手に信用してもらうのが難しかったそうだ。


「アタシも焦っていたんだろうねぇ。それを見かねたのか、クロードが声を掛けてきてね。自分を利用してくれって。ふふっ、そんなプロポーズの仕方があるかい? ロマンも何もあったもんじゃないよ」

「……なんだか、クロードらしいですね」


 そんな頃から、女心をガン無視した言動をしていたのね、貴方……。



「とまぁ、その話に有難く乗らせてもらったってワケ。でもねぇ、やっぱり互いにすれ違ったっていうか……どうしても友人以上の関係にはなれなかったんだよ」


 少し気まずそうに、カップの中を覗き込むサシャ。ミントグリーンの水面には、彼女の違った表情が見えた気がした。



「で、綺麗サッパリ別れてからは別々の道を歩んでいたってワケ。どう、安心した?」

「……そう、ですね」


 最初は心配だったけれど、今はちょっと嬉しいというか。自分の知らなかった旦那様のエピソードを聞けて、なんだか新鮮な気持ちだ。


 私があからさまにホッとした表情になったのを見て、サシャも眉を下げて微笑んでいた。



「今後は程良い距離間の友人っていうか、ビジネスパートナーだね。むしろクロードよりも、エミリーとの付き合いが長くなるだろうし。今後とも頼むよ」

「そうですか、こちらこそよろしくお願いし――うん? ビジネス?」


 どっからビジネスって単語が出てきた?

 今までの話に、そんな流れなんてありましたっけ?


「あはは、何をすっとぼけているんだい。今度の商売は、エミリーが中心になるんだろう?」

「う、うん? 待ってください、いったい何の話ですか?」


 どうにも話が嚙み合わない。

 冗談抜きで慌てふためく私の様子をおかしいと思ったのか、サシャの顔がみるみると(けわ)しくなっていく。



「あんっの、無頓着男! まさか本人にひと言も伝えていなかったのかい!」

「え? さ、サシャさん?」

「エミリーは栽培したハーブでお店を開くのが夢だから、アタシに協力しろって。店を開くために、新しい家も買う予定だって言ってたよ!?」

「えぇぇええぇえええ!?」


 どうしよう。そんなこと、一切聞いていない。


 たしかに夢物語というか、そういうことをしてみたいな~、なんてことを言った覚えはあるけれど……。


 そんなことを考えているうちに、サシャは魔法で使い魔を呼び出して、クロードの元へ飛ばしていた。



『ん? アレはサシャの使い魔……どうしてここに?』

「ちょっとクロード! エミリーになんっにも伝えていないじゃないのよ! 大事な話は事前にしろって昔から言ってるのに、アンタって人はもう!」

『うぇ? あ、いや。時機を見てじっくり話そうかと……!?』

「言い訳しない!」


 サシャに叱られて、シュンと肩を落とすクロード。


 今の彼は、まるで叱られた犬のようだ。ちょっと可愛いかも……って、いやいや! そんなことを考えている場合じゃない!



「あの、クロード? お店を始めるって本当なの?」

『あぁ。やっぱり家で閉じ籠っているより、好きなことをしているエミリーの方が生き生きとしているからさ。それに……」

「それに?」

『ほら、今の家だと結構手狭だろう? もし家族が増えたときのことを考えたら、広い家に引っ越した方が良いかなって、お金を貯めていたんだ』


 ちょ、ちょっと待ってよ。

 それってもしかして、クロードは赤ちゃんがほしいってこと!?


 隣では、サシャが満面の笑みを浮かべている。

 もう! 恥ずかしいったらありゃしない。



「だったら、もっと夫婦で話し合いをしなさいよ。アンタだけの問題じゃないでしょうに」

『重ね重ね、申し訳ない……』


 どうやらクロードは、私のために色々と準備を進めてくれていたようだ。


 今回の遠征も、そのひとつ。以降は私の(そば)にいつもいれるように、配属を変えてもらうためのものだったそう。


 本来は帰った後にキチンと話すつもりだったのだけれど、サシャが協力してくれると聞いて、つい先走ってしまったみたい。



『ごめんなエミリー。迷惑掛けちゃったよな……』

「ううん。驚いたけれど、気持ちはとても嬉しいわ。ありがとう、クロード」


 サシャの使い魔越しに、私たち夫婦のわだかまりは解消された。


 するとサシャは「じゃあ、アタシは荷解(にほど)きしてくるから」と言い残し、そそくさとその場を後にする。どうやら気を使ってくれたらしい。



(ふふっ……)


 なんだか可笑しくなってしまって、クスリと笑ってしまった。

 未だにしょんぼりしている旦那様に目を向けると、彼も私に気が付いたみたい。目をパチクリさせているけれど、その表情が可愛らしくてついついニマニマしてしまうなぁ……おっといけない!


『エミリー? なんで笑って……』

「んふふ~! これから忙しくなりそうで、楽しみだなぁって!」

『忙しくて、楽しい?』

「そうよ。だから早く帰ってきてね、クロード」


 私がそう言うと、クロードが少し照れた表情で「分かった」と頷いた。


 どうやら周りの同僚たちに会話を聞かれていたらしく、「幸せ者め」と冷やかされたみたい。そんな照れ屋な旦那様を愛しく思いつつ、通信を終えた。




 数か月後。

 私たちは日当たりの良い一軒家で、ハーブと焼き菓子のお店をスタートさせた。


 新しく買い足した商品棚の上には、ハーブ園で育てた乾燥薬草があり、窓際に置かれたレモングラスの鉢植えからは爽やかな香りが漂っている。



「いらっしゃいませ! あ、サシャ!」

「やぁ、相変わらず笑顔が眩しいね。クロードにさっき会ったけど、機嫌が良さそうだったよ」

「えへへ。今度はパパになるんだって、張り切ってるみたいです!」


 楽しそうに接客をする私に、旦那様も大満足。

 私も今がとっても幸せだ。



 そしてサシャは、当店と取引きする大事なお得意様となった。やがて彼女は、ウチのお客さんと運命の出会いを果たすのだけれど……それはまた、別のお話。


もし良ければ☆☆☆☆☆評価をいただけると幸いです!


作者へのとても大きな励みになります。

よろしくお願いいたします(*´ω`*)

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