ほぼ二重人格
こんばんは。
年明けて、ぼちぼち書いています。
他のシリーズについても、気が向いた時に進めます。お付き合いよろしくお願いします。
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アセスが水月の宮からラーディオヌ一族に帰って行って数日間、あきらかにサナレスの様子はおかしかった。
「サナレス!」
呼びかけても兄は彫刻のように無表情な顔をして、必死で何かわからない研究をしているようだ。作業机の上に書かれた数字の文字列の意味なんて理解できない自分は、ここではないどこかに行ってしまっている兄を呼び戻すだけだ。
「サナレス!」
そう呼んでも彼は反応しない。
知っていた。
こういった状態で、一番彼が反応してくれる方法は、彼をこう呼ぶ。
「サナレス兄様! 兄様!」
これで数秒で、彼はーー兄サナレスは覚醒してくれるのだ。
多分兄は天才なのだと思う。いつも人と違う視点を持っていて、彼の思考が全くわからないことがある。
ここ暫くは、自分の呼びかけでこの世に戻ってきてくれてはいるけれど、今になってサナレスの特性が顕著になってきている。
サナレスは、外界からの音を全て遮断してしまう癖があった。
人が呼びかけても反応せず、彼の世界に入ってしまう。それは深層意識の世界なのだろうと想像できたが、別次元に入ったサナレスは、全く反応しなくなる。
天才。
人はそんなふうに彼を分別していたけれど、サナレスは自分の特性を恥じていた。
理由は、過去に彼の特性が子育てには災いしたからだ。
リンフィーナがまだ年端もいかない頃、子供特有の無鉄砲さでサナレスを振り回した。
少しでも目を離すと転ぶ、そして怪我をして泣き叫ぶ。
サナレスは子供の突拍子もない行動に困惑し、自らの特性の欠陥に気がついたのだ。
『子供というのはなんて傍若無人な生き物なんだ!? 片時でも目を離していられない。ずっと意識を向けていなければならないなんて、なんて厄介な生き物なんだ!?』
サナレスは愕然として、自らを律したようだった。
だから天才サナレスの悪癖を、久しぶりに目にしていた。
「サナレス兄様」と呼べば、溶ける悪癖であることを、リンフィーナは熟知している。
「どうした?」
数秒後振り返った顔には少しづつ表情が戻ってきて、こちらに向かって微笑みかけた。
実験室には入るなと強く言われていたから、眉根を寄せてガラス越しにただ手招きした。
ここのところアルス大陸は物騒だ。地震に奇病(サナレスは疫病だと言っている)、そんな未知の状態に人々は不安を覚えていた。
でもそれは、アルス大陸の要である大神、ジウス・アルス・ラーディア、サナレスの父がラーディア一族の大国を鎖国してしまって久しいからだ。そして、それに次ぐラーディオヌ一族の総帥であるアセスが、つい最近まで意識不明となっていては、アルス大陸に暗い影が落ちても当然だった。
水月の宮に増設した研究室は、サナレスの師であるという一風変わった細長いリトウ・モリとかいう眼鏡の男子とサナレスの2人だけで使用していて、自分を含め誰も部屋に入ってはいけない決まりになっている。危険な細菌を扱っているから、隔離室にしているんだとサナレスは説明した。
自分の呼びかけに気がついたサナレスは、隔離室と自分のいるところの間の小さな空間で、全身に纏った白い布一枚をはぎ、頭にかぶったものを脱いでメガネを外し、手指の消毒を隅々までおこなって、こっち側に出てきてくれた。
「どうした、リンフィーナ?」
「どうしたじゃない、サナレス兄様! もう丸二日以上、ここから出てきていないでしょう? 食事!!」
「ああ、そろそろ食べないとな」
自分が常に食欲を暴れさせそうなのに対して、一方でサナレスは何かに集中すると相変わらず食を蔑ろにしていた。リトウ・モリも似た気質らしく、2人して研究している間は、実験室内の器具でかろうじて水分だけを啜っているような有様だ。
「食べないと、そして寝ないとでしょう? 今朝、リトウ・モリ先生が倒れてしまって、大変だったんだから、兄様だってもう限界でしょ?」
「いや私はまだーー」
「イヤ!!」
心配だから駄目だと主張しようとして、その瞬間、もっとワガママな言葉が自分の声帯を借りてスッと出てきた。
サナレスに何かあったら大変だからと言おうとしていたのに、自分はまた、驚くほど違う言葉を口にする。
「もっと一緒に居てくれないとイヤ。これ以上放置しないで!」
自分の口から飛び出す言葉はなんて歯切れよく本心なのか。
声帯を乗っ取られたが、思わず拍手してしまいそうだ。
リンフィーナは兄サナレスに対してもずっと遠慮がちに接してきた。それなのに自分の中の別の少女、魔女ソフィアは、みっともなくも生きるために必死で食べ物を貪り、サナレスに温もりを求める。
対して自分の声は、小さい。
……兄様、お願い。
「わかった」
そう言ってサナレスはアセスがラーディオヌ一族に帰ってから1週間ぶりに、やっとこちらをちゃんと向いてきた。
「ここは人の体には良くないものを研究している。だから地下にしているんだし、おまえはあまりここに来ないようにと言っていたのにな」
ごめんなさい! 兄様が食べていないかと。
「悪い? だってサナレスが引きこもるからでしょう!? 私だってこんな陰気臭い地下に来たくなんてないわよ」
また自分と違う言葉を、自分は口にしていた。性格は随分違いそうだが、サナレスの体を心配している気持ちだけは一致しているので、リンフィーナは諦めたように甘んじてため息をついた。
今のように正直に、サナレスに自分の気持ちを口にできていたら、今がもう少し違ったのかもしれないと思ってしなだれてしまう。
「やっぱり今日もラーディア一族の結界を解くことができなかった」
「そうか」
近衛兵であるサナレスの部下の食糧調達の他、さほどすることがないリンフィーナは、日常の仕事としてラーディア一族の結界の境界線まで行って、それを突破できないものかと試みることを日課にしていた。
多少血を見ることになってもいいのであれば、結界を破ることもできるのだがなぁ、と物騒なことを呟く魔女の言葉は今しばらく抑えている。
「父上の考えだ。私たちは今できることをするしかないさ」
そんなふうに割り切れるサナレスはやっぱりすごい。
ラーディア一族のジウスとは、親子という以外の関連性でしかなく、まして自分の出生ですら疑わなければならなくなった自分には焦りしかなかった。自分がサナレスに関わったことで、サナレスが自分を養育してきたことで、兄に迷惑がかかっていないかが気掛かりだ。
自分の心情を見透かしたかのように、サナレスは左口角を少し上げて目を細めた。
「おまえがラーディア一族との関わりを面倒に思うなら、私も関わりはしない。ーーなぁリンフィーナ、私はラーディア一族の次期総帥と言われたが、それを望んでいなかったのはおまえも知っているだろう? 次期総帥なんてものを甘んじて受けてきたのだって、ただおまえと苦労のない暮らし、自分達の生活圏内を便利にしたかっただけだ」
要らないなら、いつだって一族を捨ててもいいんだよ。
サナレスからの提案に、リンフィーナは戸惑うばかりだった。兄が捨てていいと言ったとしても、兄の才能は一族に必要で、大陸にも必要で、自分だけで独り占めしていいものではないと思って育ってきた。
「うん。でもジウス様とサナレスは話したほうがいい。私も、ラーディア一族が大切」
嘘つき!
自分の中の魔女が、私が必死で紡いだ言葉に否定的に言って笑っていた。
偽りの神々シリーズ紹介
「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢
「封じられた魂」前・「契約の代償」後
「炎上舞台」
「ラーディオヌの秘宝」
「魔女裁判後の日常」
「異世界の秘めごとは日常から始まりました」
「冥府への道を決意するには、それなりに世間知らずでした」
「脱冥府しても、また冥府」
シリーズの9作目になります。
異世界転生ストーリー
「オタクの青春は異世界転生」1
「オタク、異世界転生で家を建てるほど下剋上できるのか?(オタクの青春は異世界転生2)」
異世界未来ストーリー
「十G都市」ーレシピが全てー